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初恋の頃 はじめて女の子を意識したときのことを、ときどき思い出します。 まだ、四歳でしたから、記憶がたどたどしくて、つじつまが合わないところもありますが、姉などに聞いた話も織りまぜながら、書いてみました。 読んでみてください。 ★ ★ ★ ◆不意の質問 はじめて女の子を好きになったときのことを覚えている。 私は四歳だった。家の前の路地で遊んでいると、向かいの家に住んでいる中学生のヨーコさんが近づいてきて、秘密めいた口調でこう訊いたのだった。 「さっちゃんのこと、どう思う?」 質問の意味がわからなかったので、私はヨーコさんの顔を黙って見上げた。彼女は腰をかがめて、重ねて尋ねた。 「好きな女の子はいるの?」 私は頰を染めたらしい。彼女は笑顔になり、 「あら、いるのね。だれかなぁ‥‥。内緒にしておいてあげるから、私にだけ教えて――」 といった。 私はクスクス笑い、とっさに思い浮かんだ名前をいった。 「レイコちゃん」 「ええっ、さっちゃんじゃなかったの――。それで、どこのレイコちゃん?」 近所には複数のレイコという女の子がいた。 「うどん屋のレイコちゃん――」 そういうと、急に恥ずかしくなり、私は駆け出していた。 ◆レイコちゃんとさっちゃん うどん屋のレイコちゃんは、私よりも少し年下で、三歳くらいだった。 内気な性格で、手の指をおしゃぶりのように口に入れ、いつも母親の腰にまとわりつき、その陰からそっと顔をのぞかせていた。 黒くて大きな瞳も、ふっくらとした頰も、顔の形も、みんなまんまるだった。髪形もまんまるいオカッパ頭だった。 レイコちゃんには、さっちゃんという姉がいた。ヨーコさんが最初に名前を出した娘(こ)だ。 さっちゃんは、レイコちゃんとは正反対の性格だった。勝気で、おしゃべりで、おせっかいで、スヌーピーに登場するルーシーのようだった。私と同い年だったが、年上のように感じた。 だから私が、 「さっちゃん、レイコちゃん、遊ぼっ」 と誘いに行くと、元気のいい返事をして飛び出してくるのは、決まって姉のほうだった。 妹のほうはというと、まだ開店していない薄暗くて細長い食堂の奥に、半分ほど開いた襖の陰から、そっと顔をのぞかせるのだった。 その仕草が、幼心にも、私はいとおしいと思った。 ◆居留守 しかし、ヨーコさんから話しかけられてから、私は彼女たちを誘いに行くのをためらうようになった。 ためらうほどに、レイコちゃんのことが気になり、ますます誘うことが出来なくなっていった。 さっちゃんは、たびたび私の様子を見に来た。 そのつど私は、母の膝に抱きついて、「いない、といって――」と頼んだ。母は困惑した顔をして立ち上がり、玄関で応接した。 その日も同じように「いない、といって――」と母に甘えた。そして、玄関先に聞き耳を立てた。 母の声がした。 「ごめんね、わざわざ来てもらって。まだ具合が悪いようなのよ‥‥」 さっちゃんの声がした。 「ううん、いいの。これ渡してあげてね。レイコと一緒に描いたの‥‥」 続いて、「まぁ、素敵。きっと喜ぶわ。ありがとうね」という母の声がした。 何かお見舞いのプレゼントを持ってきたらしい。私は胸が締めつけられるようだった。世界一の嘘つきだと自分を責めた。 「ちょっと待っててね――」という母の声がし、こちらのほうに足音が近づいてきた。 母は部屋に入ると、手早く茶箪笥の中からお菓子を出して紙に包み、再び玄関に戻って行った。その間、母は一度も私を見なかった。 怒っているような動作だったが、私は母が目のまわりを赤くして涙ぐんでいるのを見逃さなかった。 「こんなものしかないけど、食べてね。レイコちゃんにもよろしく伝えてね」 「ありがとう。早く元気になれよ!」 最後の言葉は、私に聞こえるように、さっちゃんが廊下に身を乗り出して大声を張り上げたようだった。 ◆うどん屋の店先で それからどのくらいの月日が過ぎたのか覚えていない。ほんの二、三日のような気もするし、一か月以上のような気もする。 その日、私は決心し、レイコちゃんたちを誘うつもりで家を出た。 うどん屋の前に行くと人だかりが出来ていた。前に進むと、テーブルがいくつかあり、その上に丼や皿が重ねて並べてあった。どれもうどん屋で使っていた器だった。 店の中をのぞき込むと、テーブルと椅子があったところに、鍋や釜やフライパンなどが置いてあり、値札のようなものが貼ってあった。 どこか様子がおかしいことは、私にもわかった。 私は奥に進んだ。襖が開いていたので、二段高くなっている畳の部屋に身を投げ出して叫んだ。 「さっちゃん、レイコちゃん、遊ぼっ」 以前なら、「はぁい、いま行く――」という、さっちゃんの威勢のいい返事が返ってきたのだが、その日は何も返って来なかった。 もう一度、「さっちゃん、レイコちゃん、遊ぼっ」といった。 耳をすましたが、やはり返事はなかった。 これが最後だと自分にいいきかせながら何度か繰り返していると、階段を降りてくる足音が聞こえ、ふいに彼女たちのお母さんが現れた。 「あら、来てたの。今日はふたりとも出かけているの。夕方近くになったら帰ってくるから、そのときにまた来てね」 私は、「また、来るね」といって、外に出た。 ◆画用紙の絵 夕方になり、再び誘いに行くと、店の前は片づけられ、戸は締め切られていた。開けようとしたが、鍵がかかっていた。 私は急いで家に帰って、母に話した。 このとき母は、詳しいいきさつを教えてくれなかった。何年か後に、店の営業状態が悪く、借金を抱えて夜逃げ同然に引っ越したということを知った。 あの日、さっちゃんがやって来たのは、最後のお別れをするためだったのだ。私は二つ折りにした画用紙を開いた。 画用紙には、折り紙とクレヨンで絵が描かれていた。 手前の広すぎる道に沿って、病院、うどん屋、銭湯、豆腐屋の店構えがクレヨンで描かれ、空には白い綿を張り付けた雲が浮かび、折り紙で作った鯉のぼりが三尾貼ってあった。 私たちがよく遊んだ小さな商店街の風景だった。 広い道には、三人の子供が手をつないで並んでいた。 中央の青い色で塗りつぶした四角い服を着ているのは私で、 左側で赤い三角のスカートをはいているのがさっちゃん、 そして、右側の黄色いクレヨンで、たどたどしい円をつないだ、だんご虫のようなのは、きっとレイコちゃんだ。 さっちゃんが最後のお別れにやって来たときに、飛び出して行って、この絵を見ていたら。そのままさっちゃんと一緒にレイコちゃんを訪ねていたら、どんなふうだったのだろう。ときどき胸が締めつけられる思いがする。
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Je suis
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不可解な書き込み ◆書き込み パソコンの前に坐っていても何も浮かばないので、外に出ることにした。 少し歩きたくなり、遠くのカフェまで足をのばした。 いつも持ち歩いているノートをテーブルに出してページをめくると、見馴れない筆跡が目に飛び込んできた。 平仮名で「りえ」とあり、その下に数字が並んでいる。 数字は「090−」からはじまっているので、おそらく携帯電話の番号だろう。 りえ? 高校時代にそんな名前の同級生がいたような気がしたが、ほとんど話したことがなかったし、卒業後、一度も会っていない。 彼女が書き込む可能性は、異星人に遭遇するよりも確率が低い。 いったい、だれだろう? いつ、どこで、こんな書き込みをされたのだろう? ◆可愛くて綺麗 心当たりがないわけではなかった。 二、三日前のことである。 女友達と居酒屋のカウンター席で、煮込み豆腐を食べながら、ホッピーを呑んでいた。 私の左隣に坐っていた男女のカップルが、私たちに話しかけてきた。 ふたりは代官山にある編集プロダクションに勤めてていて、男がコピーライター、女がデザイナーだと言った。私は男と名刺交換した。 男のほうは仕事が出来る感じではなかったが、気持ちのやさしい好青年だった。 女のほうも感じがよく、綺麗だった。 笑顔がよく似合う、親しみの持てる美人だった。 めったに人を褒めない女友達も、「可愛くて綺麗な子ね」と言って私を驚かせた。 芸能界にうといので、うまく女優を見つけ出すことは出来ないが、全体の雰囲気が宮崎あおいに似ていた。 NHKの連続朝ドラマで一躍脚光を浴びた女優だ。 ◆匂い 私たちはひと足先に店を出て、タクシーに乗った。 途中で、帽子とマフラーを身につけていないのに気づいた。 急いでさきほどの居酒屋に戻ると、男女のカップルはまだ残っていたが、様子が変だった。 男は私に気づくと、気まずそうな表情で軽く会釈した。 女も顔を上げた。目に涙が溢れている。 私たちが帰ったあと、何かが起きたのだろう。 女は私を見上げ、手で涙をぬぐうと少し微笑み、 「これでしょう」と言いながら、 カウンターの下からマフラーと帽子と一緒に、例のノートを差し出した。 礼を言って、それらを受け取り、外に出た。 マフラーを首に巻いたとき、かすかに甘くてやわらかい匂いがした。 彼女がつけている香水だろうか。 ◆ためらい 私は、ノートに書き込まれた、デザイナーが描きそうな、やや丸みを帯び、整然と並んでいる文字を見つめた。 そして、「そういえば、彼女はりえと名乗ったかもしれない」と思ったりした。 電話をかければ、すぐにでも、彼女かどうか簡単に判明するのはわかっていたが、私はためらった。 もし、それが彼女だったら‥‥。 もし、彼女が勇気を振り絞って、連絡先を書き込んだとしたら‥‥。 もし、ふたりが恋に落ちてしまったら、いまの生活は‥‥。 私の妄想は収拾がつかないほど広がっていった。 電話をかけようか、それともかけないで、いまの生活を守るべきか‥‥。 この書き込みを発見してから、すでに数日が過ぎたのに、私はいまだに躊躇している。 かけるべきか、かけないでおくべきか‥‥。 どうしたら、いいと思いますか、こんな場合。
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男の話 ◆平凡 極めて稀だが、恰好いいなぁ、と思う男に出会うことがある。 もちろん、恰好いい、といっても受け取り方は人それぞれだから、 違う、という人もいるだろう。 少なくともテレビや雑誌に登場する、イケメンやタフガイとはだいぶん趣を異にする。 大半の人は、取るに足らない、平凡でつまらない男だと思うかもしれない。 私にしても、どうして恰好よく感じるのか説明できないのだから、 違う、といわれたら反論のしようがないのだ。 ともかく最近出会った“恰好いい男”の話をしよう。 ◆いただきます ハンバーガー店で、コーヒーを飲んでいるときだった。 隣の席に、トレイを両手に抱えた男がひとりやってきた。 男はトレイに載せたハンバーガーの包み紙を開くと、急に動きを止めた。 そして、テーブルの下で手を小さく合わせ、 「いただきます」 と小声で言ってから、ハンバーガーを食べ始めた。 私は衝撃を受け、しばらく動くことができなかった。 ◆空き缶 駅ホームの昇り階段を歩いているときだった。 ひとりの男が軽快な足どりで、私を追い越していった。 前方で、透明なビニールの切れ端が宙に舞い、男の前に落ちた。 男はそれをひょいとつまみ上げた。 ホームに出てからゴミ箱を探しているようだったが、近くにないのがわかると、 手で丸めてコートのポケットに仕舞った。 電車が来たので乗り込むと、その男も同じ車両に乗ってきた。 車内はすいていて空席があったが、彼はドア付近の手すりにつかまって立っていた。 私は彼の反対側のドアの前に立った。 カラン、カラン、という音がするので、そちらを見ると、 空き缶が電車の揺れに合わせて、転がっているのだった。 座席に坐っている乗客たちは、一様に迷惑そうな表情を浮かべ、 近づいてくる空き缶を靴の先で遠のかそうとしている。 やがて空き缶は、こちらのほうに転がってきた。 男は靴先で空き缶を押し込むと、なんの躊躇もなく、腰をかがめ、 人差し指と親指の間に挟んで、つまみ上げた。 乗客たちは素知らぬふりをしながらも、空き缶の行方を気にしていたから、 彼の一連の動作を目撃していたはずだったが、なにもなかったような素振りをしている。 男もなにもなかったように、空き缶を人差し指と親指でつまんだまま、ガラス戸の外を眺めている。 横顔が微笑んでいるように、私には見えた。 私は心の中で「やった!」と叫び、 小躍りしたい衝動を抑えた。 ◆デクノボウ 私が出会ったふたりの男は、人生において何も大事を成さないかもしれない。 むしろ家族や知人たちから、取り柄のないデクノボウと、 うとんじられているかもしれない。 そして、だれも見ていないところで、
「いただきます」と小さく手を合わせたり、 ゴミを拾ったりしていることに気づくこともなく、 その男のことを忘れてしまうのだ。 |
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ある心の風景 ◆珍客 冬の蠅は寒さで弱っているはずだが、迷い込んできたその蠅には勢いがあった。 私は丸めた雑誌を持って、身構えていた。しかし、蠅はいつまでも止まるようすがなく、耳障りな羽音を響かせて、空中飛行を続けていた。 私は五分待った。 明るい陽差しに照らされた袖机の隅に、蠅が着陸する気配が見えた。私は雑誌を宙に構えた。 そのとき電話が鳴った。いまどき固定電話に連絡してくるとは珍しい。仕事の関係はたいがいがEメールだし、知人は携帯電話にかけてくる。 ろくでもない用件なのはわかっていたが、私は左手で受話器を取り上げ、低い声で「ちょっと待ってください」と言った。 私は周囲の空気を動かさないように、受話器を静かに置き、雑誌を打ち下ろした。 着陸寸前だった蠅は、ひらりと身をひるがえし、宙で円を描くと、天井に向かって上昇した。 私は受話器を取り上げ、「お待たせしました」と言った。 にやけた男の声がした。やはり、ろくでもない用件だった。年率十五パーセントの儲け話。相手は電話を切られないように早口にしゃべり続けていたが、「忙しいので‥‥」と断って電話を切った。 蠅は天井下の壁にスイカのタネのように張りついている。もう何か投げるか、長い棒を持って来ないと届きそうになかった。 ガラス戸を開けると、部屋の暖かい空気が逃げ出し、冷たい空気が押し寄せてきたが、蠅はいっこうに外へ出て行こうとはしなかった。 この日からその蠅は、私の部屋に住みついた。 ◆日光浴 とても受け入れがたい悲しい知らせがあり、私はもう蠅を殺そうとはしなかった。 それを知っているかのように、私が坐っている袖机にできた日なたにやってきて、両脚を挙げて腋の下を掻くような真似をしたり、手をすり合わせたり、ときには私の肩や腕の上を歩いたりした。 彼は日陰ではよぼよぼしているのに、日なたでは甦ったように活気づいた。そして、日が陰るまで、移っていく日なたのなかで遊んでいるのだった。 そのようすを見ていると、彼がどんなに日光を楽しんでいるかが、哀れなほど理解された。 ◆背中 悲しい知らせが事実であったことを、ネットで確認したときも、彼は私のそばで、手をすり合わせていた。 このときだけは、私は手を挙げ、蠅を追い払った。 彼ははじめて私の部屋にやってきたときのように、ひらりと身をひるがえしたが、あのときほどの元気を失っていた。 弱々しく上下しながら、ようやく天井下の壁にたどり着いた。そして、私に背を向けたまま、動かなかった。 ◆円 外出し、部屋に戻ってきたとき、蠅がいなくなっていることに気づいた。 おそらく留守中、カーテンを開けて日を入れず、暖房も切ったままにしている間に、寒気のために死んでしまったのではなかろうか。それはありそうなことに思えた。 しかし、私はそんなふうに考えないことに努めた。 その人は、自分の死期が近いことを知っていて、一匹の蠅を迷い込ませ、私たちの悲嘆を少しでも和らげようとしたのではなかろうか。 私は水滴で白くくもった窓ガラスに、人差し指で大きな円をひとつ描き、そのうしろに小さな円をいくつも描いた。 それを離れたところから眺めると、まるで大きな円が小さな円を引き連れて、得意気に飛翔しているように見えた。 その光景は、大いに私を満足させた。 部屋の明かりを消してドアを閉め、廊下に出て、「いまごろは‥‥」と想像した。 変にくすぐったい気持ちが、私を微笑ませた。 ※これは有名な作家のいくつかの作品をもとに書きました。もちろんフィクションですが、本当の話です。 L’hommage pour Kokko
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