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日も暮れたし、腹も空いたので、サンドイッチをつまみながらビールを飲んだ。 何の気なしに、食卓に置いた新聞(朝日新聞10月4日夕刊)を眺めていたら、『中原中也 夢の渡仏』という見出しが目に入った。 詩人の北川透氏らがつくる「中原中也の会」が、創立十周年記念事業として、中原中也の詩集を仏訳し、フランスで初刊行した。 中也の詩といえば、 <ホラホラ、これが僕の骨だ。>(『骨』) <ぼんやりしていると頭も胸も ポカポカポカポカ暖かだった>(『思ひ出』) <咽喉が鳴ります牡蠣殻と ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん>(『サーカス』) など、独特の擬音語・擬態語を多用している。 訳出に当たっては、仏トゥールーズ大日本学科主任のイブマリ・アリュー氏が担当し、宇佐美斉京大教授(仏文学)がアドバイスして、擬音語・擬態語に工夫が凝らされているという。 それにしても、「ホラホラ」を単純に、<horahora>としたら、 仏語では「h」(アッシュ)を発音しないから 「オラ オラ」 あるいは「r」もほとんど無声音になるから、 「オハァ オハァ」と発音されそうだ。 こんなんでは、中也の感性は通じにくいだろう。 気になるなぁ。 中也の詩が、仏語でどのように表現されているのかを思い巡らしながら、読み返してみた。 無題 こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに、 私は強情だ。ゆふべもおまへと別れてのち、 酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝 目が覚めて、おまへのやさしさを思ひ出しながら 私は私のけがらはしさを歎いてゐる。そして 汚れつちまつた悲しみに…… 汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる 骨 ホラホラ、これが僕の骨だ、 生きてゐた時の苦労にみちた あのけがらはしい肉を破って、 しらじらと雨に払はれ ヌツクと出た、骨の尖(さき)。 中也は十七歳の時にランボーらフランス近代詩を知って、アテネ・フランセや東京外国語学校で学び、死の直前までフランス語の習得に努めた
三十歳で急逝する十日前の最後の日記には、通信添削の答案発送が記されていた。 「ふらんすへ行きたし」という思いが強く、 その遺志が、翻訳出版という形で渡仏した。 |
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フランスに憧れた中原中也の詩集が、海を越えてフランスにいくんですね!不思議です。空から見て喜んでくれてるかしら。それとも泣いてしまうかしら。
2005/10/6(木) 午前 11:44
しずやさん、フランス人にどんなふうに受け取られるのか興味があります。詩集を紹介した仏の新聞は「日本のランボー」と書いたそうですけれども。
2005/10/6(木) 午後 3:09
やはり「気持ちは伝わる」ものなのですね〜〜。生きているうちに行かれると良かったけど・・・30歳で亡くなったとは・・無念だったでしょうね〜〜。
2005/10/6(木) 午後 4:31
う〜ん、外国でも日本と同じ感性で読んでいるとは思いませんが、わかってもらえるんでしょうかね。
2005/10/6(木) 午後 5:56 [ - ]
『中原中也』の思いが<詩集>という形で叶ったのですね。擬音語・擬態語の訳に、どのような工夫が凝らされているのか興味があります。機会を見つけて国会図書館にでも出向きますかな。
2005/10/6(木) 午後 10:24
汚れつちまつた悲しみに……いまでも泣ける。ごめん、ただいま酔っ払い中。
2005/10/6(木) 午後 11:45 [ - ]
中也の薄暗い世界にどっぷりつかった時期がありまして懐かしく思い、じっくり拝見させて頂きました。
2005/10/7(金) 午前 0:26
簡単にどこの馬の骨でも渡仏できる時代、先達に感謝。
2005/10/7(金) 午前 6:56
こっこさん、才能を開花させる矢先でしたからね。生前に渡仏していたら、どんな詩を残したでしょうね。残念です。
2005/10/7(金) 午前 10:05
かんちんさん、言語というのは不思議ですね。同じ語感・語調を聞いても、ぜんぜん違うふうに感じるのですから。特に詩は語感・語調が大切ですから、うまく伝わるかどうか未知数ですね。
2005/10/7(金) 午前 10:09
azumairaさん、国会図書館という手がありましたね。ここへ行けば新刊本をいち早く見ることができるんですよね。
2005/10/7(金) 午前 10:11
とんぼだまさん、ただいまご機嫌中ですか。羨ましい。汚れつちまつた……は、私も泣けます。
2005/10/7(金) 午前 10:12
エイジさん、はじめまして。嵌まる時期がありますね。読んでいただきありがとうございます。
2005/10/7(金) 午前 10:14
slowlifeさん、いまは格安チケットで簡単に行ける時代ですから、たいしたありがたみを感じませんけど、かつては一大事業だったんでしょう。原書を読むにしても、いまのような便利な辞書もないので、たいへんなことだったと思います。
2005/10/7(金) 午前 10:18
翻訳者の人間観、感性により、本来その作品が持つ風合いが巧く伝わるかどうかがこういった言語や文化の違いにおける問題点なのだと思います。 だから翻訳者の力量は大きく影響するし、逆に我々が外国の詩を味わう場合にも注意すべき点だと思っています。そして読み手の感性も大切ですね。感応できるかどうか。
2005/10/7(金) 午後 5:26 [ - ]
mdis_ameさん、はじめまして。素晴らしい文体で翻訳された文章を読むことで、その国の文学に影響を及ぼすことがありますね。日本では明治以降、それによってずいぶん刺激を受けてきました。中原中也の詩にそれだけのエネルギーがあるかどうか分かりませんが、親しんできた者としては楽しみです。
2005/10/8(土) 午前 6:28
宮沢賢治の方言の詩なんかは東京で育った僕にはなかなか伝わりにくいくらいですから。翻訳されるとそんな感じでしょうか。でも、詩は伝わったところだけで感じればいいものとも思います。中原氏の詩は翻訳でも伝わりやすい気がするんですが、どうでしょう。
2005/10/12(水) 午前 11:21 [ bat**yu2*01 ]
bataiyuさん、宮澤賢治の方言の詩は味わいがありますね。「永訣の朝」は特に好きですが、あとで解説を読んで間違った解釈をしていたことに気づきました。中原中也の詩はストレートですから、伝わりやすいと思います。綺麗な韻を踏んで、シンプルな表現によって素晴らしい訳詩になっているような気がしています。大いに期待しています。
2005/10/13(木) 午前 9:30
中原中也は一時NHKの教育で流行してた、それを近所の小学生が言ってたので、驚いた覚えが(^^;)
2006/12/17(日) 午後 7:43 [ CAT'S ]
cat'sさん、小学生が「汚れちまった悲しみに……」なんて中也の詩を口ずさむ光景は、なんだか空恐ろしい気がします。飲んだくれにならないといいんですど。
2006/12/18(月) 午前 9:28