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追慕


その人の訃報は実家への新年の挨拶の電話で知らされました。
最後に施設に会いにった時にすでにその予兆がありましたが、この数年で記憶をどんどん無くしてしまったそうです。
私にとっては育ての母のような人でした。
生まれてから、大学入学で上京するまでずっとお世話になった人でした。

猛烈に忙しい両親に代わって、自営のまかないと家事の一斉と私たち兄弟の世話をしてくれました。
病の後遺症をもろともせず朝から晩まで子気味よく魔法のように仕事を片付けるその姿は、今思い出しても爽快です。

兄弟の中で一番年少だった私は人恋しさもあり邪魔にならないようによくそばで遊んだり、買い物についていったりしました。そして自分の視界にその人がいなかったり、その人の働く”音”が聞こえないととても不安になりました。
その人の”気配”というものを言葉には表現できませんが、今でも安らかで温かな記憶としてはっきりと覚えています。
そういう感情は一般的には子供が母に対して抱くのだというのを、自分が子供を持って初めて知ることとなりました。
母親としての今の自分は、きっと半分以上この人のおかげでなんとか成り立っているのだろうと思います。

その人が人生の一番輝いている時に、時代と病とに翻弄されて数々の不条理をくぐり抜けてきたことを知ったのは私が小学生になってからのことでした。
姉とほとんど同じ年の子供と生き別れてすぐにうちで働いてくれるようになったそうです。
「実は、お姉ちゃん(私の)と同い年の娘がいるのよ、今は会えないけれどいつか会いたいなぁ。」
と話してくれた時のことを今でも繰り返し思い出しますが、特に自分が母になってからはその人がどんな気持ちで私たちの世話をしてくれたのかと思うと切なくなります。

老後になってからですが、その娘さんと再会を果たし交流が始まったことを嬉しそうに教えてくれました。
「とっても不思議な感じなのよ、あの子がどんなふうに育ったのか全然知らないんだけどすごく私と似ているところがあってね」と、本当に嬉しそうでした。
その人はいつも時に過酷で、時に多忙で、そして時に孤独でまた単調な人生のすべてをありのままに受け入れて小さな幸せに感謝する生き方をした人でした。
結局、その人は私の前で一度も怒ったり、苛立ったりした姿を見せることなく、その人らしく徐々に存在感を薄くしながら旅立ってしまいました。
自分の人生が長いのか短いのかわかりませんが、これまでもいつまでも生き方のお手本にしていきたい人です。
ここは日本からは遠すぎて、その人のことを思い出して感謝するという形でしか喪に服せませんが、追悼の言葉にかえて。



閉じる コメント(2)

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時の流れに逆らわないでその時の状況を受け入れて生きるお姿、美しいですね。きっとRCさんのなかで、いつまでも大きな存在感として生き続けられるでしょうね。

2017/1/22(日) 午前 0:20 [ Rose ]

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ROSEさんお元気ですか?ほとんどの人は一見その人の人生が薄幸であるように見えたかもしれませんが、私はその人にとても何か超越したしなやかな強さをいつも感じました。その人がその時そこにいてくれたことは私にとってとても幸運なことでした。自分で「人生を幸せにした人」だったと思います。本当にその部分はいつまでもすごいと思います。

2017/1/22(日) 午前 7:33 RC


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