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土佐火床(ほくぼ)の会で杣人具(そまびとぐ)のお話がでてきまして

土佐の安芸市伊尾木の大物鍛冶「川島一門」

資料「川島家の由来と斧にまつわる七ツ目」より抜粋

遠祖と鍛冶の創始
川島家の遠祖は建武(1334〜1337)の頃、土佐蓮池に流されたと云われている。
やんごとない血筋を受け継ぎながらも庶子として生まれ、南北朝の争乱の憂目をくぐり土佐の南朝方に落ちたとされている。
保積九郎と名のり、伊尾木に定住するようになり「川島」と改めている。
鍛冶の創始は、慶長三年(1598)。現在の当主で14代目である。代々号を「正秀」と呼んでいる。
技を極めた弟子・門人には免許皆伝書を与えたという家柄である。
その数、百人余りを輩出したといわれているが、弟子・門人を全国より雇用し集めた謎を追ってみた

杣の移動と刃物真価
正秀の累代で、特に11代〜12代の頃は様々な形で表われる維新後の自由市場を背景に鍛冶職人の養成に意欲を燃やしている。それは急激な山林伐採に伴う杣の全国移動がもたらした。川島家にとっては千載一隅の収穫ともいえよう・・・
《杣の移動》-近世木材採運の集約化する林業他の作業は15人〜18人を一組とする「杣」の集団によって施行され、組には一人の杣頭(杣庄屋)か作業主(領主)との交渉等一切を取り仕切り就労しながら移動していた。
明治の改革後も此れの集団は続き、土佐のすぐれた杣組は出杣として、土佐の鍛冶屋の造った道具を携え全国の山林資源を追って伐採作業に従事している。(ウチの初代はこれに就いて行った鍛冶師・・・その為、秋友家(redorca)の営業では現場を観察し理解しモノを造るコトが基本とされている)
土佐の斧や鉞の切れ味は抜群で、現場では土佐物は評判が良く、中でも「正秀」の優れた刃物の技法は他の追随を許さず「正秀」の銘の道具を使用することが、即宣伝となり、全国の販路の開拓につながった。
また、一方では、他県の鍛冶職の羨望のの的となり各地で正秀の門弟ことあこがれる要素が生じてくる。
(よくまぁ初代はこんな化けモンみたいな一門と張っていたもんだ・・・)
こうして、川島の門を叩く門人や弟子達が集まった。(世ノ本さんは川島系列ダヨ)
このことは川島家の格式のみならず鍛造の技法が優れていたことは勿論だが、杣の全国移動がもたらした土佐の歴史的遺産ともいえよう・・・
この事は昭和の初期に大物鍛冶の御三家と云われた。東で安芸の川島正秀・西に都築国光・中に本山の国克と唄われ、いずれも当時は隆盛を極めている・・・
(秩父宮様ご来高のときは大物鍛冶として山田の秋友がブームあったこともあった・・・みんなもぅ知らんでしょけども)

名門鍛冶の悲哀
「寛永以後の鍛冶奉行よりの杣道具指出や法度のふれ状などの文章もあったようだが10代正秀の頃、近所よりの類焼にあい、ほとんど焼失・・・幸い仏壇だけは運び出し、残っていた家計の重要書類も叔母がある宗教を信仰する様になり、位牌もろとも焼失してしまった(なんですって!!)
父の激怒はモチロンだが親戚中で大騒動となった」っとのコト
当主正秀氏の悲憤やるかたなしの訴えに14代の歴史を背負う由緒ある一門の叫びに聞こえる。
川島家の伝承の信憑性はそれとして、以前、近世土佐の木材伐採の記録を書き抜いてあったので、正秀氏に聞いた伝承と重ね合せてみると多少のズレは当然ながらも時代の一致点のあることに改めて名門鍛冶の重圧さに驚いた・・・
(家系図か・・・当家は遡ると香川→京都だから・・・源平合戦中の馬を大事にしてたお人が一番古い)




ってことで・・・斧と鉞と七つ目の資料を貰ってきました

イメージ 1

↑土佐刃物流通センターの斧


斧は割り斧(薪割り用鈍角刃)と切り斧(伐採用)に分かれてまして
よくテレビで切り斧で薪を割ってる光景もしばしば・・・
食い込み過ぎて薪が割れないシーンを目にすることがあったりする・・・
ひと目で見たら分かるくらい違う刃が鈍角なので
「あ〜・・・アレじゃ割れんわな・・・」って業界人は見てる

つづく

閉じる コメント(7)

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土佐の鍛冶は長宗我部の刀鍛冶の流れで来ているものが多いと思いましたが、
このような系列もあるのですね。

そうなると、海のものと山のものと、それぞれに系列があったのでしょうか。
今の土佐の鍛冶職人さんは、どちらもできるように見えますが、戦国から江戸にかけて
もともとオールマイティに何でも作れたのでしょうか。

2008/8/29(金) 午後 3:12 [ 日本刃物工具新聞 ]

古墳の状況から戦国時代よりも古い青銅剣でてきてますよ

大和朝廷とのつながりや陰陽道・密教伝来がいろいろな道具の進化を進めていたようです

江戸時代からは土佐藩家老野中兼山の偉業によって森林に価値を見出し大阪などに船を使って運んでいたそうです

もちろん長宗我部家も刀鍛冶を育てていましたが
山内家も大工や刀鍛冶を連れて来てますので
その都度、鍛冶師は進化していったと思います

2008/8/29(金) 午後 3:34 redorca

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なるほどー、土佐の刃物は長い時間を経て、内外からいろいろな影響を受けながら
進化したものなのですね。

山内が連れてきたというのは、言われてみればその通りでしたが、盲点でした。ご家老さまは、見事な発想でしたね。

2008/8/29(金) 午後 5:41 [ 日本刃物工具新聞 ]

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おあとがあまりよろしくないですが・・・野中兼山さん(カワイソ)

親方は源氏方・秋友+平家方・宗石の子なので、その子のボクは
ドラマとかの源平合戦見てるとどっちも好きなんで・・・
なんとも・・・ハハハ

2008/8/29(金) 午後 7:25 redorca

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http://www1.quolia.com/yumekazoku04215/newpage8.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E4%B8%AD%E5%85%BC%E5%B1%B1

う〜ん・・・

2008/8/29(金) 午後 7:37 redorca

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黒鳥は黒黒
残っている系列は窪川の梶原さん
復元刃物は神奈川大学教授の「かつき先生」のご協力あってコンプリート!!
スゥエーデンにてその古の技術は公開され絶賛された・・・http://www.aguri-kubokawa.co.jp/kurotori/

2008/9/4(木) 午後 7:20 redorca

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梶原さんはウチの親方と唯一話の合う鍛冶屋さん

梶原さんの造る大物刃物でウチで造れない物も多い

2008/9/4(木) 午後 7:31 redorca


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