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もう旧聞に属する話題なんだろうけど。
昨年、秋葉原通り魔事件が起きた当時に見られた意見の中で、容疑者のK君が掲示板サイトに入り浸っていたという話の中の、ある部分にとりわけ着目している人がいた。どこに着目していたかというと、K君が事件前に頻繁に利用していた掲示板サイトが、PC閲覧を前提としたサイト(VIP)からケータイ用サイトへと移行していったという部分だ。
この事件よりもちょっと前に、ケータイ小説をどう評価すべきかという話題が一部で盛り上がったことがあった。その中でしばしば指摘されていたのは、ケータイ小説の特徴的な文体がディスプレイの小ささという技術的条件に由来するのではないかということだった。
短文。
体言止め。
箇条書き。
擬音。
余韻や含みを切り詰めた断定的表現。
個別表現における文脈依存度の極端な低さ。
その裏返しとしての、現時点における読者の共有認識への依存度の極端な高さ。
ケータイ用ブラウザで2ちゃんねるのどこかのスレッドを見た時に「ちょっと長い文章だな」という印象を受けたレスが、後でPCブラウザ上で見ると先の印象に比べて驚くほど短い文章だったことに気づくということもある。また、前の複数のレスを受けて行われるレスを読む時には、ケータイ用ブラウザで前の“文脈”を辿るのはPCブラウザに比べて遥かに面倒だ。
読むだけでなく、まとまった分量の文章を書いてブログなり掲示板なりに投稿する場合にも、この制約はついて回る。キータッチの速度については慣れの問題もあるだろうから置いておくとしても、書いている最中に画面をスクロールして自分の文章を読み返す作業が、ケータイの狭い画面だと非常に煩雑になる。ある程度まとまった文脈を持った文章を書こうとしたら、書いている途中でそこまでの途中経過を見返し、文章の趣旨が通っているかどうか、当初の予定から論旨や焦点がずれていないかどうかを随時確認する必要が生じる。別に書いているうちに論旨が予定を外れても構わないのだが、せめて「最初から見て現在はどのようにずれているのか」くらいは確認しておきたい。
でも、PCの画面上であればスクロール一回か、あるいはスクロールなしで一画面表示できる分量のテキストを見るために、ケータイでは何度もスクロールを繰り返すことになり、異なった個所の相互参照によって論旨や文脈の推移を確認することが非常に難しくなる。このような条件の下で快適に文章を組み立てようとするならば、文章作成のパターン(=コミュニケーションのスタイル)をこの技術的要件に適応させるのが、もっとも効果的であるということになる。そのため、前の文章を読み返さなくても済むように、前後の文脈とは切り離して独立しても意味が通るような、短文言い切り型やアイロニー欠如型の文章がもっとも適したスタイルとして定着することになる。
コミュニケーションツールとしてのケータイ用ブラウザは、円滑で快適なコミュニケーション遂行のために、情報量と文脈参照度の極端な縮小を要求する技術手段なのだ。
このことは、K君の話において何を意味するか。
もしかしたらそれほど大きな関係は無いのかもしれない。ただ、日常的なコミュニケーション空間において日常的に使用される常用語が、文脈を欠いた短文言い切り型の言葉や、説明をいっさい省略しても他人に通じることを当て込んだ定型的なステレオタイプの言い回しに特化していくと、それは知見を深めて思考の網の目を細かくしていくよりも、むしろ単純で断片的な定型句の羅列によって表現できる範囲の言語行為に、自らの思考を最適化させていくことに通じるのではないかということだ。
背景的文脈を欠いた断片的な言葉は、文脈によって読み方が方向付けられないため、無条件的・断定的な“強い”言葉に聞こえがちである。また、気分によっていくらでもニュアンスを変化させる余地がある。
そういった言葉に思考が慣れていくと、恐らくは長い文脈を自分で読解していくことが苦痛になり、手っ取り早く“結論”を求めるようになる。また、他人の(これまたしばしば断片的な)言葉をあるニュアンスにおいて解釈した時に、その解釈を後から補正するだけの文脈的材料が提供されていなかったり、また提供されていても自分の側にそれを読み解く習慣がないので、表面的な言葉からもっぱら自分の(文脈を欠いた)解釈のみで導出した“意味”を相手の言葉に読み取り、もっぱらその“意味”においてのみ相手を理解することになる。
このような条件下でのコミュニケーション行為は、自分の視野・思索を他者に向けて広げていく方向に寄与するとは必ずしも言えない。それどころか、自分自身の既知の解釈を再帰的に強化し続けていく方向にしか働かない可能性がある。
K君が主なネット利用の手段をPCブラウザからケータイブラウザに移行したことは、コミュニケーション空間に他者の視点・他者の解釈が入り込む可能性を自ら閉ざし、結果的に自分で自分を更なる閉塞感へと追いやっていったのではないだろうか。しかも、恐らく本人はまったく自覚なしに。
……恐らくこの話は、秋葉原事件に限ったことでも、ケータイに限ったことでもない。
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