座乱読無駄話日記

読書や趣味、日常のことなど不定期に語ります

全体表示

[ リスト ]

祇園社の巫女

 祇園祭まっただ中の現在(今、ちょうど神様が御旅所に来ている時期)なので、また祇園祭の話です。
 古来、祇園祭のハイライトは、神様のお出ましと、お帰りを華やかにするということでした。今一番注目されている山鉾巡行も、神様をお迎えするためのお祭りで、「さあ、どうぞおいで下さいませ。準備万端ですよ〜」というものです。
 「年中行事絵巻」に描かれている、祇園御霊会の行列は、神輿が、これからやってくるところなのか、帰るところなのかという説があるのですが、平安から鎌倉位までの時期には、お公家さんなどが華やかに見物したのは、還幸祭であったそうですから、お見送りを華やかにしたのでしょうね。
 そして、これらの神様のお出ましや、お帰りなど、神様が出歩かれる時には、神々のお世話をする人たちが付き従うのはあたりまえなのですが、なくてはならなかったのは、神さまのご要望を、いろいろ取り次ぐ役目の人間。
 なにしろ、旅の途中で、御不便やら不手際があった場合には大変でしょう? でも、神様ですから、そんじょそこらの人間に、直接お言葉をおかけになったりなんかはしないし、普通の通りすがりの庶民が神のお声を直接聞くなんて芸当はできませんので、神の「通訳」が必要。
 それは古来、巫女の役割ですから、祇園御霊会にも当然、神々の三台の神輿に、担当巫女がそれぞれ付き従っていました。
 年中行事絵巻には、巫女の姿が描かれていますが、騎乗で従う神主よりも、えらいのか、騎乗のうえに、傘までさしかけられて、正装の巫女がいます。
ということで、巫女の絵など描いてみました・・。
イメージ 1
 現代でも、葵祭に騎乗の巫女(騎女 むなのりおんな)が、斎王代の腰輿に付き従いますが、長い裾を引く汗衫姿で、年の若い元気な巫女だったのかも。
 汗衫は裾の割れた、いわゆる闕腋袍(けってきのほう)と同じスタイルなので、やや活動的な衣装です(天皇の行幸に女官たる内侍が騎乗で付き従うときは、乗馬の便のために、男性の闕腋袍をつけた上から、お仕えする立場の女官の礼儀として唐衣と裳を着用したというような例もあると聞いたことがあります)。
 しかし、年中行事絵巻に描かれている巫女は、袴こそ足首のところで縛って鐙を使うのに邪魔にならないようにしていますが、唐衣裳の女性の正装姿です。
 おまけに左手に帖紙(たとう)をかざし、右手に檜扇を持っています。大丈夫なんかなあ?
 この帖紙(たとう・・これに歌詞が書いてあったと脇田先生はおっしゃってますが、だとすれば歌っているのか?)をかざし、檜扇を持つのは、宮中で行われた、女踏歌に似ています。
 祇園社でも、巫女たちが踏歌をおこなったそうでなので、その仕草を馬上でしているのかなあとも思いますが、よくわかりません。
イメージ 2
←京都御所での「女踏歌」復元人形

 現代では、神輿に従う巫女はいませんが、洛中洛外などの屏風絵でも、祇園御霊祭に巫女の姿はなくなるそうで、どうやら廃絶の応仁の乱あたり以降に、巫女の存在はなくなったようです。
 祇園社に係わらず、古代の様相がだんだんなくなって、神事にも男性の神主が重要な役割を担うようになり、次第に巫女が神主の助手となり、御神楽を舞ったり、補助的な役割になっていったのが、どうやらこの時代くらいあたりらしい・・・。
 というようなことは、やはり「女性芸能の源流・傀儡子,曲舞、白拍子」(脇田晴子・角川選書)で、詳しいです。
イメージ 5

 
 「巫女のくせに・・」なんて暴言を吐いたという人がいたという話題が少し前にありましたが、本来、巫女は神様に近く、神と人間をつなぐ立場で、あだやおろそかにできない身分だったんですよね・・。

 ↓「年中行事絵巻」の巫女           
イメージ 3










    ↓葵祭の騎女(むなのりおんな)
イメージ 4

この記事に

閉じる コメント(8)

神輿の起こりといわれている1つに、宇佐神宮の八幡神が奈良・東大寺の大仏建立の際に
輿に乗って旅をされたのが始まりとされています。749年12月のこと
それまで国内産の金はありませんでしたが、聖武天皇が宇佐へ参った折に
「安心していなさい、大丈夫です」と比売大神のご託宣があり、建立を許可。
その後、陸奥の国から初めて、金が産出されました。

聖武天皇はそのお礼に、宇佐へ金と共に白い神馬などを届けました。
その金で境内に建てたのが、神仏習合の弥勒寺です。(明治の廃仏毀釈で取り壊された)
そうなると、八幡神の神輿に付き従う巫女は宇佐の女祢宜・大神杜女

比売大神の化身? となると、卑弥呼を表しているとも考えられますね。
巫女が「ひ巫女」だったとしたら、誰も「巫女のくせに」だなんて言えませんよね。
詳しくは、こちら
http://www.usajinguu.com/todaiji.html

2016/7/21(木) 午後 8:48 月の真珠 返信する

顔アイコン

宇佐の神様は、奈良時代にはとても神霊の高い神様だったのでしょうねえ。
神様が、わざわざ、でてこられるというのも、すごいかも♪
そういえば、孝謙女帝が、銅鏡の件で宇佐の信託をうかがわせようとしたとき、はじめは使者に女官である和気広虫を任命したんですよね。女性の力が・・というか巫女的な力が重要だった時代かもしれません。
勿論卑弥呼も祭祀女王と言われていますので、高貴な「巫女(神子)」ですよねえ。

2016/7/21(木) 午後 10:48 [ 乱読おばさん ] 返信する

顔アイコン

祇園祭と巫女って、なんだかピンときません。
女人禁制の山鉾も多いですし・・・。
そういえば全然違いますが、歌舞伎の祖と言えば出雲阿国ですが、今では歌舞伎に女性は禁物ですよね。
なんだか女性としては釈然としません(^_^;)

2016/7/21(木) 午後 11:19 [ ALICA ] 返信する

顔アイコン

> ALICAさま。祇園の宵宵山に行っても、「女人禁制」のものがあり、女性は登らせてくれないのあるんですよ〜。
女は乗せない船とか、お酒の杜氏も、女人禁制だとか言われていますが、もともと、船には航海安全を守る巫女が必ず乗船していたし、坂づくりは本来、女性が行うものだったそうです。刀自という一家の主婦をさす言葉がなまって杜氏になったとかいう説もあるくらいです。
もともと、女性の仕事だったものを、男が参入すると、「必死のパッチ」になってプロ化するので、世界中に女人禁制の職場なんてものが生まれたのかも。
料理でも、テイラーでも断然、男の職人が必死度がスゴイ。カリスマ美容師だって男が多いような気がする。
室町時代くらいから、女性相続人があまりいなくなったり、「男社会」が本格化したかもしれませんね。能楽でも、歌う巫女などの役割を仮面をつけた男性がやるし・・。
明治以降の良妻賢母思想は、案外ビクトリア朝くらいの英国の男尊女卑社会の影響があるような気もします。

2016/7/22(金) 午前 9:48 [ 乱読おばさん ] 返信する

顔アイコン

> 乱読さん
そういえば、今でこそ、女性の杜氏もいますが、女人禁制でしたね。
でも確か巫女さんがお酒造りをしていたのが、始まりでしたっけ?
(うろ覚えです・・・(^_^;))
「必死のパッチ」!
確かにそうですね〜。

2016/7/23(土) 午前 2:11 [ ALICA ] 返信する

顔アイコン

> ALICAさま。こんばんわ〜♪ 大阪は天神祭ですねえ・・。
お酒の始まりというか、日本書記とか古事記には、若い女性が酒を造るという伝説がありますよね。清酒の発祥はお寺さんだけど、木花開耶姫が初めてお酒を造ったっていう伝説もありますよね。本来、女性が作っていたのは確かかも・・。

2016/7/23(土) 午後 10:03 [ 乱読おばさん ] 返信する

顔アイコン

祇園祭りとは全然 関係なくて申し訳ないのですが、学生時代に結婚式場で巫女をしておりました。乃木神社の分社(というのかな?)で、乃木坂にありました。数百組のお式に立ち会わせていただきました。
スミマセン、巫女時代を思い出してしまいまして。

2016/7/24(日) 午後 9:44 アンダンテ 返信する

顔アイコン

> アンダンテさま。それはすばらしい。巫女なんて普通はなかなか経験できないですよね。限定的とはいえ、神と人をつなぐ役割・・。それに、あの緋の袴も、みやびでいいですね。小学生が祭の「お稚児さん」やるのも、その年代でしかやれないんだし、面白いなあって思います。

2016/7/25(月) 午前 0:05 [ 乱読おばさん ] 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


みんなの更新記事