メモ

 ……
君のいなくなった世界が始まり、当たり前のような毎日が繰り返されるようになった。

僕は間違っていたのだろうか?
どうすればよかったのだろうか?

自分に聞いてみるが、答えはなかったし、ほら穴に向かって叫ぶように、闇に吸い込まれていくみたい。きっと答えなど誰も永遠にくれないんだという気がするだけだった。

結局、君が生きていたということは、何だったのだろうと思うよ。

でも、シンプルに考えると、君とは、君が生まれた世界と、君が生まれなかった世界の差なのだろうと思うようになった。あたりまえといえば、あたりまえなのだろうけど。

そう考えると、僕にできる唯一のことは、その差を大切にすること。例えば、僕が岐路に立ったとき、「君なら何というか」を心のどこかで影響させつづけることで、君が生きていたことによる「差」を大事にしていこうと思う。
 ……

君が生きていたということ ─ 愛の日記 @ ボストン 2009/10/17
 メモ。

……ケイティブのアーレント論の面白いところは、その結論部でケイティブが、アーレントの診断を認めながら、そのあまりに政治主導の処方箋を拒んでいる点である。批判のポイントは二つ。ひとつは、古代的な公共圏における政治的行為で「安心立命 being at home」なんていうけど、それムリ。オレ政治苦手だし。二つ目は、完全な「安心立命」なんて「神の死」以後はムリ。むしろ「安心立命なんてムリだっていう近代人の状況の中で、それでもそれなりの安心立命を保っていられる心の強さ the ablility to be at home in not being at home」を涵養すべきではないだろうか。そう、ちょっと強めの個人主義。アーレントは個人主義はだめだっていうけど、「ほどほどの疎外 moderate alienation」をむしろある種の可能性と捉え、公共精神なんていう安倍晋三とかヤンキー先生が喜びそうなものぢゃなく、もっと個人的な「道徳」のレベルでのポジティヴな個人主義ってないだろうか。共同体の一員としてそれなりに責任と義務を背負いつつも、共同体から外れて再帰的――判断の根拠を専ら自分自身の内側に求めるという意味で――に振るまってみるとか。――そしてケイティブは、この「内にありながら、外にいる」("Both in and out of the game"――ホイットマン「ぼく自身の歌」)というエマーソニアン的 "doubleness"(訳すとすれば「二重性」?)をもとに「民主的個人性」理論の構築を試みる。既にアーレント本の段階で、ケイティブは次のようなことをいっている。

近代のあらゆる混乱と不確実性から真に利益を得ているのは、ほどほどの疎外の文化の中で生活し、そうした疎外を共有している民主的な個人たちである。アーレント(や他の思想家たち)は個人主義という一般的な現象こそが疎外の兆候であり現れであると考えているが、これはおそらく正しい。しかしながら、民主的個人性の理論は(そのように自覚されているかどうかはともかく)こうした苦悩や喪失を極めて善いものへと変換したものである。ひとりひとりの個人が個人となれたのは、ほどほどの疎外という一般的な条件によって、その余地が与えられたからである。その様子を、誰よりもはっきりと示したのが、エマーソン、ソロー、ホイットマンであった。……ほどほどの疎外の正しさを語る際の道徳的な単位は、集団としての人類や大衆ではなく、あくまでも個人である。ここでいう個人は、民主的個人のことであって、他の、何の条件も背負っておらず、位置づけももたない幽霊のような個人のことではない。鍵となる点は、エマーソンが『超越主義者』や『運命』において、複雑な感情を込めて、「二重意識」と呼んだ状態、あるいはソローが『ウォルデン』で「二重性」と呼んだ状態にまで高められた自己意識であり、その本質は、ある種の疎外を自ら実践することに存する。(Kateb 1984: 178-179)

社会思想史学会@神戸大学国際文化学部20091031_1101 ─ D's BLOG 2009/11/2

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読んでいた本からメモ

 ……これからの時代のコミュニティというものを考えていく上で無視できない要因として、少子・高齢化という人口構造の大きな変化がある。この場合重要な視点は、人間の「ライフスタイル」というものを全体として眺めた場合、「子どもの時期」と「高齢期」という二つの時期は、いずれも地域への“土着性”が強いという特徴をもっているという点だ(これに対し現役時代の場合は、概して“職域”への帰属意識が大きくなる)。
 (略)……人口全体に占める「子どもと高齢者」の割合は、戦後の高度成長期を中心に一貫して低下を続け、それが世紀の変わり目である2000年前後に「谷」を迎えるとともに増加に転じ、今後2050年に向けて今度は一貫して上昇を続ける、という大きなパターンがそこに見て取れる(もちろん、前半期においては『三丁目の夕日』の世界のように子どもが多くを占め、後半期においては高齢者が多くを占めるという点でその中身は対照的なのであるが)。
 そして、先ほど「子どもと高齢者は地域への“土着性”が強い」ということを確認したのだが、この点とあわせて考えると、戦後から高度成長期を経て最近までの時代とは、一貫して“「地域」との関わりが薄い人々”が増え続けた時代であり、それが現在は、逆に“「地域」との関わりが強い人々”が一貫した増加期に入る、その入り口の時期であるととらえることができる。……

(広井良典『コミュニティを問いなおす ─ つながり・都市・日本社会の未来』ちくま新書、2009年、p.19-20)

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試金本

学校の部屋にはできるだけ学生にとって役立つような本を置くことにしている。学生に役立つといっても、いろんなパターンがある。……
(略)
なかでも一冊、学生との関係においてとても重要な本がある。本来こういうことは日々の営業に差し支えるので話すべきではないのだが、いよいよキノコの秋を迎えるという気分の高揚もあり、今日は特別にお話しする。それはぼくが秘かに “試金本” と読んでいる本で、この本を貸して、一週間程度で「おもしろかったです」と返しに来ることができれば、その人は長く哲学することが可能な人である、と判断しているのだ。

長く哲学することができるためにはいくつかの条件が必要だと思っている。自分とは違った考えをおもしろいと思えること、粘り強いこと、孤独に耐えられること、なのだけど、これら3つに、教養する人として生きていく前提条件として誠実であること、を加えて4つのことが身についている人でなければ、上に書いたようなことは生じないのだ。

試金本 ─ 小さな哲学〜雑想の世界 2009/9/26

 ううむ、何の本だろう。ちょっと気になるかも。

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AA

 Wiki文法で強引に2ちゃんねる標準フォントのアスキーアートを描いてみるテスト。

    _∧∧__
   /(*゚ー゚)  /\
 /| ̄∪∪ ̄|\/
   |____|/


 作り方は割と簡単。ちょっと力技ですが。

1.「Yahoo!ブログで使える“19”のフォント!」という記事にあった、
【||<#FFFFFF' style='font-size:24pt;font-family:MS Pゴシック;color:#000000;``ちょっと釣りにいこうよ!||】
 というソースを拝借する(うしおさんありがとうございます)。


2.上記ソースの文字の大きさを「12pt」にする(font-size:12pt;)。


3.別のところで、フォント「MS Pゴシック」、文字サイズ12ptに合わせたAAを用意する。
    _∧∧__
   /(*゚ー゚)  /\
 /| ̄∪∪ ̄|\/
   |____|/
   ↑
 こんな感じ。


4.AAの改行部分に、Wiki文法で強制改行を示す[[BR]](※全部半角で)を挿入する。
    _∧∧__[[BR]]
   /(*゚ー゚)  /\[[BR]]
 /| ̄∪∪ ̄|\/[[BR]]
   |____|/[[BR]]


5.4から表示の改行を削除して一行のテキストにつなげる。
    _∧∧__[[BR]]   /(*゚ー゚)  /\[[BR]] /| ̄∪∪ ̄|\/[[BR]]   |____|/[[BR]]


6.2で用意したソースのうち、実際に表示される文字(「ちょっと釣りにいこうよ!」)を5の文字列に入れ替える。
【||<#FFFFFF' style='font-size:12pt;font-family:MS Pゴシック;color:#000000;``    _∧∧__[[BR]]   /(*゚ー゚)  /\[[BR]] /| ̄∪∪ ̄|\/[[BR]]   |____|/||】


7.貼り付けて出来上がり。

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