摂食障害でも明日を信じて

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日記

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オモチャの兵隊さん

母親は一切料理はしない、だから、小さい頃から母親の味を知らない。
たまに父が料理する。両親が昔の食べ物を話をしている。
近頃は食料事情もいいから贅沢だと母が言う。私自信は食べないから食費はいらないのに・・と思ったが、それは甘い考え。お野菜一つでも無駄にはしていない。考えて料理している。でも、話を聞いてみると昔の人達は苦労している。私の考えが間違ってるんだね。


ずっと昔から独立したいと言っていた。父は賛成しているが、母親が反対してさせてくれない。
私がこんな体だからだけど、主治医は母親から離れた方がいいと言う。
そのことを話したいけど言えない。入院を勧めるのも母から離したいのだと言う。
小さい頃から親の引いたレールを歩いてきた。でも、大学の時に失敗した。
みごとに私立の医学部でさえ落ちたが浪人はしなかった。その時初めて親を裏切った、

それから私は負け犬になった。生まれてきたことを恨んだ、
それから病気になって死ぬことばかり考えた。親の期待に応えたかった、
でも、価値のない人間になって生き恥をさらして生きている・・・情けない。

恋なんてしてはいけないし人を好きになってもいけない。
私が生きているのは親のお陰なのだ。余計なことは考えなくていい、
でも、不思議なんだ・・親が背中のボタンを押したら死ぬんだね。
「オモチャの兵隊さん〜♪」乳母が歌っていた・・覚えている。

19歳

今日は弟のお誕生日。
19歳。。おめでとう★。、::。.::・'゜☆。.::・'゜★。、::。.::・'゜

生まれて3ヶ月で病気が解って
それから入退院の毎日だったね。

3歳の時の髄膜炎の時に主治医に後遺症が出ますと言われて
運動機能か脳機能か随分心配したよ。
白血球減少、血小板減少、喘息、アレルギー
公園で遊ぶことはなかった
貴方はいつも病棟の窓の中。

でも、3歳から公文でお勉強して
ピアノ、ヴァイオリン、剣道、日舞頑張ったね。
幼稚園や小学校で入院の度にお友達から沢山お手紙貰ったね。
小学校から進学ゼミに変わって勉強の毎日だった。
剣道してから喘息の発作も少なくなったけど
よく自家中毒もしたね。ストレス多かったのね。

そうだよね・・・
中学受験の為に朝3時まで勉強して感心したよ。
受けた学校は全部合格で嬉しかった。

遠くへ行ってしまう貴方に言った言葉。
一緒にお風呂に入ってる時に
「淋しくなったら空を見るのよ、私も同じ星を見てるから」
貴方は泣いたね。私も泣いた。

貴方がいつ声変わりしたのか、背が高くなったのか解らないよ。
帰省する度に青年になって剣道部の主将までしたよね。

高校2年の時に初めて恋をしたよね。
1個上の女性。
春休みを利用して彼女に会いに行ったよね。
その時、貴方は初めてキスをした。
受験になって彼女は東大受験で別れたよね。
普通に振舞っていたけど、苦しかっただろうね。

彼女とは関係ないけど高校2年で学校を辞めたいと帰省した時は驚いた。
その時の判断が正しかったのか間違っていたのか解らない。
でも、それから貴方は勉強をあまりしなくなった。
受験の時に寮を全部処分して卒業式も出ずに帰省したね。
よほど嫌な学校だったんだね。
淋しかったんだよね。小学校から親元離れて苦しい時も一人で解決してきた。

人は甘えていると言うだろう。
でも、弟は淋しかったのだ。悲しいほどに・・・
私には解る。歳は離れていても私達は一卵性双生児だから。

生まれてから医師になる事を余儀なくされた。
うちは身内が少ないし兄弟も少ないから
弟が一人になっても自分一人で生きていけるように。
でも、責任感を感じることはないよ。

覚えているよ。
笑わない私に小さい頃から、私の肩を叩いて
「笑ってごらん」そう言っていつも励ましてくれた顔。
貴方がいたからここまで治った。

貴方の奏でるヴァイオリン、ピアノの音が好きだよ。
華麗に舞う踊りが好きだよ。
でも、何よりも藍色の胴着を着た剣道着姿が好きだよ。
栗色の髪をなびかせて貴方は跳ぶ・・・
 
生きていたい。
貴方が医師になって「先生」と言われるその日まで・・・

昨日、友人からメールが来ていた。
前の話の延長上で、この先は私が友人ともう付き合いたくない事を言った。
「話があるので会ってほしい」という連絡が来た。
でも、いくら話しをしても解ってくれないし
その前に育った環境や価値観が違い過ぎるので話になりません。
今まで色々なことを話したのですが
友人は母親の考えを私に押し付けて母親の意見が全てで本当に理解できないことばかり。
私に何を期待してるのか?解りません。
友人は仕事真面目で優しい時は優しいのです。悪い人間ではありません。
でも、自分に合う人間っていると思うのです。
うまく付き合っていけばいいという理屈は解るのですが
私には友人の言うこと態度があまりにも合わずにストレスになって頭痛がしていました。
病気に対しても理解されないし、健常者だから仕方ありませんが
癌以外は病気ではないと言われていました。
理解されないのは病気になった人ではない限り理解してもらえないことは覚悟の上で
私の病歴を話しすると、何も興味を示してくれないし精神科に通っている事も
別の人間扱いで、私は理解して欲しい部分が多かったのかも知れません。
理解されない病気というのは十分解っています。
一度は泣いて訴えた事もあります。その時は本でも読んでみるからと言うのですが
最後は食べない事が悪いんだよという言葉。
悪い思い出ばかりじゃないけど、友人とはもう付き合えません。
友人の悩み相談もお金のことが多いし、私にはしてあげられることは限られています。
私しか友達がいないと言われて頼られているから少しでも私で力になるのでは・・・
そう思って付き合ってきたけど、もう限界が見えてきました。
私の場合、この友人とは友情は男と女には通用しなかった。
私が求めていたのは何だったんだろうか?
会って楽しい時も沢山あったけど、近頃の友人の話には付いていけなくなった。
もう疲れてしまったのかも知れない。
暫くは淋しくなる感情はあるかも知れないけど、慣れるだろう。
家族といる時間、弟と会える時間があまりにも心地いいので癒されるだろうな。
友人とは随分笑った。でも、会っている時も病気のことが頭に離れなくて
心は本心で晴れなかった。
これから会えなくなっても友人には仕事も頑張って欲しいし元気でいて欲しい。
今までお世話になりました。ありがとう。
これからは違う道を歩いていくけどお互いに幸せになりたいですね。

優しいキスをして

外出してもスーパーかお買い物は親と一緒。
普段でも外出しない私は出会いがない。
こんな病気だから出会いがあっても付き合うことは出来ない。

初恋は高校生だった。別の学校の生徒で私は女子校、彼はバスケット部のキャプテンでイケメンだった。
女の子からもてはやされても冷静で学力も常にトップ。
私には関係のない人だと思っていた。高校1年の夏休みに彼から手紙が来た。
文通をしてくれという内容で私達の手紙のやり取りは続いた。
私はバレエやピアノのこと音楽のこと色々書いて送った。
初めて映画に行ったのは高校2年の夏休み。それから季節は変わっても文通は続いた。
電話が来るようになったのは高校3年の時で彼からの一方的な電話。
彼のお父様は教育長で厳しい人だったのでそうしたのだろう。
女の子から電話があったといったら大変なことだから・・・
高校3年の夏休み私は初めて彼とキスをした。温かい柔らかい感覚はまだ覚えている。
それから彼は大學を卒業したら結婚しようと言った。
高校を卒業したら二人で北海道に旅行に行こうと誘った。彼は真剣だった。
そんな中、追い討ちを掛けるように受験戦争。
医師だった父親は医療関係を望んでいた。私もそれに答えるべく勉強した。
秋の文化祭。女の子が騒いでいる。私の所属する美術部の前。
彼が来ていた。話はしなかったが私の画をずっと見ていた。
女の子が知り合いなら紹介してよと何人も言うけど私は複雑だった。
冬が来て受験の追い込み。私は必死だった。ゼミにも行き家庭教師も両親がつけた。
ふと考えると彼からの手紙だけで私は書いてない。忘れた訳ではないけど
あの頃も不器用だったのかな・・・
彼からの電話で私は受験に専念すると言って切った。
彼からの手紙でこれが夢ならいいと・・別れたくないと書いてあった。
私は泣かなかった。大學のこと親の信頼を裏切らない。それだけで頭が一杯。
結果は医学系の大学は見事に落ちた。浪人も考えたが私の選んだ大学に行った。
それから彼に連絡することはなく忘れていった・・・

大學の頃、恋をした。年上の歯科医。優しい人だった。
本が好きでどこに行くにも活字がないと落ち着けないという人で色々と教えてもらった。
仕事も真面目で私達はよくドライブや旅行に行ったものだ。
GWには毎年沖縄に泳ぎに行った。ハワイより海は綺麗だった。
毎日、電話しては会っていた。肉親に近い存在だった。
5年間付き合った。結婚も考えていた。
そんな中、彼は交通事故で酒を飲んで道路に寝ている男性を轢いた。即死だった。
電話があってすぐ事故現場に行った。彼はパトカーや救急車の側で立証検問してる。
これが夢であった欲しいと考えた。事故現場に群がる人達・・その中に私もいたのだ。
新聞にも載った。私は彼の仕事の心配をした。彼の知り合いは私も同席していたと中傷する。
それを警察に言ったみたいで刑事が家まで来たのだ。
刑事はこれからも先生の支えになってあげてくださいと言った。
同じ医師会に広まるのはそう遅くなかった。
父が海外に留学しないさいと言った。彼と別れなさいということだ。
医師としての父の立場、歯科医として有望だった彼の将来。
私は彼と別れることにした。彼は遠くに逃げようと言ったが私にはそんな勇気はなかった。
運命の人だと思った。これからずっと一緒にいる人だと思っていた。
電話したら直ぐに会いに来てくれた。私を子供のように可愛がってくれた。
もう人を愛することはないと思った。こんなに辛いならもう一人でいたほうがいい・・・
私は暫くNYに行った。友達が画廊をしていたのでそこでお手伝いをした。
嬉しいことに友達はゲイだったので私に手を出すことはなかった。
色々な国に行った。そこで気持ちを入れ替えて私は帰国した。

季節は過ぎていって偶然初恋の人に会った。
彼は国家公務員になっていた。綺麗な顔、優しい声は変ってない。
もう一度付き合って欲しいと言われたが、私は笑みを浮かべて首を横に振った。
それから彼と会う事もない。
歯科医の彼は時折メールをくれる。2度ほどあったが病気が発病していた頃で
そんなに痩せちゃってどうしたのと心配してくれたが大丈夫と言って元気なふりを見せた。
彼は開業していた。彼も再度うちの両親を説得するから結婚しようと言ってくれたが
私はあの事故のことが頭から離れない。あんなに惨めな思いをさせたのは私のせい。
私が夜に電話して会いたいと言ったから全部私が悪い。
彼と結婚することはもうない。

一人でよかった。
家族がいてくれてよかった。
一人だったら死んでいただろう・・・病気の発病。
ここから病気との戦いが始まった。
丁度、弟が中学受験で5年生から追い込みを掛けた。
少し病気は落ち着いてきた、というより病気に慣れてきた。
そんな頃、弟のゼミの講師と友達になった。
食事に行ったり、ショッピングしたり先生がお休みの日は誘ってくれた。
食事は最初は私の食べる量を見て驚いていたが、時間が経つに連れ私は病気のことを話した。
健康な人には解らないだろう。初めは理解できないという戸惑いだった。
でも、この6,7年間友達として付き合って少し解ってくれたようで
私も外食をしても平気になった。時折、脱水になって近くの病院には何度か運んでもらって
点滴3本が終わるまで待っていてくれる。勿論、弟とも仲がいい。信頼関係は出来上がっている。
この間、先生が結婚を切り出した。男と女はやはり友情は続かないのか・・・
私は子供も産めないし病気を持っていることを話した。それでも受け入れてくれると言うのだ。
私が健康ならいいけど迷惑が掛かるのは解っている。
長い髪をなでて一生幸せにするから自分に付いてきて欲しいという・・・
日曜日には僕がスパゲティを作るから二人で食べようという・・・
貴女は笑ってくれるだけで、それでいいからと・・・
そんな生き方もいいかも知れない・・若い頃より少し考えは変わった。
でも、病気のことを理由に断った。先生はいつまでも待つという。
仕事一途な人間で真面目で優しい。私でなくても相手は沢山いる。
私の運命はどうなるのだろうか・・・宿命は変えられないが運命は自分の努力でどうにでも変えられると
言う。全て病気のせいにしてはいけない。病気になったのは運命だったんだろう。
それを受け入れて今から生きていかなくてはいけないのだ。
時折、眠るまで淋しい時がある。誰かに電話したくなる。そう思いながら寝る。
私は今まで歩いてきた自分の人生に後悔したくない。絶対死なない。
ここで負けたら終り。最後はあんな日もあったよねと笑って話したいから。
そして私を愛してくれた人達にも私が幸せにならなければ別れたことが無駄になるような気がするから。
これから私の運命はどうなるのか解らないけど後悔だけはしたくない。
いつも自分をいとおしく思い愛したい。
心から笑える日がきっと来るよね。

文学において、とくに古代の日本文学の中において、女性が性的な快感を味わうと同時にその二律背反的状況としての不幸を背負はなければなないと言う状況に少なからぬ、関心をいだかずにはおれません。
女性が特有にあじわえるといわれてきた、いわゆる「快感」とよばれるものは歴史的な経験の蓄積によるものであり、女性特有の本性に元ずくものではないと私は考えています。
男性の快感と女性の快感は、質的にも量的にも異なるという定説めいたものがあります。本当にそうなのでしょうか。
快感の量的な差は性医学者でも立証したことがありません。何グラム気持ちいいとか、何メータイッタがは今なお表示されたこともありませんし、する必要性もないことなのです。
しかし、この性的な快感とは理論的立証が不可能なとこなのでしょうか、私はそう思いません。
ことに、女性の性的快感は生理学的な分析によってその解はないと極言しても良いとさえ実感的に思っています。
女性の性的な感動とは、「とくに日本においてのそれは」歴史的環境的な条件による快感の量、ならびに質、といってさしつかえないと私は考えています。私がいまから申しのべたい事柄は、人間の性的状況の質についてのいくつかの感想を申し述べることによって展開していきたいと考えています、ことに、女性的快楽というものは男性側の情報操作によって造り出されたものだと、敢えて申しあげることにいたします。

以前 知り合いに送ったメールより・・・

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