|
東京に雪が積もった日、無感情な寒風が敵対するみたいに冷たく皮膚をいじめていた。 その日の空はきれいすぎる水色で、でも空は温度を伴わず、陽光だけが妙に明るく鮮明でどこかウソの 空みたいだった。 病院へ向かう足取りは重い。 寒風にさらされながら、駅から1本道を10分弱歩くと病院の通用口がある。 ジョーカーはいつもそこから病院の敷地へ入る。 病院の敷地に入ると敷地内だけ特別な重力がかかっているみたいに余計に足が進まない。 このところジョーカーの親父の状態が悪くなっていた。 人通りが少ない通用口から病院の建物に向かう道に積もった真っ白な雪を見て、ジョーカーは病室で弱っていく親父のことを考えていた。 「この白い雪に真っ赤な鮮血をブチ撒いて死ねたら綺麗だろうな」 今じゃ売れない映画みたいな現実味のない空想に苦笑いをし、ジョーカーは親父の病室へ向かった。 「どこも痛くもない。苦しくもない。ただ食欲がないんだ」 数日前から食事を摂る意欲がはっきりと薄れていた。 末期の胃がん患者に、何でもいい、差し入れでもいいからできるだけ食べさせてあげてくださいと医者に言われれば容態は相当よくない状態であるという事は察しがつく。 まったく盛り上がらなかった初デートの別れ際、「また誘ってください」という女の子の気分よりハッキリわかる事だ。 寿司が食べたいと言っていた。 生ものだけはやめるようにと言われていたので、病院へ向かう1本道の途中にあるスーパーで玉子とカンピョウのあまり美味しそうじゃない太巻きをとりあえず差し入れた。 朝から何も食べていない、 食欲もないという父をジョーカーは励ましながら5つに切られた太巻きのうち1切れだけを食べさせた。 ボクにはジョーカーがことごとく反りの合わない親父さんにそんな事をしていた事が、 はじめ上手く想像できなかった。 親父さんは5つに切られた太巻きのうちの1切れを食べるのが精一杯で、 食べ終わると疲れた様子で美味しかったと横になった。 「じゃあ帰るよ」 食事が終わりすぐに横になった親父と、今日これ以上話す事はない。 「明日、明後日は来られないから。金曜日に来る時は好きだった茶碗蒸し持ってくるよ。あれなら食えるだろう」 「ああ、食べる」 「何か他に話はあるか?」 「ない。 ありがとう」 ボクはジョーカーの親父がジョーカーにありがとうという言葉を伝えている姿も上手に想像できなかった。 東京に雪が積もった2日後にジョーカーの親父は逝った。 昼前、急に容態が急変したらしい。 「お父さんはがまんなさっていたのかもしれませんが、痛いとか苦しいとかおっしゃらない方なので、 急に容態が変わって私もビックリしているところです」 と主治医が話していたそうだ。 ジョーカーが取立てて急ぐ事もなく病院へ向かい、エレベーターを待っている時に息を引取ったようだ。 ナースセンター横の処置室に入ると父を挟んで母と妹が泣いていた。 苦しむ事なく逝ったとの事だった。 ジョーカーは今でも、父の死の実感を感じていない。 二人は反りが合わなかったからそう感じてしまうのか? それとも父の死というのはそういうものなのか? まだジョーカーはこんにゃくのお刺身を食べたときみたいに それが何なのかよくわからないようだ。 ボクにもそれはよくわからない。 これからボクはジョーカーの親父の葬儀へ向かう。
|
文学
[ リスト | 詳細 ]
|
「死んじゃえばいいと思ってた親父が死ぬよ」 めずらしくジョーカーに呼び出された。 いつものバーガーショップだ。 テーブルにはコーヒー&シガレッツ 席に着いてタバコを吸いながら、 テーブルの角をじっと睨んだり、 爪の格好を目的もなくただ眺めたりしながら 10分くらいお互い口を開かなかった。 それは、いつもの事。 そして、沈黙を破るのはいつもボクの役割だった。 でも、この日はジョーカーが沈黙を破った。 ジョーカーは子供の頃から父親と反りが合わなかった。 一つ同じ屋根の下に暮らしていてもおはようの挨拶も交わさない。 なんでそうなったのか。 反りが合わないからそうなったのだ。 「親父よくないのか?」 「ああ」 「昨日病室で初めて親父がありがとうって言ってきたよ」 「そうか」 「死ぬって段になってやっとな」 「それでジョーカー、オマエはまたシカトしたのか?」 「オレもなんか分かんないけどありがとうって言ったよ」 「よかったな」 「遅すぎだけどな」 「でもよかったな」 「ああ」 そのまままた、お互い黙ったままタバコを吸いコーヒーを啜った。 別れ際、バイクにまたがって手を挙げたジョーカーのヘルメット越しの目が いつもより穏やかに見えた。 ボクの気のせいかもしれないけれど。 |
|
丁度いい時期なのかもしれないね。 もう長くはないだろう。 今年一番の寒波が東京を襲った前夜、 ラジオから井上陽水の「夢の中へ」が流れてきた。 ♪ 「探し物はなんですか?」 「見つけにくいものですか?」 「まだまだ探す気ですか?」 「それより僕と踊りませんか?」 退屈だからって石ころ蹴飛ばしてたあの頃とはちょっと違うんだ。 ボクはできるだけニュートラルに物事をとらえるように心がけるようになっていた。 いろんな立場がありその分いろんな意見がある。 つまりボクはこの風景が美しいのか美しくないのかということについて、できるだけたくさんの人の話を聞こうと心がけて実践してきたワケだ。 そんな風に世界と接する態度がROCKなのかと、ジョーカーはいつも真っすぐに詰め寄ってきた。 でも、ボクはできるだけニュートラルに物事を考えるように心がけてきたことを間違いだったとは思っていない。 ボクは少し大人になって、いくらかまともに世界と接することができるようになったんだから。 いや、世界ではなくて社会とまともに接することができるよになったんだから。 ボクは灰を目の前にして自問している。 確かなのは、ボクは確実に言葉を失っていっているってこと。 ボクは言葉を発するのにこれほどまでに不自由になってしまっていることを痛切に実感している。 もう長くはない状況の中で、ボクは言葉を取り戻すべきだという結論に思い至りつつある。 井上陽水は歌っている。 ♪ 「探すのをやめた時 見つかる事もよくある話で 踊りましょう 夢の中へ 行ってみたいと思いませんか?」 こんな詞が書きたかった。 ジョーカーがそう言っている。 大事な舵取りをする。 右に切るか左に切るか。 言葉をつかまえにいこう。
|
|
「オマエと話していると疲れるよ」 そう言って不味いコーヒが入った紙コップが口に運ばれた。 ボクはジョーカーの”心”を読もうと必死に”頭”を働かせた。 まるで出会ったこともない理想の恋人をノートに描くような作業だ。 そのことをジョーカーの心は読んでいたのだろう。 あの頃、ボクはすでに”心”を”心”で読む本能が衰弱していたんだ。 1時間ほどボクとジョーカーはひと言も口を利かず、 その間ずっと店内には耳障りのいいポップロックが流れていた。
|
|
真っ暗な夜みたいな箱の中で、ボクは考えている。 持ちはじめの携帯電話には、多くはない人たちの名前と電話番号が登録されている。 その人たちはボクの知っている人たちである・・・ ひとりハドソン川を上るボクの姿を想像していた。 ボクのオヤジは陰気だった、ボクのセンコーも陰気だった、ボクのダチも陰気だった、 ボクとジョーカーとジェイだけが輝いていると思ってた。 ボクはボクの陰気な人たちを否定するロックじゃなくて、 ボクの陰気な人たちを描き出すロックがしたかった。 ボクはボクのバンドのメンバーにいつもそうレクチャーしつづけた。 でもボクのレクチャーはボクの感覚を効果的に伝えることができていなかったようだ。 ボクのバンドのメンバーはいつもボク達の陰気な人たちを否定するようなロックをしていた。 ボクはボクのバンドのメンバーにボクがいちばん伝えたいことが伝わっていないことが辛かった。 ボクには陰気なオヤジも陰気なセンコーも陰気なダチも輝かしいバンドのメンバーもいる。 なのに急にボクにはボクひとりしかいないんじゃないかと思えてきてとても寂しい気分になった。 ボクの陰気な人たちを否定するロックじゃなくて、 ボクの陰気な人たちを描き出すロックができるメンバーなんていないのではないだろうか・・・ そもそもボクの陰気な人たちなんてのがいないのではないだろうか・・・ ホントは、ボクにはボクひとりしかいないってことなのではないだろうか・・・ ボクは昨晩ずっと、持ち始めたばかりの携帯電話から聞こえる「明日の17時にいつものところで集ま ろう」と話す固く強ばったジョーカーの声を聞いてから考えてつづけていた。 セックスピストルズを聞きながらたどり着いてしまったこの何とも言えない不安な気持ちを、 ボクはスルッと出る1本のうんちみたいに体の外へ排泄することを切望した。 いつものハンバーガー店で不味いコーヒーを啜ってジョーカーと向かい合っているとき、 昨晩からのアナーキー・イン・ザ・UKと便意がボクの頭と心と身体を支配していた。 |



