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『THEMIS』最新4月号、日本警世、日本人は米国製憲法をいつまで墨守するのか −紀元節にマッカーサー憲法を押し付けた米国の邪悪さとは-
高山正之 さんの記事を読んで愕然とした。
今生天皇の誕生日に・・・刑を執行したのは知っていたが、更なる悪意がことごとく込められていたとは。
高山さんの記事を簡単に追っていく。
米国の爆撃機B29は、機体を密閉し、地上に近い気圧と温度に保つ与圧式。それまでのB17やB26は、与圧がなかったから、低高度で侵入し、ゼロ戦や紫電改に次々撃ち落されていた。
B29は、日本の迎撃機が上がってこられない1万メートルの高度から爆弾を落とせた。この高々度爆撃の手法で、本土爆撃を指揮したのが、第21爆撃集団司令官H.ハンセル准将。
高々度からの爆撃は安全だが、日本上空の強いジェット気流のため、爆撃精度は低く、的中率は5%程度だったが、彼は物資がなくなっていた日本に対してはそれでも十分だと思った。
しかし、白人国家にとって脅威の「日本は粉々に」(チャーチルの回顧録)すべきと思ったルーズベルトは、ハンセルをくびにして、残忍なカーチス・ルメイを指名、昭和20年1月下旬に着任させた。
日本側には、もう十分な迎撃能力のないことを知っていたルメイは、標的を軍需工場から日本人皆殺しに転換。
B29を低空で侵入させ、都市を焼き尽くす焼夷弾に切り替えた。かつてインディアンの集落に火をかけて女子供まで焼き尽くしたように。
ルメイの最初の皆殺し作戦が、昭和20年3月10日の東京大空襲。
午前零時過ぎ、325機のB29が東京の下町を包み込むように焼夷弾投下。市民が三つ目通りに集まってくるところに更に高燃焼性の焼夷弾を投下。総数38万発。約10万人が焼き殺された。
5月末には、470機のB29が東京都心に焼夷弾を降らせ、皇居も炎上した。
この東京大空襲の3月10日という日は、日本がロシア陸軍を壊滅させた奉天会戦の日で、後の陸軍記念日となった日。
白人国家にとってこの日は、劣等と思っていた有色人種に優秀な白人国家が負けた屈辱の日であったのだ。
この日以来、白人国家は日本を滅ぼさねばならない国として協力。日英同盟は失効され、日本は孤立。支那は、白人国家群に買収され日本を裏切った。
日本は休戦の道を探るが(*注2)、米国は無視。日本人を「白人の英知の結晶」(トルーマン)原爆の生きた実験台にした。
日本が降伏しても、陰湿な報復は続く。
「日本は植民地解放に殉じた英雄」(コーデル・ハル)という事実を打ち消し、日本を残忍な侵略国家に仕立てていく。
ハーグ陸戦条約違反(*注1)、非戦闘員=民間人を虐殺しまくった米国人が「人道に対する罪」とはよくも言えたセリフだが、その罪名で日本の指導者を戦犯として逮捕し、昭和21年4月29日、昭和天皇の誕生日に国際軍事法廷に起訴した。
そしてあの茶番の裁判をやって昭和23年11月にA級戦犯25人の有罪を宣告し同年12月23日、東条英機元首相ら7人を絞首刑に処した。
この日は今生天皇の誕生日である。 日本人はどんな顔をしてこの日を迎えるのかと笑いをこらえるマッカーサーの様子が彼の右腕ウイリアム・シーボルトの「With MacArther in Japan」にある。
彼らの陰湿な「記念日へのこだわり」は日本を潰すマッカーサー憲法の制定にも色濃い。
マーク・ゲイン『ニッポン日記』によると、ホイットニーが民生局の若手を集め、「戦争放棄、軍隊の廃止を謳った憲法を今から作れ」と命じ、「憲法素案を昭和21年、2月11日に日本政府に提示し、2月22日に日本政府から発表公示させる」という作業日程。
2月11日は、紀元節。その日にマッカーサー憲法を押し付ける。
公布予定日の2月22日は米国初代大統領ジョージ・ワシントンの誕生日。これにマッカーサーは特にこだわったと、マーク・ゲインは書いている。 実際は日本側が抵抗し、予定は狂うが、ワシントン生誕日の閣議でマッカーサーが提示した素案を受け入れている。
更に、GHQは新憲法の公布を11月3日にさせた。これは、明治節。明治天皇の誕生日である。
ここまでの屈辱は日本側も受け入れたくなかった。結局、憲法が発効する半年後の5月3日を憲法の日にすることで、屈辱を半減させた。
米国が日本の憲法をいじっていい権利など端からない。日本はサンフランシスコ講和条約に調印、主権を回復したその日にあの憲法を捨ててよかった。
引用終わり
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1912年4月14日深夜、あのタイタニックが沈没してから100年が経った。日本人で唯一の乗客で、生き残った細野正文氏、あの細野晴臣のおじいさん。
細野氏は、「卑劣な日本人」という汚名を着せられたが、一切の言い訳をせずに亡くなった。本人の手記が遺族によって発表され、汚名をそそぐことができたが、事故から85年経っていた。
一切の弁明をしなかった細野氏。これぞ大和魂を受け継ぎ、江戸時代に武士でなくとも、庶民の端々にまで、武士道精神が行き渡った日本人の真骨頂である。これを美談と解せるのは日本人。朝鮮、中国人には絶対に理解できないだろう。
そして、この世界に日本が存在していなかったならば、白人国家による植民地地図が塗り替えられることなく現在まで存在したかもしれないし、有色人種蔑視の白人の意識改革が現在のように進まなかったかもしれない。
米国による日本壊滅作戦は、戦後我々の精神からの堕落をも目論んだものだった。しかしそれに気づいてしまった今、日本人よ、目覚めて立ち上がろう、誇り高き日本を取り戻すために。
*注1 ハーグ陸戦協約の第25条、「無防備都市、集落、住宅、建物はいかなる手段をもってしても、これを攻撃、砲撃する事を禁ず」
アメリカの東京大空襲、全国への空襲、 広島・長崎への原爆投下も「ハーグ陸戦協定違反」
非戦闘員の居住する地域への空襲そのものが、「ハーグ陸戦協定違反」
ハーグ陸戦条約とは、1899年、オランダ・ハーグで開かれた第1回万国平和会議において採択された、「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約並びに同附属書」「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」の事
1907年第2回万国平和会議で改定され今日に至る。ハーグ陸戦協定、ハーグ陸戦法規、陸戦条規とも言われる。
*注2
GHQメンバーのヘレン・ミアーズは著書「アメリカの鏡・日本」の中で、
「日本政府は少なくとも1945年5月に降伏の打診をしているが、この打診はアメリカ政府により公式に無視、あるいは拒否された」と証言している。 広島への原爆は1945年8月6日。長崎へは8月9日。
日本政府からの降伏の打診をアメリカ政府が受けていれば、原爆という戦争犯罪で、多くの日本の民間人は死なずに済んだ。 原爆は、広島へはウラン式、長崎へはプルトニューム式。 2種類の原爆を人間の住む都市に落とし、その成果を確認する為の人体実験。 原爆投下は戦後のソ連との力関係の為使用したという側面もある。 |
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2012年04月14日
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