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海抜187mの大空山は瀬戸内海から呉に上陸する敵を迎え討つために構築され、民間人の立ち入りはできなかった。 1枚目写真は砲座跡で、草が丸く生えている部分には28センチ留弾砲(旅順要塞攻略に使用されたものと同型か?)2門が据え付けられていたとの事。2枚目写真は砲座の隣にある兵舎で、石組みの壁面と分厚いコンクリートアーチで守られている。 3枚目写真は観測所(高台)に至る連絡通路で、踊場に凹みが設けられているが、退避所ではないかと思う。この保塁から少し下った所にカマボコ型の弾薬庫(4枚目写真)が残っている。入り口は塞がれているので中は不明であった。 呉や瀬戸内の島嶼部には今もこうした遺構が「古強者どもが夢の跡」の如く点在している。しかし今思えば、敵艦隊が瀬戸内海を遊弋するようになったら日本はおしまいである。本土決戦になったとしても米軍は上陸前に徹底して艦砲射撃や空爆を加えるはずだから恐らく要塞は用を成さなかったと思う。 |

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呉は海軍の重要な港だったっそうですが、こんな要塞があったとはスゴイですね!
小説「坂の上の雲」では、日露戦争の203高地攻防戦の時に、日本人が初めて経験した近代戦だったとありました。
コンクリートでよろわれたロシア軍の要塞に、白兵戦しか念頭にない日本軍は歯(刃?)も立たなかったとか。
何となくこの保塁を考案した軍部の感覚も少し時代遅れだったのかもしれないですね。
今でもお上は呑気ですけどね…
2013/4/29(月) 午後 0:57 [ 麻巣 ]
呉市にはこんなに貴重な施設が遺されてるんですね。
戦争があった事実を、まざまざと見せ付けられますね。
遺構とありますが、やはりこちらの震災遺構も、うちらの子孫の代には
貴重な物になるのでしょうかね…
2013/4/29(月) 午後 3:03 [ 鶴姫 ]
ますピーさん、子供の頃はこうしたものを普通に見ていたのですが何のためのものかは分からなかったですね。
こうした要塞計画設立当時は当然航空機の発達を考慮していなかったため、大平洋戦争の時には既に廃止されていた所もあったようです。また、28瑠は航空機を射撃することができないのでB-29や艦載機の跳梁を見ているしかなかったと思います。
2013/4/29(月) 午後 4:29 [ スタリオン ]
鶴姫さん、こうした施設は山頂や岬の突端にあったりしたためにそのまま草木に埋もれたりしたものが多いですね。ただ、説明文などがないので殆どの人は何なのか分からないでしょう。
震災建物はその多くが次々解体されていますが、果たしてそれで良かったのか?保存しておくべきだったのかはその後の歴史が判断するしかないのかなぁと思います。
2013/4/29(月) 午後 4:34 [ スタリオン ]
戦争と津波、同じ目線で比べるものでもないのでしょうが、戦争を知らない私たちが
この遺構を見れば、戦いの一端を垣間見ることも可能です。震災の当事者が生きている限り語り継ぎ、また、身内が亡くなった建物を震災遺構として望むのも、亡くなった場所でお祈りしたいと思うのみならず、代が進んでもこの悲しみを繰り返してほしくない無言の教えになると思います
やはり遺構は必要だと感じましたね
ところで、高田には何時ごろ入りますか?
2013/4/29(月) 午後 7:39 [ サポートチーム〜絆〜 陸前高田 ]
ふうさん、こちらではよく震災建物と原爆ドームを引き合いに出されます。災害と戦争を同一に論じるべきではないとの意見もありますし、保存するには住民の感情や予算など様々なハードルがあります。明治や昭和の三陸大津波は石碑などが残っていますが教訓という意味では伝え切れなかったように感じます。他所者の勝手な意見を言わせてもらえればやはり何か保存してもらえないかと思うのです。
※4日は気仙沼の大島に宿泊しますので5日は朝早めに出発しようと思います。滝の里は10時までには行けると思います。
2013/4/29(月) 午後 7:59 [ スタリオン ]
滝の里集会所は5日午前中、学生さんのボランティアが来ますので
滝の里に着いたらどこかに移動したいと思います
昼食を予約しておきますのでご一緒しましょう。
誰か会いたい人ありますか?
2013/4/29(月) 午後 8:09 [ サポートチーム〜絆〜 陸前高田 ]
ふうさん、お気遣いありがとうございます。そちらの方々は殆ど面識がないので何とも言えないのですが、もし当時のことを聞かせてもらえる方(または案内をお願いできる方)がいらっしゃればと思います。
2013/4/29(月) 午後 9:05 [ スタリオン ]
空から爆撃されたらひとたまりもなかったでしょうね。
私の父は第二次世界大戦で空から機銃掃射された時、穴に入って高射砲で射つことになっていたけど、穴の壁にへばりついて凌ぐのがやっとだったと言っていました。
高射砲なんかでB29が落とせるとは思えませんよね。
空からの攻撃には手も足も出ないようです。
ハワイのダイヤモンドヘッドに登った時、ダイヤモンドヘッドも要塞だったことを知りました。今でも大砲の砲台が残っています。
海の傍で理想的な場所ということだったそうですが、あんな大砲で撃って海まで届いたのかなぁ?
大砲が発射されたことはないそうですが・・・
2013/4/29(月) 午後 10:58 [ MADRE ]
MADREさんのお父さんは高射砲部隊だったんですね。呉空襲の時も高射砲陣地から盛んに撃ち上げたのですが撃墜には至らなかったようです。
思えば要塞というものは航空機の発達の前にはあまり役に立たないのかも知れませんね。
2013/4/30(火) 午前 5:44 [ スタリオン ]