震災関連
遺族の声
去る3月21日、大川小学校の第2回検証委員会が行われ、遺族3人が意見陳述を行った。(大川小学校 揺らぐ真実より引用)
今野ひとみさん:「息子が当時6年生だったので周囲の状況や様子や情報から自分が置かれている状況を把握し、早くから『山へ逃げたい』と先生に訴えていたと生存している息子の同級生から聞きました。子供たちは人間の本能で逃げるべき、高い所に上がるべきだということを十分に知っていたのです。このままでは自分が死ぬと分かっていながら寒い寒い雪の降る校庭で、50分間の時間を過ごしていた時の恐怖…。変われるものなら変わってやりたかったと今も泣いている日々です…」
※今野大輔君と佐藤雄樹君は「いつも俺達(裏山に)上がってっから(勝手は分かっている)」「俺達ここにいたら死ぬべや!」と先生に強く訴えていた。実際2人は裏山に駆け出したが呼び戻
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2013/5/12(日) 午後 7:50
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当時は第一武智丸、第二武智丸と呼ばれていた。戦時標準船改E型をコンクリートで建造し、排水量2300tの輸送船として瀬戸内海の物資輸送に使
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2013/4/28(日) 午後 8:26
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自分の住む町…10
2012/12/8(土) 午後 8:28
この時期になると蔵本通りには様々なイルミネーションが展示される。今年は呉市の市政110周年を記念して例年より規模が大きめである(神戸や仙台とは比べ物にならないが…)。
今回大河ドラマ「清盛」をモデルにしたものや戦艦大和の錨をかたどったものなど様々である。
「花より団子」な人にはすぐ近くに「屋台通り」がある(4枚目写真)。とはいえ釜石ののんべぇ横丁や博
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