若草のシャルロット

四季のうつろいとうつくしい日々に感謝s

今日の聖歌・讃美歌

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こんばんわ。ららです。
今日の賛美歌は320番、「向上」です。
主よ、みもとにちかづかん
まよいのまえに日は暮れて
 
日暮れはやさしくてあたたかな陽射しをららにおくってくれます。
「野菊の墓」という小説に、民とまさおが山肌の畑に収穫に行き、夕焼けに手を合わせるという場面があります。
ららは、これは仏教で言えば、「如来」に素朴なこころから敬意をはらったのであるとおもいます。
まだ、年若いふたりに邪心もなにもあるわけがありません。
その魂のきよらなところは、「野菊の墓」という小説をうつくしい青春小説にしたとおもうのです。
向上のこころをなくしたら、ひとはだめになってしまう。
毎日、すこしづつでも努力をかさねて、「人」となっていかなければならない。
民に、その道があったのかどうか、そのことをこの小説はかたっているようなきがします。
ふしあわせな結婚をして、最後は家に帰されて、命尽きてしまう民。
まさおの向学の道となんだかちがうきがします。
そのことを、「浄土三部経」では冒頭で、アーナンダが師に問うかたちをもって残されています。
ららは若い時代をどうすごしたかが、よくもわるくも、大人となってからの人生を決定付けるとおもいます。
なんといっても、人格、性格の差異というものはおおきいのです。
こんなことをおもうたび、尼になりたいという願いが増加します。
世を捨てて、求道の道にはいりたいという安心立命の顔がにょっきりとでてしまいます。
人間として尊いことがなによりなのだとららはおもいます。
多すぎるお金はある意味、ときとして人を不幸にするとおもいます。
幸福追求という権利は憲法にあります。
このことは、ゆるされることなのです。
しあわせになるということは、わるいことではなく、人間の本能であって、ごくしぜんなことなのです。
あたたかなもの、やさしいものをもとめることははずかしいことではなく、むしろ、生きる希望を産み出す原動力をはぐくむなにかであるとおもうのです。
 
    鳥のごと山に
 
鳥のごと山に 逃げよ我が魂
真清水は傷を たちまちいやさん
仇人まぢかに 責め来る時も
救い主そばに ませばなど恐れん
ませばなど恐れん
 
恵みぶかき主に 頼れ我が魂
平和は川のごと 心にあふれん
やさしくしずかに 主はまねき給う
闇 閉ざさぬ間に 疾く応えまつれ
疾く応えまつれ
 
君はとこしえに 見捨て給わじ
流るる涙も ぬぐわせ給わん
御恵み豊けき 愛の主に告げよ
人知らぬ罪の 苦き思い出も
苦き思い出も
 
 
悩む世人のために 咲きいでし花あり
その香 今や世界の 隅々に及ぶベリ
 
香り妙なる シャロンの野花よ
来たり開けや このこころのなかに
 
花はまずガリラヤの 海辺に咲き出でて
囚人を解き放ち やめるをばいやしぬ
 
こころなき国々に 踏まれ散らされしが
その根より 萌え出でて 今や世界に満つ
 
 
四分の四拍子で♪=92くらい。
初見で歌ったのですが、とてもうつくしい旋律でした。
悩む人々には悩む人々にしかわからない言葉というものがあるとおもいます。
イエスも聖書で何度となく、しゃくし定規にただしいことを言わんとするパリサイ人や律法学者に「このひとにとってひつようなのはこういったことです」といういい方をされています。
その言葉は「野花」のように粗野であるかもしれません。
この聖歌でいう「囚人」というのは「悪魔のこころにとらわれたひと」をいうそうです。
めしうど・・・と読みます。
こういったひとたちはこころのやわらかい、やさしいひとたちなのではないかとおもいます。
シャロンの花は今や、世界にあふれ咲いていると歌っています。
聖歌のなかでもとてもかんじのいい歌だとおもいました。
 
 

今日の讃美歌538

過ぎゆくこの世
朽ちゆくわがみ
何をかたのまん
十字架にすがる
 
ながくもとめし
罪のゆるしを
したしく主より
きくぞ嬉しき
 
古きわがみは
十字架に死にて
あらたに生くる
身とぞなりける
 
時もたからも
この身も霊も
みな主のものと
みまえに献げん
 
主にある我は 
よろこびあふれ
世世みさかえは
主にとぞうたわん
 
 
四分の三拍子の讃美歌です。
はやさは♩=80くらい。
みじかい曲で、五番まであります。
歌詞は主への信頼と信仰のよろこびをうたっているようなきがします。
讃美歌のやさしい感触がよくでているかんじがします。
比較的やさしいので、初見でもうたえました。
讃美歌や聖歌をうたったり、宗教画を見たり、聖書をよんだり、交読文を毎日の日課とする・・・・
そんな、暮らしの中にとりいれられた信仰活動が、とてもたのしいです。
日曜日の教会や、お祈り会などにも出席できたらいいのですが、それはままなりません。
隠れキリシタンがそのむかし、拝むために日本的に吸収された聖画や、聖母子のイコンなど、造詣をふやしたいことがたくさんあります。
すこしづつ、ららのこころのなかに、信仰生活が根付いていっているのがわかります。
らら女子修道院の暮らしは今日もこうして終わりを告げようとしています。
明日もよき日をおくれますように。
アーメン

讃美歌343

こよなきめぐみの きみが十字架や
この罪の身をも すくいたもぅとは
 
ながくも御声に そむきまつりし
われにさえ愛の み顔むけたもぅ
 
つきせぬめぐみに われをうるおし
ときわに罪より 潔めさせたもぅ
 
こころにかがやく きみがみさかえ
あさ日のごとくに 照るぞうれしき
 
 
ガラテヤ6、14からだそうです。讃美歌の歌詞らしい歌詞だなとおもいます。また、けだかい感動があります。
プロテストの精神が実感をもってわかるのです。
カトリックの安寧感とは異なる、プロテストの殉教です。
逆境のなかにあっても、信仰をあつく守らんとす。
ひとえに、インマヌエル(ひととともにあられる神)というみ教えと、隣人愛のこころをもって生きていこうとする姿勢がすばらしいとおもいます。
 

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