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ガウディの「グエル公園」 ◆出会い バルセロナにあるガウディの建築には、“グエル”という名が付いたものが多い。 グエル公園、グエル邸、コロニア・グエル教会‥‥。 グエルとは、バルセロナを代表する資本家アウゼビ・グエルのこと。アントニ・ガウディの良き理解者であり、パトロンであり、生涯の友人である。 ガウディは、バルセロナ南西に位置する商業都市レウスで、一八五二年に生まれた。父は銅板機具職人だった。 十六歳のときにバルセロナ県立建築専門学校予科に入学。アルバイトをしながら卒業した彼は、内装や装飾の仕事に従事した。 転機が訪れたのは、パリ万国博覧会に手袋店を出品したとき。 この店舗のショーケースに目を止めたグエルは、彼の才能を見抜く。 その後、グエルは彼の想像力を引き出すかのように、次々と斬新な計画を持ちかけた。 ◆公園 写真は、グエル公園(一九〇〇年〜一九一四年)。バルセロナ北の丘の中腹に位置する。 この公園は、グエルが計画した分譲地の一部としてつくられた。 市場の上を覆った人工地盤には、砕いたタイルで装飾した美しいベンチが連なっている(写真の上から二番目) 公園の入り口にある門番小屋の屋根は、白いタイルで装飾され、まるでおとぎ話に出てくる砂糖菓子のようだ(写真一番上)。 ◆晩年 ガウディの後半生は、熱心なカトリック教徒として過ごした。 とくに一九一四年以降は、宗教関連施設に集中し、 サグラダ・ファミリア(http://blogs.yahoo.co.jp/raraland2/44273472.html) に全精力を注いだ。 しかし、親族や友人の相次ぐ死によって、ガウディの仕事は停滞した。 さらにバルセロナ市が財政危機に見舞われたことにより、サグラダ・ファミリアの建設は進まず、 同時に進めていたコロニアル・グエル教会は未完のまま中止された。 これに追い打ちをかけるように、パトロンのグエルが一九一八年に死去した。 度重なる不幸により、ガウディの精神は揺さぶられ、人を避けるようになる。マスコミからの取材や写真を撮られることを嫌い、ひたすらサグラダ・ファミリアの制作に集中した。 一九二六年六月八日、ガウディはミサに向かう途中で、路面電車にひかれた。
身なりに気を使わなかったため、浮浪者として扱われ、貧民のための病院に収容される。 手当てが遅れ、二日後に息を引き取った。 享年七十三歳だった。 |
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傑作ポチー
2007/1/19(金) 午前 6:23
楽しい公園ですよね。当時の人はどういう風に受け取っていたのでしょうか?グエルに出会わなかったらこうした建造物も後世に残らなかったかも知れませんね。不思議なめぐり合わせですね。
2007/1/19(金) 午前 7:08
ガウディは写真で見るだけでもワクワクしますね♪^^二枚目の写真はベンチになっているんでしょうか?なんだか遊園地の乗り物のようです♪73歳で亡くなったんですか〜結構長生きだったんですね!路面電車にひかれなければ何歳まで生きたんでしょうね???
2007/1/19(金) 午後 7:41 [ TAKAMOKU ]
「未来の住宅の姿はこうなるだろう」というガウディの想像が詰まった建築物であったらしいと何かの情報番組で聞いた覚えがあります。
2007/1/19(金) 午後 8:42
かつみさん、ありがとうございます。不思議な公園でした。大観覧車があるわけでもなく、散歩道とお店とベンチと噴水があるくらいなのですけど、いるだけでなんだか楽しい感じ。こういう自宅の近くにもこういう公園があったら、と思います。★人を楽しませ方を知っている芸術家でしたが、晩年はちょっと寂しかったですね。
2007/1/20(土) 午前 4:36
蓮さん、グエルに出会わなかったら、これだけ自由奔放な建築は生まれなかったかもしれませんね。グエルもいろいろ注文を出して、それがガウディを刺激した面もあったのでしょう。★当時の一般の人々がどのように受け止めたかわかりませんが、いまバルセロナに訪れる観光客の多くはガウディ目当てですから、かなりの部分で貢献していますよね。
2007/1/20(土) 午前 4:39
ごじらさん、ベンチは波うつようにジグザグにうねっています。だから真横からみると直線に見えます。★73歳は当時としては長生きで、天寿をまっとうしたと言ってもいいと思いますけど、電車にひかれたというのは、考え事をしていたのでしょうか。ピカソくらい長生きしたかもしれませんね。
2007/1/20(土) 午前 4:43
あずまいらさん、現代の角張った建築じゃなくて、動植物と同じように自然な曲線の建築。大地から生え出したような造形には、ひかれます。最近の建築家もこうしたスタイルを取り入れるようになっているみたいです。伊東豊雄にそんな感じがうかがえます。
2007/1/20(土) 午前 4:47
ガウディの建築物の中にいると胎内にいるように不思議にほっとするのですが。建物の曲線が体にフィットするように上手に作ってありますよね。
2007/1/20(土) 午前 6:12
この壁とかに伊万里・有田焼きの破片が使われたらどんな感じだろう〜
2007/1/20(土) 午前 9:49 [ TこりんDX ]
懐かしいです、この公園も。ガウディに限らず天才とは頭でちがうことを考えながら没頭してしまうものなのですね。ステテコのまま出勤した学者さんやら、道路で計算をする数学者やら。当時の路面電車のスピードは相当遅かったと思うのですが。天才とは想像を絶する行動をとるものですね。晩年はタイル職人ガウディらしくてとても生き様に共感を感じます。
2007/1/20(土) 午前 11:57
芸術なのに、児童公園のような無邪気さを感じてしまい、楽しそうだなと思いました。行ってみたいです。写真(特に2枚目)を見ていると、観光客までが作品の一部のように見えてきます。それももしかすると計算にはいっていたのでしょうか?
2007/1/20(土) 午後 0:36
ちこりんさん、伊万里や有田焼は、私にとっては高級品でとても手がでません。でも、有田焼には独特の白と、顔料ののりやすさあるので、もっと色彩豊かで、ガウディの思い通りの色を出せたかもしれません。(いや意外に当時は日本の陶磁器が入っていたから使われていたかも)。
2007/1/20(土) 午後 4:20
slowlifeさんも行かれたんですね。長時間いても飽きない公園でした。みんなニコニコしていました。ガウディは図面向かって考えるというより、粘土を練ったり、タイルを張ったり、手と体を使って造形していったんでしょうね。だからこんな職人芸のような芸術を生んだのでしょう。考え事をしてノロノロ走る電車にひかれたというのも、彼の生涯の輝かしいエピソードだとも言えます。
2007/1/20(土) 午後 4:31
saiioさん、胎内という表現は、ガウディ建築の内部を言い表すにふさわしいです。ピノキオが鯨のお腹の中にいたときも、こんな光景を目にしたのかもしれません。現代建築の角が尖ったのとは違って、あたたかく包まれている感じですね。
2007/1/20(土) 午後 4:35
キャンねこさん、きっと奥底には神の世界があるのかもしれませんが、造形といい、色彩といい、とっても親しみがもてるし、あたたかくて、人をやさしい気持ちにさせてくれます。ベンチをつくるときに、見る者と見られる者との関係を考えて、こんなふうにうねるようにつくったのだとおもいます。
2007/1/20(土) 午後 4:38
う〜ん、そんな晩年だったとは・・・!勉強になりました(^.^)
2007/1/20(土) 午後 4:41
みつこさん、けっこう長生きしたんですね。レオナルド・ダ・ヴィンチやピカソのように、バイタリティのある人だったんじゃないかと想像します。わりあい建築家は長生のような気がします。
2007/1/20(土) 午後 4:56
ずいぶん前ですが、バイクで行きました。風情のある街並みだったのを覚えています。いい徳利と抹茶茶碗が欲しいスッ〜♪
2007/1/28(日) 午前 2:04
写真の西安グルと厚生ばっちりですね。
もちろん ナイス☆☆☆です。
2013/2/17(日) 午後 9:03 [ moriizumi arao ]