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(この前、結城紬の職人をしていた頃のことを書いたら、たまたま読んでくださった方から長いコメントをいただいた。それは思っていた以上に嬉しいことだった。だから、もうちょっと書いてみようかな、という気になった。コメントを書いてくれた魔女さんは、またこのブログを読むようなことがあるだろうか。それともブログの世界は、本当に偶然の出会いばかり、一期一会なんだろうか。)
東京の大学生が突然、「織物を教えてください」と結城紬の指導所というところを訪ねたとき、最初はただの酔狂と思われて、露骨に冷淡にあしらわれた。遊び半分ならよそでやっとくれ、ということだ。それは当然のことで、斜陽産業である紬織物業界には「暇人の物好き」に付き合うような余裕はない。それにむやみに技術を外に出したくない、という方針もあったらしい。とにかく、邪魔、邪魔、帰っとくれ、という感じだった。
そういう空気は十分に感じ取っていたのに、なぜだかめげないで、「教えてもらったら、ちゃんと働きますから。仲間に入れてください。仕事としてしますから。遊び半分じゃないんです」と、今思えば何であんなに熱心だったのかよくわからないが、頼み込んだ。間に立ってくれる人もいて、どうやら、「ちょっと木綿でも一反織らせてみたら、あきらめるんじゃないかい」ということで、なんとかかんとか19歳の夏休みに受け入れてもらうところまでこぎつけた。
近くの雑貨屋に下宿を決めて、朝が来ると、飛び出して指導所へ走った。走らなくてもいいけど、走りたかったんだなあ。嬉しかった。トウモロコシやら青いイネやら、ダリアやグラジオラスの花やらが、応援団だった。応援ありがとう!
しかし、当然ながら、厳しかった。
最初に言いつけられたのは、ふんわりとしたカセになっている糸を、糸車を回しながら糸巻きに巻き取っていくことだった。こんなことはあっという間にクリアしてやるさっ、と思ったが、とんでもない。1本の糸であるはずなのに、みるみる混乱の迷路に陥って、こっちの糸の下をくぐらせればいいか、と思うと、今度は別の糸と絡む。あっという間に、座った自分の周りはごっちゃごちゃの糸の海になってしまった。からまったのをほどこうとすると、どんどん絡まりが締まっていって、ほどくことができなくなる。手にも額にも腋にもいやな汗をかきながら、黙って糸と格闘する。
どうしようもなくなったころ、一人の色白で無口な職員さんが、だまって寄ってきて、だまってそのぐちゃぐちゃの糸を指先でほぐしていく。そうすると、塊のようになった糸に、透き間が生まれ、混乱がほどけ、いつのまにか、糸は収まるべきところに収まるのだ。
私がどうしようもなくこんがらがらしてしまった箇所は、犠牲を最低限にして切り取り、できるだけ小さい結び目であらたに結び直してくれる。無地を織っているうちはいいが、今後、絣の柄を先染めした糸を使うようになったら、途中を切り取ってしまうことはできるだけ避けたい。はたむすび、という結び方を覚え、左右、3ミリずつくらいの交差で結べるくらいにまで慣れていくことがとても大切なことになるということだ。
私より一つ年下のその職員さんは、指も細く、白く、声も小さく、けれども見るからに熟練していて、まるで魔法を使うように糸をあやつる。結び方を何度も何度も繰り返し習った。自分の指の無骨さが悲しくなる、
さあ、これで大丈夫、と直してもらって、上機嫌でしばらくカラカラと順調に糸車を回していると、またなにかのきっかけで糸が絡まり、またどうしようもなくなり、また呆然とし、するとやっぱり無口な彼女がそっときてほぐしてくれる。
初日はひらすらその繰り返しだった。まずいなあ、織るどころじゃないな、これをクリアしないと織ることは教えてもらえないのかな。最初の夜は思わず泣きそうなった。下宿なんていう経験も初めてだったし。
けれども、ここで泣いてる場合じゃない。まけないぞっと布団に潜り込んだのだった。疲れきっていて、心配したり自信をなくしたりする暇もなく寝てしまったのはとてもいいことだった。
(つづく)
(って、連載物を書くつもりだろうか。評伝はどうするんだっ、私!)
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