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軍事問題評論家の江畑謙介氏が死去(2009/10/12)
江畑 謙介氏(えばた・けんすけ=軍事問題評論家)10日午後3時47分、呼吸不全のため千葉県木更津市内の病院で死去、60歳。同県銚子市出身。葬儀は親族で済ませた。喪主は妻裕美子(ゆみこ)さん。近くお別れの会が開かれる予定。 上智大理工学部卒。兵器システムなど軍事戦略や日本の安全保障問題に詳しく、湾岸戦争をきっかけにコメンテーターとしてテレビに登場。05年4月から拓殖大海外事情研究所客員教授。「世界の紛争 日本の防衛」「安全保障とは何か」「世界軍事ウオッチング」など多数の著書がある。 (http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091012-00000025-jij-soci) 江畑氏の軍事解説の特徴は、軍事においてシステム論(または行政論)の観点を極めて重視していた点ではないかと思います。軍隊は個々の兵器や兵員を単純に寄せ集めたものではなく、指揮命令系統や兵站網などによる集団の機能的ネットワークによって構成されるものであり、兵器システムもまた単独の性能ではなく機能ネットワーク上での意義において捉えられるべきだ(従ってある国の軍隊で有用な装備が他の国の軍隊でも常に有用であるとは限らない)という視点を、常に持ち続けていました。 また、江畑氏の議論はよく価値中立的・客観的であるとして評価されることも多いのですが、これは江畑氏があくまでも「手段」としての軍事システムを論じることに議論の焦点を絞って、その「手段」を保有または使用することの「目的」である政策目標等の妥当性如何については、意識的に自分自身の議論から切り離していた点にあるのだと思います。本人がどこまで意識していたかは別として、結果的にウェーバーの言う意味で「価値自由」的な社会科学や行政学としての軍事学を(ジャーナリスティックな観点が多少強いとは言え)追求し一般に問いかけていたというところが、江畑氏の顕著な特徴だったのでしょう。 個人的に特に印象に残っている話として、江畑氏がソ連崩壊直後のロシアを取材した時に、ロシア製の軍用4WD車に乗って非常に驚いたというエピソードがあります。車種が何だったのかは忘れてしまいましたが(今その本が手許にないので)、同国製のお粗末な民生用自動車とはまったく比較にならないほど優れた、“西側”の自動車と比べても遜色ない品質の軍用車に乗って、江畑氏は旧ソ連の産業技術が軍用と民生用とに完全に分離してしまった非効率的な二重構造になっていることを実感したそうです。
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時事
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先日の台風に関連して、「ちょーっと思慮が足りないなー」と思ってしまった意見。 この人の意見は、現実における「台風で全面運休したJR」と、あり得たかもしれない別の可能性としての「台風でも動き続けたJR」とを比較した上で、その「国民経済的な」得失を比較して評価を下しているようです。現実世界と可能世界を比較するという評価の仕方そのものは他でもよくあることなのですが、そもそもJR東日本が全面運休に踏み切った意志決定段階(8日朝)の時点では、比較すべき選択肢はすべて「未来の可能世界」にしか属さないものでした。そして恐らくJRの判断・意志決定過程では、ありえる未来像(可能世界)として「台風でも動き続けた結果脱線転覆事故を起こすJR」と「台風で全面運休した結果大量の乗客に足止めを食らわせるJR」の二種類があり、このうち後者を選択したということが言えるのではないかと思います。 私自身は具体的に意志決定過程を聞いたわけではないのですが、関連してこのような報道もありました(上記記事でもこのには紹介されています)。 JR最大規模の運休…風速の規制強化が一因(2009/10/8)
台風18号の影響で、首都圏のほぼ全線がストップしたJR東日本では、影響人員が過去最大規模の計約296万人に上った。 JR東日本によると、同社は乗客5人が死亡した2005年の山形県内の羽越線の脱線・転覆事故以降、運転を見合わせる風速の規制値をそれまでの秒速30メートルから25メートルに引き下げた。風速計も事故発生時は228基だったのを、今年3月までに674基に増やしており、このうち首都圏には約180基が設置されている。こうした安全対策が、今回の台風で各線の運休が増えた一因となったとみられる。 一方、東北・山形・秋田新幹線や上越・長野新幹線も一時運転を見合わせ、38本が運休、72本が遅れて約7万人に影響が出た。 (http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091008-00001106-yom-soci) これを見る限り、台風による列車の脱線・転覆はJR東日本にとっては十分に現実的なリスクであり、少なくとも「少々の台風でもビクともしない都市インフラ」(冒頭紹介記事より)などといういつ実現するかわからない超絶未来技術が存在しない2009年10月8日現在の意志決定プロセスにおいては、決して無視できない要因であったわけです。
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『レスキューフォース』で、子供が電話口でレスキュー隊員(R3)の指示を受けながらAEDを使って父親の命を救うというエピソードがありましたが、それを地でいくような話が。 小6が心臓マッサージ、父親の命救う(2009/8/25)
先月31日、東京都内の小学6年男児が、就寝中に突然呼吸が止まった父親に対し、119番の指令室員の指示通りに心臓マッサージを行い、奇跡的に命を救った。 東京消防庁は「大人でもパニックになる場面なのに、勇気ある行動」として、25日午前、本人を呼んで冷静な行動をたたえた。 (略) 「心臓マッサージを教えます」。電話口の星智貴・指令室員(33)の呼び掛けに、由佳さんが「言う通りにできる?」と悠君に尋ねた。悠君はすぐにうなずき、隆さんの横に座った。 (略) 通報から4分後、救急隊が到着。隊員がマッサージを引き継ぐと胸の鼓動が再開し、隆さんは一命を取り留めた。搬送先の病院で突発性の心停止と診断されたが、隆さんは今では、病室で悠君らと笑顔で会話ができるまでに回復した。 同庁によると、隆さんのようなケースでは、3分以上応急措置を施されないと致死率は50%に達する。「適切な措置がなければ命を落としたケースだった」。担当医師はそう話し、悠君をたたえた。25日朝、由佳さん、愛さんとともに同庁を訪れた悠君は「心臓マッサージは初めてだったけど、お父さんを助けられて良かった」とはにかんでいた。 (http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090825-OYT1T00723.htm) この子供も大したものですが、電話越しという制約の下で素人に的確な指示を与えた指令室の人も素晴らしい仕事をしたと思います。
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国旗云々の話がどんどん大きくなっていく様を見ていたら、なんか気味悪くなってきました。 ある記号の棄損が、その記号が指し示している実体の棄損の意志を表していると考えるのは、ある意味で呪術的な発想ではあります。 党旗をありあわせの材料で作る時にとりあえず日章旗があったから使っておこうというのは、たぶん目の前にある日章旗は単なる材料や物質的素材であって、そこに何か精神的・象徴的なものが宿っている呪物(フェティッシュ)としてはその作業者には捉えられていなかったからではないかと思うのですが、どうなんでしょうか。 日章旗に限らず他国のものをも含めて国旗一般を棄損することはなるべく避けるという姿勢は、確かに礼儀として存在するでしょう。他者を尊重する一環として他者の持ち物や他者を示す象徴(記号)などを尊重するという態度には、契機として呪術的な心性が含まれており、儀礼的態度にはこのような物質的合理性では測れない契機が多く含まれます。 逆に、他国への批判的意図を示すためにある国の国旗を燃やすというデモンストレーションもありますが、この場合には国旗は価値観的に否定的意味を含んだ呪物として取り扱われており、方向性は逆ですがやはりこの場合にも、国旗は単なる物質的素材以上の何かが宿っている呪物として見なされているわけです。 でもこうした事例は、あくまでもその国旗が積極的に象徴として使用されている限りにおいてのことであって、例えばパーティー等の飾り物としてよくある万国旗を、使い終わってから燃えるゴミ(それとも不燃ゴミの方だったっけ)に出したとしたら、私は日本のみならず世界中の国家を破滅させることを意図しているということになるでしょうか。たぶんそう考える人は極めて少ないでしょう。この場合、飾り物としての万国旗はただの物質的素材であって、その旗に象徴された国家を指し示す呪物とは見なされないのが通例ではないかと思います。 一方で、当事者が特に積極的に呪物的な象徴としては用いていなかった記号を、誰か別の人が「その記号の棄損はその記号によって指し示される実態を棄損する意志の現われだ」と批判した場合、記号の呪物的な“意味”を読み込んでいるのは批判した側の方ではないかと思います。これは、実際にそう考えている場合もあれば、批判のためのきっかけとして利用している場合もあるでしょう。この件に関連して方広寺鐘銘事件に言及している人も見受けられますが、「記号の棄損が記号の指し示している実体の棄損の意図を現している」という発想は、実際の意図とは無関係に政治的な口実として利用されることもあります。
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言語論に興味のある人にはちょっと面白い話題かもしれません。 ハングルの特徴は、文字の組み立てが徹底的に合理的な体系を為しているという点にあります。韓国語(朝鮮語)の発音を何十個かの音素に分解した上で記号化し、その上で母音を示す記号と子音を示す記号を組み合わせることで文字が出来上がるため、記号さえ覚えればその組み合わせによって読み方は一意に決定できるし表記も出来ます。その点では非常に教えやすく覚えやすい文字体系であると言えるでしょう。ただし、もともと韓国語(朝鮮語)を表記するのが目的なので、音素の分節の仕方はあくまでも韓国語(朝鮮語)の音韻構造に最適化されたものであり、上記の無文字言語の音韻構造にハングルがどの程度適合しているのかはこの記事だけではちょっと判りません。 言語の基礎は維持しつつ文字体系だけを外部から導入する事例としては、歴史的にはベトナム語表記のアルファベット化やモンゴル語表記のキリル文字(ロシア文字)化などが有名ではないかと思いますが、これらの事例は、今回報じられているような無文字文化に文字を導入するケースとは異なり、既に別種の文字体系があったところへ外部から別種の文字を導入・“上書き”するというものです。どちらかと言えば、正字法が無く決まった文字表記の文化もなかった9世紀のスラブ言語圏に聖書を普及させてキリスト教を布教するために、東方正教会の宣教師たちがギリシア文字を改造したキリル文字を考案して広めたケースのほうに近いと言えるかもしれません。 なお、人工的に構築された合理的な言語体系というと、以前にちょっと触れたことのあるエスペラントなどを思い出しますが、エスペラントが文法や語彙体系を合理化しつつ文字については従来のアルファベットをほぼ踏襲しているのに対して、ハングルは言語体系としての韓国語(朝鮮語)の文法や語彙体系は維持しつつ、それを表記する文字だけを合理化・体系化したものです。この違いは、エスペラントが語用全般に渡る新規の人工言語創出を目指したのに対して、ハングルは(考案時点での)現行の韓国語(朝鮮語)のあり方は維持しながら、その文字表記の簡略化による識字文化の社会的拡大を図ったという点に由来します。
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