『いつか春が』執筆日記

波乱に満ちた人生。夢に向かって挑戦する男のドキュメントストーリー。

物語:「求職男」

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  第34話 五分間だけの記憶(後編)「求職男」〜再就職への道〜



「では改めて中島さんをご紹介します。こちらへどうぞ」

担当者に紹介された僕は二十人の前に立った。拍手がおきるわけでもなく、
この人は誰?と、みんなの視線が僕に集中しているのが分かった。

「みなさん、おはようございます。研修生の中島と申します。今日一日
よろしくお願いします」
耳が遠い人もいるので、声量と話すスピードに気をつけた。

「私は現在50歳で、生まれはお隣の佐賀県です。佐賀には80歳の父と78歳の
母がおりますが、ちょうど皆さん方と同じくらいの年齢ですので、今日は私が
授業参観を受けているような気分です。授業参観の日は帰ってから『あんた
授業中になんばしよったね』と、いつも母に怒られていましたので今日は少し
緊張しています」

みんな、にこやかな表情だった。
「ところで、私は佐賀出身ですが、みなさんはどちらの御出身ですか?ええっと・・・
友田さんでしたね。友田さんのお生まれはどちらですか?」
一番後ろに座っていた友田さんは、突然の質問に驚いた表情でモジモジとした。
「私は・・・生まれは北九州です」
「北九州ですか。北九州のどちらですか?」
「戸畑です」
「戸畑ですか。製鉄の町ですね。あそこは『戸畑ちゃんぽん』と言って麺が
平べったい珍しいちゃんぽんがありましたね。これがまたおいしいんですよね」
「へえー」と、どよめきがあがり、友田さんは懐かしそうにうなずいた。

「じゃあ、ええっと、お隣の・・・川崎さんですね。どちらですか?」
「熊本です」
「熊本ですか、馬刺にカラシレンコンが有名ですね。熊本では馬刺用の醤油が
あって、それがまた甘口も甘口で最初はみんな味の濃さに驚きますよね」
目を細めて嬉しそうにうなずく川崎さん。
「じゃあ、お隣の・・・中田さんは?」
「シスコです」
「しすこ?・・・はて、どこでしたっけ?」
「アメリカのサンフランシスコです」
「ええー!」一同がどよめいた。
「残念ながら私は言ったことがないんですが、どんな所ですか。よければみなさんに
少しご紹介して頂けませんか?皆さんも聞きたいですよね?」
「聞きたーい!」
こんな感じで、まちづくりで得たウンチク話を交えながら、自己紹介だけでなく、
ふれあいの時間を開始した。僕が幼い頃、ここにいる人たちは二十代、三十代の
父や母だった。僕の幼い頃の思い出は、そのまま父と息子、母と息子としての
思い出として、ひとつに重ね合わせることが出来た。
息子の年代だからこそできるコミュニケーションだ。
いつしか僕は、まるで父や母と話しているような錯覚に陥っていた。

一言でもいいから全員に話してもらおうと、僕はそれぞれの話をつなげていった。
ひととおり順番が回り終えたところで今度は話題を変えた。

「さあて、せっかくですから今日はみなさんに私の趣味をお見せしたいなと思って、
こんなものを持ってきました・・・さて、これが何だか分かりますか?」
僕は用意した道具をみんなに見せた。

「マジックと画用紙!」

誰かが大きな声で答えた。
「そう、マジックと画用紙ですね。さて、私は今から何をしようとしているの
でしょうか?」
「何??・・・」
全員首をかしげた。

「今から何かを書きますので、何を描いているのか当ててください」
画用紙帳を広げようすると担当者から声が飛んだ。
「あっ、せっかくですし黒板(ホワイトボード)を使っていいですよ」
全員が興味深そうに僕の行動に注目した。
「じゃあ黒板に書きますね。分かった人は答えを言って下さいね、さて誰が一番最初に
当てきれるでしょうかね」

キュッキュッ・・・僕はペンを走らせながら、ある人物の似顔絵を描いていった。

「あっ!王だ。王貞治だ!」
誰かが叫んだ。「そう、正解でーす!」
僕は王貞治の似顔絵を手早く仕上げた。
「ほほー・・・うまいもんだねー」感嘆の声が上がった。
「じゃあ、次は誰だか分かりますか?」
誰を描いているのか気づかれないようにしながら、僕は百歳になる岡田さんの顔を
チラリと見た。
ペンを走らせるにつれて岡田さんの笑った顔として目や鼻が描かれて出来上がっていく。
「あっ!岡田さんだ」
「そうそう、岡田さんよ」
ドッと一斉に笑いが湧き起こった。
「アハハ、似てる似てる。岡田さんよ」
耳が遠い岡田さんには、みんなの笑い声は聞こえないだろうが、体で感じるのか
岡田さんも照れくさそうに笑った。

「じゃあ誰か描いてほしい人はいますか?」
「佐々木さんを描いてよ」「吉田さんも描いてー」
「いいですよ、じゃあ佐々木さんですね。佐々木さんは笑うと目が下がるのですよ。
こんなふうに・・・佐々木さん、綺麗に描くから笑顔を見せて下さいね。はい笑って笑ってー」
また笑いが起きた。
笑いの渦が起こるにつれて、いつのまにかスタッフも全員集まってきた。
あははは・・・、アハハハハ・・・。
やんやの声援をあびながら似顔絵を仕上げると、すぐに次のリクエストがかかる。

「あのおー、でも時間が・・・」
一人でこんなに時間を使っては悪いと思い、担当者の顔を見た。
「アハハハ、中島さん、もっと続けて。このままもっと続けて下さいよ」
自己紹介だけの予定が即興の似顔絵描きから、似顔絵の描き方を教える
『似顔絵講座』へとなった。
「なるほど・・・」と、みんなを唸らせたり笑わせたりしながら、あっという間に
一時間あまりが過ぎて、僕は自己紹介の時間を終わらせた。

担当者が笑いを抑えながら駆け寄ってきた。
「あー、おもしろかった。中島さん、まるで本物の先生みたいですね。話の進め方が
慣れていますね、びっくりしましたよ」
「認知症の方でも『絵』ならばコミュニケーションが出来ると思ってですね。人間は
言葉の聴覚よりも、目に訴える視覚のほうが伝わりやすいからですね」
「なるほど・・・でも、中島さんって変わった人ですね、ヘルパーの勉強を
している人には見えないですね」
担当者は不思議そうな顔で僕の顔を見た。

製薬会社に勤務していた頃、人間の体の機能を学び、講師時代に講義の余興として
似顔絵やイラストを描いたり、雑談を交えたりしてその場の空気を和ませた。
今日、その頃を思い出して久しぶりに実践してみた。

笑いはその場の空気を変え、人から人へと伝わり幸せな気分にしてくれる。
認知症の人でも五感のいずれかを刺激すれば、コミュニケーションが図れるのでは
という思いがしてきた。

介護の現場は暗いというイメージを連想する人も多いと思うが、現場に癒しだけでなく、
笑いを生み出すサービスがあってもいいのではないだろうか。
スタッフもお年寄りも、一緒になって笑い転げるエンターテイメントのある現場。
可能ならば僕は紙芝居を作ったり、懐かしの昭和歌謡の曲名当てクイズや動物との
ふれあいセラピー、ピエロの格好をしてマジックを披露したり、生ギターで一緒に
歌うなどアイデアは尽きない。家族向けの楽しい広報誌だって作ってみたい。

介護を受ける人もその家族も、そしてスタッフも一緒に笑いを共有したい。
さまざまな可能性を介護の現場で企画して実践して、『ここは楽しい我が家』と
思ってもらえるような施設運営に関りたいと願っている。

『介護に笑いを』・・・実習をとおしてスタッフが明るくなければならないと感じた。
介護の現場はストレスが多いからこそ笑いが必要だと思った。
暗い顔をして疲れたスタッフが、人に対して優しくできるわけがない。

他とここはどこが違うか考えた。
やはりリーダーの個性であり、明るさであり熱意だ。
リーダー次第で現場が変わりスタッフが一つにまとまる。
以前、『リーダーシップとコミュニケーション』という講座を教えていたが、
その頃の忘れていた熱い想いが体の中から湧き上がってくることに気づいた。

こうして実習を終えた僕は再び就職活動を再開することにした。

その頃、ひと足先に実習を終え、就職活動を開始したおやじ組の仲間たちに
『不採用』の通知が次々と届き苦戦していた。

介護の世界でも中高年男性の就職は厳しいという現実に打ちのめされていた。

                               つづく


第33話 五分間だけの記憶(前編)「求職男」〜再就職への道〜



実習最終日、今度はデイサービスの施設へと向かった。
「たしかこの辺だけど・・・おかしいな。見当たらない」
地図を頼りに何度も同じ場所を行ったりきたりするが、それらしき
建物は見当たらない。
今度は番地を頼りに探し始めた。

「ええっと・・・あっ、ここだ!」

やっと見つけた。
大きな看板がある施設と思って探していたが、そこはどこにでも
あるような普通の二階建ての民家だった。
表札と間違えるほどの小さな看板が門柱に掲げられていた。
「おはようございます。実習生の中島と申します」
「はーい、どうぞ中に入ってくださーい」
若い女性の声が返ってきた。

普通の家の玄関を開けて廊下を進むと、奥に二十畳ほどの広さの
リビングがあった。
ちょっとした教室みたいなフロアで、テーブルをくっつけると三十人ほどが
座れるようだった。フロアには『童謡』ではなく『昭和歌謡』の音楽が
流れていた。
「童謡を流す施設が多いけれど、うちでは童謡は流しません。みなさんが
親しんだ青春時代の曲をBGMに流しているのですよ。
責任者である二十代半ばの女性がこう説明した。
(なるほど、そうだよな))
前回の施設ではレクレーションの時間に『童謡』を流していたが、僕にはなぜ
童謡を使うのか理解できなかった。ここでの説明には納得した。しかも、
この前の施設ではフロアの真ん中にテレビが置かれ、一日中テレビがつけっぱなし
だったが、ここではテレビは部屋の隅に追いやられ、代わりに音楽が流れていた。
(昔のジャズを流して、リハビリを兼ねて手拍子したり足でリズムをとって
スイングしてもらうのもいいかも。美空ひばりや坂本九、石原裕次郎などの曲も
いいんじゃないかな)

僕はそんなことを考えながら周囲を見渡した。
「驚かれたでしょう。うちはなるべく自宅と同じような雰囲気でくつろげるように、
あえてあまり手を加えていないのですよ」
なるほど、奥には四畳半ほどの畳の小部屋も見える。

「うちは大手と違って、見てのとおりこじんまりとした事業所です。
スタッフ同士も仲がよくて気さくですから、今日は楽しんで、しっかり勉強して
帰ってくださいね、わからないことがあれば何でも聞いてください」
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」
僕は責任者の言葉に嬉しくなった。

「今日は二十名ほどの方が見えられます。全員認知症の方ですが、みなさん会話は
普通どおりおできになられますが、足が弱ったり耳が遠かったり、そんな方々
ですのでよろしくお願いします」
「今日、見えられる方のそれぞれの症状をもう少し教えて頂けませんか」
この前の施設では事前に何の説明もなかったので、今日はもっと事前に知って
おこうと思った。
「あはは、熱心ですね。いいですよ、これです」
リストを見ながら一人一人の症状を教えてもらい確認していった。

「中島さん、今日の目標は何かありますか?」
「はい、コミュニケーションについて学びたいと思います」
「そうですか、分かりました。もうすぐみなさんがお見えになられます。
見た目には普通の方と同じですが、五分前に話したことが、すぐ忘れられて
しまう方が多いけれど、そこを理解して接してくださいね」

(えっ、五分!五分前の記憶が消える・・・本当だろうか)

そうこうしている間にスタッフが次々と出勤してきた。
「おはようございまーす」
「おはようございます。今日、実習でお世話になります中島です。よろしく
お願いします」

この前の施設は五名のスタッフで同じ二十名ほどの利用者を担当していたが、
ここは七名で担当していた。三十代、四十代の女性もいた。
女性ばかりのスタッフが揃うと、フロアは一気に華やいだ空気になった。
ここでは僕のような中高年の実習生は珍しいそうで、こちらが気にしたが
彼女たちは一向に気にせず「中島さんって、実習生というよりも何だか
存在感そのものが上司って感じですよね」と冗談を言って笑わせた。

一番先に到着されたのが七十代後半の男性。
背筋を伸ばして「みなさん、おはよう」と挨拶しながら椅子に座った。
どう見ても普通の紳士で品があり、どこか気難しそうな雰囲気を漂わせていた。
「あの方は元司法関係のお仕事をされていたんですよ。みなさんと溶けこみ
にくいようで、いつも一人であそこの席に座られます・・・どうですか、
少し話されてみますか?」
責任者の彼女は私の表情を確かめるように見た。

「はい・・・やらせてください」
僕はその男性の前に座った。
「田中さん、おはようございます。実習生の中島と言います。今日一日
よろしくお願いします」
「おはようございます。珍しいですね・・・男性のあなたぐらいの年齢の方が
見えられるのは」
「はい、遅咲きの新人です」

男性は一言だけ言葉を交わすと目をそらして、音楽に合わせてリズムを取りながら
小さな声でメロディを口ずさんだ。
(ありゃりゃ・・・どうしよう。何を話せばいいのだろう)
「私の父は今年八十歳ですけれど、田中さんは父よりお若いようですね」
「えっ、僕。僕は七十八になりますよ」
そう言うとまたメロディを口ずさみ始めた。

「田中さんは司法関係のお仕事をされていたとお聞きしましたが・・・大変な
お仕事ですね」
『司法』という言葉を聞いた瞬間、田中さんは僕のほうを見た。
「ああ、大変だよ、裁判って本当に大変だからね」
「そうですね、裁判は人の人生を左右するし、裁判の裏側で本人や家族が
どれだけ苦しむかなんて、普通の人には分かりにくいですからね」
「そうなんだよ。裁判の裏側でね、本当に苦しむんだよ。裁判は本当に大変だよ」
私は自分の経験を素直に話したが、それを機に田中さんは裁判に関る思い出を
堰を切ったように語り始めた。

「いやあ、普通の人にはなかなかこんな話は理解してもらえないけれど、君はよく知っているね」
「ええ・・・少し司法について勉強したことがありますので」
「ほほー、そうかい。いやあ久しぶりに有意義な話ができたよ。ありがとう。うん、ありがとう」
誰かに聞いて欲しかったのだろうか、田中さんは嬉しそうに笑った。

送迎の車が到着すると、七十代前半から上は百歳を超えた『利用者(介護業界では
本来、老人とかおじいちゃんなどとは呼ばずにこう呼ぶ)』のみなさんが次々と
車を下りてきた。

「あれ?普通は○○サービスとか施設名が車に書かれているけれど、ここは
普通のワゴン車ですか?」
「ええ、以前はうちも施設名を載せた車で送迎していましたが、『隣近所に施設に
通っていることを知られたくない』という声が本人さんやご家族から寄せられたので
今は普通の車で送迎しています」
なるほど・・・感心した。

「おはようございます」
スタッフの明るい声に出迎えられて、嬉しそうに笑みを浮かべる老人たち。
車椅子や杖をついた二十名がフロアを埋め尽くし、各々がは自由に席についた。
まずはお茶が運ばれていく。
「おはようございます。研修生の中島といいます。よろしくお願いします」
僕は一人一人に声をかけて回った。見慣れぬ男性がいることに対して、特段
気にもとめずに「おはようございます」と挨拶が返ってくる。
なごやかな一日のスタートだった。

お茶の時間が終わり、みんなが落ち着いた頃、今日の当番の女性がみんなの前に立った。
「みなさん、おはようございます。今日は中島さんという方が研修で見えられています。
みなさんにご紹介したいと思います。中島さん、こちらへどうぞ!」
(えっ!紹介・・・今なの?何も聞いてないよー。あれれ、どうしよう)

自己紹介か・・・何を話そうか。そうだ、あれを使おう。
「すみません、用意するものがあるので、ちょっと待ってくださいね」
「はい??・・・みなさん、ではちょっと待ちましょうね」
全員の視線が僕の背中に注がれるのを感じながら、事務室に置いているバッグの
元へ道具を取りに行った。

「よし、これを使おう」

後で使うつもりだったが、今ここで使うことにした。
前回のコミュニケーションの失敗を教訓に自分なりに別の方法を考えた。
自分の過去の経験を振りかえりながら、人と人とがどうすれば
響きあうことが出来るのか・・・バッグに道具を用意してきた。

(こんなことする人なんていないだろうな・・・責任者に何も言っていないし、
大丈夫かな。あとで言おうと思っていたけれど・・・まっ、いいか)

僕はバッグから取り出した道具を持って、みんなの前に戻った。

                            
                           つづく



第32話 無力「求職男」〜再就職への道〜


実習に行った老人施設(特養)で見た光景は衝撃的だった。
休むことなく正確に「介護」という作業が続けられる。
流れ作業のように仕事に追われ、決められた作業工程に従って、黙々と介護を
こなしていく二十代の若い介護スタッフたち。

施設も立派で快適な居住空間がある。スタッフも入居者である老人たちに
至れり尽くせりのサービスを提供しようと、24時間一生懸命働いている。
大切な人を施設に預けた家族にとっては申し分のない施設だ。
ここに入居するには百人待ちという人気の高さも納得できる。
スタッフの給料も他の施設に比べて高い。
でも・・・ここは自分には似合わない。
僕が描いていたイメージとは何かが違う。


ここに入居する老人たちはほぼ全員が認知症で、一日中無言でテレビを見て過ごす。
食事の時間になると無言で食事をし、お茶の時間になると無言でお茶を飲む。
人にはこんなふうに老いていく人生があることを知った。

翌日、私はフロアの若いスタッフたちに声をかけて回った。
「おはようございます。昨日はお世話になりました。今日も一日よろしく
お願いしますね」

私の元気な声に若者たちは戸惑った。
「おはようございます・・・」
照れるのか、恥ずかしそうに挨拶を返す。ここで働く若者たちは冗談も言わず
真面目でおとなしかった。
(真面目なのはいいことだが、もう少し笑ってもいいじゃない)

せっかく実習に来たのだから認知症について学ぼうと、朝からリーダーを
つかまえて私の疑問をぶつけた。認知症の老人たちと、どんなコミュニケー
ションが出来るのか。これは現場でしか学べない。

「ちょっと教えてください。認知症の方々は言葉の意味はどの程度認識
できるのですか?」
「えっ、そうですね・・・全部認識できる人もおられれば、半分くらいしか
認識できない人もおられますし・・・人それぞれですね」
「じゃあ、こちらから話しかけても言葉の意味が通じない場合もあるの
ですか?」
「人によってはそうですね」
いろいろ聞いてみたが釈然としない。
こうなったら自分で話しかけてみるしかない。

ここでは午後に一度だけレクレーションタイムがあり、今日の担当者が童謡の
DVDを流して「じゃあ今日は『こいのぼり』を一緒に歌いましょう」と
歌い始めると、老人たちもモゴモゴと歌いだすが笑顔はない。
私は複雑な思いで彼らが歌う姿を見ていた。
(これがレクレーション・・・)


10分ほどのレクレーションの時間が終わると、再びテレビの時間に戻った。
老人たちに最も人気があるのが『ドリフの八時だよ全員集合!』のDVDだった。
単純明快なギャグは楽しめるのか、大声で笑う男性が一人だけいた。

昨日の実習で作業のおおまかな流れをつかんでいたので、時間を見つけて彼に
話しかけてみた。その人は愛嬌のある七十代半ばの男性だった。

「○○さん、今日はいい天気ですね」
「はい、いい天気ですね」
「ごはんはおいしく食べれましたか?」
「はい、おいしく食べれました」
共通の話題を見出そうと、さらに言葉をかけた。
「そうですか、よかったですね。○○さんはお生れはどちらですか?」
「ワシは対馬よ」
「へえー、対馬ですか。海がきれいですね」
「うん、海がきれいかよー」
彼はふるさとの海を思い出したのか、嬉しそうに笑った。
「じゃあ泳ぎは得意ですか?」
「ああ、泳ぎは得意やったよ。朝から晩まで海につかっとったよ」
スタッフはあきらめているのか、彼には必要なこと意外は話しかけなかった。
(ほーら、ちゃんと目を見て心をこめて話しかければ会話ができるじゃないか)
私は得意げになって、さらに話しかけた。

「あはは、海につかっとったですか。じゃあ、どれくらい泳げたのですか?」
「ああ、海はきれいかよ」
「??・・・どれくらい泳げたのですか?」
「ああ、海はきれいかよ」
(うーん・・・話題を変えよう)
「対馬でおいしいもんは、どんなのがありますか?」
「うん、おいしかよ」
「いや、あのー・・・どんなものがおいしいのですか?」
「海がきれいかよー」
「そうですか・・・海がきれいですか・・・」

私は誠心誠意つくせば、相手とコミュニケーションがはかれると思っていたが、
私の考えは甘かった。
これが認知症なのか・・・。

いつも一人でいる八十代の女性。
認知症が進行した彼女は自分では歩けず車椅子だった。話しかけても言葉は
返ってこないとスタッフに聞いていた。
フロアの隅っこのテーブルが彼女の居場所で、テレビも見ないし誰とも
言葉を交わさない。目を大きく見開き、いつも遠くを睨みつけたような
険しい表情で一日を過ごす。
時折、怖い形相で何かに向かってブツブツとつぶやいていた。
「あの人はいつもこうだから気にしないでいいですよ」とスタッフは説明した。

彼女にお茶を運んだ時、思い切って話しかけてみた。
「○○さん、お茶ですよ。あっちでみなさんと一緒にテレビでも見ませんか?」
「・・・・・・」
(何の反応もない・・・)
「ほら、外を見てみませんか。今日はいい天気ですよ」
「・・・・・・」
何を話しかけても彼女の視線は遠くを見つめたままだった。
(やっぱり無理か・・・)
お茶を置いて立ち去ろうとした時、突然彼女が口を開いた。
「おいは小学校しか出とらん・・・」
「えっ!・・・」
「・・・・・・」
彼女は怒りに満ちた表情で過去の記憶の中をさまよっているようだった。



夕方になると七十代の女性が泣き出した。
他の入居者の娘さんが自分の母親を訪ねてきたのを見て、彼女は自分の
息子を思い出したようだった。

「早く家に帰りたかー。息子が迎えに来ると言うとったけど、まだ迎えに
来んとよー。早う迎えに来るように息子に電話してよー。家に帰りたかよー・・・」
彼女は最近入居してきたために、ここでの生活にまだ馴染めないでいた。
自分の居場所が見つからず、時折何かの拍子に泣き出すという。
スタッフがなだめるが、彼女は子供のように泣きじゃくった。
「迎えに来るように、息子に早う電話してよー」

(ここがあなたの新しい家なんですよ・・・)
せめて、ここで楽しい時間を過ごさせてあげれたらいいのだが・・・笑顔を与える
ことは出来ないのだろうか?



ここで暮らす老人たちは、「今」ではなく「過去」の記憶の中で生きていた。
幼いころの楽しい思い出の中で生きている人。
辛かった記憶の中で生きている人。
家族との思い出の中で生きている人。
みんな遠い過去の思い出の中で生きている・・・そんな気がした。
介護の現場には命と向き合うだけでなく、認知症の現実を知り、さまざまな老い方が
あることを学んだ。

施設での実習が終わり外に出た。

駅までの道が昨日よりも遠く感じた。疲れだけでなく、いろんな場面が目に
焼きつき足取りが重かった。

人生の終焉を迎えようとする人たちに何が出来るのだろう。
コミュニケーションの重要性を実感し、自らコミュニケーションをはかろうと
思ったが、結局何も出来なかった。
現場の厳しさを知るにつれて打ちのめされていくような思いだ。
自分のふがいなさを思い知らされた。無力だった。
介護の世界は僕が考えていた以上に奥が深くて難しい・・・。
何もできない自分が悔しかった。

スタッフも入居者も笑顔であってほしいが、どうすればいいのだろう。
コミュニケーションの難しさを知ったが、他に方法は・・・。

「そうだ!この方法でやってみよう」

私はある方法を思いついた。

ようし、頑張ろうぜ!
もう一度、挑戦してみよう!
今度こそ・・・
                         
                         つづく



第31話 過酷な現実 「求職男」〜再就職への道〜



「訪問介護」の実習を終えると、今度は大手企業が経営する老人介護施設(特養)
での実習が待っていた。

僕はビルを見上げた。
「ここか・・・立派なビルだな」

近代的なビルの玄関を入ると、まるで病院のようなフロアだった。
フロントで受付を済ませてエレベーターで上に上がると、各階ごとに介護フロアが
あった。広々としたフロアは清潔で快適だった。ちょうど朝食を終えたばかりの
二十名ほどの入居者がテレビを見てくつろいでいた。
その周りを五名ほどの若い介護スタッフが慌ただしく動き回っている。

(若い・・・二十代前半がほとんどだな。さて、何をすればいいのだろう)

一番年配とおぼしき三十歳くらいの男性をつかまえて挨拶をした。
「研修生の中島です。よろしくお願いします」
「じゃあ、すみませんが流しの茶碗を洗ってください」
流しのシンクには食事の時に使ったと思われる茶碗やエプロンがあふれていた。
洗い物をしながら周囲の様子をうかがった。


ソファアに座りテレビを見ている老人たちの表情を見ると、何か違うことに気づいた。
誰もが無言でテレビを見ている。
会話する者は誰もいなく、起きているのか居眠りをしているのか分からない老人もいた。
脳梗塞等で麻痺の人もいるが、ほぼ全員が認知症だと先ほど説明を受けた。
認知症は記憶力の低下だけでなく、脳から伝達される体の機能が低下し、自分で
歩けなくなったり手足を動かせなくなったり、自分の体を支えることも出来なく
なっていくことを知った。

生きていくための機能が低下していくので、何をするにしても人の手が必要となる。
介護には休みなどなく、ここにいる若いスタッフ達が二十四時間年中無休で、
つきっきりで老人たちの介護をしている。もし自宅で家族がつきっきりで介護をすると
したら、仕事は出来ないし、介護する家族がまいってしまう。
二十四時間休みなしで介護・・・やはり家族での介護には限界がある。、

洗い物を終えると今度は何をすればいのだろうと、動き回る若いスタッフを呼び止めた。
娘と同じ歳くらいの女性スタッフが立ち止まった。
「次は何をすればいいのでしょうか?」
「それじゃあ、テーブルの上を消毒用のアルコールで拭いてください」
テーブル拭きが終わると次は食べこぼしが落ちている床の掃除。

次はコーヒータイムの準備。テーブルにおしぼり乗せをセットして、おしぼりを
乗せていく。コーヒーはコーヒーでも普通のコーヒーではない。
飲み込みやすいようにトロミの素となる粉末が加えられる。甘みも糖尿病の人も
いるので低カロリー甘味料を使用する。
スタッフが老人たちの手を引きながら次々とテーブルに移動させると、すぐさま
コーヒーを配っていく。
再び茶碗洗いが始まり、床の掃除。

スタッフは入居者を一人一人順番に「トイレに行きましょうね」と各個室に
設けられたトイレに誘導する。ここは全室八畳ほどのフローリングの個室と
なっている。
休む間もなく今度は昼食の準備。再びテーブルの消毒にお茶の準備。
各テーブルにナプキンとおしぼりがセットされ、エレベーターから食事が入った
専用台車が上がってくると各テーブルに食事を運び始める。
食事の内容も微妙に違っていた。病院と同じようにカロリーや症状によって違う。
食事を運ぶ順番も決まっている。
「早く食べ終わってしまう人がいるので、そういう人は後から運びます」
無言で食事する老人たち。
麻痺で箸やスプーンが使えない人にはスタッフが食事介助をする。
スタッフも私も朝からずっと動き回っていた。喉が渇いたら冷蔵庫にある自分の
ペットボトルを取り出して立ったままグビッと一口飲むと、すぐさま次の仕事に動く。

「中島さん、先に食事に行ってきていいですよ」
やっと今日初めての休憩時間だ。
休憩室に行くと違う階のスタッフ数名が食事していたが、お互いに何も話さない。
やはり二十代の若者だった。食事を終えると黙って部屋を出て行く。
喫煙ルームに行くと別の階の人だろう、見知らぬ三十歳くらいのスタッフが一人いた。
現場ではスタッフと話せるような時間もないし、いろいろ聞きたいことがあったので
思い切って話しかけてみた。

「ここは若い職員が多いですね」
「ええ、そうですね。うちは全員若くて三十代の私は年寄りのほうですよ」
「みなさん、よく働きますね。ずっと朝から動きっぱなしで一度も座ることもないし、
スタッフ同士でおしゃべりすることもないようですね」
僕は現場で感じたことを尋ねた。

「ええ、慣れましたけど毎日が大変ですからね。昼の休憩の時だけがホッとする
時間ですよ」
「一日の仕事のうちで一度も休憩はしないのですか」
「ははは、そうですね。ずっと仕事に追われていますからね。ここは体力がいる
仕事ですよ。それに給料が安いし辞めていく人も多いですよ」
「私は五十歳ですけど、その年代の人は誰もいないのですか?責任者とかも
若い人なの?」
「うーん・・・上のほうで四十代くらいですかね。うちの会社は現場は若い人ばかり
ですよ。体が持たないしですね」
「仕事にやりがいを感じますか?」
「ハイ、すごくやりがいを感じます。だから続けることが出来るんですよ。
毎日、入居者のみなさんの体調や様子が違うのですよね。昨日は食欲がなくて食事を
残していた人が今日は食べてくれただけで嬉しいし、『ありがとう』と喜んで
もらうとそれだけで嬉しくなるんですよ。好きじゃないとこの仕事は続けられ
ませんしね。アハハ」
くったくなく笑う若者を見て、くじけそうになった心が救われた。

昼食を終えて再び現場に戻ると流しは茶碗の山だった。
また洗い物に取りかかったが、今度は入浴の時間となりスタッフが今日の入浴者を
順番に連れて行く。茶碗を洗い終えると食べこぼしの掃除、おしぼり作り。
おやつの時間になり再びお茶の準備。茶碗洗い、それが終わると各部屋の掃除、
夕食の準備・・・休む暇などなく次から次へと目まぐるしく動き回る。
夜間の当直は一人なので順番にオムツを替えたりしなければならず、一睡も
出来ないと聞いた。

夕方に実習を終えた時、僕はさすがに疲れきっていた。
足が棒になるとはこのことだ。
しかし、肉体的な疲れよりも、ただ黙々と働き続けるスタッフの仕事ぶりを
見ていると、仲間という感覚がわいてくるのか不安になった。
僕は現実という厳しさを目の当たりにして、まるで転がり落ちていく石のような
心境だった。

まじめかもしれないが、スタッフはあまり笑わないし何の楽しみがあるのだろう・・・。
冗談を言い合ったり一緒に酒を飲んだり・・・そんな場面はあるのだろうか。
介護の現場は過酷だと聞いていたが、まさしくそのとおりだった。
しかし、それぞれの会社の方針であり、すべてがこのような労働環境とは思いたくない。
ここで働く若者たちは何を考えながら頑張っているのだろうか。
「これじゃあ夢も希望もわいてこない・・・」
会話らしき会話もないまま、施設での実習初日を終えて帰宅した。


翌日、仕事の流れをつかんだ僕は再び現場に入った。

「おはようございます。今日もよろしくお願いします」

スタッフ一人一人に声をかけて回った。
(よし、今日は僕がムードメーカーになろう)
昨日とは違う自分がいた。こちらから積極的にスタッフに声をかけようと決めていた。
いろんなことを教えてもらおうと現場で感じた疑問をノートに書きとめてきた。

「お願いがあるのですが・・・昨日はバタバタして入居者の方とは話す機会がなかった
のですが、今日は少しお話をさせてもらってもいいでしょうか?」
若いリーダーは一瞬驚いた表情をみせた。
「ええ・・・いいですよ。くれぐれも言葉遣いには注意してくださいね」
「あはは、年の功ですよ。もちろん自尊心を傷つけないように・・・ですね」

認知症の人とどこまでコミュニケーションが可能なのか、こちらから会話をしてみようと
願い出た。

                                つづく


第30話 「ありがとう」のチカラ 「求職男」〜再就職への道〜


介護実習が始まった。
「介護」と一口に言っても、働く場所は病院であったり老人施設であったり、
はたまた障害者施設であったり。または相手の自宅へ出向いての訪問介護
だったり、いくつにも分かれる。しかも施設での介護といっても、運営形態に
よってさらにいくつにも分かれる。
私の実習は「訪問介護」という現場からのスタートだった。

実習先は二十代から六十代の女性ヘルパーさんを二十人ほど抱える事業所で、
六十代半ばのベテランヘルパーさんとの同行だった。

向かったのは八十代後半の一人暮らしの男性宅。比較的経度の障害で、足腰が
弱っているので自宅の掃除や食事のお手伝いをするという仕事だった。
うっ・・・。
古い家の玄関を開けると、生活の臭いがしみついた家々特有のニオイが鼻をついた。
アチャー・・・。
家に上がると、男やもめに何とやら・・・畳は見事なまでに薄茶色に変色し、台所の
床は油でベトベト。
床に足の裏がヒタヒタと吸い付くような感触がした。

「じゃあ最初にトイレを掃除してね」
ベテランヘルパーはそう告げると洗濯の準備に取りかかった。

ギョッ!
黒茶色のモノがあちらこちにへばりついたままの黄ばんだ便器。
今まで他人の家のトイレなど掃除したことがない私は戸惑った。
当然、これもありだ・・・。
トイレブラシを持ったまま目をつぶり、気持ちを落ち着かせようと
深呼吸をしようとしたが、逆に臭気にむせてしまいあわてて息を止めた。
(いかん、気持ちで負けようとしている)

「よし!やるぞ」
私は覚悟を決めて便器を洗い始めた。
一度動き始めると気持ちが楽になった。ニオイも気にならなくなってゆき、
風呂場の掃除に万年床の布団干し、台所のベトベト床の雑巾がけに
茶の間の掃除。
その間にベテランさんが洗濯、夕食の調理をするなど、二人で手分けして
黙々と仕事をこなしていった。

昼間は部屋の明かりはつけず、薄暗い部屋の中でテレビを見て一日を
過ごす老人・・・。
丸くなった背中を見ていると、しみじみとした思いに包まれていく。

「ありがとうございます。おかげで助かりました」
おじいちゃんが顔をほころばせながら嬉しそうに言った。
「ありがとう」の言葉に対して、何かを感じた・・・
この不思議な気持ちは何だろう?


介護の世界で必ず直面するのが「認知症」。
翌日、別の六十代のヘルパーさんと老夫婦が暮らす自宅へと向かった。

「認知症って、症状が進むとどんな感じですか?」
歩きながらヘルパーさんに聞いてみた。
認知症は症状が進行するにつれて、コンロに鍋をかけていることを忘れて
危うく火事になりかけたり、さっきまで手にしていた物をどこに置いたか
忘れてしまい、家の中の物が次々と行方不明になったり。
はたまた部屋の中で排便したり、冷蔵庫にはずいぶん前に買ってきた食材が
そのまま腐ったり。
さらに症状が進むと外を徘徊したり、家族の名前や顔も識別できなくなったり、
自分で歩くことや話すこともできなくなる・・・「単に物忘れがひどくなるとか、
そんな単純な病気ではなく、自分で生きていくことが出来なくなるのよ」
ヘルパーさんが自分の目で見てきた認知症の実態を話してくれた。

「へぇー・・・大変なんですね」
壊れていく・・・父も認知症だがまだ普通の会話ができるし、頭では何となく
分かるが、実際に自分の目で見ていないのでこの時は認知症を理解できなかった。

「いらっしゃーい」

品のある朗らかな声で出迎えてくれた女性は、私の母と同じ七十八歳。
かなり進行した認知症だと聞いていたが、見た目には品のある普通の奥様に見えた。
この奥さんの身の回りを、足腰が弱ったご主人が献身的に介護する、
いわゆる老老介護の夫婦だった。
彼女は私の母と同じように背中が丸く、背格好も母に似ていた。
見た瞬間、思わず母の姿を重ね合わせてしまった。

「私はね、ここに越してきたばかりでよく分かりませんのよ」
十年以上ここで暮らしている彼女の口癖だという。ご主人が苦笑いしながら
奥さんにお茶を入れてあげた。
片時も目が離せないので、いつもご主人がつきっきりで寄り添っている。
家の中はもちろん、買い物も外出も病院もいつも一緒・・・。たまには友達と
会ったり、自分だけの自由な時間を過ごしたいだろうが、すべて奥さんの
身の回りの世話をするための時間を優先し、自分の予定や時間が作れない。

奥さんに話しかけても意味が通じず、チグハグな答えが返ってくる。
そんな時はうんうんとうなずいて笑顔で話を聞いてあげるご主人。
「それはさっきも聞いた」「何度同じことを話すんだ」と、奥さんの言葉を
さえぎったり否定したりはしない。「○○しちゃダメだ」と自分の考えや
意見を押し付けると、奥さんはパニック状態になり泣き叫んでしまうという・・・
ご主人はそんな奥さんを受け止め献身的に介護している。
私は次第に驚きと悲しみ、そして感動に包まれていった。

限られた時間内に手際よくいくつもの仕事をこなしていくベテランさん。
私はベテランさんの指示に従い動く。掃除、布団干し、洗濯、ゴミ出し、
買い物をこなしていく。

「中島さん、訪問介護では必ず調理をせんばよ。冷蔵庫にあるもので
手早く料理を作ったり、○○を食べたいと言われたら、必要な食材を買い物に
行き料理してあげなきゃならないとよ。出来るね?」
ベテランさんが料理を作りながら私に尋ねた。
「料理・・・ですか。うーん、困りましたね。学生時代に自炊したことはあるけど・・・
あれから三十年ちかく・・・料理は自信ないですね」
「じゃあ洗濯は?」
「うーん・・・それも・・・」
今まで仕事にかまけて何もしてこなかった自分が恥ずかしかった。


「ありがとうね。ほんとにありがとうね」

二人で仕事をこなしている間、奥さんは数え切れないほど何度も何度も
「ありがとう」の言葉を口にした。
ご主人にも、私たちにも。

奥さんの無邪気な笑顔・・・。
母の姿を彼女にだぶらせて見ていた私は現場で何かを感じ始めていた。
彼女の笑顔と朗らかさが私の心に元気を与えてくれることに気づき始めた。
「ありがとう」の言葉を聞くたびに「どういたしまして」と疲れた体が
不思議なほど動く。
「ありがとう」の言葉が持つ、不思議なチカラのような気がした。

介護の現場にふれるにつれて、自分の心の中で人としての純粋な気持ちが
甦ってくる。人に対して優しくすることが偉いとか立派だとか、感謝を
してもらいたいとか、そんな思いとは次元が違う。
どこかに置き忘れていた、人としての素直な心。
目の前に笑顔で喜んでくれる人がいる、ただそれだけで自分も嬉しくなり
不思議な力がわいてくる・・・。
過酷な介護や看護の現場で働く人たちを支えているのは、この「ありがとう」の
言葉が持つ不思議なチカラなのかも知れない。

人間本来の自然な感情なのかもしれない。
いつの間にか手垢がついて汚れてしまった自分の心が洗われていく・・・そんな気がする。

夜、母に電話を入れた。
「お母さんの介護は俺がしてやるから、安心して歳を取ってよかよ」
「なんば言いよるとね。自分のことは自分で考えとるから、あたしのことは
考えんでよかよ。でも・・・ありがとう」

電話の向こうで母が嬉しそうに笑っていた。
                            次回へとつづく。

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