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※本日、記事を五回更新していますのでお見逃しなく。 連載シリーズの最終回は前の記事となります。 これが五回目の最後の記事です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 長野智子さんとの出会い 平成十八年一月二十日、佐賀空港に「ザ・スクープ」のスタッフが 降り立った。現場の指揮をとる原プロデューサーにディレクターの 丸山さん、報道キャスターの長野智子さん。カメラや照明、音声の スタッフも加わり総勢六名が佐賀空港に集結して、父と母に挨拶を 済ますと、彼らはこの事件を検証するための取材と撮影を開始した。 テレビでしか見たことがなかった実際の長野智子さんは陽気でとて も気さくな女性だったが、さすがに凛とした輝きを放っていた。長 野さんは裁判だけでなく父とともに闘ってきた家族の苦悩や無罪に かけた想いも正確に伝えようと私にもマイクを向けた。 私には長野さんのインタビューの様子を見ていて一つ気づいたこと があった。彼女は資料を事前に確認するわけでもなく、いつもメモ を持たずにアドリブでインタビューを続けていた。現地に取材に入 る前にこの事件について十分な時間をかけて検証を済ませてきてい るようで、事件の経緯や五年間の裁判の流れなども熟知していた。 さすがプロだと私たちをうならせた。 私は彼らを父のアリバイの争点となった古湯温泉のT荘へと案内し た。旅館に到着して長野さんが女将さんにインタビューする模様を 私は静かに見つめていた。長野さんは核心にせまる質問を次々と女 将さんにぶつけていた。 「すると副島元組合長は平成八年の七月十日、確かにここに見えら れたのですね」 長野さんは事実を確認しようと女将さんに尋ねた。 「はい、たしかに組合長さんは見えられました。ハッキリと覚えて います」 女将さんは緊張した面持ちで答えた。 「そのことは(一審無罪判決直後に裏付け捜査に尋ねてきた)検事 にも話したのですね」 「はい、組合長は本当に来たのかと検事さんに聞かれたので『ええ、 たしかに見えられましたよ。組合長さんが来られたのを覚えていま す』と私はハッキリと伝えました」 「そのとき検事は他に何か言いませんでしたか」 「その時の伝票は残っているかと聞かれたので伝票の綴りをここで 見せました」 「その伝票にはどんなことが書かれていたのですか」 「人数や料理などが書かれていました」 「その伝票は今どこにあるのですか」 「検事さんが貸してくれと言って持っていきました」 長野さんの取材によって、検事が訪ねて来た時の様子が詳しく分か ってきた。検事が来たのは検察が控訴した日の午前中で、つまり控 訴する前に父のアリバイを立証できる証拠や証人が存在することを 掴んでいたことになる。それでも検察は控訴していた……。 日が暮れた後も場所を移動して、冷たい雨が降りしきる暗闇の公園 で関係者への取材と撮影が行われた。その日の撮影が終わり、夕食 の席についたのは既に夜の十時を過ぎた頃だった。 私も彼たちと一緒に食事をしながら、無罪までのいろんな出来事を 語った。既に終わった裁判のことを、こんなふうに真剣な眼差しで 聞いてくれる長野さんやスタッフの誠実な態度が私には嬉しかった。 事件や裁判の陰で真実を訴えようと苦しむ人たちの悲しみや怒りを 分かっているからこそ、私の話にもきちんと耳を傾けてくれるのだ ろうと思った。 長野さんの携帯電話には、食事の最中にも過去に担当した冤罪事件 の本人から電話がかかってきて、相手は悔しさをぶつけているよう で長野さんは何度もうなずいていた。ひとしきり話がすむと彼女は 最後に大きな声で「絶対にあきらめないでね! 頑張ってね」と励 まして電話を切った。 隣に座っていた丸山さんが私にそっと教えてくれた。 「僕たちはいろんな冤罪事件の現場を取材して、被告とされた人た ちの声にも耳を傾けてその苦しみも知っています。放送が済んだら それでおしまいでなくその後も応援しているんですよ。だから長野 さんには放送が終わった後も夜中でもこんなふうに各地から電話が かかってくるのですよ」 被告とされた人間の苦しみを分かってくれる人たちがいる……喜 びと同時に元気がわいてきた。 丸山さんはさらに話を続けた。 「普通はキャスター自らが現場で徹底的に取材するなんて珍しいこ とですが、うちは長野さんや鳥越さんも現場に入って取材しながら 真相を追究していくのですよ。ザ・スクープは普通の報道番組とそ こが違うのですよ」 隣で静かに話を聞いていた原さんが口を開いた。 「我々は他のマスコミが取り上げない事件の真相や裁判の裏側を取 り上げるのですが、その分取材が大変です。でも、放送するからに は自分たちも責任を持って事件を検証しなければならないからです ね。だから副島さんのお父さんの事件もきちんと検証して番組を作 りますよ」 電話を終えた長野さんも話に加わった。 「健一郎さん、お父さんの事件もひどいですよね。こんなことは絶 対に許されないことですよ。今日、お父様やお母様にお会いして人 柄を知り、ますます事件の真相を世間に伝えなければならないと思 ったわ。ひどすぎるわ……」 「長野さん、ありがとうございます。僕は父の無実を証明したくて ……ただそれだけで頑張ってきましたが、いつかこの事件の真相を 本にしてきちんと世の中に伝えたいと思っています」 「そうよ、健一郎さん。ぜひ書いたほうがいいわよ」 「ザ・スクープ」の取材と撮影は、翌日も翌々日も早朝から夜遅く まで佐賀市内のあちこちで続けられた。長野さんのインタビューで、 取調べを受けた農協関係者から当時の取調べの状況がさらに詳しく 浮き彫りになっていった。(本編に描かれている関係者の取調べの 様子は長野さんのインタビューをもとに描いた) 取材が進む中で私は母の様子が今までと違うことに気がついた。裁 判を一緒に闘いながら父を支えてきた母の存在は周囲には目立たな かったが、長野さんは同じ女性として母の苦労を理解してくれてい るようだった。母に「お母さん、お母さんもこっちに来てください よ」と声をかけ、「お母さん、お父様を支えてこられて本当に大変 でしたね……」と母のこれまでの苦労をねぎらう言葉をかけてくれ ていた。母は長野さんの言葉にはにかんだような笑顔を浮かべ、こ れまで私たち家族にも語らなかった胸中を長野さんには素直に語っ ていた。家族だから話せないこともあると思う。母も本当は苦しい 胸のうちを誰かに聞いてほしかったのだろう……。 長野さんとの別れの日、普段は自分から人に何かを頼んだりする母 ではなかったが「長野さん……一緒に写真を撮ってもらえませんか」 と、珍しく自分からお願いした。母には長野さんとの出会いがよほ ど嬉しかったようだった。長野さんと並んで写した一枚の写真…… 五年間の裁判を闘かった母の大切な宝物となっている。 撮影がすべて終了して東京に戻った長野さんたちは取調べを担当し たI元検事にも取材を試みた。なかなか取材のチャンスが訪れず、 四回目、検事を辞めて弁護士になろうとするI元検事の姿をカメラ がとらえた。 彼を見つけた長野さんは車から飛び出してI元検事にマイクを向け た。彼はうすら笑いをするだけで最後まで何も語ろうとしなかった。 逃げるように立ち去ろうとする彼の背中に向けて、長野さんの声が ひときわ大きく響いて番組は終わった。 「副島さんに謝罪しないのですか!」 長野さんが彼にぶつけた言葉は、父や私たち家族の怒りをこめた悲 痛な叫びだった。 この時の取材が「ザ・スクープ」でテレビ放映されたのは、平成十 六年三月五日だった。 (※この時放映された番組は、テレビ朝日「ザ・スクープ」公式サ イトで放送日をバックナンバーで検索すると視聴できます) ■テレビ朝日「ザ・スクープ」 http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/special_back/20060305_010.html 2006年3月5日放送「検証!佐賀市農協事件」(前編・後編)40分 ■長野智子さんのコメント http://www.tv-asahi.co.jp/hst/i/column/nagano/018.html ■長野智子さんのブログ http://yaplog.jp/nagano/ |

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