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訪問履歴で出会った記事をトラバさせてもらいます。
オレも思い出したよ、偶然じゃなくて奇跡の再会を。
今からうん十年も前のことだがここがソ連と呼ばれ鉄のカーテンの向こう側にあったころ、オレもヤツもその向こう側にいた。
当時のおない年の輩はやることがないから夜な夜なコスモス(モスクワの北にあるホテル)にたむろってだべってた。話題もなくなるとインツー(モスクワのクレムリンのそばのホテルでいまはない)までミニ・ガンボールをやってた。
もう時効だから書くけど、二人一組で車に乗って信号無視、スピード無制限、捕まれば自己責任で解決ってことで誰が一番にインツーまで着くかなんて競ってた。
毎晩のように一緒に走ってたヤツにユーゴの連中がたくさんいた。その中でもユーモアのセンスがピカイチで誠実な態度でマジメにナンパするニッチョってヤツがいた。
その後、みんな大学を卒業し帰国し、そしてあのどうしようもなく辛くやるせない内戦が始まった。当時のユーゴのダチの多くはこの戦争に駆り出され同郷の人間に銃を向けた。
平和ボケしているオレたちにわかるかい?
昨日までダチだったヤツに銃を向けなきゃならない辛くやるせない気持ちが。
それに絶えられないダチの何人かは全てを捨てて他国へ亡命したよ。
その選択もオレたちには想像も出来ないぐらい苦渋に満ちていたに違いない。
内戦が激化していく中、オレはもうヤツらとは一生会えないとあきらめた。
その後、オレもロシア関連の仕事につきモスクワへ出張するようになった。
そして15年後に奇跡が起こった。
その日は出張のスケジュールも全てこなし、ほっとして日本へ帰る前の日の土曜だった。
普通、出張のときは金曜の便か土曜の便で帰国するのがお約束なんだが、その時は金曜も土曜の便も満席で日曜の便しか空席がなかった。
これが奇跡の始まりだったなんて誰がしっていたであろう。
オレはせっかくの土曜にフリータイムができたんで最新の地図を求めてクズネフスキー・モストの本屋までホテルから地下鉄に乗ってでかけた。
なつかしいモスクワのセンターを歩きながら地下鉄の駅から本屋へ歩いて行った。夏の午後の強い日差しを浴びながら歩いていくと向こうからちょっと腹の出たオヤジが歩いてくる。
30メートル、顔は見えないが派手なポロから外国人だとわかった。
20メートル、顔の輪郭が見える。太って丸顔。オレもそうだが。
10メートル、ちょっと待てよ、どこかで見た顔だぜ!
だけど思い出せない。誰だ?、誰だ?、誰だ?、誰だ?、誰だ?、誰だ?と自問するうちに5メートル。
相手もオレのことを思い出そうとしてるように見えた。4、3、2、1、0メートル、クソっ、思い出せねーよ。
お前は誰だよと心につばを吐きながらそのオヤジと通り過ぎた瞬間、オレの頭の中に「ニッチョ」と言う名前が浮かんだ。
振り返るとそのオヤジも円満の笑みを浮かべながら振り返ってた。
ニッチョ!、Mukhomor!とオレたちは同時に叫ぶと道の真中で抱き合った。
涙があふれてきた。そしてスラブ式のキス。ああ、ニッチョだ!
その後、近くのCafeでエスプレッソを飲みながらお互いの今までを話し合った。
ちきしょう苦労の連続だったんだなぁ。
ユーゴのあの頃のダチの話になるとヤツの顔が苦しそうに曇る。未だ辛くて話せないんだな。無理はしないでくれ。
これからどうする?飯でも食うかと言うと、故郷に残してきた家族をやっと呼び寄せることが出来るようになったんで住む家を探しに行かなきゃって。名刺と携帯の番号を交換して、また抱き合いキスをする。これが最後の出会いになるとは知らずに。
その後、1年してオレはモスクワに駐在することになりこうしてやってきた。
ニッチョの名刺の番号、携帯に電話をしてもニッチョを見つけることは出来なかった。
ヤツは会社を辞めていた。
そして4年近くの歳月が過ぎ、そろそろ帰国の時期になったがついにニッチョには会えなかった。
クソっ、奇跡ってやつは二度と起こらないんだよ。
Red_Mukhomor
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