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<title>★カントンキ★の「今日のブログⅡ」 in JAPAN</title>
<description>１０年間の中国滞在にピリオードを打ち、日本に無事帰還しました。第三の人生スタートです。。</description>
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<title>★カントンキ★の「今日のブログⅡ」 in JAPAN</title>
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<description>１０年間の中国滞在にピリオードを打ち、日本に無事帰還しました。第三の人生スタートです。。</description>
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        <title>日中国交正常化45年南京80年に学ぶさんのコメント</title>
        <description>重慶爆撃は、アメリカなどの連合国軍による日本本土空襲や広島・長崎への原子爆弾投下の正当性の根拠としても利用された。一方で、日本の戦争犯罪を裁く極東国際軍事裁判では、重慶爆撃は連合国による日本爆撃と相殺され起訴されておらず、無差別爆撃を唱え百一号作戦と百二号作戦を推し進めた井上成美海軍大将なども戦犯指定はされていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この爆撃による被害の規模については推測に頼る部分も大きい。さらに、それを日本軍がどの程度意図していたか、または作戦の付随的影響として許容されると判断していたかについても諸説あり、現在も論争の対象となっている。</description>
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        <pubDate>Sun, 25 Mar 2018 09:08:41 +0900</pubDate>
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        <title>日中国交正常化45年南京80年に学ぶさんのコメント</title>
        <description>袁世凱の台頭と帝制運動&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
袁世凱&lt;br /&gt;
中華民国成立後、1913年2月国会議員選挙が実施され国民党が圧勝した。&lt;br /&gt;
3月、議会からの圧力を警戒した袁世凱は国民党の宋教仁を暗殺した。&lt;br /&gt;
袁世凱は進歩党を組織し国会内での勢力拡大を図り、議会主義的な国民党の勢力削減を企てた。&lt;br /&gt;
国民党の急進派はこれに反発、第二革命を起こしたが鎮圧された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1913年10月袁は正式な大総統となり、さらに11月には国民党を非合法化し、解散を命じた。1914年1月には国会を廃止、5月1日には立法府の権限を弱め大総統の権力を大幅に強化した中華民国約法を公布した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
袁は列強から多額の借款を借り受けて積極的な軍備強化・経済政策に着手した。当初列強の袁政権に対する期待は高かった。&lt;br /&gt;
しかしこのような外国依存の財政は、のちに列強による中国の半植民地化をますます進めることにもなった。第一次世界大戦が始まると、新規借款の望みがなくなったため、袁は財政的に行き詰まった。</description>
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        <pubDate>Sat, 22 Apr 2017 20:56:34 +0900</pubDate>
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        <title>日中国交正常化45年南京80年に学ぶさんのコメント</title>
        <description>チベットの独立運動&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ポタラ宮、当時のチベットの中心地ダライ・ラマを補佐していたパンチェン・ラマは親中国的であったために、イギリスに接近するダライ・ラマに反発し、1925年に中国に亡命した。&lt;br /&gt;
1933年、ダライ・ラマ13世が死去、中国の統治下にあったチベット東北部のアムド地方（青海省）で生まれたダライ・ラマ14世の即位式典に列席した国民政府の使節団は、式典が終了したのちも、蒙蔵委員会駐蔵弁事處を自称してラサにとどまった。&lt;br /&gt;
1936年には長征中の中国共産党の労農紅軍が、カム地方東部（四川省西部、当時西康省）に滞留中、同地のチベット人に「チベット人民共和国」（博巴人民共和国）を組織させたが、紅軍の退出とともに、ほどなく消滅した。</description>
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        <pubDate>Sat, 22 Apr 2017 20:08:05 +0900</pubDate>
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            <item>
        <title>歴史＆環境&amp;amp;公徳心ツアーさんのコメント</title>
        <description>菅原道真はなぜ遣唐使の中止を進言したのか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 第一は唐から学ぶべきことがなくなり、遣唐使は意味を失ったからである。たしかに遣唐によって、日本にもたらされたのは唐風文化。建築から彫刻、絵画、仏典などが影響をあたえたことは事実だろう。ところが隋の衰退により文化は荒廃を極めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 第二は遣唐使、遣隋使より遣日使のほうが人数が多く、かれらが日本に来て驚いたのは日本文化のすばらしさ、要するに帰国したくなくなったというポイントが見逃されてきた。 日本では国風文化がひろまり、やがて 平かな、カタカナが発達し、源氏物語など世界一級の文学が完成した。もはや唐から輸入するべき政治システムも文化文明も尽きていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 第三の理由は唐の人肉文化にほとほと嫌気がさしたから。&lt;br /&gt;
三国志演義でも劉備玄徳を厚くもてなすため、山奥に潜伏していた嘗ての部下が妻を殺して馳走する場面がある。劉備玄徳は部下のその忠節ぶりに感傷に浸るのである。&lt;br /&gt;
水滸伝には人肉饅頭がでてくる。</description>
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        <pubDate>Sat, 18 Mar 2017 22:05:12 +0900</pubDate>
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        <title>日中国交正常化45年南京80年に学ぶさんのコメント</title>
        <description>毛沢東は生涯にわたり「南京虐殺」に言及せず&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 戦後になって東京裁判（極東国際軍事裁判）で「２０万人」、南京での軍事裁判では「３０万人」といった死者数が一方的に持ち出された。&lt;br /&gt;
ちなみに東京裁判で証言したことに対し、ベイツは中華民国政府から勲章を授けられている。「南京虐殺」を何としても捏造したかった戦勝国側の事情が垣間見える事実だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このころまでは「南京虐殺」のプロパガンダを主導していたのは中国国民党だったといえる。&lt;br /&gt;
一方の中国共産党はといえば、中華人民共和国建国の父・毛沢東が生涯にわたって「南京虐殺」には言及していないなど、この時期は目立った活動をしていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 毛沢東は南京戦の５カ月後に当時、中国共産党の本拠地だった延安で「持久戦論」の講義をした際、南京戦に触れているが「日本軍は包囲は多いが殲滅が少ない」と、むしろ日本軍は生ぬるいという趣旨で批判していた。&lt;br /&gt;
その後、２０年ほどは南京事件は国際的にほとんど問題とはされなかった。</description>
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        <pubDate>Sun, 19 Feb 2017 07:36:33 +0900</pubDate>
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        <title>日中国交正常化45年南京80年に学ぶさんのコメント</title>
        <description>南京攻略戦が行われている最中から、中国国民党政府は党の顧問でもあった外国人記者などを動員し、組織的な宣伝工作を開始した。&lt;br /&gt;
国民党中央宣伝部高官は「われわれは目下の国際宣伝において（中略）国際友人を探し出してわれわれの代弁者となってもらうことを話し合った」と書き残している。&lt;br /&gt;
マンチェスター・ガーディアンの記者だったティンパーリや、南京金陵大教授だったベイツらが中立を装って「南京虐殺」を精力的に対外発信したが、後に両名とも国民党の顧問になっていたことが判明している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和１３年２月には国際連盟理事会で、中国国民党政府の顧維鈞代表が「南京で２万人の虐殺と数千の女性への暴行があった」と演説し、国際連盟の行動を求めている。&lt;br /&gt;
当時、日本はすでに連盟を脱退しており不利な状況にあったが、この日本非難の決議案は採択されなかった。国際連盟の場では「２万人の虐殺」すらも否定されていたわけだ。&lt;br /&gt;
そもそも日本軍の南京攻略戦に際しては、元外交官で法学博士の斎藤良衛が国際法顧問として帯同しており、松井石根司令官は国際法違反のないよう、ことあるごとに博士と協議していたという。</description>
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        <pubDate>Sun, 19 Feb 2017 07:28:32 +0900</pubDate>
    </item>
            <item>
        <title>ことさんのコメント</title>
        <description>水中結婚式つながりできました。&lt;br /&gt;
是非。&lt;br /&gt;
見に来て下さい＾＾&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お邪魔しました。</description>
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        <pubDate>Thu, 03 Dec 2015 13:37:01 +0900</pubDate>
    </item>
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        <title>高砂のPCB汚泥の盛立地浄化さんのコメント</title>
        <description>中国の２大鉄道車両メーカーである中国北車（チャイナＣＮＲ）と中国南車（ＣＳＲ）は30日、株式交換による合併計画を発表した。高速鉄道技術の輸出増加が狙い。 &lt;br /&gt;
両社の共同発表資料によると、株式交換比率は中国北車株１株につき中国南車株1.1株となる。</description>
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        <pubDate>Wed, 31 Dec 2014 07:10:29 +0900</pubDate>
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            <item>
        <title>bug*nno*eさんのコメント</title>
        <description>転載しました。&lt;br /&gt;
ポチです。</description>
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        <pubDate>Sun, 08 Jun 2014 11:20:42 +0900</pubDate>
    </item>
            <item>
        <title>イエスちゃんさんのコメント</title>
        <description>『インテリジェント・デザイン論』は、&lt;br /&gt;
ドンドン否定される方向で、科学発見されています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●そもそも「創世記」は、バビロン捕囚の時期に、捕囚先のバビロンでのユダヤ教の神学者が著作しました。&lt;br /&gt;
これは＜旧約聖書学者＞のほとんどが認めています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神が＜光＞あれ、と言った時に、＜誰が＞その光景を見たのですか？&lt;br /&gt;
＜見た＞生物、眼球は、どうしてあったのでしょうか？&lt;br /&gt;
それを＜聞いた＞生物は・・・&lt;br /&gt;
勿論、その時は、原始の時は、＜ヘブライ語も＞まだ存在しません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●古代人の神話は、＜神話として＞解釈すれば、正しく理解できます。&lt;br /&gt;
＜歴史的事実とするから＞、間違った道に進んで行きます。</description>
        <link>https://rdsig.yahoo.co.jp/rss/l/blog/cmt/rss2/item/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9yZWRsaW5laGFwcHkvMjI3MjMxODIuaHRtbCMzMzA5NDE3OA--</link>
        <pubDate>Tue, 29 Apr 2014 08:00:59 +0900</pubDate>
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