今日読んでいた福間良明『「戦争体験」の戦後史』(中公新書、2009年)は、第二次大戦の学徒兵の遺書を収録した古典的遺稿集『きけわだつみのこえ』の受容のされ方の変遷や、同書の編集主体となっている 日本戦没学生記念会(わだつみ会)の軌跡、さらにはこれと対比する形で他の戦争体験の受容を取り上げながら、戦後半世紀以上に渡って戦争体験の伝承がどのような経路を辿ってきたかを跡付ける本です。
ただし戦争体験といっても千差万別であり、本書ではあくまでも『きけわだつみのこえ』とその周辺に的が絞られています。そのために、収録された遺書の筆者が当時の日本社会の中では例外的な存在であった高学歴の学徒兵であったことから、本書では「教養」と戦争体験の「語り」の関係が大きくクローズアップされます。
……着目すべきは、「わだつみ」が戦没学徒を記念した特殊なものにすぎないということではなく、にもかかわらず、なぜ、一定の社会的支持を獲得し、「戦争体験の伝承」を訴えることができたのか、ということであろう。戦没学徒に象徴される「教養」は、戦後の戦争体験の語りを少なからず下支えし、あるいは左右してきたのではないか。「わだつみ」は、「教養にもかかわらず」というよりも、「教養のゆえに」、広く国民に支持された側面があったのではないか。
(p.7)
本書で指摘されているのは、戦中派の学徒兵の遺書に見られる「教養」が、時代によりその価値的な意味を相対的に変化させていったということです。戦時中の教育・言論状況や日本主義的風潮に強く制約・影響された戦中派の学徒兵の「教養」は、自由主義やマルクス主義などの洗礼を受けた戦前派の教養人から見れば「無知」に近いものと受け止められがちで、最初の『わだつみ』発刊当初にはそのような評もあったそうです。『わだつみ』のロングセラー化が、岩波新書をライバル視し岩波系の「正統的な教養」とは一線を画した庶民的な教養を標榜する光文社カッパ・ブックスに収録されて以降のことであったという事情も、象徴的に紹介されています。
一方で、戦後の反戦運動や学生運動の中では戦争体験はしばしば実際の政治的“行動”と直結すべきものとされ、『わだつみ』などの戦争体験自体が体制に対する迎合の証として批判の対象となったりしました。わだつみ会自体も共産党や全学連などにおける様々な運動や内紛の影響を直接的に受けて組織が崩壊し、何度も立て直しせざるを得なくなりました。
時代が下ると、「教養」という観念自体が大学でも一般にも次第に疎んじられるようになり、むしろ戦争体験がそれ自体として「正統的な教養」の仲間入りをするようになっていきます。
こうした流れの中で、戦争体験は単純に「伝承」されてきたのではなく、むしろ様々な理由でしばしば断絶してきたのだというのが著者の基本的な見方のようです。わだつみ会発足早々に戦後共産党の分裂・内紛が会を動揺させ遂には崩壊させてしまった経緯から、わだつみ会は時流に乗って政治的行動を打ち出すよりもむしろ愚直なまでに自己の戦争体験に拘るべきだという点が強調されるようになりましたが、今度はそれが後の世代による積極的なアクセスと利用を拒否するような、まるで戦前の教養人が体験者=戦中派の「無教養」を批判するのと同じような世代間の「象徴暴力」として戦後派には捉えられがちになってしまいます。
……なんとかアウトラインをまとめようとしましたが、論点が非常に多岐に渡っているので、この短い文章ではまともな要約すら出来ません。ただ、全般に論旨が整理されているので、ボリュームの割にはかなり読みやすい本ではないかと思います。
また、本書の論の流れで見過ごせない点は、こうした無数の軋轢や論争を経る中で学徒兵に対する評価もまた次第に変化していき、単純な「悲劇的な被害者」でも「無知な若者」でもなく、その裏返しとしての単純な「加害者」としてでもなく、歴史の大きなうねりの中に放り込まれた個人の視点に定位しながらなおその中に宿る責任や倫理を追及するという方向性も出てきており、しかもそれは戦争責任論が前景化する80年代よりもかなり以前から「わだつみ」周りでは提起されていたという指摘です。
……かつて安田武は「『死』という事実のまえに、謙虚になること」を説いた。それは、戦没者の死を反戦イデオロギーに流用することを拒むと同時に、「殉国の至情」といった快い意味を付与しようとする後世の者の感傷をも断とうとするものであった。安田は、彼らの死が形容しがたい「無意味な死」「犬死」であったことを直視しようとした。そして、そうした「死」を生み出した状況への怒りをたぎらせたのであった。このような見方からすれば、遊蹴館特別展に見られた「戦争体験の継承」は、むしろ「断絶」にほかならない。
また、死者に寄り添うことは、しばしば、死者を批判することでもあった。かつて学徒兵であった舟喜順一は、『はるかなる山河に』を評するなかで、学徒兵の戦争批判の不十分さや無力さを批判的に論じていたが、そこでは「然し戦没者自身生前此等の反省を自らの来し方に加えるに至つた者もあるではないか」と記していた。死者への批判は、死者との対話と何ら矛盾するものではなかったのである。
さらに言えば、死者の「殉国の至情」にこだわることは、戦争責任追及や加害責任の自覚と遠いわけでもない。渡辺清は、自らの「殉国」の心情や天皇信仰を突き詰めた先に、自分や戦死した戦友を裏切った天皇の戦争責任を見出した。かつ、それは、自らを「騙された」として免責するのではなく、逆に「騙された」自らの責任を問うものでもあった。……
(略)
かつて「継承」とは、死者を心地よく語ることを拒み、自らにも批判の矛先を向ける不快感を帯びたものであった。それは、ときに「断絶」を導くものですらあった。だが、そのような戦争の記憶は、少なくとも特別展「学徒出陣五十周年」をめぐる言説空間では忘却され、感動の涙で覆われた快い「継承」が前景化した。
……
(p.248-250)
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