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歳を重ねるにつれてよくぼんやりとこのことについて考えるようになりました。
先日のことですが、高校生の娘にこう言われました。
私がかつて彼女が幼い頃に口癖のように言っていた「騙されたと思って一回やってごらん(もしくは行ってみよう)」というフレーズが、今になって彼女の中の一番のお気に入りのフレーズなのだそうです。
もうすぐ巣立つ娘に、意外なフレーズを言われ、あれ私はもう少し大事なことを言ってきたと思っていたのですが、ちょっと拍子抜けしてしまいました。
少し語弊があるかもしれませんが、私は「嘘」について肯定的な気持ちが半分とまではいきませんがかなりあります。
そう思える象徴的出来事がもう一つありました。
それは夏休みに日本へ一時帰国した時、郷里から東京へ向かう新幹線の中でした。
お盆休み明けでまだまだ混み合う自由席の車内で、たまたま隣に座った70代くらいの女性の荷物を棚にあげるのを手伝ったことから会話が始まりました。
これだけは壊れ物なのでと大事にひざ上に抱えていたのは、昨年亡くなられたご主人の遺影の入った風呂敷包みでした。
長年、私の郷里の大学で教えていたそうで、毎年お盆の時期に教え子達が主催するOB会に行くのを楽しみにしていましたが、今年は叶わず、代わりに初めて妻であるその女性が参加したそうです。
そのご主人が思いのほか教え子達から慕われていたこと、みな30代40代でそれぞれ家族を持ったり社会で頑張っていることを知ることができて良かったと、そして同時にものすごく申し訳ない気持ちにもなったそうです。
大学生という人生さまざまに悩む時期に就職のことやはたまた結婚のことなどよく相談にのってくれたこと、そして自らの経験をもとに親身にアドバイスをくれて、なんとか道を間違えずここまでこれたと何人もの教え子の方にいたく感謝されたとのことです。
そこまではいいのですが、教え子の話しを聞いているうちにに亡きご主人がアドバイスしていた自分の体験に基づくエピソードがことごとく「嘘」だったということに気づいたそうです。
もちろんその本人の方々を前に口が裂けても言えなかったそうですが、それまでしんみりしていた気持ちが申し訳ないのと同時におかしさがこみあげてきて大変だったそうです。
聞けばその女性の生まれも育ちもまったく違う設定になっていたそうです。
ひとしきり私も一緒に笑ってしまったのですが、その女性が「もう本当に演劇好きで想像力豊かな主人らしくてね、、、あなたは過去にそんなことあってあとで真実を知ったらどお?」と聞かれて、「いやいややさしい嘘ですからね、いいお話しですね」とその時ははっきり答えられませんでした。
東京駅でお別れしたその女性は、やっぱり「墓場までもっていかなきゃね」とにっこり笑ってお別れしましたが、しばらく私は「人間ていうのはいいなぁ」とめずらしく素直にそう思いました。
勿論いままで生きてきた中で、他人と同様私もさまざなな嘘をつき、また逆に嘘をつかれてきました。
嘘にも色々あって、悪意に満ちたものから善意からくるものまで、若い頃は虚栄心や妬み、また自信がないのに自分を鼓舞するための嘘といったものに多く接したりついたり、中年になってからは波風をたてないように、またこれは私の悪い癖なのですが他人がそう言ってほしいと思っていることをまったくそう思っていなくても言ってしまうような嘘もつくようになりました。
そんな時は少し後味が悪いのですが、善意のうそのうちでなるべくその人にとって「嘘のやさしさ」で接しないよう、新幹線で会った女性の亡きご主人のように「やさしい嘘」を心がけようと思います。
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たとえ事実であっても、まるで捉え方の変わるような、伝え方があるような気がします。
優しさは思う以上に、言葉そのものより、伝わっている気がします。
2016/10/14(金) 午後 1:20
> AURORAさん
劇や映画や小説はそれがフィクションであるとみな知っていながらも感動したり時には人生観が変わったりしますよね。私はこの先生が迷っている教え子にどうやって話したら助けになるかを身をもってがんばて?嘘をついたことがなんだかとても大きな優しさな気がしてしまいました。
2016/10/14(金) 午後 10:51