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			<title>ReCTOL-4</title>
			<description>カスケード４段目（ぐらい）。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rectol4</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>ReCTOL-4</title>
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			<description>カスケード４段目（ぐらい）。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rectol4</link>
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		<item>
			<title>メモ</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　……&lt;br /&gt;
君のいなくなった世界が始まり、当たり前のような毎日が繰り返されるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
僕は間違っていたのだろうか？&lt;br /&gt;
どうすればよかったのだろうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分に聞いてみるが、答えはなかったし、ほら穴に向かって叫ぶように、闇に吸い込まれていくみたい。きっと答えなど誰も永遠にくれないんだという気がするだけだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結局、君が生きていたということは、何だったのだろうと思うよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
でも、シンプルに考えると、君とは、君が生まれた世界と、君が生まれなかった世界の差なのだろうと思うようになった。あたりまえといえば、あたりまえなのだろうけど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そう考えると、僕にできる唯一のことは、その差を大切にすること。例えば、僕が岐路に立ったとき、「君なら何というか」を心のどこかで影響させつづけることで、君が生きていたことによる「差」を大事にしていこうと思う。&lt;br /&gt;
　……&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（&lt;a href=&quot;http://yokichi.com/2009/10/post-232.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;君が生きていたということ ─ 愛の日記 @ ボストン　2009/10/17&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/22833956.html</link>
			<pubDate>Sun, 15 Nov 2009 23:09:13 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>「内にありながら、外にいる」</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　メモ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;……ケイティブのアーレント論の面白いところは、その結論部でケイティブが、アーレントの診断を認めながら、そのあまりに政治主導の処方箋を拒んでいる点である。批判のポイントは二つ。ひとつは、古代的な公共圏における政治的行為で「安心立命 being at home」なんていうけど、それムリ。オレ政治苦手だし。二つ目は、完全な「安心立命」なんて「神の死」以後はムリ。むしろ「安心立命なんてムリだっていう近代人の状況の中で、それでもそれなりの安心立命を保っていられる心の強さ the ablility to be at home in not being at home」を涵養すべきではないだろうか。そう、ちょっと強めの個人主義。アーレントは個人主義はだめだっていうけど、「ほどほどの疎外 moderate alienation」をむしろある種の可能性と捉え、公共精神なんていう安倍晋三とかヤンキー先生が喜びそうなものぢゃなく、もっと個人的な「道徳」のレベルでのポジティヴな個人主義ってないだろうか。共同体の一員としてそれなりに責任と義務を背負いつつも、共同体から外れて再帰的――判断の根拠を専ら自分自身の内側に求めるという意味で――に振るまってみるとか。――そしてケイティブは、この「内にありながら、外にいる」（&amp;quot;Both in and out of the game&amp;quot;――ホイットマン「ぼく自身の歌」）というエマーソニアン的 &amp;quot;doubleness&amp;quot;（訳すとすれば「二重性」？）をもとに「民主的個人性」理論の構築を試みる。既にアーレント本の段階で、ケイティブは次のようなことをいっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近代のあらゆる混乱と不確実性から真に利益を得ているのは、ほどほどの疎外の文化の中で生活し、そうした疎外を共有している民主的な個人たちである。アーレント（や他の思想家たち）は個人主義という一般的な現象こそが疎外の兆候であり現れであると考えているが、これはおそらく正しい。しかしながら、民主的個人性の理論は（そのように自覚されているかどうかはともかく）こうした苦悩や喪失を極めて善いものへと変換したものである。ひとりひとりの個人が個人となれたのは、ほどほどの疎外という一般的な条件によって、その余地が与えられたからである。その様子を、誰よりもはっきりと示したのが、エマーソン、ソロー、ホイットマンであった。……ほどほどの疎外の正しさを語る際の道徳的な単位は、集団としての人類や大衆ではなく、あくまでも個人である。ここでいう個人は、民主的個人のことであって、他の、何の条件も背負っておらず、位置づけももたない幽霊のような個人のことではない。鍵となる点は、エマーソンが『超越主義者』や『運命』において、複雑な感情を込めて、「二重意識」と呼んだ状態、あるいはソローが『ウォルデン』で「二重性」と呼んだ状態にまで高められた自己意識であり、その本質は、ある種の疎外を自ら実践することに存する。（Kateb 1984: 178-179）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（&lt;a href=&quot;http://hpt.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/20091031_1101-0.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;社会思想史学会＠神戸大学国際文化学部20091031_1101 ─ D&amp;#39;s BLOG　2009/11/2&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/22649629.html</link>
			<pubDate>Thu, 05 Nov 2009 22:30:00 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>読んでいた本からメモ</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　……これからの時代のコミュニティというものを考えていく上で無視できない要因として、少子・高齢化という人口構造の大きな変化がある。この場合重要な視点は、人間の「ライフスタイル」というものを全体として眺めた場合、「子どもの時期」と「高齢期」という二つの時期は、いずれも地域への“土着性”が強いという特徴をもっているという点だ（これに対し現役時代の場合は、概して“職域”への帰属意識が大きくなる）。&lt;br /&gt;
　（略）……人口全体に占める「子どもと高齢者」の割合は、戦後の高度成長期を中心に一貫して低下を続け、それが世紀の変わり目である2000年前後に「谷」を迎えるとともに増加に転じ、今後2050年に向けて今度は一貫して上昇を続ける、という大きなパターンがそこに見て取れる（もちろん、前半期においては『三丁目の夕日』の世界のように子どもが多くを占め、後半期においては高齢者が多くを占めるという点でその中身は対照的なのであるが）。&lt;br /&gt;
　そして、先ほど「子どもと高齢者は地域への“土着性”が強い」ということを確認したのだが、この点とあわせて考えると、&lt;b&gt;戦後から高度成長期を経て最近までの時代とは、一貫して“「地域」との関わりが薄い人々”が増え続けた時代であり&lt;/b&gt;、それが&lt;b&gt;現在は、逆に“「地域」との関わりが強い人々”が一貫した増加期に入る、その入り口の時期である&lt;/b&gt;ととらえることができる。……&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（広井良典『コミュニティを問いなおす ─ つながり・都市・日本社会の未来』ちくま新書、2009年、p.19-20）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/22551291.html</link>
			<pubDate>Sat, 31 Oct 2009 22:26:19 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>試金本</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;学校の部屋にはできるだけ学生にとって役立つような本を置くことにしている。学生に役立つといっても、いろんなパターンがある。……&lt;br /&gt;
（略）&lt;br /&gt;
なかでも一冊、学生との関係においてとても重要な本がある。本来こういうことは日々の営業に差し支えるので話すべきではないのだが、いよいよキノコの秋を迎えるという気分の高揚もあり、今日は特別にお話しする。それはぼくが秘かに “試金本” と読んでいる本で、この本を貸して、一週間程度で「おもしろかったです」と返しに来ることができれば、その人は長く哲学することが可能な人である、と判断しているのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長く哲学することができるためにはいくつかの条件が必要だと思っている。自分とは違った考えをおもしろいと思えること、粘り強いこと、孤独に耐えられること、なのだけど、これら3つに、教養する人として生きていく前提条件として誠実であること、を加えて4つのことが身についている人でなければ、上に書いたようなことは生じないのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（&lt;a href=&quot;http://enzian.exblog.jp/12012764/&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;試金本　─　小さな哲学～雑想の世界　2009/9/26&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　ううむ、何の本だろう。ちょっと気になるかも。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/22371192.html</link>
			<pubDate>Thu, 22 Oct 2009 00:20:11 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>AA</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　Wiki文法で強引に2ちゃんねる標準フォントのアスキーアートを描いてみるテスト。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;table class=&#039;wiki&#039; cellpadding=&#039;3&#039; cellspacing=&#039;2&#039;&gt;
&lt;tr class=&quot;wiki&quot;&gt;&lt;td class=&quot;wiki&quot; bgcolor=&#039;#FFFFFF&#039; style=&#039;font-size:12pt;color:#000000;&#039;&gt;&lt;/td&gt;　　　　_∧∧＿＿&lt;br /&gt;　　 ／(*ﾟーﾟ)　 ／＼&lt;br /&gt;　／|￣∪∪￣|＼／&lt;br /&gt;　　 |＿＿＿＿|／&lt;/tr&gt;&lt;/tr&gt;
&lt;/table&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　作り方は割と簡単。ちょっと力技ですが。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;１．&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/ushio_hanabi/57239082.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;「Yahoo!ブログで使える“19”のフォント！」&lt;/a&gt;という記事にあった、&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;【||&amp;lt;#FFFFFF&amp;#39; style=&amp;#39;font-size:24pt;font-family:ＭＳ Ｐゴシック;color:#000000;``ちょっと釣りにいこうよ！||】
&lt;/pre&gt;

　というソースを拝借する（うしおさんありがとうございます）。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;２．上記ソースの文字の大きさを「12pt」にする（font-size:&lt;b&gt;12pt&lt;/b&gt;;）。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;３．別のところで、フォント「MS Pゴシック」、文字サイズ12ptに合わせたAAを用意する。&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;　　　　_∧∧＿＿
　　 ／(*ﾟーﾟ)　 ／＼
　／|￣∪∪￣|＼／
　　 |＿＿＿＿|／
&lt;/pre&gt;

　　　↑&lt;br /&gt;
　こんな感じ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;４．AAの改行部分に、&lt;a href=&quot;http://sourceforge.jp/docs/WikiSyntax#h2-.E5.BC.B7.E5.88.B6.E6.94.B9.E8.A1.8C&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;Wiki文法で強制改行を示す［［BR］］（※全部半角で）&lt;/a&gt;を挿入する。&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;　　　　_∧∧＿＿［［BR］］
　　 ／(*ﾟーﾟ)　 ／＼［［BR］］
　／|￣∪∪￣|＼／［［BR］］
　　 |＿＿＿＿|／［［BR］］
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;５．４から表示の改行を削除して一行のテキストにつなげる。&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;　　　　_∧∧＿＿［［BR］］　　 ／(*ﾟーﾟ)　 ／＼［［BR］］　／|￣∪∪￣|＼／［［BR］］　　 |＿＿＿＿|／［［BR］］
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;６．２で用意したソースのうち、実際に表示される文字（「ちょっと釣りにいこうよ！」）を５の文字列に入れ替える。&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;【||&amp;lt;#FFFFFF&amp;#39; style=&amp;#39;font-size:12pt;font-family:ＭＳ Ｐゴシック;color:#000000;``　　　　_∧∧＿＿[[BR]]　　 ／(*ﾟーﾟ)　 ／＼[[BR]]　／|￣∪∪￣|＼／[[BR]]　　 |＿＿＿＿|／||】
&lt;/pre&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;７．貼り付けて出来上がり。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/22370169.html</link>
			<pubDate>Wed, 21 Oct 2009 23:21:22 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>大人のおもちゃ（笑）</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　なんという“オトナ帝国”向けアイテム。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;&lt;b&gt;&lt;a href=&quot;http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0910/20/news112.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;初回特典は“大気圏突入後の司令船“：「大人の超合金」アポロ11号のこだわり（2009/10/20）&lt;/a&gt;&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　バンダイは10月20日、「大人の超合金」シリーズの第1弾「アポロ11号＆サターンV（ファイブ）型ロケット」を発表した。7月の「東京おもちゃショー2009」に参考展示され、そのサイズと緻密（ちみつ）な造形で注目を集めたリアル志向の超合金（→全高76センチ、月面着陸を再現できる「大人の超合金」）。2010年3月に5万2290円で発売する。&lt;br /&gt;
（略） &lt;br /&gt;
　大人の超合金シリーズは、塗装済みの完成モデルとして販売されるが、その作りはまさに「こだわりのホビーアイテム」だ。3段の液体燃料ロケットや司令船などはすべて切り離し可能。実際のロケットと同様に9つのパーツに分かれ、打ち上げから月着陸、帰還までの全シークエンスを再現（手動）できるという。月着陸船の脚部は、ロケットに収納するための“脚を畳んだ状態”と月着陸時の“脚を開いた状態”の2つを用意しており、付け替えることで月面着陸にいたるシチュエーションを再現できる。&lt;br /&gt;
（略）&lt;br /&gt;
　……なお、初回生産分には特典として「大気圏突入後の司令船」が付属するという。これは、地球に帰還する際、大気との摩擦によってダメージを受けた司令船のミニチュアモデル。サイズは同じく1/144スケールで、専用のディスプレイスタンドも付属する。&lt;br /&gt;
　「当時、テレビ中継を見守っていた40代後半から60代の男性がメインターゲットになりますが、スケールモデルファンや天文ファンなど、若い世代にも手にとってほしいです」（同社）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（&lt;a href=&quot;http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0910/20/news112.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0910/20/news112.html&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「初回特典」がまた面白いことになってますなー。さすがに外壁の吹っ飛んだ13号機械船にはしなかったか（笑）。&lt;br /&gt;
　やはりこの時代の象徴としてある程度誰もが知っているところと言えば、アポロとか万博とかになるんでしょうね。たまには&lt;a href=&quot;http://spacesite.biz/ussrspace28.htm&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;ルノホート&lt;/a&gt;や&lt;a href=&quot;http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/kaihatu_eisei_biking.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;バイキング1号&lt;/a&gt;のことも思い出してやってください……。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/22365189.html</link>
			<pubDate>Wed, 21 Oct 2009 20:04:55 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>書きなぐりメモ</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;｢ゾーン｣は、そこを通る者の心の反映である。内部の心の外部への反映というのは、｢惑星ソラリス｣でもあったタルコフスキー的反復主題である。タルコフスキー映画は、外部の世界は｢私｣の心が決めるという｢観念論｣｢唯識的世界観｣の流れの一派である。&lt;br /&gt;
また｢ゾーン｣の旅は、フリーメーソン流試練の場とも言える。メーソン会員だったモーツアルトが｢魔笛｣で一部ばらしたような。そういえば、ベルイマンが撮った｢魔笛｣の映像。あれは、ベルイマンにはピッタリの素材である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（&lt;a href=&quot;http://wweokiraku.seesaa.net/article/48341683.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;タルコフスキー　ストーカー ─ ＭＯＮＯＧＵＳＡ　ｂｌｏｇ　2007/7/18&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;「ゾーン」の危険とは、人の心の危うさの反映でもある。意識の中で無数の記憶が常に生成と消滅と相互連鎖を続け、ひとところに留まる事がない。概念的同定など無力であり（行きと帰りの道は同じではない）、ハードに固定されていると信じられた概念の“意味”は、意識の中で絶えず分解され新たな意味連関へと組み換えられ続ける（「ゾーン」に侵攻した戦車の壊滅と風化など）。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/22313500.html</link>
			<pubDate>Sun, 18 Oct 2009 22:09:02 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>縮退</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　メモ。積極的な政策目標として経済「縮退」を考えることについて。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;……経済の縮退というのは「成長を算術的に逆転させるということとはまったく違う」わけだが、経済と環境の二重の危機に地球が揺れているなかで、経済成長を問い直すことは当然の帰結のようにも思える。こうして、縮退論者たちの言葉がにわかに傾聴されるようになった。（略）&lt;br /&gt;
　「縮退」という言葉自体、ラジカルなエコロジストだけにとどまらず、広範に使われるようになっている。反成長派から「エコぺてん師」呼ばわりされてきたテレビ司会者のニコラ・ユロでさえ、欧州議会選の際、「縮退派の主張に現実という追い風が吹くようになっているが、現在の景気後退のような制御されざる縮退と、制御された縮退とは、はたして二者択一の関係なのか」という問いを立ててみせた。 政治連合ヨーロッパ・エコロジーへの支持を表明するユロは、「グリーン成長」への疑問を公言し、「選別的な成長と選択された縮退との結合」を提唱した。「地球を救えるのは縮退だけである」と、写真家のヤン・アルテュス＝ベルトランすら言い放った。今春の欧州議会選でのエコロジストの躍進には、ピノー・プランタン・ルドゥト（PPR）などの高級ブランド企業から大半の資金を得た彼の映画、『HOME～空から見た地球～』がどうやら一役かったように思われる。&lt;br /&gt;
（略）&lt;br /&gt;
　……コシェもまた、地球生物圏という限界にぶつかった人類は、分別をわきまえるようにならざるを得ないと考えている。「政治に携わる地質学者で、骨の髄まで唯物論者だ」と自認するコシェは、「客観的に明白な根拠によって推進される経済成長など、もはやあり得ない。縮退は、私たちにとって避けることができない運命だ」と警告する。ここまで来た以上はもはや、危機が速やかに人々の自覚を促してくれることを願い、「民主的で公正な縮退に向けて算段する」しかないのだ、と。&lt;br /&gt;
　しかし、こうした楽天的な見解が、共有されているとは言いがたい。それとは一線を画し、「破局の教育効果だなんて、まったく違う」と語るのは、ラ・デクロワッサンス紙の編集長のヴァンサン・シェネだ。「危機は自問や見直しの好機でもあるが、萎縮や広範な恐怖を生み出すおそれもある」と彼は言う。「大きな危機は、最悪の状況になりかねない」というのがシェネの考えだ。反成長派運動（MOC）の世話人のジャン＝リュック・パスキネは、「危機は、経済成長がもはや無理だということを思い起こさせる機会だが、そうした時期には、人々が個人的な利益の外にまで目を向けなくなる傾向もある」と言う。またアリエスも、危機の両義性を指摘する。「一方では、エコロジー的な切迫感が先送りにされる。今は購買力と雇用を守らなければいけない、というわけだ。（・・・）その一方で、我々が何世紀にもわたって虚偽の上に生きてきたことが明らかになってもいる」。景気後退によって縮退への道が開けるとは思えない人々の間では、不安と希望がせめぎ合っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（&lt;a href=&quot;http://www.diplo.jp/articles09/0908-4.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;エリック・デュパン（Eric Dupin）「経済成長からの脱皮を思考する人々」 ─ ル・モンド・ディプロマティーク　2009年8月&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/22296418.html</link>
			<pubDate>Sun, 18 Oct 2009 02:19:52 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>『暴力論』を読んでいます。</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　ジョルジュ・ソレル『暴力論』岩波文庫版を上巻まで読み終ったところですが、何というか、“熱量”がハンパじゃないです。ベンヤミンやカール・シュミット等にも強い影響を与えた本らしいですが、岩波文庫の白帯でここまで“燃えたぎっている”本なんて、他には『共産党宣言』くらいしか知りません。理論書として読むより、むしろヘミングウェイの『老人と海』（または『海流の中の島々』の前半あたり）でカジキと対決する光景になぞらえるほうが、心情的には似つかわしいような感じ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　でも、方向性で言えばむしろ平野耕太『ヘルシング』に出てくる「少佐」の演説に近いかも。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;よろしい　ならば戦争だ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
我々は渾身の力をこめて今まさに振り降ろさんとする握り拳だ&lt;br /&gt;
だがこの暗い闇の底で半世紀もの間堪え続けてきた我々にただの戦争ではもはや足りない！！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大戦争を！！&lt;br /&gt;
一心不乱の大戦争を！！&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/22295928.html</link>
			<pubDate>Sun, 18 Oct 2009 01:03:22 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>岬めぐり</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51517394.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;「そらとぶパンツ映像がyoutubeで再生ランキング1位獲得」&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　10月から放送が始まったアニメのエンディング映像が一部で大変な話題になっているようです。&lt;br /&gt;
　私も映像を見てぶったまげましたが、エロもここまでナンセンスギャグの方向に突き抜けると、かえって淫靡ないやらしさみたいなものが消え去ってカラッとした印象が残るような気もします。『まいっちんぐマチコ先生』に近いのかな（例えが古いか）。&lt;br /&gt;
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&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　でも『岬めぐり』……いいのか？（笑）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/rectol4/22257824.html</link>
			<pubDate>Fri, 16 Oct 2009 01:18:21 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
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