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21話の初戦では、ムヒュルは、あの戦車部隊によって苦戦を強いられ、扶余に敗北します。しかし、・・・と、言うのがこの22話ですね。全36話の中でも、観ていてとてもすっきりする場面かも知れません。だから、つい、何度も繰り返し観てしまう回でもあります。 それにしても、なぜ、あのペグクを放置しておくのか・・・(扶余でもムヒュルをアンスンが暗殺しようと言うのをにこにこして観ていましたし、ムヒュルとチェブジョイの戦いの前には毒を盛ったりもしています。) ムヒュルは、扶余の戦車部隊によって惨敗を喫し、勝機は完全に扶余に傾きます。 しかしムヒュルの敵は、外の扶余ばかりではなく、高句麗内のペグクや諸家会議らとも戦わねばならなかったのです。 ペグクと諸加会議は瑠璃王に、降伏してムヒュルの命を差し出すよう要求します。 ペグクは、諸加会議の兵を撤収すると言いだし,怒りが爆発した瑠璃王は、ペグクに刀を突き付けます。 敵国扶余との戦いに窮しているユリ王にペグクは、反乱を起こします。 国内城でもペグクは、相加を拘束し、ヨンはなんとか脱出します。 ムヒュルに国内城の反乱を知らせようと戦地に向かっていたマファンとヨンは、扶余軍につかまってしまいます。 ムヒュルは、何とか戦況を立て直そうと、戦車の弱点を探るため敵陣に向かいます。そして「再度機会をくれ」と瑠璃王に請願します。 ユリ王は全軍の指揮権を無恤に委ねる決断を下します。 ムヒュルは、高句麗と父、ユリ王の命をかけた戦いを繰り広げるために戦場に向かうのでした…。 ところで、ウィキペディアに 瑠璃明王32年(13年)に高句麗が扶余から攻められたとき、王の命に従って、無恤は奇策を以て扶余軍を防ぎ、却って撃退した。この功績によって翌(14年)に11歳で太子に立てられ、高句麗の軍事権限を与えられた。18年10月に瑠璃明王の死去に伴い、王位を継いだ。とあります。これを信じるならば、11才で太子に立てられる前年のことなので、なんと、この戦いのときのムヒュルは、10才なんですね〜(笑) |

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スイレン書いたらここに来ました。
2009/7/8(水) 午前 5:49 [ - ]
dhu_kokoro さん、はじめまして〜♪
???スイレンと何の関連があるのか分かりませんね?
不思議です〜
2009/7/8(水) 午前 9:39