座乱読無駄話日記

読書や趣味、日常のことなど不定期に語ります

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明治の服制改革

 明治23年に刊行された水野年方「開化好男子」という絵があります。

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 上等官吏、法学博士、豪商紳士、医師、代議士、壮士、若旦那、学校生徒の八人が描かれています。そのうち、4人が洋装ですね。
 特に上等官吏は大礼服姿の麗々しい立ち姿。
 代議士は後ろ向きながらフロックコートの典型的な紳士。
 髪型がやや自由すぎますが法学博士は多分洋行帰りなんでしょうね。学校生徒は・・・帽子とカバン以外は、今でもある(減りつつありますが)詰襟の学生服。
 医者はこの絵では和装ですが、洋装の医者も描かれています。
 こういった、男性の半分が洋服を着ていた?という分明開化の時代ですが、日本人・・とくに新政府の役人に洋服を着せるまでにはとてつもない苦労があった。

 そういったことについて、こういった本があります。
 「洋服・斬髪・脱刀ー服制の明治維新」(刑部芳則・講談社選書メチエ)
 「明治国家の服制と華族」(刑部芳則・吉川弘文館)
  
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 いや・・・明治の官吏といえば、フロックコートに、髭といったイメージがなんとなく定着していますが、そう簡単に洋服を着たわけではなかったということがよく分かる。
 ある意味、洋服にせざるを得なかった・・・あるいは洋服を「制服」としたためにスムーズに明治維新が進んだと言ってもいいかも。
  ↓明治初年の天皇と外国人使節、政府の役人たち。
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 というのも、明治維新といえば、新政府は薩長土肥とはいえ、一番頂点に立つのは天皇で、それまでの幕藩体制を壊したのですから、新秩序です。
 だからこそ王政復古といわれていますが、幕府がなかった時代って、いったいいつ?というと、平安時代でしょう? そのころから天皇家のまわりには貴族がいてとりまいていたわけで、幕府に実権を握られている間は、有職故実のような古来のしきたりを守り伝えることが使命のような朝廷を取り込んだのですから、当初はものすごく大変だったと思う。
 新政府の面々は、公家、大名、下級武士、農民などさまざまな身分の出身者がいたので、朝廷に行く・・つまり御前会議をしようものなら、みな何を着ていったらいいかわからない。
 お公家さんは当然「宮中に参内するには衣冠束帯!」というし、大名は将軍家拝謁の時と同じで直垂でいいだろうという。下級武士は直垂なんか持ってない。紋付羽織袴でいいでしょう? じゃあ軍人は軍服でいいじゃないか(当時、軍隊は各藩で独自に軍服を着用しており、いろんな種類の洋装、半洋装の軍服が普及していた)。
 そういった中で、下級武士に、慣れない狩衣烏帽子で会議に参加させ、直前に烏帽子の紐が外れて結べず、大幅に遅刻したり、またしゃべってる最中に顎紐がほどけて、顎でおさえたために口が閉じられなかったという笑うに笑えない苦労も出て、不満続出。羽織袴がいい・・いや最低でも直垂だ・・とか、洋服を着て参内したため、宮門から入れられなかった人まで出る始末。
 宮中の礼服は、なかなかその後も難航するのですが、明治3年には軍服と、「非常並旅行服」という洋服が制定された。       ↓非常時並旅行服
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 いち早くこれに飛びついたのが工部学校で、実験やら実習に着物は不便ということで、洋装許可を申し出ている。確かに、いろんな作業には袖が邪魔になったかもしれませんが、学校は生徒たちの「制服」としてこの旅行服というのを選んだのでしょうね。
 政府の役人たちも、今までの、狩衣や直垂、羽織袴でもめるのなら、いっそのこと、それらのどれでもない服装にすればいいじゃないかということで、全く新しい西洋式の「大礼服」「小礼服」をつくる機運が芽生えたのでしょうねえ。
 小礼服というのは、外国人が一般的に正装として用いている燕尾服です。これならシンプルでいいということなんでしょう。確かに、これを着てしまえば、公家も武家も農民もない。
 新政府にふさわしい服制は、まだまだ発展途上です。

 そんななか、いよいよかの有名な岩倉使節団が出発します。明治4年のことです。
 大使の岩倉具視は、由緒正しい公家の装束、狩衣烏帽子でのぞんでいます。
 副使4人と一緒に映した記念撮影では、これまた日本の装束、羽織袴のいでたちです。アメリカで大統領と面会した時は、使節は、衣冠束帯の正装に、武家の礼装である直垂烏帽子で臨みました。
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 これがアメリカではウケた。・・というより、エキゾチックな姿が話題になったんですが、日本側からすれば、この古色蒼然としたスタイルは、西洋人には、ただただ物珍しがられているだけ・・というのに気付いてしまった。
 いわば、東洋のタイムカプセル的な姿を、珍しがるけれども、対等には扱っていないというのは大いに不満。日本だってちゃんとした国家なんだからという矜持ですね。
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 そして、あくまで着物姿の岩倉大使を、アメリカ人たちはその物珍しい髷や着物を見たいがために追っかけてくる。これを若い人たちは不満に思ったんですね。
 そこで大使を説得して、髪を切らせ、洋服を着せた・・・さぞ無念だったでしょうねえ・・岩倉さん。↓ そして使節団にはもう一つ。
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 政府の礼服問題で、西洋の礼服、大礼服を調査するという使命も帯びていた。
 そして、大礼服については、日本国内でもいろいろ検討されていたのですが、岩倉使節団はヨーロッパに渡ります。
 そして、とうとう岩倉さんも美麗な西洋の大礼服を誂えて着ることになった。  
 何しろ、今度はイギリスで、ヴィクトリア女王陛下に謁見しなくてはいけない。
 アメリカの大統領のところで、日本の衣冠束帯で恥をかいたなら、女王の前で同じ恥はかきたくない・・とばかりに、テーラーで誂えることにしたんです。
 かくして、岩倉使節団の女王訪問で、日本の大礼服は、キラキラした西洋式と決まったんです。
 いや・・・世界に打って出るためには、西洋で恥をかかないように、こちらも追いつかなければ・・という日本人の意志でしょうね。
 そして、いろんな礼服の制度が整えられてゆきます。
 しかし、実際は、下級官吏には刺繍だけでも大層な大礼服を仕立てる財力もなければ、地方なら仕立て屋も、こんな美麗なものは出来ない。度々、「小礼服」でよいのではないか・・という話が出ます。地方官では、大礼服を麗々しく着用する機会も実質上はなかったんですけれどね。

  文官大礼服↓                侍従職大礼服↓        陸軍礼服↓ 海軍礼服
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← 地方官会議 (明治聖徳記念館)

 天皇は軍服、高官は大礼服。地方官はフロックコート(通常服)を着ている。




















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へぇ〜、礼服にもそんな歴史があったのですね。明治維新…当たり前といえば当たり前ですが。
ノーベル賞授賞式での川端康成氏の羽織袴姿が格好良かったのを覚えております。現在、ブラックタイに相当するのは紋付袴ですか?流石に狩衣烏帽子は無いですものね。

2017/2/9(木) 午後 11:43 アンダンテ 返信する

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> アンダンテさま。紋付き袴は男性の正装でいいんでしょうね。女性は黒留め袖ですけど、今はもう廃れ初めてるかも。狩衣烏帽子やコウチギなんかも見た目は面白いですけどね

2017/2/10(金) 午前 9:20 [ 乱読おばさん ] 返信する

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結婚式での紋付袴着用を一度だけ、経験しました♪

すごしやすく、リラックス出来ました!

和装が一番です(=^・^=)¥

2017/2/10(金) 午前 9:30 [ 戦国伝道師PJ ] 返信する

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> 戦国伝道師PJさま。正統の日本の花婿さん! カッコいいですよね。若い学生の卒業式や成人式の羽織袴はイマイチですが、やはり大人の男性でなければ♪

2017/2/10(金) 午後 2:05 [ 乱読おばさん ] 返信する

明治維新によって、天地がひっくり返ったのですから、当時の人は大変だったでしょうね。
それともワクワクして楽しんでいたのでしょうか。

和装から洋装へ、着物時代の人は着崩れないように右手右足を出して歩いていたそうですが
西洋の軍隊の行進が入って来て、今のように右手左足で
手足交互に歩くようになったそうですし…

職業によっても、個人的にも、新しもの好きと、古いもの好きに分かれたり
また、混乱を避けるためにその後、制服社会の日本になったのかも知れませんね。
役割がひと目でわかるだけでなく… 学ラン、いまだに大好きな私です。

2017/2/10(金) 午後 8:10 月の真珠 返信する

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> 月の真珠さま。新しいものが次々に入ってきて、ついていける人とそうでない人と別れたでしょうねえ。最初は軍人から、そして郵便配達とか警察とか、お役所から・・。そして学生へと制服が出来た・・というのも分かるような気がしますね。いまだに「制服好き」なのは明治以来の日本人の心にかなっているのかも。
ガクラン・・いいのになあ・・私も好きですわ♪。
最近減っています。近所の子供たちも中高生に詰襟は珍しくなりました。セーラー服も絶滅危惧種です。みんなAKBみたいな格好してる。

2017/2/10(金) 午後 9:55 [ 乱読おばさん ] 返信する

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右手右足はナンバ歩きでしたっけ?
あれは体に負荷がかからない合理的な歩き方なんだとか
太っていても痩せていてもそれなりに恰好がつくのを見て
着物はやっぱり日本の民俗衣装なんだなー、と思ったことがあります
昔はもっとざっくり着ていたものなのに、やたらハレのものになっちゃって
着辛いものになっちゃいましたね

2017/2/12(日) 午後 7:42 [ fay*a*s200* ] 返信する

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fay*a*s200*さま。現代の着物の着付けや、帯びはがっちりしすぎていて、毎日さっと着たり脱いだりには不向きですよね。本当は、ざっくりと簡単に着ていてもとやかく言われなかったと思います。私の父は家ではほとんど着物でしたし、母も冬場にはいつも着物でしたが、だんだん本人たちもやめていきましたね。
帯なんて、明治大正頃の写真を見ると、あんなにがっちり締め付けていなかったようにおもいますけれどねえ。

2017/2/12(日) 午後 9:02 [ 乱読おばさん ] 返信する

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