Dearソン・イルグク(Song Il Kook/송일국)

8月17日より衛星劇場で「天地人」放送開始、KBSワールドでは「人生画報」を放送中。

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韓国KBSで「広開土大王」放送開始
                    近肖古王から広開土大王へ
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KBSでこれまで放送されていた「近肖古王」に代って「広開土大王」が放送開始されました。

「近肖古王」は百済の君主の中でも傑出した君主で、そのころの高句麗王イ・ジョンウォン氏が演じる
欺由(サユ)を倒します。(イ・ジョンウォン氏が演じているので、「風の国」のヘミョンの生まれ変わりみたいですが、キャラクターは全然違います^^)
百済にとってはそのころが一番、盛んな時代だったようです。しかし欺由の孫である広開土大王所謂タムドクがその仇を討ちます。百済はタムドクによって大敗します。

「広開土大王」のドラマとしては、あの「太王四神記」がありますが、あのドラマはファンタジーの要素も強かったので、今回のドラマがよりリアルに歴史を描いてくれるものと期待しています。

「広開土大王」の偉業をたたえた「広開土大王の碑」の中には、倭の国(日本)との戦いについても触れられています。倭の国の軍は「広開土大王」によって敗退したと碑に記録されていますが、そういう内容も入っているのでしょうか?


KBS新ドラマ「広開土大王」高句麗の領土を最も広げた王



これまで放送されていた「近肖古王」百済の代々の王の中でも傑出した君主
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広開土大王の時代に高句麗は最大に領地を広げますが、その領土は今の中国吉林省からロシアハルピンのあたりまで入っていたんですね。



広開土王(こうかいどおう, 374年 - 412年, 在位391年-412年)は4世紀末から5世紀初めにかけての高句麗第19代国王。中国や日本では好太王とも呼ぶ。また在位中、永楽という年号を使用したので永楽大王とも呼ぶ。
諡号は国岡上広開土境平安好太王である。
碑文によれば始祖鄒牟王(朱蒙)17世の孫ということになっています。父は故国壌王。18歳のとき父王の死で即位。39歳で没するまで,西北は燕,南方は百済,およびこれと結ぶ倭人と戦い領土的発展につとめ,王国の基礎は,この広開土王のときに確立したといってよい人物です。

18歳の時に王となった広開土王は、強力な軍事力を背景に遼河を境とする中国東北地方および朝鮮半島の北部にまでその版図を広げました。在位中、高句麗の領土を拡張させましたが、礼成江を境に百済に対しては即位初めから積極的な攻勢を取りました。392年石硯城(開豊郡北面青石洞)を含めた10城を奪取し関彌城(江華島の喬桐島)を陥落させ、394年には水谷城(今の新渓)を築き、395年には現在の礼成江んまで侵攻して来た百済君を撃破して百済との接境に7城を築き防備を強化し、396年には漢江を越えて進撃し58城700村を攻略しました。

399年高句麗と友好関係にある新羅を百済が倭を先に立たせて攻撃すると皆潰滅させました。407年には百済を攻撃して6城を討ち百済を懲らしめます。この外にも392年北方で契丹を征伐し、男女500人を捕らえて契丹に捕まっていた高句麗人1万人を連れ戻します。410年には東夫余を屈服させることで北と東に領土を拡張し、西は遼河、北では開原から寧安、東では琿春、南へは臨津江流域にまで至りました。高句麗が漢江流域を手に入れたのも、食糧供給のための平野を占領するためでした。また漢江は中国との交易の通路でもありました。大王は単純な領土拡張主義者ではなく、偉大な戦略家でした。

また戦争だけではなく、内政の整備にも力をつくし、長史・司馬・参軍など中央官職を新設し、歴代王陵保護のために守墓人制度を制定、393年には平壌に9寺を創建して仏教を奨励し文化的にも貢献しました。
広い満州の平野と遼東半島の隅々まで駆け巡った広開土大王。彼の時代に、強大国、高句麗はまさに全盛期を迎えたのでした。
17世王位に付いてから39歳でこの世を去るまで、百姓の平安と領土の拡張に力を注いだ広開土王。残念なことは、このように野望千万の廣開土大王の大望だった太陽の帝国“日が沈まない大高句麗帝国”を築き上げる前に、39歳という40も越えない短命に崩御したということ。

412年39歳で世を去った後、414年息子の長寿王が
生前の功績を記録するために立てた陵碑(広開土王碑)が現在中華人民共和国吉林省通化集安市(旧、輯安県)に残っています。これが有名な「広開土王陵碑」です。広開土大王の時代に高句麗の人々が直接経験したことを、息子の長寿王の時代に刻み込んだもので、広開土大王の領土拡張のための戦争の記録が詳しく記されています。当時の状況を伝える碑文は実に貴重な史料であるが、判読できない個所もありその解釈をめぐって今もなお熱い論争が繰り広げられています。

「広開土王陵碑文(1部)」と中華人民共和国吉林省にある「広開土王陵碑」
http://club.brokore.com/user/data/download.jsp?circleid=F01000M1000110042&instid=11&serial=134http://club.brokore.com/user/data/download.jsp?circleid=F01000M1000110042&instid=11&serial=136 

くわしくは、こちらから
 
朱蒙、ムヒュルと高句麗王を演じてきたイルグクさん、このドラマも是非イルグクさんで見たかったですね。
しかし、この主演のイ・テゴンさん、「宝石ビビンバ」や「黄金の魚」で好演されていましたし、「ヨンゲムソン」で歴史物の経験もおありです。それに、歴史物に合いそうな骨太の俳優さんですから、期待しています。
韓国KBSで「広開土大王」が始まりましたので、KBSワールドでも数ヶ月遅れで始まるのでしょうか。「風の国」のように版権を他のところに購入されてKBSワールドには未だに登場しないなんて事にならないよう願います。
 

閉じる コメント(7)

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cancionさん、こんにちは^^

今kbsワールドで「近肖古王」せっせと録りだめしてますが・・・
なんか地味そうで、観るのが楽しみ!となりそうもありません;^^
華がなさそう・・・
でもせっかく録ってDVDにもおとしてあるので観ないともったいないし(失礼)

cancionさんはもう観ましたか?

2011/6/7(火) 午後 4:22 [ ラビット ]

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朱蒙のようなストーリーの面白さ
主役のインパクトは、やはり今ひとつなんです。

でも、歴史物好きなので、録りためないでその週間のうちに見て消しています。百済のお話なのに、時々高句麗目線で見ている自分に気付きます。朱蒙、風の国がそうさせてしまったようです^^

先週のまで見ましたが、見はじめると面白いですよ。
歴史物はほとんどそうですが、王の二人の妃とその取り巻きの権力闘争がどうなるんだろうと、次が見たくなります。
高句麗との戦いもこれからです。

2011/6/7(火) 午後 5:40 raumu81

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こんにちは^^
>倭の国の軍は「広開土大王」によって敗退したと碑に記録されています。
これって、新羅を責めてきたので援軍を送り倒したということかな?
「大王四神記」でも、ヨン様が援軍を送ってました^^

それにしても、どっちも見たいドラマですが、実は広開土王の
イ・テゴンさん、ヨンゲムソンで青年時代をされていて今ひとつ
ぱっとしなかったので、もしかしてミスキャストなんて思っていました。(笑
でも、なかなかどうして、面白そうです^^

2011/6/8(水) 午後 3:41 ruri

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ruriさん、こんばんは〜
「広開土大王」の碑の記述については
中学か高校の時に教科書で読んだ程度の知識で書いてましたので
私の中では、タムドクが新羅まで行ったのだと思っていましたが、
調べてみると援軍を送ったんですね。
「大王四神記」でも、ヨン様が援軍を送った・・記憶にありません^^
しかし、驚くのは、碑が中国にあったと言うこと、
私の想像ではせいぜい北朝鮮でしたが、高句麗はもっと大帝国だったんですね。

イ・テゴンさん、「宝石ビビンバ」と今放送中の「黄金の魚」しか見てませんが、「ヨンゲムソン」ではかなり酷評されたようですね。
ちょっと温厚すぎるんでしょうか?現代劇で見た感じでは、とにか体格が良くてこれは歴史物向きだと私は思ってました。

でも、これは、楽しみです^^
ブルーレイに入れて保存します。

2011/6/8(水) 午後 11:01 raumu81

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倭・高句麗戦争(わ・こうくりせんそう)は、4世紀終わりから5世紀の始まりに高句麗と倭人との間に起きた戦争。好太王碑に記録されている。

396年、好太王は兵を率いて百済の城を占領した。兵は首都に到着し、百済は降伏、高句麗への服従を誓った。好太王は百済王子といくらかの貴族を連れて首都へと引き返した。

399年、百済は以前の盟約を破り、倭と同盟を結んだ。好太王は平壌へと侵攻。そこで彼は新羅の使者に謁見した。
彼は百済と倭の軍が国境を越え新羅に侵攻していることを述べ、高句麗に援兵を求めた。新羅が高句麗の臣下になることを誓ったとき、王は援兵を出すことを認めた。

400年、高句麗王は新羅を助けるために5万の兵を送った。倭の軍は高句麗軍が新羅の首都に着く前に撤退していた。

404年、倭の軍は突如帯方郡南部国境を超え、京畿道に侵攻した。王は平壌から兵を率いて進み、圧倒した。倭の軍は平壌に近い京畿道の支配を失った。

2012/6/27(水) 午後 9:13 [ 環境歴史観光防災カメラマン ]

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環境歴史で町復興プロジェクトXさん、(と、お呼びしていいのか^^)
とても歴史にお詳しいですね。
高等学校でもここまでは教わらなかったと思います。
(私の記憶では。。)
ブログの方もお邪魔しました。
興味深い記事がたくさん、
またゆっくりお邪魔したいと思います^^

2012/6/28(木) 午後 4:11 raumu81

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「広開土大王」の子孫(高句麗王族)が、唐・新羅の連合軍と高句麗の戦争で高句麗が敗れた時に、日本に亡命していますね。日本には広開土大王の血が流れている人が少なからずいるはずです。
高句麗が滅亡した際に、多くの臣民が離散。唐によって他地域に強制移住させられたり、女真族(後の満州族)に取り込まれたり、後の渤海国(中国東北地方)の建国に参加したり、日本に亡命したりと、、朝鮮半島に残っている遺民は比較的少なかったのではないでしょうか。
言語的にも、「高句麗語」は、朝鮮語・韓国語の元となった新羅語とは系統が異なるとされ、有力な説としては、1)高句麗語および扶余語はツングース系の言語である、2)高句麗語に最も近い言語は日本語である、3)ツングース系の言語をベースにモンゴル系の言語を取り入れた、、といことで、現代の朝鮮語・韓国語とは、語彙的に共通する部分は若干あるが(語彙的には日本語が最も近いそうですが、、)、言語系統は異なっているというのが世界的における言語学界の通説です。ちなみに、高句麗の言語は、百済の王族が話していた扶余系の言語とほぼ同じであったという記録があるそうです。

2014/1/13(月) 午前 10:11 [ pan*os*imo* ]


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