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今野ひとみさん:「息子が当時6年生だったので周囲の状況や様子や情報から自分が置かれている状況を把握し、早くから『山へ逃げたい』と先生に訴えていたと生存している息子の同級生から聞きました。子供たちは人間の本能で逃げるべき、高い所に上がるべきだということを十分に知っていたのです。このままでは自分が死ぬと分かっていながら寒い寒い雪の降る校庭で、50分間の時間を過ごしていた時の恐怖…。変われるものなら変わってやりたかったと今も泣いている日々です…」 ※今野大輔君と佐藤雄樹君は「いつも俺達(裏山に)上がってっから(勝手は分かっている)」「俺達ここにいたら死ぬべや!」と先生に強く訴えていた。実際2人は裏山に駆け出したが呼び戻されている。こうした重要な証言は教育委員会の聞き取り調査からは何故か抜け落ちており、矛盾や食い違い、隠蔽や捏造など教育委員会への不信感は根強い。震災直後組織的な捜索活動を行わず、遺族らの疑問にきちんと答えようとしなかったことがさらに不信感へ拍車をかけた。(つづく) |
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・インドはNPTやCTBTに加盟しておらず、核実験も行っている。原発機器や技術を輸出することは核拡散に加担することになりかねない ・それは被爆国自ら核拡散防止の空洞化を招くに等しく、核拡散より経済のメリットを優先させるのか ・原子力協定を急ぐのは国内メーカーの海外受注を有利に進める観点からであろうが、原子力技術は核不拡散の考えのもと、経済とは別次元で考えるべきなのは言うまでもない… 最後に「ビジネスの倫理で原発輸出を進めては被爆国としての見識が疑われる」と結んでいるが、全くである。以前は「核の平和利用」については黙認されていたがそれは絵空事だったのは明白である。 日本は核被害を受けた国としてむしろ原発全廃の方向に舵を切らないといけない筈である。今の政権(電力会社やメーカーも)を例えるなら、無差別乱射事件で身内を失った遺族が自動小銃やマシンガンを輸出することに等しい暴挙である。 平和公園の碑文には「過ちは繰り返しません」と書かれているがきっと「繰り返される」のではないか…。 |
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竹駒から気仙川の右岸を下り、当時の様子などを聞かせてもらった。竹駒はかなり内陸部にあるのだが、気仙川を逆流した津波は堤防を乗り越えて付近一帯を呑み込んだ。的場の辺りは多くの宅地があったはずだか今は更地同然になり、以前の様子は想像できない。ヤマセン醤油もこの辺りにあったそうだが、従業員らが避難した神社があるだけでここも更地のようになっている。 気仙中は避難命令が出た場合、気仙小に移動するようになっていたが、あの付近の様子からだと中学生のお孫さんはダメだろうと思っていたそうである。ところが気仙小の菅野校長先生の機転で生徒らは更に高い場所に避難したため無事だったのだ。 このあと実家があった場所を案内してもらったのだが、長部川を遡った津波は裏手の斜面で渦を巻いて建物は全てやられてしまったとの事。今は養生された欅の木?が仮置きされていた。 川を下って海辺まで行くと、破壊された漁協の施設のような建物が今もそのままになっている。市内に戻ると一本松を見物に来た人々が集まり始めていた…。 |
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ホヤぼーや 「そーだね、この所キビシいよね」 む 「わしらも頑張らんといかんのぉ」 ホ 「そういえば君、駅弁になったんだって?」 む 「ああ、アレね。でもあのキャラ弁イマイチ似てないよなァ…」 ホ 「いいじゃん、ホヤ弁当なんか多分無理っぽいし」 む 「うーん、確かにホヤの駅弁は如何なものか…」 ホ 「もっとグッズとか売らないとね」 む 「しかし くまモンやバリィさんは手強いぞ」 ホ 「何しろ2人はゆるキャラチャンピオンだからね」 む 「とは言っても君は去年のランキング21位だったろ。自分は38位だからなァ…」 つづく…かな? |
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一枚目写真はメンバーがよく入り浸っているお好み焼き屋「ほぼろ」というお店だが、これは「ほり川」というお店がモデル(二枚目写真)。ほり川は蔵を改装したお好み焼き屋さんで、この前を通るとソースの香ばしいニオイが…。「ソースが足りんかったら言いんさいね、かけちゃげるけん」←※本編中のセリフ 三枚目写真、カオルがポーズを取っているのは「ほり川」近くの街並み保存地区。レンズの関係で全く同じアングルにはならなかったが四枚目写真と建物の位置などを比べてみて下さい。 市役所や道の駅には巨大な「たまゆら」の看板(五枚目写真)があり、竹原市はかなり本作品にテコ入れしているようである。ちなみにメンバーの1人、麻音(まおん)の実家は大崎下島にあるのだが、ここは「ももへの手紙」で「もも」とお母さんが暮らしていた島でもある。とはいえ「たまゆら」のメンバーと「もも」や妖怪が鉢合わせしたという話は聞かない(笑)。 |





