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「患者と医療者の意識の差は一体どこにあるのでしょうか。それを学ぶために研修会を行っています」
1月20日。新葛飾病院(東京都葛飾区)の一室で、医療安全対策室セーフティーマネージャー、豊田郁子さん(39)は13人の看護師と理学療法士を前にこう語りかけた。
豊田さんは同病院の医療メディエーター(仲介者)として、病院で起きたトラブルの仲介に入り、患者と医療者をつなぐ役割を果たしている。
医療裁判が増え続ける中、医療事故をめぐる患者と病院間の紛争を解決する裁判外紛争処理(ADR)が注目を集め、先駆的な病院が取り組み始めている。新葛飾病院は2年前から医療ADRを導入。豊田さんは院内のスタッフにその必要性を理解してもらうため、昨年4月から月に1度、研修会を開いている。
豊田さん自身も被害者だった。平成15年3月9日、医療事故で長男の理貴ちゃん=当時(5)=を亡くしている。
理貴ちゃんはその日午前4時半ごろ、腹痛を訴え葛飾区内の総合病院で診察を受けて帰宅。だが腹部の腫れが引かず、3時間後に再び病院を訪れた。当直医はエックス線撮影や浣腸(かんちょう)、点滴をして午前11時ごろ入院させたが、その後約2時間半にわたって放置された。豊田さんは医師を呼ぶよう看護師に頼んだが医師は来なかった。午後1時半ごろ、大量に嘔吐(おうと)して容体が悪化し、午後4時過ぎに死亡した。
当直医は日勤の医師に「腸閉塞(へいそく)の疑いの子がいる」と引き継いだだけで、エックス線写真を見せていなかった。腸がねじれ急激に悪化する腸閉塞だった。正しく診断されていれば、緊急手術で助かる可能性が高かった。
「いったい何が起きたのか」。病院から何の連絡もなかった。その後、カルテを開示してもらったときも、病院側は「担当医は最善を尽くした」と繰り返すだけで、誠意はまったく感じられなかった。
理貴ちゃんの死から3カ月後、新聞が「腸閉塞を放置」と報じた。内部告発があったのだ。直後に病院が会見し「謝罪した」と記者から聞いたが、豊田さんへの説明は後回し。「誰に対する謝罪なのか」と疑問に思った。
しばらく、精神安定剤や睡眠薬を服用する生活が続いた。医療事務をしていた勤務先の同僚から励まされ、なんとか職場復帰を果たした。
医療過誤で家族を失った遺族の集まりに顔を出すようになり、東京都立広尾病院の医療ミスで妻を亡くした永井裕之さんらと知り合った。「理貴の死を無駄にしたくない」と、医科大学で体験を語る活動を始めた。
被害者の活動を支援する新葛飾病院の清水陽一院長から、病院のセーフティーマネージャーになってくれないかと誘われ、16年10月に就任した。いま、患者と医療者の橋渡しや研修会の企画を担っている。
17年2月の研修会には、同病院でインフォームド・コンセント(説明と同意)を欠いたまま亡くなった70代男性患者の遺族を講師に招いた。豊田さんが話を聞き続けた遺族だ。医療事故の被害者である豊田さんを医療安全の担当者として採用していたことが、「病院の真剣さ」を感じてもらうことになった。
「人手不足で医療者が大変なのは分かる。でも病院に無視された被害者の中には憎しみ続けることでしか生きられなくなっている人もいる。その気持ちが分かりますか」
豊田さんは医療界にそう問いかけている。
(産経新聞、2007年02月12日)
医師の中には、「自分達は人生の勝利者であり、選ばれた人間、優れた人間である」と考えている者が少なくない。
確かに、受験戦争を勝ち抜いて、頭脳明晰であることは証明されていると言えるかも知れない。
医師免許という「医療を業とすることを許された者」の証を取得したという意味では、選ばれた人間と言えるだろう。
しかし、だからと言って、他の職業に就いている一般の人々(医師意外の医療従事者を含む)を見下してよいという事にはならない。
だが、医師は医療の現場でも、医師意外の医療従事者達をしばしば「非医師」という呼び方をしている。
こういった驕りが、過信に繋がり、慢心へと進行し、反省しない体質へとなっていくのではないだろうか。
東京大学名誉教授の養老孟司先生は、著書の中で次の言葉を述べています。
「人の生死に関わっているという意識がないままに「エリート」になってしまう人が多い。だから、患者を人ではなくて、カルテに書かれたデータの集積、つまり情報としか見ない医者が増えた。これが困ったことだと思うのです。」
(養老孟司:死の壁:May.20,2004. 第5刷、新潮社、P164.)
昨今の医療過誤が増加し、医療訴訟が増えているのも、養老先生の「患者を人ではなくて、カルテに書かれたデータの集積、つまり情報としか見ない医者が増えた」という部分に原因の一端が垣間見える気がします。
大阪大学医学部卒、東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター長の中村祐輔先生も次のような言葉を述べています。
「最近の医学部に進学する学生の一部(一部ではなく、かなり多いという声も耳にしますが)は、偏差値が高く、卒業後の社会的地位や収入が多いという理由だけで医学部を選ぶそうです。」
「緒方洪庵先生の言葉のまったく逆をいく、楽をして、名誉や利益を求める医師が増えてくるのはそのせいでしょうか?」
(中村祐輔:遺伝子で診断する.Dec.5,1996.第一刷.PHP研究所.P.223.)
今日の医師偏在による産婦人科医や小児科医の不足なども、中村先生の「楽をして名誉や利益を求める医師が増えて・・・」という言葉が原因の根底にあるような気がします。
本当に優れた医師達は、憂いています。
医師として優れていることは重要ですが、その前に、人間として優れていなければ、本当の意味で患者を救うことは出来ません。
研究論文を幾つも発表し、新しい知見を次々と見つける優れた医師であっても、自分の患者を「単なる研究の為のデータのひとつ」としか思っていないなら、患者に対する治療もデータ収集を優先したものとなるのは明白です。
それもまた医学の発展のためには必要不可欠でしょう。
しかし、患者は医師の出世の道具、モルモットではないのです。
医師や医療従事者に対する「心の教育」「EQを高める教育」を今後充実させる必要があるでしょう。
そういった意味では、この新葛飾病院の試みは素晴らしい第一歩であろう。
本当は国がこういった事を後押ししなければならない。
今日の日本の医療における問題において、国の責任も重い。
医師の過剰な時間外労働などの是正も緊急課題である。
医師が能力を発揮出来る環境の整備も国が指導力を発揮しなければ改善しないだろう。
日本の医療の先行きは、現状のままでは、決して明るいとは言えないのが現実だ。
信賞必罰で、優れた医師には褒賞を与え、犯罪を犯した医師は厳罰をもって排除するようにすべきである。
国家公務員にも「エリート意識」が高い者が多いようだから、その精神教育も必要かも知れない。
自分の健康を守るのは自己責任でもあるのと同様に、国の在り方も、有権者である国民の責任とも言える。
国民が声を上げて、改革を迫らなければならないだろう。
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