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今日のネタもロックンロールじゃありません。汗
先日,NHKの『ヒストリア』って番組を視ていたのですがその内容があまりにも興味深かったので…。
これまで日本が国力を温存したまま明治維新を迎えることが出来たのは
薩摩の『西郷隆盛』、『大久保利通』、長州の『木戸 孝允』、そして土佐の脱藩浪士『坂本龍馬』などの功績だと学校では教えられてきましたが実はそれ以外に、影の功労者がいたのです。
それも幕府側に…。
幕末の尾張(今の愛知県)藩主『徳川慶勝』です。
TVで見た内容はと言いますと、
その頃の幕府は徳川御三家である『尾張藩』に,幕府政治への口出しをさせない為、
何代にも渡り幕府からの養子を迎え入れさせ、半ば強制的に尾張藩主に即位させていた様です。
ところがその江戸出身の殿様達が贅沢三昧の政治を行ったおかげで藩は膨大な借金を抱える羽目になりました。
そんなある日、領内のとある八百屋がかねてから博学として評判の高かった高須藩主(今の岐阜県海津市)松平義建の次男『慶勝』の尾張藩主への即位を嘆願する遺書を残し、船上から入水自殺をします。
一庶民のとった行動とはいえ、これを重く視た尾張藩は彼(八百屋)の葬儀を幕府のお膝元である江戸の寺院で盛大に行います。(これは幕府に対する無言の抗議でした。)
幕府はしぶしぶ尾張藩と領民が嘆願する『慶勝』の尾張藩主への即位を認めます。
その後、彼は自らの給与、そして家臣の給与を極限まで削減し、藩の財政を立て直す事に成功します。
その後、長州が単独で幕府に反乱を起こした際も幕府側の長州鎮圧軍の総大将に命じられ,異国に囲まれた現状、国内で無駄な血を流すべきではないという自らの意思で長州幹部の切腹と引き換えに『完全無血』で降伏させます。(その後,息を吹き返した長州は薩摩と手を結ぶ訳ですが…。)
彼が残した最大の功績は幕府側の過激派が薩長連合軍に敗れた『鳥羽伏見の戦い』以降、
薩長の官軍を江戸城開城まで『完全無血』で迎え入れたという事です。
幕府では既に西欧列強に太刀打ちできないと判断した慶勝は尾張一帯から江戸までのありとあらゆる旗本や寺社に事前に『官軍との不戦』を呼びかけ、血判まで押させています。
彼がいなければ近畿から関東までの間、いたるところで内戦が勃発したのは明らかです。
ところが元幕府側の殿様という肩書きが彼を歴史の教科書から消し去ります。
維新政府側にとって幕府側の殿様が活躍したと言う実態はさぞかし都合が悪かったのでしょう。
無駄にドンパチやらずともこの国を新しい時代に導く事に成功した真の英雄は
不遇にも歴史の教科書から完全に消されてしまったという訳です。
その後、維新政府の行った廃藩置県で尾張藩主の座を追放された彼は江戸での隠居暮らしを始めます。
殿様時代から当時としては正に最先端技術であった写真を趣味に持ち、数多くの写真を残しています。
趣味を楽しみつつ天寿を全うした事が唯一の救いだった事でしょう。
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