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フランス・イタリア記

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ソレントの夏時間(2)W杯決勝の夜

男と女
 ワールドカップ決勝戦の夜だった。私は南イタリアのソレントにいた。

 街路樹が整然と並ぶメインストリートから脇道に一本入ると、街はまるで違った顔をみせた。
 狭い路地が迷路のようにつらなり、食料品店、ブティック、土産物屋、雑貨屋、レストラン、バール(Bar)が混在していた。
 レストラン前は、椅子とテーブルが置かれ、ただでさえ狭い路地は人がすれ違うのがやっとで、ますますごったがえした。

 私は路地に面したテーブルに席を取った。仮設されたテレビを見上げながら、ワインを飲み、大皿にのったピザをつまんで、キックオフを待った。地元イタリアが予想を覆して勝ち進み、まもなく宿敵フランスと決勝戦を戦うのだ。

 隣のテーブルには十歳くらいの女の子をつれたカップルが坐っていた。周囲の喧騒をよそにこの三人が囲むテーブルだけは、静まり返っていた。どうも様子がおかしい。
 親子づれかと思ったが、そうでないことはすぐにわかった。

 細面で彫りが深く、気位の高そうな女は、やや太り気味で気のよさそうな男に対して、明らかに冷淡な態度をとっていた。
 男は常に女の手を握り、耳元に顔を押しつけるように近づけ、何かささやくが、女はまったく反応しない。
 男は困ったような顔をしながらも笑顔を絶やさず、女の子のほうに顔を向け、話しかけている。女の子はちょっと笑顔を浮かべるが、隣にいる女のほうを見て、すぐに笑顔をしぼませた。
 その間も男は、自分の手を女の手に重ね、強く握ったり、緩めたり、指を絡めたりしていた。

深い関係
 両国の国歌斉唱がはじまった。私はジダン、アンリ、トッティ、デル・ピエーロらのスーパープレイをみるために、一時間以上も前からこの席を確保していたが、いまは隣のテーブルが気になって仕方がなかった。
 三人はどのような関係なのだろうか。
 明らかなのは、ドイツ語を話していること。ドイツからソレントにバカンスに来ているのだろう。そして、女と女の子は母子に違いない。

 わからないのは、なぜ、男と女が一緒にいるのかということである。
 男の仕草だけを見ると、女とは深い関係にあるかのようだった。
 ところが、女のほうは言い寄ってくる男を軽くあしらい、深い関係になるのを拒絶しているようにみえた。防御のために娘をつれてきているのかもしれなかった。
 しかし、そんなに嫌な男だったら、当初から付き合わないで、わざわざソレントまで来ることはなかったのだ。

クレジットカード
 いよいよ試合がはじまった。人々は画面に食い入り、路地裏は静寂に包まれた。だが、すぐに大きな溜め息がもれ、悲痛な叫び声が響きわたった。
 開始六分に、フランスがペナルティキックを獲得したのである。
 バルテズが蹴ったフリーキックを、左に開いたアンリがヘッドで落とし、マルダがゴールに向かってドリブルで突進したところを、倒されたのだった。
 このペナルティキックをジダンがていねいに決め、フランスは早々にリードした。

 男はここに集まっている大多数と同じように落胆し、女のほうを振り返り、苦笑いした。女はサッカーにまったく関心を示していなかった。
 まわりが騒ぐので、顔を上げ、汚いものを見るように一瞥しただけで、方向違いのところを眺めた。

 その後、試合はイタリアのペースで進み、右サイドからはカモラネージとザンブロッタ、左サイドからはグロッソが攻め上がり、両サイドを制圧した。
 十九分だった。右コーナーキックからマテラッツィがヘディングで決め、イタリアは同点とした。

 路地裏に突き抜けるような歓声が上がり、爆竹が鳴り響いた。発煙筒が焚かれ、白煙が立ち込めた。
 レストランの中からウエーターが表に飛び出し、他店のウエーターと抱き合い、それだけでは収まらず、神輿を担ぐように持ち上げて、喜びを分かち合っている。
 女の子も立ち上がって手を叩いていたが、女は押し黙り、坐ったままだ。そして、女は男に二言三言話した。
「もう、帰りましょ」と言っているようだった。
 男はクレジットカードを出し、ウエーターたちが戻ってくるのを待った。

ジダンの頭突き
 予期しないことが起きたのは、このときだった。
 店ではクレジットカードを使えないことがわかり、女が男のカードを持って店を出て行ったのである。現金自動支払機(ATM)で現金を下ろしてくるつもりのようだった。

 ところが、試合がハーフタイムに入り、後半戦がはじまっても女は戻って来なかった。
 さすがに男は不安になったようで、浮かぬ顔でテレビを見上げ、ジョッキの底に残っていたビールを飲み干し、女が残したガス入りの水を飲んだ。
 女の子は落ち着きをなくした男を気づかうように、テーブルに置いたデジタルカメラを手に取り、男に使い方を聞いたりしていた。

 試合は1対1のまま延長戦にもつれ込んだ。フランスが押し気味に進め、一人動きの落ちないカンナバーロがぎりぎりで凌いでいた。
 そして、延長後半に入ったところで、大事件が起きた。ジダンがマテラッツィに頭突きを食らわせ、一発退場になったのだ。
 テレビはジダンの頭突きシーンを繰り返しリプレーした。
 しかし、延長の三十分でも決着がつかず、とうとうPK戦に突入した。

 路地裏は怒号と歓声が入り交じり、騒然となっていた。イタリア国旗をたなびかせた上半身裸の男がテーブルのそばを駆け抜けて行った。

逃走
 隣の男は、テーブルに両腕を突き、頭を抱え込んでいた。女が出て行ってからすでに一時間半以上が過ぎているのに、まだ帰らなかった。

 私は、女が金を持って逃げたのだと思った。
 男のそばには女の子はいたが、いずれ「お母さんを探してくる」と言い出して姿をくらませ、どこかで母親と落ち合う目論見なのではないか――。

 PK戦はイタリアが五本のすべてを決めたのに対して、フランスはトレゼゲのキックがバー下を叩き、勝利はイタリアに転がり込んだ。
 路地裏では、もはや収拾がつかないくらいの乱痴気騒ぎがはじまった。
 発煙筒が次々に焚かれ、白煙が押し寄せてきた。花火が打ち上げられ、四角い夜空いっぱいに大輪が開き、地響きするほどの爆音が轟いた。

 ウエーターは店じまいにかかり、食器を下げ、勘定書を配ってまわっている。
 私は男を見るのがつらかった。
 男は頭を抱えたままだ。そばで女の子が、男の肩に手を置き、周囲の騒ぎを、半分笑っているような、半分泣いているような表情で見つめている。

 私はこのとき間違いに気づいた。女の子はあの女の娘ではなく、男の娘だったのではないか――。
 もうしばらくの間、彼らの様子を見守りたかったが、ウエーターは料金を徴収すると、出て行くように促した。

 私はテーブルを明け渡し、メインストリートに向かって歩きだした。
 歩きながら一回だけうしろを振り返った。
 男と女の子はさきほどと同じ恰好で、同じ場所にいた。依然、女の姿はなかった。


この記事は「ソレントの夏時間」http://blogs.yahoo.co.jp/raraland2/43173924.html
の続きです。よろしかったら、こちらもお読みください。



※証拠写真(上から)
1.決勝戦を待つソレントの路地裏
2.イタリアの同点シュートに歓喜する人々
3.女の帰りを待つふたり
4.路上にあった“フランスよ、ご愁傷さま”
5.夜明けまで続いた乱痴気騒ぎ

ソレントの夏時間

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ソレントの夏時間

静かな街
 ソレントに着いた七月九日は、特別の日だった。
 大方の予想をくつがえして地元イタリアが、ドイツワールドカップに勝ち残り、隣国のフランスと対戦するのである。
 街は、静まり返っていた。ネコも歩いていない。
 なにか良いことが起きそうな気配は、微塵もなかった。

 夏時間の午後四時十五分。陽はまだまだ高く、強い日射しが降り注いでいた。
 カンパーニア地方特産のレモンの並木がつくる木陰の下を、スーツケースを押しながら歩いた。
 車道側を見上げると、夏の青空が広がり、たわわに実ったレモンの鮮やかな黄色が輝いていた。それは人工的に括りつけた模造品のようにも見えた。

開店休業ホテル
 地図を確かめながら十五分ほど歩くと、今夜宿泊するホテルの前に出た。
 日本からインターネットで予約しておいたホテルだ。
 門扉の脇にある金属製のボックスの中を覗き込んで、ホテルのネームプレートを見つけ出し、呼び鈴を押した。
 応答はなかった。繰り返し何度か押したが、同じだった。
 メールでは、「三時以降ならチェックイン可能」とあり、私は「四時半頃には到着する」と返信していた。

 電話をかけようと携帯電話を出したが、「圏外」を表示していた。門扉の前に公衆電話があったが、テレホンカード専用でコインは使えなかった。
 道筋にたばこ屋があったのを思い出し、引き返した。だが、テレホンカードはなかった。
 店主は、
「カフェで、お茶でも飲んでいるんだろう」
 と呑気なものである。

長すぎるシェスタ
 ふと、「シェスタ」という言葉が思い浮かんだ。昼寝のことである。
 ヨーロッパでは、イタリア、スペイン、ギリシャなどの地中海南岸あたりで広がっている習慣だ。
 特に夏は、暑くなる正午あたりから、家に帰って寝る。

 どのくらい寝るのか本人たちの自由だからわからないが、三時間ほどだと聞いた。
 当然、昼寝したぶんだけ夜に繰り越されるから、夜更かしになり、夕食は夜の十時、十一時……。
 ましてや今夜は、十時になればW杯決勝がキックオフする。


不安な待ち時間
 携帯電話を見ると、五時を過ぎていた。
 電話をしまうときに、ふと思いつき、電源を一度切り、再起動すると、「3G」と表示され、アンテナが三本立った。
 前泊したシエナとは、電波の種類が違っていたようだ。

 電話の問題は解決したが、事情に変化はなかった。
 ホテルと緊急用の番号をかけたが、呼び出し音が鳴るだけだった。
 シェスタにしては長すぎる。
 私にできることは限られていた。
 門扉の前で辛抱強く待つこと。そして、ときおり襲う不安にかられて電話をかけることだけだった。


※証拠写真(上から)
◇すぐそばにあった公衆電話
◇ホテルの門扉
◇ソレントで見かけたニャンコたち。たくさん暮らしていました。

ポンペイの売春宿

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ポンペイの売春宿

二千年前の娼婦館
 古代都市ポンペイの遺跡のなかには、人気スポットがある。
 そのひとつが売春宿である。
 常に人集り(ひとだかり)ができているので、見つけやすい。
 入り口前には係員が立っていて、数人ずつ入るように入場制限していた。

 そこが売春宿であることは、中に入ればすぐに分かる。
 館内は薄暗く、さほど広くない。
 中央に待合室があり、そこを囲むように個室が三室ほど配置されている。
 個室には石のベッドがあり、待合室の壁面上部には、いわゆる“春画”が描かれてあった。

ローマ人の屈折した女性観
 筑摩書房『売春の社会史』(ハーン&ホニー・ブーロー著)によると、古代ローマ人の娼婦に対する感情は、極めて屈折したものだったらしい。
 紀元前一世紀の恋愛詩人プロペルティウスの『叙情詩集』は、それを端的に表している。

 はじめ彼は、娼婦キュンティアを理想の女性として崇(あが)めた。しかし彼女は、彼の愛に報いてくれない。やがて彼は彼女に幻滅し、すべての女性を二つのタイプに分けるという女性観をつくり上げる。
 ひとつは、生きることをすべて家族のために捧げる献身的な妻や母。もうひとつは、男をしぼり尽くす性悪女だった。

 ちなみに売春婦をさす一般的なラテン語「メレトリクス」は、もともと「金銭を稼ぐ女」を意味する。ほかにはスコルタ(淫婦)、ルパ(雌狼)がある。

性への抑圧
 売春婦を蔑視する姿勢は、性そのものに対する敵視へと発展した。ローマ時代の初期には、性について法律や宗教に盛り込まれていなかったが、キリスト教の出現により、抑圧的になっていく。
 一世紀の学者ケルススは、『医学』の中で、次のように語っている。

 性の交わりは貪欲を求めてはならない。また極度に恐れてもならない。たまさかに行えば活力が甦るが、頻繁に行えば体力の低下を招く。
 しかし、その頻度を考えるにあたっては、年齢と体力を考慮に入れて、回数そのものよりは質を問題にすべきである。
 苦痛や無関心という事態を引き起こさないかぎり、性行為は有害とはいえない。

 「セックスは回数よりも質を問題にすべき?」
 大きなお世話としか言いようがないが、大まじめに論じているのが、可笑しくもあり、怖くもある。
 その後、二世紀にはローマで最も著名な医師のひとりだったエペソのソラノスは、性行為をしないことが健康を招き(「永遠の純潔」)、性行為は本質的に有害だと主張した。

 しかし、その一方で男たちはせっせと売春宿に通い続けたのである。

この記事は、「イタリア時間」
http://blogs.yahoo.co.jp/raraland2/42602635.html
のつづきです。

イタリア時間

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 ポンペイ駅のプラットホームに二本の時計塔が立っていた。
 ふたつの時計には五分の時差があった。
 どちらが正しいのだろう?
 自分の時計を見たら、三つとも違っていた。

 ポンペイには遺跡がある。
 二千年以上前に栄えた古代都市には、スポーツジム、共同浴場、居酒屋、売春宿があった。
 きっと、あっという間の出来事だったのだろう。
 彼方にそびえるヴェスーヴィオ火山が噴火し、町は火山灰の下に埋もれた。

 石のカマドやテーブル、ベッドを置いた家々が建ち並ぶ石畳を歩いた。
 径は果てしなくつづき、照りつける太陽は容赦がない。
 だんだんと気が遠のくようで、すれ違う観光客が、古代から現代へ時間旅行してきた人たちのように見えた。


※2006年7月10日撮影/南イタリア・ポンペイ

パリの恋人(8)

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[ここまでの話]
 私は建築家の巽さんを頼ってパリへやってきた。これといった目的はない。ただ仕事が暇だったからだ。
 シャルル・ド・ゴール空港へ迎えにきたのは、秋山文乃という女性だった。彼女はパリ大学の大学院を卒業した後、日本の地方新聞3社が共同主宰しているパリ支局で、アルバイトをしている。
 巽さんと文乃さんのふたりは、パリに多く存在するスワッピングクラブで知り合った。

 ルーヴル美術館を見学しているときに、文乃さんから電話があり、私が滞在しているホテル近くのカフェで待ち合わせた。地下鉄に乗り、フローランスというパリ女性のアパートへ行く途中で、文乃さんは、フローランスとその恋人のジャックとの3人でセックスをしたときのことを話した。

 初心者向けのパリ・ガイドとしても、お役立てください。連載ものです。最初から読みたいという奇特な方は、カテゴリーJe suisの「はじめてのパリ(1)」からどうぞ。
http://blogs.yahoo.co.jp/raraland2/1556923.html


パリの恋人(8)


◆熟成した体臭
 フランス人は、恋人と会う何日か前から、体を洗わない。赤ワインを何年も寝かせて、芳醇な香りを熟成するかのように――。
 フランスに在住したことがあるエッセイストの玉村豊男氏が、そんなことを話していたのを思い出した。
 ただでさえ体臭が強い彼ら彼女らが、何日も体を洗わないと、どんな芳醇な香りを醸すのか。

 これから行くフローランスのアパートは、恋人が留守中でひとりだけだ。かつてその恋人を交え、文乃さんたちは3人でセックスをした。
 その文乃さんは、大学教授と共にスワッピングクラブへ行き、私の知人である巽さんと知り合った。
 そして、今夜はフローランスと文乃さんと私の3人で過ごす。
 私は文乃さんの表情を改めて見直した。彼女は私の視線を感じ、恥じらうように微笑んだ。


◆モンマルトルへ
 「ごめんなさい!」
 車窓から、通りすぎるホームの景色を覗き見て、文乃さんが大声を出した。
 フローランスのアパートは、モンマルトルにある。
 地下鉄のアンヴェール(Anvers)駅で下車すれば、モンマルトルの丘の南斜面を昇り降りするケーブルカーがあり、ヴィレット小広場からサクレ・クール寺院まで運んでくれる。

 彼女は、私を楽しまそうと趣向を凝らし、アンヴェール駅へ向かっているつもりだったが、乗り換えの路線を間違え、ケーブルカーの昇降駅がない反対側にきてしまったのだった。
 「でも、フローランスのアパートはこちらのほうが近いから」と文乃さんは話した。


◆芸術家の街
 モンマルトルといえば、著名な芸術家や作家が多く暮らす街である。パリのガイドブックを見ると、19世紀末〜20世紀初め、ここで暮らされた自由奔放なボヘミアン的生活スタイルが人々を魅了したとある。

 “青の時代”の青年ピカソも暮らした。
 モンマルトルの丘の中腹にあるエミール・グドー広場の一角に、『洗濯船(Bateau Lavoir)』の看板が付いた家がある。
 ピカソが、ブラックやヴァン・ドンゲンらと共に“キュビズム”を生んだ現代絵画の発祥地だ。広場からはパリの街並みを見下ろすことができる。

 スーラやモジリアニが住んだ家。ピガール広場の裏にあるロートレックが住んだ家。ルーピック通り54番地にはヴァン・ゴッホと弟のテオが暮らしたくたびれた建物。ユトリロの絵そのままのパサージュ・コタンの狭くて急な階段。

 大学院で現代美術史を専攻していた文乃さんは、この日、これらの名所を案内してくれたに違いなかった。
 しかし、不思議なことに、彼女と一緒に歩いた道筋をほとんど覚えていない。
 ガイドブックには「モンマルトルはどこも坂道と階段だらけ」と書いてあるのに、私にとってのモンマルトルは薄暗く、平坦な街だった。


◆パリのアパルトマン
 フローランスのアパートは、パリの景観を形づくる、最もポピュラーな5−6階建ての小屋根がある集合住宅のなかにあった。
 たまたま内装工事を行っている住戸があり、内部構造が露出していた。頭上を見上げると、古くて煤けたような太い梁(はり)が、左右に渡されていた。
 外観・躯体は石積みかレンガ積みで頑強に築き上げられているが、内部を空洞にし、自在に内装・間取り・階数を変更できるように工夫されているのである。

 パリの骨格は、19世紀にセーヌ県知事だったジョルジュ・ウージェーヌ・オスマン男爵(1809−91年)によって、つくられた。
 ローマやウイーンなどの古都に比べると、新しい街だが、それでも百年、二百年の歳月が建築物に刻み込まれている。
 地震がないとはいえ、建て替えることなく、長く建築物を使用できるのは、内部空間を自由に変更できる柔軟性にあるのだろう。

 日本でもヨーロッパの建築を参考にし、SI住宅、SIマンションが登場してきている。
 「S」は「スケルトン(構造・躯体)」、「I」は「インフィル(内装・間取り)」の略。スケルトンとインフィルを明確に分離した建築工法により、内部空間を自由に変更できるようにした建物である。
 建物の寿命を百年、二百年と延ばせば、住宅に費やすコストを減らすことができるので、高齢社会への対応、環境負荷の軽減などの面でメリットは大きい。だが、残念なことに、SIを導入した実績はまだまだ少ない。

◆長身痩躯のパリジャンヌ
 何の話をしているのだろう。建築の話をしている場合ではない。フローランスの部屋を訪ねるのだった。

 3−4人も乗れば満員になる小さなエレベーターに乗ったとき、文乃さんが小声で笑った。
 「フランスでは、1階を数えないから、日本の2階が1階、3階が2階なんですよ」
 そう言って「2」と記されたボタンを押した。
 日本の1階が仏語でrez-de-chaussee(レッドショセ)、3階がdeux-etages(ドゥゼタジュ)となるのだそうだ。

 呼び鈴を鳴らすと、「ハーイ」という元気のいい声がし、ドアが開いた。
 フローランスが顔が出すと、文乃さんは歓声を上げ、ふたりは手を握り合って、言葉を交わし合った。そして、互いに左右の頰にキスをし、それを繰り返した。

 彼女は背が高く、痩身で、黒っぽいワンピースを着ていた。網タイツに黒革のロングブーツ。はっきりとした目鼻立ちで、髪はショートカットでやや茶色。瞳は青かった。興奮しているせいか、白い肌を紅潮させている。

 彼女は、私の前に立ち、「ボンソワ」というと、文乃さんとしたのと同じように、左右の頰にキスをし、それを繰り返した。顔を入れ換えるとき、香水の香りがした。彼女は少し汗ばんでいるようだった。


※写真は、フローランスの愛猫

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