医学と病気・医療と健康

雑事に忙殺されておりましたが、2年振りに再開しました。宜しくお願いします。

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84歳の修士学位 さいたまの宇都宮さん「次は博士号」

84歳の修士誕生――。さいたま市の宇都宮明さんが17日、聖学院大学大学院(埼玉県上尾市)から政治学修士の学位を授与された。博士号を目標に今後も勉強を続ける。「ほっとしたというより、これからスタートです」。総代に選ばれた授与式では、六つ年下の大学院長から「よかったですね」と祝福された。

宇都宮さんは愛媛県西予市の出身で、警視庁の元警察官。「法律をいかせる仕事はないか」と、勤続28年を迎えた55歳で副検事になる試験を受けて合格。大津区検などで勤務した後、簡易裁判所の判事に。70歳の定年まで静岡、札幌、川越の各簡裁で訴訟を指揮した。

00年、小渕恵三元首相の後任に、有力政治家の「密室の談合」で森喜朗氏が決まった過程を見て、「日本の政治は一体どうなっているんだ」と興味を抱く。通信制の放送大学で学んでいたが、「先生に直接、質問をぶつけたい」と一昨年、自宅から通える聖学院に入学した。

入学審査では学歴が問題になったという。最後に卒業した学校は、家庭が貧しかったこともあって尋常高等小学校。しかし、経歴などから「大卒相当」と認められ、一昨年秋に政治政策学研究科の院生になった。

修士論文は「小日本主義」を唱えた石橋湛山・元首相のアジア認識がテーマ。小泉前首相の靖国参拝で、政治家の歴史認識に関心を持ったという。

戦時中、徴用されて軍需工場で働き、択捉島の航空隊に配属された。「昔の日本に戻ってはだめ。やはり平和国家に徹しないといけない」。そんな思いもある。

リポートの書き方がわからず、「論文が遅々として進まなかった」が、家族が支えてくれた。東京都内に住む長女明美さん(48)には時々、文章の校正をしてもらった。陰ながら支えてくれた妻のエミ子さん(73)にも感謝を忘れない。

「大正デモクラシーからなぜ軍国主義、対外膨張主義に走ったか。博士課程で掘り下げたい」。指導教授は引き続き、80歳の田中浩さんが務める。「互いに戦前の日本を知っており、兄のよう。リベラリズムの研究を通じて、保守化を強める政治の現状を一緒に勉強したい」とエールを送る。

(朝日新聞、2007年03月18日)

最近は、若い者に覇気がなく、高齢者に元気な方が多いのであろうか?

やはり昔の粗食で育った世代は、余計な人工の化学物質が含まれていない食品からの優れた栄養素だけで育ち、丈夫な体になっているのであろうか。

これまでは研究内容が少し左よりなのが気になるが、博士課程では「世界中が西欧列強の植民地であった時代に、唯一有色人種の国でありながら5大強国に名を連ね、大東亜共栄圏実現のために、亜細亜をアジア人の手に取り戻す為に、世界中の西欧諸国を敵にして満身創痍になりながら戦い、第二次世界大戦後の世界を、独立の世界へと変える起点となった日本。その功績を支えた日本人の武士道に基づく精神と、美徳観、そして正直すぎる政治など」について研究して頂きたいものである。

先ずは、政治学修士の学位の取得、おめでとうございます。

87歳の春、大学卒業「学ぶのは楽しい」…大学院へ

明星大学(東京都日野市)の経済学部に通う87歳の原田義道さん(東京都国立市)が24日、卒業式を迎える。

4月には同大大学院経済学研究科に進学する。原田さんは「新しいことを学ぶのは楽しくてしょうがない」と勉学への意欲を新たにしている。

原田さんは1932年に岐阜市の尋常高等小学校を卒業。経済的事情で進学せず、家業の材木の仲介販売を手伝った。日中戦争で徴兵され、戦地に赴いた。58年に上京して建設会社に勤め、96年に退職を迎えたが、「若いころ学べなかった分を取り戻したい」という思いは絶えなかった。

76歳で八王子市立第五中学の夜間学級に入学。その後、都立立川高校の定時制課程で学び、83歳で明星大の推薦入試に合格した。

学生生活はすべてが新鮮で、書道部の活動にも参加。キャンパスを歩くと「はっちゃん」と女子学生から声をかけられるほど人気で、苦手な英語やパソコンの試験では、仲の良い女子学生から予想問題を教えてもらい、丸暗記して臨んだ。

8人のひ孫がいて、家族からは「大おじいちゃん」と呼ばれている。

原田さんは「今、地域の商店街が寂れているので、活性化につながる方策を勉強してみたい。一生学び、視野を広げていきたい」と抱負を語った。

(読売新聞、2007年3月23日)

アメリカはどんな年齢でも大学などでクラスを取り、幾つになっても学生に戻る事が比較的容易に出来るが、日本ではそうではない。

しかし、頑張っている高齢者の方もいらっしゃることを知り、驚きと共に頭が下がる思いである。

こういった人生の大先輩がいらっしゃることは日本の誇りであり、その御卒業を心から御祝辞申し上げたい。

これからもお元気で過ごして頂きたいと願わずにはおられない。

あっぱれ71歳数学博士 金子さん阪大大学院を卒業

大阪大大学院で行われた卒業式で23日、71歳の数学博士が誕生した。情報科学研究科情報基礎数学専攻の金子和雄さん=兵庫県姫路市。同大によると、純粋数学と呼ばれる分野で、70代で博士号を取得するのは、きわめて珍しいという。金子さんは「数学はだれがやっても答えが一つで、ごまかしがない。これからも研究は続けたい」と意欲をみせている。

定年後の63歳から研究重ね

阪大工学部OBの金子さんは卒業後、総合重機メーカーの技術者として蒸気タービンの設計などに携わった。63歳で定年を迎え、真っ先に向かったのが母校の阪大。「何をしていいかわからず、学校だったら毎日時間がつぶせると思った」

だが、実験が多い工学部は「体力的に無理」。理学部で数学を学ぶことを決め、聴講生を経て平成12年に学士編入学し、本格的に数学を学び始めた。当初は卒業までは考えていなかったが、卒業研究で師事した大山陽介助教授と出会い、研究の道に進む転機となった。

「うまがあったというか、熱心に指導してくれた。ちょっとしたことでも結果がでると、先生がすごく喜んでくれた。やめたいと思った時期もあったが、先生におだてられて、いつの間にか研究がうまくいっていた」

14年に同研究科の大学院に進み、修士課程を最優秀の成績で修了。博士課程に進み、69歳で最初の学術論文を発表した。

金子さんは、数学者を悩ませてきた「パンルベ方程式」と呼ばれる微分方程式の研究に没頭。他の学生が計算で使うコンピューターが苦手な金子さんは、朝から晩までひたすら手計算で結果を求めた。

パンルベ方程式を満たす解となる新しい関数を見つけ、海外の研究集会で発表。高度な研究を積み重ねてきたことが評価され学位取得となった。

数学の研究は、新しい抽象的な概念を理解する必要から、年齢が若くないと難しいと考えられてきた。それだけに、金子さんのように60歳を過ぎてから学び始め、70歳を超え、博士号を取得したのは珍しい。同研究科の川中宣明教授も「考えたこともなかった」と驚く。

卒業後も研究は続ける。金子さんは「若い人と同じようにはいかないが、5倍ぐらい時間をかければやっていけるかな。研究はできる限り続けます」と話している。

(産経新聞、2007年03月23日)

素晴らしいというか、感動的な報道である。

以前に記事にしたディプロマ・ミルという学位商法で「インチキ学位」について紹介したが、そういうイカサマ師には、この金子博士の爪の垢でも煎じて飲ませたい。

http://blogs.yahoo.co.jp/realmedicine101/42895406.html

或いは、昨今流行のニートだかフリーターだか知らないが、かつてはプータロウと呼ばれたような働く意欲も向学心も社会奉仕の精神も持たない「社会的浮浪者」にも、金子博士の爪の垢でも煎じて飲ませたい。

そして自分自身も、己の怠惰を恥じ、今後の戒めかつ手本とするべく、金子博士の快挙を見習いたいと思う。

私のような若輩が言うのも何だが、本当に素晴らしいことだと思う。

金子博士、御卒業おめでとうございます。

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