五街道を歩く(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)

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7842(徳富蘇峰翁ご夫妻、お手植えの松)
7841(その石碑)
7847(小栗上野介招魂碑、こちらは幕末の小栗忠順(ただまさ)である。)

昭和8年5月に普門院を徳富蘇峰翁ご夫妻が訪れて、松の木を手植えしたと説明板に書いていた。
墓所の隣の駐車場側にその松があった。

徳富蘇峰は小栗上野介の墓に献香黙祷をしたあと、普門院43世住職の案内で小栗忠政の墓を参っている。
小栗忠政の墓石の前に来た徳富蘇峰はこう言った。

「あっ、これが又一の墓ですね。立派です。
小栗の始祖忠政の墓、元和2年9月18日!うん。
又一の名は家康から貰ったものです。槍の名人でね。」

住職はいままで多くの人を忠政の墓に案内したが、「この戒名と年号だけを見て直ちに忠政の墳也と云われる仁(ひと)は他になかった。」と感心したという。

なお、江戸時代末期の幕臣で軍艦奉行の小栗忠順(おぐり ただまさ)も読みは同じであるが、忠政の末裔である。

「小栗忠政一族の墓所」に普門院と小栗忠政との縁が説明されていた。
小栗忠政は、この寺の再開基であったのである。
http://www7.ocn.ne.jp/~fumonin/4sitei.htm

『戦国時代、金子家後裔四散のあと、普門院には、かなり廃墟の期間があったといわれているが、小栗家四代の忠政が家康の関東入国とともに来たって大成村を采地として与えられてからは、自ら再開基として寺の復興に努め、子信由の代には御朱印地となり、10石を賜った、再び寺は興隆した。』(抜粋終わり)

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さいたま市在住。小栗上野介の墓には行ったのですが、こんな近くに関係のある場所があるなんて知らなかった。近々、行ってみます。

2018/4/18(水) 午後 5:16 [ pkk***** ]


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