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当時は第一武智丸、第二武智丸と呼ばれていた。戦時標準船改E型をコンクリートで建造し、排水量2300tの輸送船として瀬戸内海の物資輸送に使用された。 航行中機雷が至近で爆発し、鋼鉄船は沈没したが武智丸は亀裂が入った程度だったという。修理もセメントを塗るだけで良かったが、思えばこのような巨大な建造物を水漏れしないように造るのは大変だったはずである。 二枚目写真は船首部分で丸い2つの穴は錨を上げ下げするチェーンが通っていたのだろう。三枚目写真はブリッジがあったと思われる部分で、デッキの板や構造物は撤去されているが、アンカーボルトや内部の鉄筋が見える。四枚目写真は船倉で底はかなり深い。同船は戦後防波堤として三津口湾に着底され、第二の任務を今も全うしている。 気仙沼の第18共徳丸は今後どうなるのか不明であるが、もし震災を知らない世代が残されたそれを見たらその時何と思うだろう |

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なんと、コンクリート製の船とは?! w(;`・ω・)w
私の感覚では
人間→沈む 車→沈む コンクリート片→沈む。。理解不能ですね。(爆)
当時の技術もさることながら、防波堤として役に立っているというのはスゴイですね。
中は魚たちの格好の棲みかになっているのでは?? (・'ω'・)b
2013/5/13(月) 午前 10:58 [ 麻巣 ]
ますピーさんの疑問もごもっともですが、浮き桟橋などもコンクリート製だったりするのであながちトンデモな訳ではないようです。
戦後高潮などに悩まされた安浦漁協が武智丸の据え付けを思いついたと書いてありました。この時は分からなかったのですが、潮が満ちたら魚たちが泳いでいるのが見えたかも知れませんね。
2013/5/13(月) 午前 11:38 [ スタリオン ]