『いつか春が』執筆日記

波乱に満ちた人生。夢に向かって挑戦する男のドキュメントストーリー。

きまぐれエッセイ

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本を出版という兼ねてからの自分の夢がひとつ実現したことで、自分なりに
気持ちを整理しようと思うものの、何をもって気持ちの整理ができたと
判断すればいいのか分かりません。
生きていれば嬉しいことも辛いこともあります。
目の前で起きているいろんな場面を見つめながら、自分は何を考えて、
何を夢見て生きているのだろう。ふと、そんな思いにかられる時があります。

今、私が関わっているボランティアの講義で学んだこと。
人は誰でも悩みを抱えながら生きていますが、その苦しみを周囲がどこまで
理解できるか…これは難しいテーマです。私も未だに答えが見つかりません。
そんなふうに苦しむ子供たちに私たちは何が出来るか?

大学の心理学の先生や精神科の医師などの講義を受けて半年間学ばせて頂きました。
その中でひとつの答えらしきものが見つかったのが「沈黙の会話」です。
心配してこちらから一生懸命に手を差し伸べようとしているのに相手が何も話さない。
心を閉ざしたまま何も言わない。
心配するほうの人間は、そういう本人の姿を見て「心を開こうとしない」と
目に映るでしょう。そんな時、どうすればいいのか?
私は尋ねられた時に「真剣に相談にのってあげる」「頑張れと励ましてあげる」と
答えました。答えは「NO」でした。

心の扉が閉め切られた状態なのに、その扉を外から開こうとすればするほど
本人は拒絶してしまう。待つしかないそうです。たとえ相手が無言でも待つ。
自分の考えを伝えるのはNG。ひたすら待って、相手が話しやすい状況を作ってあげる。
本人は話したくても話せない。それを苦しんでいる…それが沈黙の会話だそうです。
つまり「……」の無言の中にも言葉が存在するそうです。
無言の状況に郷を煮やして「何を考えているの?黙ってないで何か話してよ」と
相手に求めてしまうのもNG。

なぜ無言なのか、なぜ沈黙するのか。本人にしか分からない心の闇があるわけで
すべてに理由があるそうです。親や友達にも自分の気持ちを伝えることができない
理由が必ずあると。それが言えない本人も苦しいのです。

本当に大切なことは目で見えないものなのかもしれません。
本当に大切なことは心の目でしか見えないのかもしれません。
どんなに相手の気持ちを理解したつもりでも、本人の気持ちは他人には分からない。
自分では相手の心の痛みを分かったつもりで、励ましの言葉をかけたり
アドバイスをすることが、本人にはプレッシャーになることさえもある。
どんなに理解しようとしても100パーセント理解することは出来ないからこそ
相手が苦しい胸のうちを吐き出したくなるまで待ってあげる。
たとえ相手の考えが間違っていたりしても、自分の考えや意見は言わずに、
ひたすら相手が話すことを聞いてあげる。

風船はどんどん膨らんでいくと破裂します。
破裂しないように途中で空気をシューと抜いてあげる。すると、また膨らみ始める。
膨らむためには力が必要であり、破裂しそうになる前に空気を抜いてあげる。
それをくり返していくうちに本当の生きる力や元気が回復してくるそうです。
私たちは相手に自分の考えや意見を伝えて相手の気持ちを確かめようとしがち。

「……」 この無言の中にも言葉があり、心の目で見れば見えてくる。
心で聞いてあげると聞こえてくる。相手に答えを求めない。   
講義を受けて私が学んだことでした。

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今日の博多は雨です。
きちんとしたコメントに対しては、こちらもきちんと返事のコメントを
書くように努めています。

今回、私が出版した本はジャンルとしてはノンフィクションになります。
ノンフィクション、つまり実際に起きた実話です。まさかそんなことが…と
思われる方もおられるかと思います。普段の生活で起きることがない出来事に
対してどのような心理が働き、どのような展開になっていくかが作品として
どう描かれているか。これが出版社が本を出すかの目安ではないでしょうか。
出版社に原稿を持ち込んだ時、編集者はそこをチェックするのでは
ないでしょうか。私の場合は原稿を手渡して翌日に「うちから出版させて
もらいたい」と返事を頂きました。

著者と編集者。この両者の関係は言葉では表現しにくいですが、編集者は
読者の代表としての立場で「ここの意味がよく分からないなあ…もっと
詳しく書いてくださいよ」「そこの場面は、あまり書きたくないのですよ…」
「読者はそこを知りたいんだよ」「そう言われても…思い出すのも辛くて
そこの部分は簡単に書きたいのですよ」「それは著者の勝手な都合だよ」
こんなやりとりが何度もありました。
心の中を全部さらけだすように求める編集者と辛い部分や惨めな部分は
さらけ出したくない著者(笑)

これがノンフィクションでなければ、想像力で自由に描くことができるのに。
最後まで調整に難航したのが実名にするか否かでした。
登場する人たちは実在する人たちです。裁判の流れを縦軸として、横軸に
私たち家族の出来事を絡めながらストーリーの展開を組み立てました。
当然、登場人物についてもどのような名称にするか最後まで協議しました。
人を傷つけるために本を書いたわけでなく、真実を知ってもらうために
私は本を出版することを決めたのです。真実を伝えるためにはどうしても
ここまでは表現しなければ、真実は伝わらない。
そういうことを考え抜いたあげくの決断でした。

法廷を傍聴した人しか知らない事実。私が本で伝えなければ、このまま
誰にも知られないまま静かな日々を過ごせた方もおられると思います。
真実がこのまま封印されてしまうことを臨んでいた人もいるはずです。
私は真実だからこそ一人でも多くの人に伝えたかったのです。
ノンフィクション作品として本を出すということは、同時に怒りや憎しみを
背負うことになるのです。また、私が感じたことが読む人によっては
受け止め方が違い「それはおかしい。考え過ぎだ」とかの意見を
持たれる方もおられるでしょう。

著者はこう感じたとしても、人の心理は立場や見る角度によってさまざまです。
実際に自分の目で見て、耳で聞き、その場面の空気を肌で感じたことを
「著者=自分」という視点に立って描いたのがノンフィクションの重さだと
思います。ノンフィクションは著者が当事者でない場合もありますが、逆に
現場を体験した者だからこそ伝えられる空気というのもあると思います。

まだ原稿の途中で、ある出版社に見せたところ「普通は事件や事故に関係した
当事者や家族は本を書けないと言われています。心に刻まれた傷が癒えるまでに
時間がかかるからです。忌まわしい出来事を早く忘れたいと願うし、本を
出そうとするならば、それは自分の内面にある苦しみと直接向かいあわなければ
なりません。本人にしか分からない苦しみであり、それを乗り越えるまでには
数年、もしくは十年。または一生引きずって生きていく人も多いんですよ。
その中で身内の方が書こうとすることは評価に値します」と。

実際に原稿を書き始めると、目をそむけたくなるような場面を思い出しながら
言葉として原稿を埋めていかなければならない。それは私が想像していた以上の
苦痛でした。何度も途中で苦しくなって中止しようかと思いましたよ。
またストレスによる背中や腕の痛みが再発したりして、感情が不安定になり
涙があふれてきたり、怒りや悔しさがこみあげてきたりして冷静な文章が
書けませんでした(笑)
まだ原稿用紙数十枚程度でしたが、それをその編集者に読んでもらうと
「…う〜ん、やはり感情が出すぎていますね。あまりにもストレートすぎて
怒りや悔しさをぶつけるという文章ですね。もっと感情を抑えて客観的に
書いたほうがいいですよ。たぶん、すべてが片付いた後に二〜三年とか時間を
おいて気持ちが整理されてからのほうがいいのではないでしょうか。その時に
あらためて原稿を読ませて下さい」

これが四年程前でした。すっかり自信をなくした私は原稿を書くことを
断念していましたが、テレビ朝日の方々や長野智子さんらとお会いした時に
再び本を書いてみようと思ったのです。
そして完成したのが「いつか春が」です。
ちなみに最初に考えていたタイトルは「父の涙 母の孤独」でした(笑)

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七年…これは私が世間から姿を消して距離を置いてきた時間だ。
別に好きでこうなったわけじゃない。
親しかった友とも父が逮捕された瞬間からどちらからともなく
連絡が途絶え今に至ってしまった。
こちらから声をかける勇気もなく、友達に会ったら父の事件を
どう説明すればいいだろうなど考えると自然と距離が
出来てしまった。

無実を証明するまでは何を言っても信じてもらえないと
人との関わりを自ら避けるようになってしまった。
これを世間に背を向けて生きるというのか…そんな想いを
抱きながらも自分ではどうすることも出来ず、ひたすら
裁判で闘う毎日だった。

心のどこかで誰かに話を聞いて欲しいと願いながらも、誰に話して
いいのか分からず、誰を信じていいのかさえも分からなくなり
心の扉を閉め切ってしまっていた。それが七年間以上も続くと
いざ人と会おうとすると気が重たくなるばかりだった。

人と会わずに出来る仕事…それは文章を書くなどの仕事だった。
以前は講演や研修で人前に出て話したりする仕事だったが
今では一人で街に出て誰とも会わずに一人で時間を過ごすことが
当たり前になっている。そんな暮らしの中で報告書の原稿書きの
バイトをしてきた。自分の名前は一切表に出ないが、黒子として
せっせと原稿を書いた。その時の経験を生かして初めて本を書いた。

本の出版を大学時代の友人や後輩に連絡した。
今までは気持ちに余裕がなくて誰とも連絡することもなかったが
久しぶりに連絡を取ってみると懐かしさでいっぱいになった。
それぞれが自分の人生を歩み、仕事も頑張っていることを知った。

北海道のテレビ局に就職した後輩I君は今では人事部長だという。
同じく札幌の後輩も大手企業の営業マンとして頑張っている。
学生時代に一緒に酒を飲み夜通し語り合った友人が今ではみんな
偉くなっている。私が勤務していた製薬会社の同期や後輩も
みんな企業戦士として頑張っている。

まわりはみんな着実に自分の人生を歩んでいる。
自分だけが取り残されたような焦りがいつも付きまとっていた。
自分は毎日、明けても暮れてもどうやって父の無実を証明しようかと
裁判のことばかり考える毎日だった。この裁判が終われば自分も
もう一度、仕事の現場に戻り周囲にも自分の才能や実績を
認めてもらおうと思っていた。しかし、長すぎた…七年も戦いが
続くとは思ってもいなかった。
やっと裁判が終わった時は自分の戻る居場所がないことに気づき
周囲との人間関係にも溝が出来てしまっていることに気づいた。

私は考えた。人は人であり、他人の人生と私の人生を比較しても
どうしようもないことに気づいた。
人生をゼロからやり直そうと開き直ると気持ちも軽くなった。
サラリーマン時代にはやれなかった自分の夢に挑戦してみよう。
それが本だった。
今の自分には、自分で路を切り開くしかない。ぞのためには
私に何が残されているのか…今は人脈もコネもない、おまけに
カネもない(笑)以前の実績も色あせてしまっているし元の業界には
戻れないし戻りたくない。
新しいフィールドで自分の才能だけを頼りに頑張るしかない。
そういう想いでこの本を書き上げた。
本の出版によって何かが変わると信じている。

開き直った自分。人と自分を比較しなくなって、初めて友に声を
かけることが出来るようになった。友は私の本の出版を喜んでくれた。
これが私のデビュー作である。これからも執筆活動を続けていこうと
思っている。すでに頭の中で次のテーマを模索している。
続編を書いたらと言ってくれる人もいる。
さてさて、次はどんな作品を書こうか…これも今の私のささやかな
楽しみである。

人生いろいろ。

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いよいよ来年の五月から裁判員制度が開始されます。
昨日はそのニュースで持ちきりでしたが、私もこうゆう
司法に関する本を書きましたので私の考えを述べさせて
頂きます。

裁判員制度については以前よりも、かなり関心が高まって
きたように思いますので、制度そのものについてはあえて
私のほうから申し上げることは控えます。

もし、私が裁判員に選ばれたと仮定しての私の考えです。

まず検察側から提出された被告の供述調書…これについては
何度も読ませて頂きます。文脈の流れに矛盾点がないかを
チェックします。父の場合でも「完璧な自白調書」が作成
されていたわけですが、何度も何度も読み返すうちに
「あれっ?…今まで話していた内容と矛盾する供述がある」と
気づき始めたのです。
一度や二度読んだだけでは気づきませんでした。
調書に書かれた場面や心理状態を目を閉じて頭に描いていくと
疑問点や矛盾点が見えてきたのです。

難解な裁判用語については意味を確認させて頂きます。
自分で納得できるまで何度も供述調書を読み返す…これは大切なことです。
意外と調書の中に真実が隠されていることもあるのです。
取調べについては、私はたまたま他の刑事事件にも関わったことがあります。
父の事件でもそうでしたが、実際に取調べを受けた多くの人たちから
調書が作られていく様子を聞いてみると、例えば「普通、こうゆう場合は
こう思うだろう?」と取調官が質問すると「そうですね」と答えます。
すると調書では「私はこう思っていました」となるのです。
例え話を例にあげて質問されたので、普通はそうですねと答えたことが
自分で話した証言として作られていく場合も多いようです。

質問された項目の順序を組替えてつなぎ合わせられたら、まったく別の
意味合いに変わってしまう場合もあります。
最近では取調べの段階でパソコン(ワープロ)を使用する場合が多いので
コピーや貼り付けなどで文章を簡単に作成することが可能です。
だから、私は法廷に提出された取調べの調書(完成版です)以外にも
清書される前の手書きで記された文章やメモを見せてほしいですね。
そういう手書きで書きとめた調書が清書されて法廷に出されるのですから
出来れば最初の「原本」を見せてもらいたいですね。

その他、注意点としては例えば殺人事件などの場合は必ず血にまみれた
遺体写真や犯行現場の写真が調書とともに証拠写真として添付されてきます。
カラー写真なのかモノクロ写真を添付されるかは分かりませんが
普通の人はその写真を見ただけで気分が悪くなるでしょう。そのような
写真については事前に何らかの対応をしていただきたいですね。
残虐な写真を見せられただけで被告(犯人)に対しての怒りや偏見が
増幅すると思われます。

事件直後のマスコミ報道も知らず知らずの間に事前情報として頭の中に
インプットされてしまいますから、これも要注意ですね。警察や検察が
マスコミに対してどのような情報を発表したのか、その経緯や内容も
教えていただかないと誤った判断になりかねません。

法廷では被告本人の容姿や声、仕草などを見て惑わされないように気を
つけなければならないでしょうね。表情や声にも注意して、はたして
真実を述べているのか?供述調書の内容と矛盾がないかなどを見比べるのでしょうね。

私が裁判員に選出されたら、法廷では検察や被告本人のいずれかも信用しては
ならない。両者の言い分を聞き、自分で納得できるまで質問するか確認を行い
判断する。そのためにも法廷に提出されたすべての証拠や調書について
十分に確認させていただきたいですね。証拠一つにしてもどうゆう経緯で
誰が発見したのかなど見落としがないようにですね。

無実の人を有罪にしてはならない…そのためにも両者の言い分を疑いながら聞く。
これが大切ではないでしょうか。
思い込みの裏側に真実が隠れている場合も多いですからね。
裁判員制度によって冤罪が生まれないように…そう願うだけです。

もし父の事件が裁判員制度によって裁かれていたら…絶対に有罪だったはずです。
真実を暴くことが出来なかったら…そう考えると恐ろしいです。
被告本人や被害者の背中の向こうには家族がいるのです。
本人だけでなく家族の苦しみも忘れてはなりません。

だから私は法廷では検察側と被告側の両方の意見を安易に信じず、最初は
疑いの目をもちながら真実を見極めていきたいと思います。

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最近は歳のせいか早起きになりました(笑)
私みたいに晩酌もしない、ギャンブルもスポーツとも無縁、人との付き合いも極端に少ない人間にとって唯一の楽しみは音楽と本です。
今も忘れられない一冊…それは庄司薫著の『白鳥の歌なんか聞こえない』。今からかれこれ三十年以上前の作品だと思いますが、高校生の薫君と由美との淡くて切ない物語です。
若者から見た老いと死を通して生きることの重さや人を愛することの切なさ素晴らしさが淡々と綴られた作品でした。
年老いていく自分の両親を見ていると余計にこの作品のことが蘇ります。
いつかこんな作品が書けたらと願う私です。


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