『いつか春が』執筆日記

波乱に満ちた人生。夢に向かって挑戦する男のドキュメントストーリー。

物語:「求職男」

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  第29話 決断の時 「求職男」〜再就職への道〜


いよいよ実習がスタートする。
私は畳の上に寝っころがると、手足を投げ出して大の字になった。

「・・・・・・」

天井を見上げながら、あの日のことを考えた。
あの時、決断しなかったならば・・・何も変わっていなかったはずだ。

年の瀬が迫った昨年の十二月。
「やあ元気!就職活動はどう?」
電話の声は同い年の旧友トッコさんだった。

「あっ、うん、まあ・・・全滅だよ。不採用の連続でね、面接にもこぎつけない。
やっぱり雇用不況だし、それに年齢でボツになるみたい」
「そっか、年齢ね・・・たしかに年齢的には難しいよね。じゃあ、どうすんの?」
「別に仕事を選好みしているわけじゃないけどね。仕方ないから今度はもっと
条件を下げて探してみようと。今はそれしか方法がないしね・・・」

正直、今の状況では手の打ちようがない。
悔しいが自分でもどうしていいのか分からなかった。

「あのさ、今までいろいろ考えて探してみたんでしょ。それで現実の厳しさが
分かったはずでしょ。じゃあ、もういいかげんに目を覚ましなさいよ。
年齢が問題ならば、年齢が関係ない仕事を探せばいいじゃん。簡単じゃない」
トッコさんの声が苛立ってくるのが分かった。

「そんなあ・・・そんなこと言ったって、自分の人生がかかっているんだよ。
慎重になるのは当然だろ」
「あのさ、今までいいかげんな気持ちで仕事を探して応募したんじゃないでしょ?
考えに考えた上で応募してダメだったんでしょ。今までと同じ考えで仕事探しても、
時間だけが過ぎてゆきどんどん追い込まれていくだけだよ。こうなったら
思い切りが必要よ」
「そんなこと言われなくても分かってるよ!分かっているから悩むし、いろいろ
考えているんだよ(なぜ決めつけるんだよ。まだ分からないじゃないか)」
彼女の言葉にムッとした。
売り言葉に買い言葉とはこのことだ。

「考えたならばあとは実行すればいいじゃん。慎重に考えてる考えていると
言いながら、いつまでも同じことの繰り返しよ。今の年齢で受け入れてくれる
仕事を探しなさいよ。男ならウダウダ言わずに、まずは飛び込んでみたら
いいじゃない!」
「そう言うけど・・・簡単にはいかないよ。やはり慎重に考えないと後で後悔
することになるしさ(今までの経歴を少しでも活かせる仕事に就きたいと
思うのは当然だろ)」

「何が後悔よ!このまま時間だけが過ぎて、あとで『やっぱりダメだった。
あの時、思い切って変わっていたら』と後悔するよりマシじゃない。
今、変わらなきゃダメなんだよ。それが分からないの?」
「分かっているけど・・・でも、やっぱり・・・(俺は妥協したくないんだよ)」

「あー、やだやだ!煮えきれないね、君は。結局、君は自分の面子しか考えて
いないのよ。今、意識を変えなければ何も変わらないよ。
裁判では検察相手にあれだけ闘ったくせに、怖いの?それともプライド?
なぜ変わらないのよ」
「・・・そういうわけじゃないけど・・・(俺の気持ちなんて君には分かりっこないよ)」
「もういい!あたしは忙しいよ。じゃあね」
「ちょっと!あのさっ」

≪ブチッ!ツー・・・ツー・・・≫

電話が切れた。

(いったい何なんだよ、今の電話は)
私は興奮した気持ちを鎮めようと、唇を噛みながら外に出た、
冬の冷たい空気が、まるで冷水を浴びせたように私を包んだ。

砂を噛むようなジリジリとした思いに拳を握り締めながら、
あてもなく歩いた。
(くそっ!言われなくても分かっている、分かっているよ)
さっきの彼女の言葉が、心の奥の誰にもふれられたくない一番嫌な場所に、
突き刺さっていた。


彼女の言葉に反論しようとしても何も言えなかった。
悔しいけれど彼女の言葉は真実で、私に現実を突きつけていた。

『自分自身が変わらなければ何も変わらない』
彼女が私に放った言葉は、私自身が言い続けてきた言葉そのものだった。

現実を受け入れるには自分が変わるしかない・・・・・・今が決断の時か。

部屋に戻った私は一人で考え続けた。
中高年の再就職は自我との葛藤の連続だ。
引きこもり状態となり焦りだけが膨らんでいく。
理想と現実とのギャップに戸惑い落胆する。

残された選択肢は限られている。
それなのに、分かってはいるものの最初の一歩がなかなか踏み出せない。
自分では踏み出したつもりでも、実際は前に進めないままそこで立ち往生してしまう。
先の見えない不安の中で、自分は何を求めているのだろう?
本当は何を探しているのだろう?

変えよう、変わろうと思いながらも、最後の決断で立ち止まってしまう自分。
条件や職種で仕事を選ぶよりも、年齢で受け入れてもらえる業種の中から
自分に合った仕事を探す・・・。
私は数字を追いかける仕事よりも、本当は人間と関わる仕事がしたいんだ。

私はこのことにやっと気づいた。

あの時の電話、私にとっての『決断の時』だった。

超えてゆけそこを 越えてゆけそれを・・・・

トッコさん、ありがとう。

http://www.youtube.com/v/RgBdDjZqG0A
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第28話 仲間との別れ 「求職男」〜再就職への道〜


仲間との別れは駆け足でやってきた。
ヘルパーの資格を取るために一緒に学んだ仲間と、こうして顔を会わせるのは
今日が最後。この日は別のクラスも合流し二十名近くが一緒に最後の講義を
受けていた。

時計の針が静かに時を刻みながら最後の講義が進められていく。
今日の講義が終われば、あとは実習だけだ。実習は各々が指定された介護施設に
行き、そこで現場を体験する。
仲間と一緒に過ごした時間は、わずかな時間だったが、資格取得という同じ
目的に向かって頑張った仲間だった。


「あとは各自それぞれの施設で実習を頑張ってください。その実習が終了しだい、
個別に資格証明書が発行されます。いいですか、みなさん頑張ってくださいよ」
「はーい」
まるで学生の頃のような素直な声が教室に響いた。

「では、これでスクーリングを終了します。みなさん、本当にお疲れ様でした」
一斉に拍手が沸き起こった。
全員が立ち上がると、オヤジ組の川村さん、大久保さん、堤さんが満面の笑みを
浮かべながら私のもとに集まってきた。
「終わったー。いやあ、きつかったですね。お疲れさまでした」
「ほんと、久しぶりに充実した時間やったよ。みなさんと一緒で楽しかったよ」
互いに握手をしながら別れの挨拶を交わした。

ひょうひょうとして、いつも私たちを笑わせてくれた川村さん。
彼には障害者の奥さんがいることを知った。
幼なじみの奥さんとは中学時代からの付き合いで、障害がある彼女をいつも
川村さんが守った。大学時代は遠距離交際を続け、手紙で愛を語り合い、
「障害のあるもんを嫁になんてしたら、あとが大変だぞ」という周囲の猛反対を
押し切り結婚。
川村さんはずっと奥さんを介護してきた。
このあとも介護に関わる仕事に就くと言い切った。

社員を守るために社運を賭けて乗り込んだ大久保さんも笑顔だった。
「大久保さん、頑張ってよ!新しい事業の成功を祈っているよ」
「ありがとうございます。中島さんも最高の介護チームを作って下さいよ。
それから本も頑張ってくださいね」
「うん、両方とも頑張るよ!元気でね」

先日、昼休みに東京の某出版社から電話がかかってきた。
以前、「いつか春が」の出版企画書とラフ原稿を送っていた出版社からだった。
その時、担当者は興味を持ってくれたが、社内での最終会議でボツになり出版には
至らず、結局、別の出版社が私の本を出版してくれた。電話はボツになった
その出版社の別の担当者が偶然に私の本を知り、興味を持ったらしくて、その後の
執筆状況についての電話だった。
次回作を書き上げたら、ぜひ最初に原稿を読ませて欲しいと。
今は執筆どころではないが、落ち着いたらまた書き始めるつもりだ。

同じクラスの沖縄出身の美香さんが挨拶に来た。
「中島さん、いろいろとお世話になりました。私、中島さんに元気をいっぱい
もらいました。ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ。美香さんは、この後の進路はどうするの?」
「私は資格を取ったら・・・しばらくお休みします」
「お休み?」
「じつは・・・以前から体調が思わしくなくてですね。悪いところが見つかり医者から
精密検査をするようにと言われて、今度検査をすることになったのですよ。
もしかしたら私・・・悪い病気かも・・・会えるのは、これが最後になるかも・・・」

「えっ!」

驚いて彼女の顔を見た。

冗談なのか本当なのか・・・彼女は深い悲しみの目で私を見ていた。
「・・・美香さん、悪い冗談はやめてよ。大丈夫、大丈夫だよ・・・頑張って検査に行って
来なさい・・・きっと大丈夫だよ、ねっ。元気を出して」

彼女は三十半ばのご主人と二人の子供がいる主婦だと聞いた。
亡くなった祖父の介護を手伝ったのがきっかけで、自分もヘルパーの資格を取ろうと
思ったという。
彼女の愛嬌ある笑顔は私たちを癒してくれた。
体が弱くて持病があると聞いていたが・・・まさか、そんなことはあるまい。
彼女の言葉を信じたくなかった。

次の言葉が浮かばなくて、戸惑う私に彼女は笑顔で話しかけた。
「中島さん、あたしね、本を読みましたよ。最初の挨拶の時、中島さんが本を
書いていると聞いて、どんな本なんだろうと思って書店で買ってきましたが、
一気に読んでしまいました・・・涙が止まりませんでした」

突然、本を読んだと言われて動揺した。彼女は私の過去を知っている。そう思うと、
まるで丸裸にされたような恥ずかしさと照れくささで、彼女の目を見ることが
出来なくなった。
「あっ、そうですか。あ、ありがとう・・・まっ、いろいろあったけどね。それで、
今こうして新しい人生をスタートしようとしているんですよ。
ホント、人生はいろいろだよね。あはは」

私は照れくさくて、彼女の前でおどけてみせたが彼女は笑わなかった。
「中島さん、頑張ってくださいね。あたし、応援していますからね。新しい人生を
切り開いて下さいね」
「うん、ありがとう・・・美香さんも負けちゃダメだよ。いつかこの仲間でまた集まろう。
同窓会しようよ。その時までお互いに頑張ろう、ねっ。」
「はい・・・あたしも頑張ります」
「検査はいつなの?」
「今度の土曜日です」
「そっか・・・大丈夫。うん、大丈夫、大丈夫。元気に検査に行ってらっしゃい」
彼女は笑顔でうなずいた。

「中島さん、ちょっと来て」
別れの挨拶でざわめく教室で、先生が私を手招きした。
私の進路相談にのってくれた女性講師だった。
先生は一通の茶封筒を差し出した。
「中島さん、これは私たちスタッフからのメッセージです」
「??・・・」
私が封筒をそのまま胸のポケットにしまうと、先生が右手を差し出した。
「あとは実習だけね。資格を取ってもそこからがやっとスタートラインだからね。
まだまだ先は長いし、まずは就職を決めないとね。これからが大変だと思うけれど、
頑張りなさいよ」
私は先生の手をしっかりと握りしめた。
「先生、頑張りますよ・・・」


みんなで教室を後にして外に出ると、外はいつものように家路を急ぐ人たちで
あふれていた。
「じゃあ、みなさんもお元気で。またいつか会いましょう」
私はみんなに向かって小さくお辞儀した。
「元気でね!」「またね」「じゃあね」
私たちは互いに手を振りながら、それぞれの帰る方角へと散って行った。
後ろを振り返ると美香さんが手を振っていた。
「またいつか会おう!負けるなよー!」
私は彼女に拳を空に突き上げてみせた。

このあと、ここにいた仲間たちがどんな道に進むのかは分からない。
それぞれがいろんな過去を背負いながら、夢や希望を抱きここに集まった。
介護の仕事は、その人の命と向き合う仕事であり、その人の歩んできた
人生を最期に受け止めてあげる大切な仕事であることが分かった。
時には本当の家族のように、しっかりと受け止めてあげなければならない。

大変な仕事であることが分かったが、以前よりもこの世界で自分の夢を
実現したいという想いが私を駆り立てる。
なぜだか自分でも分からない・・・。
遠回りしたけれど、やっと自分が探し求めていた世界に出会えたような気がした。

一抹の寂しさを胸にしまったまま天神駅まで歩いた。

また一人か・・・

一緒に頑張る仲間がいることの喜びを知ったばかりなのに、また一人に戻った。
実習が終わるとまた一人で就職活動を再開する。

私は電車に揺られながら、後ろに流れていく外の景色をぼんやりと眺めていた。
灯り始めた光の糸が一本の線となって流れていく。
胸ポケットから茶封筒を取り出した。

手書きのやさしい文字が心にしみた。

     『思いがすべての原点です』

私は下りる駅に着くまで、そこに書かれた言葉をかみしめながら読み返した。
何度も・・・何度も。


   『過去のことはどうにもならないけれど、これから先のことは
    自分の心がけしだいでどうにでもなります。中島さんの才能が
    宝の持ちぐされにならないように。
    思いがすべての原点です。
    今を生ききって仕事にやりがいを見出して下さい。
  
                         スタッフ一同』


  第27話 意気地なし 「求職男」〜再就職への道〜


午前の講習が終わって、やっと昼休みになった。
「いやあ、リアルやったね。現場に入ったらこれをせんばとねぇ」
弁当を食べながら川村さんが話し始めた。

今日はオムツの替え方や排便や排尿の際の清拭などの排泄の実習だ。
介護施設や病院では、寝たきりの人や病人は自分で排泄処理が出来ないので、
誰かに手伝ってもらわなければならない。
頭では分かっている。
分かってはいるが複雑な思いだ。

「ねえ、吉田さん。あんたは看護助手として働いていたから今までやってきたとよね。
どうやったですか?」
「うっ・・・食事中にそんな話をするのはやめてよー」
女性陣たちからブーイングが飛んだ。

「そりゃあ最初は戸惑うかもしれませんが、覚悟を決めたらいいですよ。
あとは慣れますよ」
元看護助手の吉田さんはサンドイッチを口にほおばりながら平然と答えた。

「そうか・・・覚悟ね」

「私だって最初は目をそむけてしまい、便の臭いが体に染み付いているような
気がして、気になってですね。家に帰って何度もシャンプーをしてしまいましたよ」
「ほー、まるで映画の『おくりびと』やね。あはは、そんな場面があったあった」
笑いながら話す川本さんを見た吉田さんはムッとした表情に変わった。

「でも、排泄の仕事が汚いと思って目をそむけた自分が悲しくなりました。
病院では看護士や看護助手の私たちが排泄の世話から、亡くなられた患者さんの
体を清拭したりしてましたよ。だけど、これは大切な仕事ですよ」
「そう、分かっているよ。別に汚いとか言っているわけじゃないし・・・
ただ、何と言えばいいのだろうか・・・他人の排泄の世話なんてしたことないし・・・
汚いなあと思うけれど、仕事だし・・・これもしなければいけないなあと・・・」
川村さんは言葉に詰まった。

「川村さん、頭で物事を考えてしまう人がいますが、ああ言えばこう言うしですね。
いざとなったら自分はできないくせに、ウジウジとああだこうだと評論家みたいに
偉そうなことを言う人もいますが、人間は生きている限り排泄はあるし、
生きている証ですよ」
「そうよ、生きている証よ、排泄はね。俺はただ一般的にはそう思っている人も
いると言っただけで・・・」

「他人の排泄の世話をするのは、最初は誰だって勇気が要りますよ。
自分でする勇気がないならば、介護がどうのこうのと語る資格はないし、
この仕事は無理ですよ。心の中で汚いとか、俺には無理だとか、勝手に自分の
心の中だけで思うのは自由ですよ。でも、それをみんなの前で口に出すのは
止めてください。
頑張っている人たちのヤル気をそぐような発言になりますよ。みんな、
これから頑張ろうとしているわけだから・・・空気が読めないのですか。
水を差すような発言はしないほうがいいですよ。みんなも頑張っているし、
俺も負けないように頑張ろうと思うほうが素敵でしょ?そんなふうに一緒に
頑張ろうと口にするのはみんなも大歓迎です。グジグジ言わずに行動で示す。
それが大人でしょう。そう思いませんか?」

「そ、そうね・・・」
川村さんは赤面し小声で返事するのが精一杯。

吉田さんは口を真一文字に結んだまま、それ以上は何も言わなかった。

以前、彼女は資格を取りに来た理由を私に話してくれた。
彼女は三十歳ほどだが、女でひとつで二人の子供を育てていた。

以前勤めていた老人病院につい話してくれたが、劣悪な労働環境で、
朝の六時半から夕方の四時半までの激務だった。昼に十分間の休憩が一回だけ。
あわててお茶を飲むと休憩は終わり。
食事する時間はなく、一日の勤務で十分間の休憩が一回だけ。
食事は仕事を終えてからだったという。
排泄やシーツの交換などの仕事に追われ、一日に何十人もの排泄の世話をしてきた。
夜勤の時はブザーが鳴りっぱなしで一睡も出来ず、残業代は一切つかず、休憩時間も
与えられない長時間勤務。

どこもきちんとした経営をしているが、どこの世界にでもこのような悪質な企業が
存在する。これも現実だ。

彼女は耐えて働いた。
資格さえあれば・・・何度も悔しい思いをしながら生きてきた。
愚痴をこぼしても世間を妬んだりしても誰も助けてくれない。
このままではいつまでも今の現実から抜け出せない。今の人生を変えるためには
ヘルパーの資格を取るしかない、と彼女は決断したという。

今回の養成講座に参加するために以前の病院を退社し、次はヘルパーとしての
資格取得を条件に、介護施設での就職が内定していた。
「私は子供を養っていかなければならないし、就職が決まらず何ヶ月も過ごすなんて、
私には死活問題です。この仕事は嫌だ、あの仕事は嫌だと選ぶ余裕なんてありませんしね。
私が一家の主ですし、二人の子供を養わなければならないのですよ」
彼女は修了証書を手にすると、それを持って翌日から働くと言っていた。

私は何も言えなかった・・・。

彼女は講義の休憩時間になると喫煙所に飛んでいき、そこでタバコをプカプカ。
タバコをうまそうに吸う。

そんな彼女がどんな施設で働くか、気になったが聞かなかった。
ひょっとしたら職場環境や給与待遇も恵まれていない施設かもしれない。
でも、どんな場所であろうと、彼女は自分の意志で就職先を決め、
新しい職場に夢と希望を託して懸命に生き抜こうとしている。
彼女には彼女の人生があり、夢や希望があるはずだ。
彼女が懸命に頑張っていることは事実。
彼女の頑張っている人生に、私が横から口を挟んではならない・・・そんな気がした。
彼女の生き方を否定したり批評するのは失礼だと思った。

彼女に負けないように自分も頑張ろう。
何かを感じたならば自分も行動すればいいだけだ。
他人の生き方を、さも悟ったかのような顔して語ってはならないことを学んだ。
人の生き方や価値観を否定したり批評したりすることは、その人を傷つけることと同じ。
それが人を想いやる心であり、人としての大切な礼儀だと。
これも介護の精神で学んだことだ。


その日の帰り、歩きながら川村さんが打ち明けた。
「いやあ、今日はまいりました・・・吉田さんが言うのが確かですよね。みんなが
頑張ろうとしている気持ちは十分に分かっているのに・・・恥ずかしかったですよ。
『みんなのヤル気をそぐような発言はしないで下さい』って・・・あの一言は効きましたよ。
もうすぐ実習で現場に出ると思うと、やっぱり不安になりますよ。中島さんは大丈夫?」

「うーん、不安がないと言えば嘘になりますよ。今日の排泄の実習・・・たしかに
現場で自分が実際にやるとなれば、ちゃんと出来るかなと不安になったりもしますが・・・
たぶん、それを乗り越えたときに、人間として一皮向けると思いますよ。
目からウロコというか・・・自信につながるとやないでしょうかね。あはは、
もう怖いものはないとね」
「そうかもね・・・」

川村さんだけでなく私も不安はある。
介護の世界を知れば知るほど大変な仕事であり、人間としての高い志がなければ
出来ない仕事であることが分かってきた。
同時に、思っていた以上に人に喜んでもらえる仕事であることも分かってきた。

喜びと不安・・・これが正直な気持ちだ。
吉田さんの言葉に私もガツンと一撃をくらわされた。

「川村さん、男と女って、どっちが意気地なしだと思いますか?」
「うーん・・・男のほうが意気地なしだと思うよ。男は人の出世や成功を妬む気持ちが強いし、
男は自分に意気地がないのを理屈をこねて正当化しようとするけど、女性は思いついたら
行動だもんね。なぜ介護や看護の世界が今まで女性によって支えられてきたのが、改めて
分かったよ。ここでは理論理屈でなくハートと度胸だね。やっぱり女性は偉大だよ」

私は川村さんの言葉に素直な気持ちでうなずいた。



  第26話 時代おくれの男たち 「求職男」〜再就職への道〜



良さんの夢を見た。

良さんこと良二さんは、投げやりになりかけていた私に『自分の人生を大切に』と
気づかせてくれた恩人。そして介護の世界を教えてくれたのも良さんだった。
夢の中で良さんは『がんばれよ!』と笑っていた。きっといつか会える。
どこかで見守ってくれているはずだ。
良さんが言っていたように、介護の世界は生半可な気持ちでは務まらない。

私たちは介護の奥の深さに驚くばかりだった。
デジタル化が進む中で介護とはアナログそのものだ。人間の心はアナログだ。
人と人とが向き合い、人を知ることから始まる。
人の心を見つめ、人を想う気持ち・・・。

介護技術の一つひとつにもすべて意味があった。
実技の講習は難易度を増していった。
「はい、次は大久保さん。やってみますか?」
「えっ!俺ですか・・・オッス、やります!」
ベッドに寝かしたままの人を、寝巻きからトレーナーに着替えさせる技術に
挑戦だ。映画「おくりびと」にも登場したあの技。

その技に挑戦する大久保さんは、たくましい腕とがっちりとした身体つきの、
私と同じ50歳。県外からの受講生で建設業界にいたようだ。
悪戦苦闘する大久保さん。
「あー駄目だ。うまくできん!先生、ちょっと待ってください」
「???」
頭にタオルを巻く彼。
「どうも調子が出んとですよ。やっぱりこのほうが気合が入ります」
一斉に笑いが起きた。
こんな調子で私たちオヤジ組は頑張っていた。

昼食の時間、私が切り出した。
「あのさ、よければ親睦を兼ねて帰りに一杯、どう?」
「おお、いいっすねー」
話はすぐにまとまった。せっかくだからと他の者にも声をかけたが、結局、
中年世代の我々四人で行くことになった。

「カンパーイ!」
食べる、飲む、しゃべる、笑う。憂さをはらすかのように次々とグラスが空いていく。
あっという間に焼酎の瓶が空になった。「焼酎もう一本!」
酔いが回るにつれ、ますます勢いづく四人。
「いやあ、最初は若い人ばかりだと思うて心配やったよ」
「俺もよ。みんなの顔を見て安心したもん」
「そうそう。まさか介護の講習に、オヤジ達がこんなに参加しているなんて、世の中
変わったよね」
みんな同じ思いだった。

「でもさ、来てビックリしたけど、介護は女性が多いと思っていたけど、他の教室ば
見ても分かるように、男性も多かね。四割は男性やなかね」
全員うなづく。
不況のせいなのか、それとも介護業界に関心を持つ男性が増えたのか。本当に男性の
数が多い。我々のような中高年の数はまだまだ少ないが、いずれもっと増えてくるはずだ。
そうなれば、この業界もいずれは就職が難しくなる。全員、今がチャンスだと考えて
応募したと打ち明けた。

「なーんだ、考えることはみんな同じやったとね」
「あはは、我々には時間がないしですね。焦っちゃいかんけど、若い頃と違って
チャンスが何度もあるわけじゃないし、今の我々には一ヶ月が一年くらいの価値があると
思うとですよ。俺は介護の世界でチャンスをつかもうと思うて出てきたとですよ」
大久保さんの声が弾んだ。

不思議なことに誰の口からも愚痴や妬みは出ない。
すでにその段階を乗り越えたからだろうし、そもそも夢や希望を抱かずに、わざわざ
ここに参加するわけがない。
そう、みんな夢や希望に自分の人生を託した仲間だ。
それぞれ夢や想いは違うかもしれない。
背中に背負っているのも家族であったり、会社であったり。
でも頑張る気持ちは同じだ。

「俺は今までIT業界で働いてきたけれど、関連会社に出向に出されてからが
運のツキ。それで会社を辞めて契約社員で生きてきましたよ、10年ね。資格を取れば、
この業界では何とかやれると思ってですね」
大手家電メーカーで働いていた堤さんも、人生を変えようとの想いで参加していた。

酔いにまかせて我々は、もう一件行こうと街に繰り出した。
さらに盛り上がり、今度はカラオケへと。

同年代ということもありリクエストする曲が、昔よく歌った曲ばかりだった。
チューリップ、アリス、かぐや姫、吉田拓郎などの曲が次々と飛び出す。
まさに50歳の青春だ。

私の隣に座る大久保さんは、いつの間にか頭にタオルを巻いていた。
「中島さん、聞いてもよかですか?」
「えっ、何をですか?」
「どう見ても中島さんは介護のイメージに合わんとですよ。何か違うとですよね。
どうしてここに参加したのですか? 」
どうしてそんなふうに見られるのか自分でも分からない。イメージって何だろう。
酔いも手伝い、私はここに至るまでのことを話し始めた。いつの間にか他の二人も、
歌うのをやめて私の話を聞いていた。

私が話し終えると、みんなうなずいていた。
「中島さん・・・俺は現場で頑張るけど、あんたは上を目指さんばいかんよ。
頑張ってくんしゃい。そうせんといかんですよ」
川村さんがつぶやいた。
「中島さん・・・俺はね、じつは介護の世界に社運を賭けて飛び込んできたとですよ」
「社運?仕事を持っているとね」
「はい。二十年ほど前に今の社長と一緒に建設会社を立ち上げ、私は常務を
しています。当時はバブルで儲かって社員も少しずつ増えていきました。
しかし、建設業界は知ってのとおり、最近は不況で仕事がどんどん少なく
なるばかりです」
「そうね・・・」

「このままではいかん、何とかせんばと。社長と話し合ったとですよ。
会社を信じて付いてきてくれている社員を路頭に迷わすわけにはいかんとですね。
うちは大手みたいに簡単に首を切るなどできません。社員は俺たちの家族です、
会社が社員の家族も守ってやらんといかんですよ」

私たちは雇用の厳しさを身を持って知っている。

「だから、社長と話し合って介護の世界に賭けてみようと。まず最初に俺が
介護の世界に飛び込んで資格を取り、次は社長もヘルパーの資格を取りに来ます。
社員には休日を利用して地元でヘルパーの資格を取らせます。
建設業から介護事業へと転換して、みんなで生き残ろうと決めたとです。
みんなも付いてきてくれると言ってるしですね」
「・・・・・・」

せちがない世の中で、効率や利益よりも絆を選んだ大久保さんの想いに感動した。

「そういうことやったとね・・・大久保さんも大変な決断したとね。
人生、もっとうまく生きていけたらよかけど、俺たち不器用な男ばっかり集まったね」
川村さんのその言葉にまた全員がうなずいた。
「すみません、こんな話をして。じゃあ、今度は俺が歌います」

大久保さんは頭に巻いたタオルをはずして立ち上がると、一人で歌い始めた。
いつしか私も一緒に歌い始め、そして川村さんも堤さんも。

挫折を経験した中年オヤジ四名が出会った。
挫折を経験したからこそ優しくて強いのかもしれない。
四人はゼロからのスタートに燃えている。

一度つまずいたり落ちこぼれても、人生は素晴らしい。
なぜなら、人生は変えることができるからだ。
頑張って歩き続ければ人生は変わる。
想いがあれば変えることだって出来る・・・。

きっと想いは叶う・・・その日が訪れることを信じて頑張る。



  ♪時代おくれ

作詞 阿久悠 作曲  森田公一
唄 河島英五  昭和61年(1986)

不器用だけれど しらけずに 純粋だけど 野暮じゃなく

上手なお酒を 飲みながら 一年一度 酔っ払う

昔の友には 優しくて 変わらぬ友と 信じ込み

あれこれ仕事も あるくせに 自分の事は あとにする

♪ 妬まぬように 焦らぬように 飾った世界に 流されず

好きな誰かを 思い続ける・・・

時代遅れの 男になりたい

♪ 目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬ事は 無理をせず

他人の心を 見つめ続ける 時代遅れの 男になりたい





第25話 人生半分 「求職男」〜再就職への道〜


「おはようございまーす」

教室に響く元気な声。一日が挨拶から始まる。
当たり前のことだけど、家族以外に朝の挨拶をする相手が居なかった私に
とっては新鮮だった。
資格取得という共通の目的を持った仲間がいる。
それだけで嬉しかった。

ここ数ヶ月、毎日求人情報をチェックしながら、一人で悶々とした生活を
過ごしていたが、ここでは雇用状況がどうだとか、そんな不安や悩みを
考える時間さえない。
講義についていくのが精一杯だ。

毎日、朝から夕方まで立ちっぱなしで実技に挑む。私が受講するクラスは
通信制のシステムを取り、テキストは各自が自宅で勉強し、スクーリング
として今のように講義を受ける。そのためにレポートを提出して採点されるが、
合格点に満たない場合は追試。教室ではテキストでは学べない実践的な実技を
中心に学んでいくというスタイルだ。

夕方になると疲れがピークに達し、受講生の顔から笑顔は消えていく。
ここでは専門学校としての4ヶ月コース、3ヶ月コース、そして私が受講する
短期集中コース。専門学校としてのコースは、約50名ほどの学生が学んでいる。
隣の教室は20代から30代が学ぶ。
こちらは中身が濃くてストップウォッチを手にした講師が受講生のシーツの
交換の時間をはかり採点する。

私が受講するコースは、とにかく早く資格を取得したいという中高年世代の
オヤジが半数を占めるコースだ。同年代ということもあり、打ち解けて教室に
笑い声が響くまでに時間はかからなかった。

最年長の川村さん、54歳。
島育ちの彼は日焼けした笑顔と明るい性格が魅力の男性だ。
彼が今まで何をしていたのか、どんな人生を経てきたのか、
ここでは誰も知らない。

「はい、今度は川村さんにやってもらいましょうね」

若い女性講師が彼の名前を呼んだ。
「先生、まだよく分からんとですが・・・」
「いいいのよ、失敗したって。誰だって最初は出来ないのよ。頭で覚えるよりも
体で覚えましょう」
「そんじゃあ、やってみますかね」
彼がベッドのシーツ交換に挑む。彼を囲むようにして私たちが見守る。
ごつごつとした太い指先でシーツの端をつかみ、ベッドから剥がす。
今度は新しいシーツを張る。
うまくいかずに焦る川村さん。
「川村さん、膝をついちゃ駄目ですよ」
「あっ、すんません」
「川村さん、そこはもっと丁寧にね」
「あっ、はい・・・うまくいかんですよ」
私たちは真剣な表情で彼の作業を見守る。
彼の手が止まる。
「ええっと・・・次は・・・どうやったでしょうか。うーん・・・」
室温は21度。緊張と焦りで汗が噴き出すので、冷房が最強に設定されている。
それでも彼の額からは汗が噴き出す。

一人が終わると次の受講生が挑戦する。
「では、中島さん。やってみて」
「はい」
私の番だ。手順を思い出しながら挑戦する。途中で何度もつまずいてしまう。
(ええっと、この角の折り返しはどうやったかな・・・うーん、思い出せない)
私も汗が噴き出し、足や腰に力が入る。
「そんな姿勢でやったら腰を痛めますよ」
先生からの注意が入る。
やっとのことで、どうにか完成した。
若い男性や女性陣は難なくこなしていくが、私たちオヤジ組は不器用なのか、
ぎこちない手つきで作業に挑むが何度も失敗ばかり。

講義が終わると、帰り道が同じ川村さんと一緒に帰る。

「中島さん、講義が始まって思ったけれど、私は介護に向かんとやろうか。
こがんとも出来んで大丈夫やろうかと・・・自信ばなくすですよ」
「あはは、なんば言いよるとですか。僕も同じですよ。下手だから全身筋肉痛ですし、
帰ったらもうグッタリですよ」
「そうですか!よかったー。私だけかと思いよりました」
自信をなくしていた川村さんの顔が輝いた。
「この歳で人生をゼロからスタートしようと思って、みんな集まっていますし、
みんな真剣ですよね。だから僕も頑張れるとですよ。最初は失敗の連続でしょうが、
頑張りましょうよ」
「そうですね・・・でも、よかったですよ。最初は同年代の人が誰もおらんかもと
不安でしたが、中島さんや大久保さん、堤さんとか同じ年代の人がおったので
ホッとしましたよ」
「あはは、同感です」

「じつはね、私は島の地元のスーパーでずっと働いてきたとですよ。ところが最近は
景気が悪くてですね・・・それでリストラされたとですよ。この歳で職探しですよ」
「僕も職探ししましたよ。全滅でしたけれどね」
「そうですか!中島さんもですか。島で仕事なんてなかとですよ。悔しかけど・・・
やっぱり年齢でしょうかね」
「うーん、確かに年齢のハンディは大きいですね。島だけでなく福岡も同じですよ」
「それでずっと悩んで考えたとですよ。このまま島でいくら頑張っても仕事は
見つからんし・・・母ちゃんにだけ働かせておくのが辛くてですね」
「・・・・・・」

「それで島を出ようと決めたとですよ。もう一度ゼロから頑張ろうとですね」

「私も同じですよ。ゼロからのスタートです」

「そうですか・・・私はそれで介護の仕事に目をつけたとです。ここやったら私の年齢でも
まだまだ頑張れるしですね。私の夢は資格を取って就職して、さらに上の資格を取って、
母ちゃんと島に戻ることです。
その頃は島も高齢化で、介護の仕事が必要になっている頃だろうしですね」

「そうでしたか・・・じゃあ、福岡へはお一人で?」
「島では母ちゃんがパートに出て家を守ってくれていますが、私が一人じゃ不便
やろうしと、母ちゃんも島を出て私と一緒に福岡で頑張ってくれると言ってくれたと
ですよ。私が就職したら母ちゃんも福岡に来るとです。二人で頑張って、
いつかは一緒に島に帰ろうと言っておるとですよ」
嬉しそうに奥さんのことを語る川村さん。

「五十半ばにしての大決断ですね」
「たしかに不安もあるけど、今のままではどうすることも出来んしですね。
島で仕事を探そうと思っても無理ですし、介護の仕事に賭けているんですよ。
それに長年客商売をしてきたから人と話すのは好きですしね。母ちゃんと
二人で頑張れば何とかなると言うて、島を出てきたとですよ」
川村さんの日焼けした顔には決意がみなぎっていた。

いろんな人生がある。
54歳からの新しい人生・・・・・。

誰でも新しい人生を踏み出すには、それなりの苦悩と勇気が必要だ。
川村さんも自分の人生を変えようとしている。
自分の力で変えようと、夢と希望を抱いてここにやってきた。

「そいじゃあ、また明日」
私に手を振ると地下鉄の改札口に消えていく川村さん。
「川村さん、明日も頑張りましょうね」
私が声をかけると彼は振り返った。
いつものひょうきんな川村さんだった。

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