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毎年ではなかったが、今までも夏のこの時期に感じる言い知れない悲しみがある
今年のはいつになくそれが強くて そして怒りも感じる
忘れていた夏が何度もあったのは、当たり前のようになっていた平和のおかげだった
きっかけは小学校5年生か6年生の頃の夏休みだったと思う
身のまわりの大人の戦争体験をきいてレポートにまとめるという宿題が出た
仲良しの近所のゆみちゃんと一緒に宿題をすることになった
まずは一番近い自分の祖母に聞いてみた
祖母は明るい性格でいつもカラカラと笑っている人だったけど、その時は眉間にしわをよせながら「食べ物も、楽
しみも、自由も今とは想像もつかないくらい何にもなくて、それはそれはつらい時代だったよ。でもねぇ 戦争に
いった兄弟が無事帰ってきてくれたことだけは本当にねぇ それだけはね ありがたいことだったね。もうこれくら
いにさせてよ。暗い話はいやだから」 そして、私とゆみちゃんに釘をさすように祖母はこう言った。
「ゆみちゃんのおばあちゃんにはこんなこと聞いちゃ絶対だめだよ。ほんとにだめだよ。」
それだけで十分だった。ゆみちゃんと私は、とっさにさとってしまった。
ゆみちゃんが後でお母さんにこっそり聞いたのは、ゆみちゃんおじさんにあたる人が2人もいたということ。
ゆみちゃんのお父さんは若かったから行かずに助かったこと。
35年前は、戦争は過去の歴史ではなく、その後の目まぐるし変化と成長の裏でまだまだたくさんの人の心の奥
底では生々しく至る所に戦争の記憶が暗い影を落としていた、そんな時代だったのだと思う。
夏休みあけにレポートを発表する時間があった。
私の祖母のような話、戦地へ行った人の話、そしてそれにまじって「何も思い出したくないし、話したくもないと言
われたので宿題できませんでした」と言った男の子が一人いたのが印象的で覚えている。
そう言ったその男の子に「うそだー!いいわけだー!」と笑い声とからかいがどこからともなくクラスで起こった。
ゆみちゃんの隣の席に座っていた私は、なんだか悲しくなってしまってあたりをみまわしたら笑っていない子が結
構いて安心したのを覚えている。
その夏以来、終戦記念日まじかになるとたまにこの時のことを思い出すようになった。
戦争が終わって 僕等は生れた
戦争を知らずに 僕等は育った おとなになって 歩き始める 平和の歌を くちずさみながら 僕等の名前を 覚えてほしい 戦争を知らない 子供たちさ 若すぎるからと 許されないなら 髪の毛が長いと 許されないなら 今の私に 残っているのは 涙をこらえて 歌うことだけさ 僕等の名前を 覚えてほしい 戦争を知らない 子供たちさ 青空が好きで 花びらが好きで いつでも笑顔の すてきな人なら 誰でも一緒に 歩いてゆこうよ きれいな夕日が 輝く小道を 僕等の名前を 覚えてほしい 戦争を知らない 子供たちさ 戦争を知らない 子供たちさ 「戦争を知らない子供たち」 ジローズ
この曲は、私の生れた冬にレコードが発売になった。
そう私たちは戦争を知らない子供達なのだ。
夏が暑く楽しいだけではないのは、まぎれもなく私が日本人であるからだということを忘れない。
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