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理系白書’07:第1部・科学と非科学 私の提言/上 池内了・総合研究大学院大教授
<社会の中へ>
第1部「科学と非科学」では、科学的な雰囲気をまとう「ニセ科学」の実態などを描きながら、信じてしまうからくりや、科学との違い、見極め方について考えてきた。社会はどう向き合えばいいのだろうか。識者に聞く。
◇「中立」踏み越え警告を
今の社会には「科学がすべてを解明してくれる」と誤認している人が多い。確かに科学は生活の役に立ってきたし、寿命も延ばしてくれた。ここに誤認のもとがあるようだ。科学にも解決できないことはたくさんある。にもかかわらず、科学が答えを出してくれるに違いないと考えている。
ダイエットにしても健康にしても、1日で手に入るわけはない。だが「手っ取り早く結果がほしい」との気持ちはあるし、時間に追われる現代人はコツコツ努力するという考えが希薄になっているようだ。科学的な装いで人々の気を引こうとする疑似科学ビジネスは、ここにつけ込んでいる。
人は生きていれば「山」もあれば「谷」もある。谷のときには「このまま不幸が続くのではないか」と不安になり、先行きを照らしてくれるものに頼りたがる。それは占いだったり、幸運グッズだったり、疑似科学ビジネスだったりする。
占いやおみくじは個人の楽しみの側面もあるが、疑似科学ビジネスは科学的な効能をうたうだけに悪質だ。証明されていなくても、「まだ研究中であり、害はない」と言い訳する。
被害は、だまされて金銭的に損をしたというだけにとどまらない。明確でない科学的効能を人々がどんどん信じていくことにより、いろいろなことを吟味せずに受け入れ、無条件で信じることに慣れてしまう。疑うことを知らない人は政治的な主張も無条件で受け入れるようになるのではないか。悪くするとファシズムを生む土壌になりかねない。
「疑う」ことにはエネルギーがいる。信じて受け入れる方が楽だ。だが、この「しんどさ」が一番大切だと思う。与えられた情報に簡単に同意せず、批判的に考えてみることが、正しい判断や選択につながる。
私は科学者たちに「社会のカナリア」になってもらいたい。昔、炭坑にはカナリアを入れた鳥かごを持って入った。カナリアは微量な有毒物質にも反応し鳴き声を上げ、人を危険から救った。科学者は少なくともある程度、疑似科学が持つ「いかがわしさ」を見抜く目を持っている。科学者は炭坑のカナリアのように、いち早く鳴き声を上げ、社会に警告を発してほしい。
私は、親類から新商品について「買っても大丈夫か」と相談を受けることがある。「やめた方がいい」とか、「効果があるかどうか分かる数年後に支持されているようだったら、検討してはどうか」と話し再考を勧める。多くの科学者は、いかがわしさを証明することを面倒がり、声を出してこなかったが、全国の科学者が身近な人々に語りかけることから始めてほしい。
科学は本来、「価値中立」と言われる。科学者が生み出す成果に善悪はなく、使い方によって良くも悪くも働くという意味だ。科学者は、その使われ方を見ればどんな方向へ進むのか判断できる。誤った方向へ進もうとしていることに気付いたなら、「中立」の立場を踏み越えてでも問題を指摘し、危険性を社会に警告すべきだ。
■人物略歴
◇いけうち・さとる
44年生まれ。72年京都大大学院理学研究科博士課程修了。国立天文台教授、名古屋大大学院教授など経て、06年から現職。専門は観測的宇宙論、科学・技術・社会論。
(毎日新聞社、2007年3月14日)
あるある大事典IIのように、医師や専門家を引っ張り出して視聴者を安心させ、実はコメントを勝手に書き換えていたり歪曲していたり、データも改竄・捏造という、科学的な調査を装った「インチキ」であったことが表面化し問題になっている。
それ以外でも、水のクラスターを云々という電解水や、マイナスイオン商品など、グレーゾーンにありながら商売をしているものも多い。
何をして科学とし、何をして科学と認めないか、その定義が一般には分かりづらいのも問題であろう。
また、仮に科学だとしても、「では科学は完璧で常に正しいのか」という問題もある。
健康という生命に関する分野では、科学は未熟なままである。
人類は未だに人体の解剖学ひとつとっても完全に理解していない。
アメリカという世界の科学の中心となる国を見ても、科学が万能でないことは明白である。
1945年に大東亜戦争が日本の敗戦で終結し、マッカーサー元帥率いるGHQ(ゼネラル・ヘッド・クオーター:日本風に言えば大本営)が日本を占領・統治した。
その当時、日本の「鍼灸」がGHQから「科学的ではない、未開の宗教的な似非医療」そして「東洋の悪習」として廃止を命ぜられ、存続の危機に直面した。
今日では、鍼灸はその効果と価値が認められ、鍼灸修士号のレベルの教育を受け、鍼灸師の免許が与えられるなど、アメリカでも普及しつつある。WHOが医療として評価し、欧州でも医師が鍼灸を取り入れて臨床し研究もされている。
「カイロプラクティック」はアメリカ発祥の医療でありながら、西洋医学とは異なる視点で人体と健康を捉えていることから「インチキの似非医学」として医師から誹謗・中傷・妨害・迫害を受けて来た。
しかし、カイロプラクティック側がアメリカ医師会を訴えた訴訟で、1987年にアメリカ医師会が全面敗訴の判決を受けてから、カイロプラクティックは患者の支持だけでなく、公的にも社会的地位を向上させた。
また、アメリカ、英国、カナダ、ニュージーランド等の政府の調査でも、安全性と効果が確認され、医療のメインストリームになりつつある。
WHOにも医療として認定され、アメリカ政府の「成人急性腰痛のガイドライン」では、西洋医学の治療よりカイロプラクティックの方が安全・効果的として推奨されている。
鍼灸やカイロプラクティックは、共にアメリカ政府としては「非科学的」として認められなかった医療である。
それが、今日では様々な研究による論文などで「安全性と効果」が証明され、特定の疾患などでは西洋医学よりも優位性が証明されている。
鍼灸もカイロプラクティックも基本的には変わっていないのに、何故だろうか?
それは科学が発達・進歩したことで、科学の側の変化が、鍼灸やカイロプラクティックという「非科学的」と烙印を捺されて来た医療が、実は「科学」であり「優れている」ということが理解できるようになったのである。
また、逆に「科学的」と信じられて来た西洋医学が、「その医療行為の大半が科学的根拠がない」ということも判明している。
では、鍼灸やカイロプラクティックは完璧で西洋医学よりも優れているのか、と云えば、そうは言えない。人間の考え出したものであり、人間が行う以上は限界がある。
従って、西洋医学も、鍼灸も、カイロプラクティックも、それぞれに長所と短所があるのであり、一つは他のものより優れているとは言えないのである。特定の疾患や症状に対する効果という意味では、ある医療が他の医療より優れていることはあるが。
例えば、骨折や火傷などの外傷には西洋医学の独壇場である。
この記事でも分かるように、科学は重要であるが、まだ未完成の未熟な人類の知識によるものであるから、過信せず、自分でよく考えてみる事が大切であろう。
科学と非科学(似非科学)は、今後も問題として残るであろう。
国は、その問題解決のために調査・研究を推進しなければならない。
国民は、自分の身は自分で守るという気概を持ち、変な宣伝や情報に惑わされないように気をつけたい。
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