『いつか春が』執筆日記

波乱に満ちた人生。夢に向かって挑戦する男のドキュメントストーリー。

きまぐれエッセイ

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飲酒運転3児死亡事故

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この記事の前に「納得がいかない裁判白書」(その1)と(その2)を
更新しています。高知のスクールバス冤罪裁判・・・上告が棄却されました。
納得できないどころか怒りがこみ上げてきます。鎮まりかけていた
冤罪への怒りの炎が燃えてきそうです。よければ白書をご覧下さい。
「ほっとけない!」です。
http://blogs.yahoo.co.jp/rainrain1192/15198312.html

気持ちを鎮めて書こうと思ったけれど、この飲酒事故も・・・
悲しみと怒りです。

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あの事故から二年になります。
二年前の今日、福岡市で起きた「飲酒運転3児死亡事故」。

福岡は地元ということもあり、朝から「あの日を忘れてはならない」
とニュースが流れています。事故当時、あまりの事故の悲惨さに
胸を痛めた方は多かったと思います。

子を持つ親として、もし自分の子供が・・・と思うと、子供さんを目の前で
失ったご両親の気持ちを思うと言葉が出ません。
私も以前は飲酒運転に対する認識は低く、少しくらいならば、数時間
酔いを覚ませば大丈夫だろうと思っていました。

今は車を運転するときは、乾杯もウーロン茶です。

被害者だけでなく、事故を起こした加害者の家族も苦しむのです。
事件や事故は多くの人たちの人生を狂わすことを忘れてはなりません。
心に刻まれた傷・・・一生消えません。

私は事故が起きた橋を何度か通りましたが、胸が苦しくなります。
橋の上から水面を見ると、テレビで見るよりもずっと高さがあることに
驚きます。足がすくんでしまうような高さから・・・。

飲んだら乗るな、飲むなら乗るな・・・二年前のあの日を忘れまい。
忘れてはならない8月25日です。

※写真は本文とは関係がありません。
(写真協力:Mikanさんの「風の吹くまま・・・気の向くままに・・・」より)
http://blogs.yahoo.co.jp/mikanti18

「へい、いらっしゃい〜!」
店内から威勢のいい掛け声が私たちを出迎えてくれた。今から十年ほど前の
熊本のとある人気ラーメン店。

当時、私は裁判などとは無縁の地域活性化の指導や講演で九州各地を飛び回って
いた。自分では講演…すなわち「話す」ことは自分には向いていないと感じていた。
なぜならば私は冗談で人を笑わせることが苦手で、しゃべりで人を引き付けるのが
下手であることを悟っていたからだ。

この日は熊本のある商工会からの講演依頼があり、私は別の人を推薦して
その人と一緒に熊本に来ていた。講演までまだ時間があったので「どこかで軽く
食事でもしませんか」と私が切り出すと、その人は「ええ、いいですよ。
ちょうどこのあたりに私が行ってみたかったラーメン屋があるのですよ」

その人に案内されてラーメン屋の赤いのれんをくぐった。
その人とは「一風堂」の社長である河原成美氏だった。既にテレビチャンピオン
などで有名だったが「講演は慣れていなくて…」と渋る河原さんに無理をいって
熊本まで来てもらった。カウンター席に座ると早速人数分のラーメンを注文した。
店の大将が河原さんに気付いたみたいで調子悪そうに麺を湯ぎりするのが分かった。
河原さんはカウンター越しに大将の動作を食い入るように見つめていた。

「へい、お待ち〜!」
河原さんは目の前に出されたラーメンの匂いやスープの味を確かめると、一気に
スープも残さずに全部たいらげた。店を出て「どうでした?今の味は」と私が尋ねると
「う〜ん、ここは化学調味料を使っていましたね。私は化学調味料は絶対に使いたく
ないですね」と素っ気なく答えた。

河原さんによると、ラーメンの味を自分の舌で分析すれば、三日…長くても
一週間もあればまったく同じ味を作れると話してくれた。一風堂をオープンする前に
各地の人気ラーメン店を自分の舌で確かめようと、多い日は一日に八杯も食べたり
していたという。味を確認するのが目的なので完食しなくてもいいのだが、作った人に
対して残すのは失礼だと、すべて完食するのが自分の流儀だと言った。お腹が膨れ
食べ切れないと思った時は、指を口に入れて吐いて胃の中を軽くしてから次の店に
向かったという。ラーメンに賭ける情熱には迫力があった。

この日も講演前に一杯、講演後に一杯。帰ろうと車を走らせると「副島さん、
あと一軒気になる店があるので寄っていいですか?」と。呆気にとられる私たちを
残して一人で別の店に入って行った。

今では河原さんは押しも押されぬ「一風堂」の社長として活躍されているが、最初から
順調だったわけではない。波瀾万丈の人生を乗り越えて今の名声を手にした苦労人だ。
挫折と後悔の人生の中から、ラーメンに賭ける一途な情熱だけで成功を成し遂げた。
河原さんの歩んできた人生も平坦な道程ではない。

食への信頼が揺らぐ昨今、 私は「信頼」という言葉を思い出すたびに河原さんのことを
思い出す。理由はどうであれ一度失った信用や人間関係を取り戻すことは容易ではない。
しかし、一生懸命頑張ればその想いは周囲に届き、周囲が応援してくれる。
「信頼」という目に見えない絆によって。

河原さん、お元気ですか?

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昨年の夏の甲子園大会で旋風を巻き起こした佐賀北高を覚えているだろうか。奇跡の全国制覇を成し遂げた私の母校だ。私は13回期卒業生。

最初は我々OBも期待もしていなかったが、アレヨアレヨと快進撃を続けた。優勝という言葉が現実味をおびてきた決勝戦前日、佐賀の同級生から久しぶりに電話がかかり「甲子園に応援に行こう」と誘われた。

内心は行きたかったが、当時の私にとって甲子園までの往復の旅費などそんな贅沢などできる余裕もなく、その日を暮らすのが精一杯だった。父の裁判が終わり何とか生活を立て直そうとしていたがどん底の生活だった。おまけに本の出版という夢が暗礁に乗り上げていたし、新しい事業を起こそうと一人で営業を開始したが、どこの企業も相手にしてくれず門前払いの毎日だった。話しさえも聞いてもらえず途方に暮れていた。

「お宅の名前は聞いたことないなぁ…どんな仕事をなさっているのですか?」と尋ねられるのが辛かった。以前ならば省庁関係の委員や講師の肩書きのついた名詞を出せば簡単に応接室に通され話も聞いてもらえた、肩書きもない上に以前とは全く別の業界から一人で再スタートを切った私には信用というものが全くなくなっていた。私にとって七年間は裁判に明け暮れ、バイト生活でギリギリの生活だった。「今までバイトしながら裁判で闘っていました」など言えるわけもなく、愛想笑いで話をはぐらかして唇を噛みしめた。

父の刑事裁判が終わり、今度は自分の人生もと再スタートを切ったものの、本の出版もダメ。仕事もダメ。おまけに金も信用も実績も人脈も何もない…。厳しい現実に直面して福岡の街を一人でさまよっていた。決勝当日、私は一人でテレビで応援していた。テレビに映るアルプススタンドに同級生達の姿を探していた。優勝の瞬間、私は無言でガッツポーズをとり、一緒に校歌を歌った。♪背振〜天山、波よろい〜南有明〜…テレビから流れる校歌を小さな声で一緒に口ずさんでいるうちに胸が熱くなり涙がにじんだ…。

頑張れば何とかなるさ…母校の後輩達に教えてもらった。感動と勇気をもらった。
それから間もなく私の本の出版が決まった。まさに私にとってのミラクルホームランだった。出版社に作品が認められたという喜びだった。その後、佐賀では卒業生の間でも優勝のお祝いが至る所で開催されたが、私は相変わらずどん底状態で浮かれる余裕などなく、原稿の書き直し作業に追われた。

あれから一年…何とか本は出版されたが、仕事の夢はまだ実現していないが一人で頑張っている。くじけそうになった時は無罪判決の瞬間と母校の優勝の瞬間を思い出すことにしている。無罪の歓喜にわく裁判所前。優勝の歓喜にわく甲子園。どちらも一生忘れられない場面だ。人生、あきらめないかぎりきっといいことがある。波瀾万丈の私の人生はまだまだ続く。

たしかなこと ケータイ投稿記事

僕には二十歳と中二の二人の娘がいる。娘たちの行動を見ていると、生活の中で友達の存在がいかに大きいかがわかる。

学生の頃の友達と大人になっての友達って違うのだろうか。学生時代のまま友達関係が続く場合もあるし、大人になってからふとしたことから友達が出来る場合もある。

僕が高校生の頃『俺達の旅』というドラマを見て、一緒に泣いたり笑ったりしあえるのが本当の友達だと信じていた。時代が変わっても、たぶんそれが最高の友達なのだと今でも思う。

歳を重ねていくうちに『友達』という言葉が次第に照れ臭くもあり、素直に使えなくなった。ましてや『親友』という言葉は恥ずかしくて口に出せない。

だけど、大人になろうが友達や親友という言葉の定義は変わらないと思う。若い頃は友達や親友とは心だけでなく行動も共にした仲間であった。大人になると行動をともにする機会は減るし連絡も少なくなる。
それでも心の片隅にいつもいてくれる存在。それが大人になっての友達なのかもしれない。いつもどこかで見守ってくれている。

友達が苦境に立たされている事実を知った時にどうするか。そっとしておくか、それとも直接相手に言葉をかけるか。どちらがいいか普段は迷ってしまうが、そんな時は遠慮などせずに連絡を取ったほうがいいと最近は思うようになった。

大人になると一緒に考えることよりも事実や結果を求めようとしてしまうのかもしれない。どうした?なぜ?これからどうするの?と…それが分からなくて苦しんでいるのに。

必要以上に話す必要はなく一言だけ伝えればいい。何か話したくなったらいつでも聞いてあげるよ…と一言伝えておくだけでいいと思う。

沈黙が孤独を生み出し、時間とともに人間関係を変えていく。これは、たしかなことだ。僕はそう思うが…どうだろう。

風邪もだいぶ良くなり、またいつものように早く目が覚めた。
昨日、女性週刊誌の記者から取材の申込みがあり、急遽今日の午後に
取材となった。講師をしていた頃は「日本の経済を動かしているのは
女性」というのが私の持論で、女性に嫌われるビジネスは成功しにくいと
講演で話したりしていた。たしかに女性の感性や行動力には男性にない
輝きがある。そのために自分でも女性のトレンドを研究するために
女性雑誌にも目を通していた。「どんなものが流行っているのだろう」
「どんなものが売れているのだろう」を知るために「クロワッサン」や
「ダ・カーポ」なども読んでいた。

しかし、今はまったく縁がなく、つい司法をテーマにした単行本や
雑誌を買うことが多くなった。最近では「冤罪ファイル」という雑誌も
興味深く読ませてもらった。昨日は近所の書店で鹿児島の選挙違反事件を
描いた「冤罪を追え」(朝日新聞社鹿児島総局)を買ってきた。
ついでに私の本の売れ行きも確認してきた。店頭に並んで約10日ほどに
なるが三冊売れていた。ほっと安心した(笑)

話がそれてしまったが、書店に立ち寄ったついでにその女性週刊誌も買った。
家に帰ってページをめくった。
芸能ネタからさまざまな話題が載っている。
親子の絆を問う記事もあった。ふだん何気なく使う「親子の絆」という言葉。
ふと父と私の関係を考えた。

私と父は事件前までは父の生き方や考え方に反発して生きていた。地位や
名誉を重んじる父の世界が嫌で若い頃はバンカラを気取って髪を伸ばし
ヒゲを生やしてサングラス。
こんな私だった。父はいつもスーツだったのでその反動だったかもしれない。
こんなふうに私は父に背中を向けていた。

それがいざ父が逮捕されると、怒りや悔しさが込み上げてきた。
そして父の無実を証明するために闘うことを決意した。
そのパワーこそが「親子の絆」なのかもしれない。いざ家族に何かが
起きた場合に湧いてくる力…家族を守るために捨て身で飛び込んでいくチカラ。
ふだんは気づかないチカラこそが「親子の絆」なのかも知れない。
「親子の絆」は普段は目に見えない。
これも「大切なものは目で見えない」と教えてくれた「星の王子さま」の
意味なのかもしれない。
「友情」「愛」「絆」は普段は目に見えないものなのかもしれない。


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