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			<title>五街道を歩く（東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道）</title>
			<description>文字や写真が見にくい方は、キーボードの「ctrl」を押しながら「＋」キーを押せば、「＋」を押した回数分だけ拡大表示できます。
「ctrl」を押しながら「－」なら縮小を、「ctrl」を押しながら「０」（ゼロ）なら元のサイズに戻ります。
ラテン語の「拷問台」がフランス語の「働く」（トラバーユ）、英語の旅行（TRAVEL）の語源だそうですが、東海道中は大半が「拷問」でした。足の豆が痛さの原因です。
日本橋から掛川までは土日ごとのつないで歩きましたが、掛川から京都三条大橋までは通しで踏破しました。昔の旅の実態をリアルに表現しようと思います。
東海道を書き終えて、中山道に興味を持ち始めてはいますが、まだ何もできていません。そこでつなぎに小笠原父島へヨットへいったことを掲載します。その後は気の向くまま書いていきます。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>五街道を歩く（東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道）</title>
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			<description>文字や写真が見にくい方は、キーボードの「ctrl」を押しながら「＋」キーを押せば、「＋」を押した回数分だけ拡大表示できます。
「ctrl」を押しながら「－」なら縮小を、「ctrl」を押しながら「０」（ゼロ）なら元のサイズに戻ります。
ラテン語の「拷問台」がフランス語の「働く」（トラバーユ）、英語の旅行（TRAVEL）の語源だそうですが、東海道中は大半が「拷問」でした。足の豆が痛さの原因です。
日本橋から掛川までは土日ごとのつないで歩きましたが、掛川から京都三条大橋までは通しで踏破しました。昔の旅の実態をリアルに表現しようと思います。
東海道を書き終えて、中山道に興味を持ち始めてはいますが、まだ何もできていません。そこでつなぎに小笠原父島へヨットへいったことを掲載します。その後は気の向くまま書いていきます。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000</link>
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		<item>
			<title>懐かしい東海道</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-f5-84/realhear2000/folder/424826/95/59673995/img_0?1424408898&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_240_320&quot;&gt;&lt;/p&gt;東京ビッグサイトにいく途中、私は新橋駅のゆりかもめのホームに立っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ホームの下を現在の東海道が直行している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このあたりは都会化しているから旧街道は残っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
北品川から海寄りに旧街道が残るだけである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
五年前に私が歩いた東海道は、このゆりかもめのホーム下を通る国道一号線の右側歩道だったことに気づいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
道路に標識が出ている。「横浜29km」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初めての東海道は、夕方神奈川宿着だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本橋から歩いたから30km以上も初日から歩いていたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
旅慣れていない素人だった当時の私のけなげな頑張りが不思議に愛おしく思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
旅慣れてからは、一日20～25kwしか歩いていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分の体にフィットした距離感を把握したからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それ以上歩いたら足が一週間もたないことを学習したからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最初の宿場「神奈川」は横浜駅北寄りのやや高台にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
旧東海道は老舗料亭田中屋の前を通っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歩いたその数年前に、あることを聞いてくれた役人幹部を接待し、お礼として芸者をあげて歓待した店がその田中屋だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのときは田中屋が江戸創業の有名な店で、東海道沿いにあることなど私は知らなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近のテレビ番組で、龍馬暗殺後に妻のおりょうは神奈川宿の田中屋で働き人気者になっていたことを知った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東海道は私にいろいろなことを教えてくれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ゆりかもめが五年前の私の街道歩きの初陣を思い出させてくれた。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000/59673995.html</link>
			<pubDate>Fri, 02 Jul 2010 12:18:00 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>以降の記事は下記アドレスをクリックしてください。</title>
			<description>&lt;div&gt;またまた引っ越しました。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;a href=&quot;http://shono.blog.so-net.ne.jp/&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://shono.blog.so-net.ne.jp/&lt;/a&gt;&lt;br&gt;
&amp;nbsp;&lt;br&gt;
ヤフーでは写真掲載ができなくなりました。&lt;br&gt;
小生の使用しているパソコンが古いからということではじかれるようです。上記に引っ越しましたので、写真をごらんになりたい方は上記アドレスににアクセスしてください。 &lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;過去記事の一部は下記にあります。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/suikyo50/&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/suikyo50/&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000/59566333.html</link>
			<pubDate>Wed, 26 May 2010 19:20:01 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>熊</title>
			<description>最近、二戸（にのへ）付近の山で山菜取りをしていた男女が熊に襲われたという記事を読んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
五月は人も熊も山菜を取りに行くのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件場所は私が第五幕で歩いた奥州街道からは西へ12キロほど入った場所である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人や車が通る街道に熊が出てくることは稀だが、峠越えなどの旧街道は土の山道となるところもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういう場所は車も通らないから、熊にとっては行動範囲に入る場合もあるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
街道筋に熊に注意するよう呼びかける看板を見掛ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
奥州街道では、「山菜取りに行くときは熊除け鈴を鳴らしましょう！」と書いてあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今度の被害者が熊除け鈴を鳴らしていたかどうかという肝心な情報が記事には書かれていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一番知りたいことが抜けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
携帯ラジオの音も熊は苦手だと聞いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人間が鈴やラジオを鳴らして歩けば、熊は数百メートル先にいても人間の存在に気づく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人食い熊でない限り熊は音から遠ざかるから人は安全に歩ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
音もなく山道へ入っていくと、運悪く熊と人が突然鉢合わせしてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
驚いた熊は本能的に人を襲うことがある。&lt;br /&gt;
春に生まれた小熊を伴う母熊なら専守防衛のために人を襲うかも知れない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
熊と鉢合わせしない工夫は人の方にする義務がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこは熊の縄張りだからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中山道和田峠越えではこういう看板があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「これより先に熊が生息する区域を通過します。入山するまえにこの鐘を数回鳴らしてから入って下さい。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昼過ぎだったが、山の中は薄暗い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
看板の前に私は立ち止まりぼーっと考えていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
辺りに人影はない。&lt;br /&gt;
もし先行者がいたら迷わずその人についていっただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「付和雷同戦術」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、進むも退くも私一人で決めねばならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一旦山を下って国道に合流し旧街道の真下を貫通するトンネルを通って和田峠を越える手がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしそれではなるべく江戸時代の旧街道を歩くという私のポリシーは壊れる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
目の前には熊笹に覆われかけた幅50センチほどの江戸時代そのままの旧中山道があるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いまさら引き返す訳にはいかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしここで熊に食われて人生を終えるのも不本意である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
熊が棲んでいると看板には明記してある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
トンネルへ引き戻しても、和田峠をちゃんと越えたと嘘を他人に伝えることはできる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし自分に嘘はつけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分で決めて入山せよと看板には書いているのも同然だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2～3分間リュックも降ろさずにぼーっとしながら、立ったままそういうことを考えていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出直してきたって熊が引っ越しするわけもない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
たった一人で山に入り和田峠を越えるしかないと決意した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
鐘は直径20～30センチもある大きなものが一つ木枠に下がっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
クリスマスの大きめの鐘と同じである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あの鐘を鳴らすのはアタシ♪&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
怖いからだが、五回も鳴らした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
祈りの鐘である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「カーン、カーン」と山中にこだました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
坂道は急である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
途中熊笹が途切れる場所に座って休んだ。座る私の首の高さに熊笹が広がる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
風の音以外は何も聞こえない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
静寂は恐怖を呼び起こす。&lt;br /&gt;
私が座っている場所は熊の生息地なのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は座ったまま腰につけた熊除け鈴を取り出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
片手で鈴を揺らしながらの休憩だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
坂道で早くなった鼓動はなかなかおさまらない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
生きた心地がしないとはこういう状態に近いのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
再び坂道を登ると清水にであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ひしゃくがおいてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
水を汲んで腰を屈めて飲んでいると、街道とは直行する熊笹の上の方から「ドドッドー！」と勢いよくなにかがかけてきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
熊笹が揺れて道なきところから現れてきたのだ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
街道からなら人だが熊笹から何が降りてきたのか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
水を飲むのどがピタリと止まってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
恐怖心が体を支配している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
振り返ると青年が「こんにちは」と言った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
熊に似ていたが人間だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
恐怖を悟られないように平静を装い挨拶をした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
道がない場所とおもったのだが、小道が熊笹に覆われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「見晴台にあずまやがありますよ」と青年がいう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あずまやなんかどうでもいいから、地元の青年も熊除け鈴をつけてもらいたいものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼は私の鈴を聞いて駆け降りてきたのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私の背中には妙に粘っこい汗がぐっしょりとかいていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
熊除け鈴は山中では必携です！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ご安全に！</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000/59559611.html</link>
			<pubDate>Mon, 24 May 2010 13:01:04 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>野グソのごとき君なりき</title>
			<description>愛する街道歩きを歌ったものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
急激なる便意に襲われたとき、辺りにコンビニも公衆トイレもないときに、あなたならどうするか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
通しで街道を歩く人は必ず問われる問題である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「民家に入りトイレを借りる。」と言う方は尊敬する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なぜなら借りられる見知らぬ人にとって、これほど面白くない話もないからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私にはそれができなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
サッカー日本代表の本田ケイスケならできる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だから尊敬するのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
便意など我慢できると考える人もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし三日間我慢できても四日目にどうなるかは神のみぞ知る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
突然来るのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでも我慢して歩くならば、奴らは先発部隊小数を穴から外へ出してくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歩くうちにそれが汗で拡散し皮膚を炎症させる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
有機酸と摩擦による炎症だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一時間もすれば痒みが痛みに変わり歩けなくなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
奴らは我慢する私を歩けなくするのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
手強い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
野山で用を足したとき奴らの全容を眺める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分が出したと思う三倍の量である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
思いの他容積があるということは、重いということだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「犬の糞は飼い主がお持ち帰り下さい！」という看板を街道でもよく見かける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犬の糞だからもちかえることが可能なのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人の糞は手強い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仮に一キロだとして十日間で十キロにもなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それを背負っていてはとても歩けない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
海洋国日本は下水が完備されていて、人間の排泄物を下水処理してくれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それは、とても文化的なことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
街道歩きはノグソのことを真面目に考えることである。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000/59555671.html</link>
			<pubDate>Sun, 23 May 2010 12:16:51 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>下記に引越しました。</title>
			<description>&lt;div&gt;下記に引っ越しました。奥州街道歩きの日記は下記に引き続き掲載しております。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/suikyo50&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/suikyo50&lt;/a&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;引越しの理由は、下記のような表示が出たためす。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ブラウザがなぜかアフィリエイトなどがついたりして新たに変更になっており、私の古いパソコンでは対応できません。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;お手数ですが上記サイトをお気に入りに再登録してください。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;「現在ご利用のブラウザにはSilverlightをインストールできないため、画像添付機能をご利用いただけません。」&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000/59520038.html</link>
			<pubDate>Tue, 11 May 2010 20:45:18 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>峠～奥州街道（4－062）</title>
			<description>&lt;div&gt;TS392849峠のようだ&lt;br&gt;
TS392851山と空と雲&lt;br&gt;
TS392852実りの秋&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;今後は下記に写真入記事を掲載しますので、引っ越します。&lt;br&gt;
&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/suikyo50&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/suikyo50&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;無料ブログなので許容容量を超えたのでしょう。&lt;br&gt;
このサイトでは写真掲載が不可となりました。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;再び奥州街道の第4幕記事を続けます。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;坂が平たくなってきたので峠にさしかかったようだ。&lt;br&gt;
山と空と雲が見える。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;柿の実がたくさんなっている。&lt;br&gt;
今は柿を食べる人も少ないのであろう。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000/59519929.html</link>
			<pubDate>Tue, 11 May 2010 19:59:01 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>韓国家屋に似た津軽の家～奥州街道第6幕の一部を先行掲載</title>
			<description>&lt;div&gt;SH3B0490津軽半島今別町で見た印象的な建築外装&lt;br&gt;
ハンオク１（「ハンオク(韓屋)」より引用）&lt;br&gt;
ハンオク２（「ハンオク(韓屋)」より引用）&lt;br&gt;
&lt;a href=&quot;http://www.visitkorea.or.kr/jpn/CU/CU_JA_2_5_3.jsp&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.visitkorea.or.kr/jpn/CU/CU_JA_2_5_3.jsp&lt;/a&gt;より&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;なお、容量オーバーなのかこのサイトでは写真掲載が拒絶されるようになりました。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;よって写真付記事は下記に掲載します。ご覧ください。&lt;br&gt;
&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/suikyo50/59518085.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/suikyo50/59518085.html&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/suikyo50/59517383.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;/a&gt;&lt;br&gt;
&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;奥州街道を東京日本橋から北端の終着宿場である三厩（みんまや）まで歩いた。&lt;br&gt;
総延長約750ｋｍ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;
今回の第6幕でたどり着いたので、区間を6分割して通しで歩いたことになる。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;1幕が大体7～10日間の連休を利用したので、テントで約50泊したことになるだろう。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;1日あたり25ｋｍを歩いた。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;江戸時代の男足は39ｋｍ、女足は24ｋｍだから、私の足は江戸時代の女足程度の頑強さしかない。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;青森駅を迂回して外ケ浜街道を北上して津軽半島に入ってから、建築家屋にある特徴があることに気づいた。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;屋根の下に垂木（たるき）のようなものが沢山突き出ているのである。&lt;br&gt;
中にはその断面一つ一つに家紋のような文字を書いている家もある。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;私が生まれてこの方見てきた日本家屋とは明らかにデザインセンスが異なるのである。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;不思議な気持ちで街道を歩きながらいくつかその特徴ある建築家屋の写真を撮影した。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;街道歩きを終えて、東京の自宅に帰ってから今日で3日目になる。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;街道歩きでは朝が早かったので、今朝も早めに目が覚めてしまった。&lt;br&gt;
何気なくテレビを見ていると、韓国の古式家屋「ハノク」の価値が見直されていることを報じていた。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;画面に出てきた家屋の外装デザインを見て私は目が覚めた。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;津軽半島で多く見た家屋の不思議なデザインと印象が一致したのである。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;垂木が屋根の下側で多数突き出る構造は、日本でも寺や神社の本堂の建築に見られるものである。&lt;br&gt;
しかし、一般住居にその特徴があるのは、ハノクと津軽の民家である。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ハノクとは何か。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;調べてみると、「ハンオク」「韓屋」のことである。&lt;br&gt;
「ハンオク」を短くいうと「ハノク」になる。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;『韓国のもっとも伝統的な家である韓屋は、自然の産物である木や土、石、わら、瓦、紙などで作った環境に優しい家です。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;韓屋は大きく分けて、支配階層が住んだ瓦家と、被支配階級が住んだ草家の 2 つに分けられます。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;この 2 つの家屋を区分するもっとも大きい特徴は屋根です。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;名前からも分かるように、瓦家は屋根に瓦を使った家屋で製作費が高く、一般庶民には手の出せない家でした。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;草家は、屋根をわらであんだ家で、主に稲作をしていた韓民族にとってもっとも容易に手に入る材料、わらを利用して屋根を作った家です。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;現代では実際に草屋に住んでいる人はほとんどいませんが、瓦家は住居用に使われている場合もあります。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;韓屋は、柱と枠を木で作り、その間に土と草を腐らせて固めたものを塗って壁をつくり、床は石と土で作ります。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;その後、木で作った窓わくや門には韓紙を貼り、壁にも韓紙を貼って仕上げます。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;床は油を染み込ませた韓紙を貼って仕上げます。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;韓屋がハンスタイルの重要な部分となったのは、オンドルという独特で非常に科学的なヒーティングシステムがあったからです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;床下で火を焚いて、その熱で底全体を暖めるこのオンドルシステムのため、韓屋の床は地面より高い位置にあり、温度を逃がさないために部屋は小さめに作られています。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;また、オンドルの熱を利用するためベッドや椅子を使わず、床に座って生活しました。&lt;br&gt;
この座食文化は現在でも引き継がれています。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;現在、韓国では現代的なアパートや洋式の建物でベッドや椅子を使って生活します。&lt;br&gt;
しかし、オンドルシステムは現在でも電気床暖房などの形であらゆる住居用の建物で使われており、家に入るときには靴を脱ぎます。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;近年、韓国ではアトピーなどの皮膚疾患が増えてきています。&lt;br&gt;
そのため、環境に優しい韓屋 ( 黄土家 ) がアトピーや健康に良いということが科学的に証明され、定年を迎えた人や地方に新しく家を建てる人が韓屋 ( 黄土家 ) を作るケースも増えています。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;数は多くありませんが、現在でも韓屋に暮らす人々はあちこちに残っています。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;また韓屋を体験したい人のための体験館も全国にあります。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;有名な所としては、韓国の伝統文化と韓屋体験ができる全州韓屋村や、伝統文化が多く残る安東の河回村、知礼芸術村、水涯堂、臨清閣、ソウルの楽古斎などがあります。』（「ハンオク(韓屋)」より）&lt;br&gt;
&lt;a href=&quot;http://www.visitkorea.or.kr/jpn/CU/CU_JA_2_5_3.jsp&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.visitkorea.or.kr/jpn/CU/CU_JA_2_5_3.jsp&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;なぜ韓国の建築デザインが津軽にあるかというと、ある時期に朝鮮半島から移民してきたからであろう。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;吉田松陰の『東北遊日記」に関するサイト記事の中に、アイヌ人の住む青森県北部を日本人と混血させることによって幕府の支配下に組み込んでいった植民政策について松陰の思いを語ったものがあった。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;今はどのサイトだったか思い出せないが、概ね松陰の憤りは以下のようなものだった記憶している。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;「アイヌ人の住むこの地域に民を送り込み、アイヌと混血させることで日本の国土を拡大してきた。&lt;br&gt;
同じことを樺太でもやれば、もっと国土を拡大できるはずなのに、なぜそうしないのか！？」という憤慨を表現したものだった。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;英仏の植民地政策のごとき覇権拡大の構想を松陰は持っていたようだ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;松陰の指導者である玉木文之進は玉木家の養子だった。&lt;br&gt;
玉木家はもとは「環（たまき）」家で、それは大内義隆滅亡の際に生き残った末裔である。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;問題は大内義隆の祖先である多々良氏の出自である。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;『日本の武家はいわゆる「源平藤橘」やその他の中央の貴族の末裔を称することが多いが、大内氏は百済の聖明王の第3王子である琳聖太子の後裔と称している。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;琳聖太子が日本に渡り、周防国多々良浜に着岸したことから「多々良」と名乗り、後に大内村に居住したことから大内を名字としたとする。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;しかし琳聖太子の記録は古代にはなく、大内氏が琳聖太子後裔を名乗るのは14世紀以降とされる。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;代々、周防国で周防権介を世襲した在庁官人の出であること以外は不明である。』（大内氏（Wikipedia）より）&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;周防国多々良浜に着岸した「多々良」氏は、おそらくたたら式製鉄法を有する帰化ユダヤ人であろうと思う。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;製鉄技術は中近東のスキタイ騎馬民族の発明であるが、彼らは製鉄技術の伝承を口伝としてきた。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;敵に渡ると鉄製武器によって敵の軍事力が増すから、門外不出とするために口伝伝承をとってきた。&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;それを持っている多々良氏（つまり大内氏）は帰化ユダヤ人の末裔であろうという推測が私の中では成り立つ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;もっとも日本列島に渡来したユダヤ人の数は、紀元前から何度となく行われているので数十万人の規模に達する。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;読者のあなたの血液のDNAの中にユダヤ人由来のものが約10％あることを意識して「帰化ユダヤ人」のことを思い遣るようにしてほしい。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;津軽半島にハンオクに似た家屋にあることと、玉木家（環家）にしごかれて育った松陰が「もっと北の樺太まで植民せよ！」と憤慨していることとが結びつく。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ユダヤ人自身が極寒の地に入植することはない。&lt;br&gt;
朝鮮半島の原住民を連れてきて、青森県北部に住ませ、やがてアイヌと混血させていくことで民族の浄化を行う。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;支配が確立した時点で、守護地頭、あるいは大名という形で知恵のあるユダヤ人が入植していく。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;だから、津軽の家屋には韓国様式が染み付いているのである。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;無理やり朝鮮半島から朝鮮人が連行されてきて、日本国家のためにこき使われた歴史は半世紀前にも行われている。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;そのとき帰国できなかった多くの北朝鮮人や韓国人が日本列島に帰化して住んでいる。&lt;br&gt;
彼らに日本政府は今でも選挙権を与えていない。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;与えようという動きは民主党政府にはあるようだ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;吉田松陰は日本列島全体の植民プロセスを熟知した上で、樺太を同じテクニックでなぜ植民地かしないのかと嘆いているのである。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;吉田松陰の心根に帰化ユダヤ人の思想が流れているような気がした。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;そして、実はその血と同じ由来を持つDNAが、私たち日本人の中に今でも流れているのである。&lt;br&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000/59518073.html</link>
			<pubDate>Tue, 11 May 2010 06:02:41 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>松陰の日記文（今別宿南の鋳釜崎にて）～奥州街道第6幕の一部を先行掲載</title>
			<description>&lt;div&gt;SH3B0535松陰が南下した奥州街道&lt;br&gt;
SH3B0545鋳釜崎&lt;br&gt;
SH3B0532日記碑文&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;注）システムリカバリをした後ですが、原因は不明ですが「現在ご利用のブラウザにはSilverlightをインストールできないため、画像添付機能をご利用いただけません。」との表示で写真掲載を拒否されています。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;よって下段には文章のみを掲載します。ご理解ください。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;なお、写真付記事は下記に掲載しました。ご覧ください。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/suikyo50/59517383.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/suikyo50/59517383.html&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;
以前、「鋳釜崎（いかまがさき）の黒耀石に刻まれた松陰の日記の一ページには、深い意味が込められていたのかも知れない。」と述べたことがあった。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;
そのことを詳しく説明する。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;鋳釜崎とは、今別町の南はずれ、海岸沿いにある断崖絶壁上の公園一帯のことである。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;『鋳釜崎キャンプ場&lt;br&gt;
袰月（ほろづき）海岸に面した緑の芝生が美しいキャンプ場。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;海水浴や、磯遊び、釣りの絶好のスポットとして知られています。&lt;br&gt;
鋳釜崎キャンプ場は、「鬼の形のトイレ」が目印です。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;所在地 〒030-1512　今別町大字大泊字鋳釜』&lt;br&gt;
（「鋳釜崎キャンプ場｜今別町」より抜粋）&lt;br&gt;
&lt;a href=&quot;http://www.imabetsu.net.pref.aomori.jp/sightseeing/tourist/igamasaki.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.imabetsu.net.pref.aomori.jp/sightseeing/tourist/igamasaki.html&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;「陸奥湾・鋳釜崎で黒鯛釣り！」というサイトもあるから、魚つりには堪らない魚場のようである。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;また、こういう記事もあった。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;『黒い岩肌の絶壁鋳釜崎や嘉永4年（1851）に吉田松陰が通った. ことからその名がついたといわれる岩のトンネル「松蔭くぐり」など変化に富んだ光景を見ることができ、「海峡あすなろ公園」や「海峡はまなす公園」が整備されています。以下略』&lt;br&gt;
（&lt;a href=&quot;http://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kenmin/hi-renkei/files/tsugaru.pdf&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kenmin/hi-renkei/files/tsugaru.pdf&lt;/a&gt;より）&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;その公園にあった黒曜石の石碑の文を以下に抜粋する。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;『吉田松蔭の東北遊日記&lt;br&gt;
&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;&amp;nbsp;吉田松陰&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　小泊・三厩の間、海面に斗出するものを竜飛崎（たっぴさき）と為す、松前の白神鼻（しらかみのはな）と相距（あいへだた）ること三里のみ。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;而（しかれ）ども夷舶憧々（どうどう）として其の間を往来す。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;これを榻側（とうそく）に他人の酣睡（かんすい）を容（ゆる）すものに比（くら）ぶれば更に甚だしと為す。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;苟（いやしく）も士気ある者は誰れか之れが為めに切歯せざらんや。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;独（ひと）り怪しむ、当路者漠然として省みざるを。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;
嘉永五年（1852）三月五日、小泊から算用師峠を越え、三厩から南下した松陰は、津軽海峡の異変を、藩を越え日本的視野で捉えている。&lt;br&gt;
二十三歳であった。』&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;（石碑文より抜粋、但し振り仮名はブログ管理者追記による）&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;
松前の白神鼻（しらかみのはな）とは、北海道最南端の白神岬（北海道）のことで、津軽半島の北端にある竜飛崎との距離は三里しかないと書いている。&lt;br&gt;
一里が4ｋｍであるならば、12ｋｍしか離れていないということになる。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;その狭い岬の間を夷船（＝外国船）が堂々と通過していく様子を松陰は見聞したのである。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;酣睡（かんすい）を「うまい」とも読むので、昼寝のようなものだろうか。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;「榻（とう）」は腰掛けのことで、寝台や寝床を指す。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;自分の寝床に他人の昼寝を許すこと以上に、夷船の海峡自由往来はずっとひどいことである。&lt;br&gt;
そう松陰は嘆いている。 &lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;当路者とは、「この道の者」ということだから、津軽の奥州街道沿いの海峡防備の責任を負う藩の役人たちを指すのであろう。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;これが長州藩萩城下で玉木文之進が想像を絶する厳しさで育てた吉田松陰、23歳の旅の感想であった。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;長州藩などの当時の領国区分を越えて、日本国の安全保障を真剣に考えている青年兵学者の姿がここに見て取れる。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000/59516941.html</link>
			<pubDate>Mon, 10 May 2010 22:19:07 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>帰宅して</title>
			<description>あらゆるものを洗濯しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
リュック、テント、エアーマットなどなど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
タバコの脂（やに）が染み付いて、家人の迷惑になるからです。&lt;br /&gt;
私の鼻はそれらに慣れているので、一向に気づかないけど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
洗物が多くて腰が痛くなりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歩きの疲労が足腰にたまっていますが、１日でほぼ取れたようです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
足のひらの前方半分がまだ熱を持っているようです。&lt;br /&gt;
痺れている状態から、正常な状態へと頑張って移行している模様です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
健康だからできる奥州街道です。&lt;br /&gt;
病気なったからといって歩ける街道ではありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もし病気になったら歩こうと思っているなら、それは間違いです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
健康ないまこそ奥州街道を歩くべきでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私の利用したガイドブック（以前このブログで紹介しました）では、三厩（みんまや）が奥州街道の終点だとありましたので、参りましたが、青森駅最寄の善知鳥（うとう）神社前の「奥州街道の終点」石柱の前で終えてもよかったと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
義経伝説を信じている人（私もその一人）や北のさいはて竜飛岬を訪問したい方には三厩までの歩きをお勧めします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歩きの終点が三厩港にある厩石が最適でしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後戻って三厩駅へいき、そこから町内循環バスで竜飛岬めぐりをお勧めします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
明日からまた会社です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
下関生まれの長州人の友人Ｍ君から、この後はどういう歩きをするのかという問いを受けました。&lt;br /&gt;
その回答を以下に掲載して、私の今後の指針といたします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『Ｍさんへ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
青森から竜飛岬までは想像していたよりは資産形成が豊かな町でした。&lt;br /&gt;
瀬戸内の旧道を歩いている雰囲気です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
おそらく江戸時代はご法度だった蝦夷地アイヌとの密貿易や、ロシアとの密貿易などで１０００年近く&lt;br /&gt;
に亘って資本を形成して来たのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
町によってはちょっとした市よりも大きいものがあるように感じました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「青森以北は不毛の地」というのは幕府の目をくらますための方便だったのでしょう。&lt;br /&gt;
生活の知恵ですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、吉田松蔭は津軽の最果ての宿である三厩まで歩いて行っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
たいした青年です、２３歳のころにです。&lt;br /&gt;
おいおいこのブログで「２３歳の若き松蔭の青森での怒りの日記」を紹介していきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これで東京日本橋から放射状に出ている５街道を全部制覇しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あとのことはまだ考えていませんが、やはり「松蔭の斬首死のなぞ」を解くために、今後も街道歩きをしていくことになるでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
冬の２月に秋田から青森を経て仙台まで歩いた「狂気の松蔭」の真似事をすることも夢見ていますが、今の私の旅行装備ではきっと凍死するでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
松蔭は野宿はほとんどしていなかったでしょうから。&lt;br /&gt;
私は全部が野宿です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今後、冬山登山の装備を充実する必要があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ぞうりと袴（はかま）で冬の東北地方を歩いた吉田松蔭のすごさを、いまさらながら感心し、また尊敬しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私の体力が回復すれば、また何ごとかを企画し実行することになるでしょう。&lt;br /&gt;
芭蕉の奥の細道を歩くのが今までの夢でしたが、吉田松蔭の足跡を知るにつれて、芭蕉の足跡は目標からは外れて行ったようです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
挑戦するなら、２月の松蔭の東北旅行のトレースでしょうね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無料ブログに旅行日記を書くと、それが「不滅の記録書」にもなりますので、お勧めします。&lt;br /&gt;
では、また。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000/59513364.html</link>
			<pubDate>Sun, 09 May 2010 20:41:52 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>車窓パノラマ4</title>
			<description>20時38分宇都宮発、上野行き快速ラビットに乗る。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
グリーン車に乗る積もりだったが、がら空きだったので一般車両に乗った。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
これで何とか23時までには自宅に帰ることができそうだ。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
21時14分に古河（こが）駅に着いた。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
驚いたことに私のいる車両の客約十人が一斉に立ち上がった。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
全員が古河の人？？&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
ホーム向かい側を見ると、「大船行き」の湘南新宿ラインが停車している。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
池袋や新宿へ向かう人には赤羽乗り換えが省けるから便利なのだ。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
なるほどね、と三秒間ほど感心していたが、私も同じことだったことに気付く。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
慌てて私も乗り換えたが、こちらもがら空きだった。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
今朝8時23分に青森浅虫温泉駅を出てから、約14時間後に新宿に着いた。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
22時25分に新宿着。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
全て普通電車か快速電車を利用した。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
おかげで体の疲れも取れたようだ。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
10日間も歩き続けたために、丸一日体を動かさないことがそれほど苦痛ではなかった。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
盛岡駅新幹線構内にある銀行ATMで少し現金をおろしたが、乗り継ぎが全て良すぎて、途中で買い物をする暇がなかったのは幸いなことであった。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
サンドイッチやツマミを食べたので、お腹は持った。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
これで奥州街道の旅は終わった。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
写真や記事は第６幕詳細編で紹介します。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
新宿駅に久しぶりに着いて驚いた。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
何と言う若さと人の数だろう。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
階段を上るミニスカートの娘さんはパンツをみせんばかりの勢いで駆け上がる。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
な、なんだ？こりゃあ！&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
これは日本ではない。もはや大和族ですらない。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
江戸城を囲む狭い空間に異様な文化がある。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
生物多様性という言葉が浮かんできた。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
雑多だが、津軽半島と違って若い人ばかりだ。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
青森市街や盛岡市街の中心部にもミニ東京があった。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
この中に私は戻るのか！&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
10日間の間に私はすっかり津軽人になってしまっていた。&lt;br&gt;
&lt;br&gt;
ではお休みなさい。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000/59510663.html</link>
			<pubDate>Sat, 08 May 2010 23:01:41 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		</channel>
	</rss>