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7年前の6月8日・・・・。 まだ、結婚する前の我が家での話です。 我が家は、父・母・弟・祖母・僕の5人で住んでおりました。 (妹もいてるんですが、この当時、職場の寮に入っておりました。) 僕は疲れが出ると、時々めまいを起こす事があり、かかりつけの病院から薬貰っております。(今はよくなっているんで、貰ってませんが・・・。) その日は、薬が切れており、仕事中に若干のめまいを感じてたんで、帰宅してすぐかかりつけの病院に行けるように、祖母に診察の予約の電話を入れてもらってたんですが、診察券を持ってないことに気づき、一旦、取りに戻りました。 その時は、祖母は晩ご飯の最中で、大好物である「大阪名物の蓬莱の豚まん」を食べておりました。 そんな祖母が「診察券なくてもかまへんのに・・・・」と・・・。 診察後、肩こりもひどくなってきてるんで、マッサージにも行こうかと思ったんですが、何か感じたんで、家に帰る事にしました。 家の前に着くと、何か感じた事が何か分かりました。 近所の人が「おばあちゃん何かあったみたいよ」 慌てて家に入ると、祖母がほぼ軽く息をしてる程度で倒れており、母は受話器を握りしめて、「○○(僕の名前)!どしたらえ〜の!」 「とりあえず救急車!」と僕。 老人介護の仕事をしてる僕は、先輩や知り合いに看護師から教わった事を全て試み、祖母の蘇生に力を注ぎました。 そうしてる間に、救急車は到着し救急隊員が 「非常に危ない状態です。すぐに搬送します。」 祖母が救急に搬送してもらってる間、仕事に出ていた父に連絡を入れました。 祖母は父の母ですから・・・。 その後、祖母は救急病院に搬送してもらい処置室に入ってる時に父は到着。 暫くして、処置室からドクターが・・・。 「全ての蘇生術を試みましたが・・・。死亡を確認しました。」 病院に行く前は、ご飯を食べて元気な姿を見せてたのに、ほんの30分程の間に、人間って急変する事を目の当たりにした瞬間でした。それと同時に、仕事でもしてるかのように冷静な僕がいるのも知りました。 あれから7年。 新聞では、「大阪教育大付属小学校殺傷事件から7年」という文字がありました。 6月8日は、ホンマに忘れられない日です。 事件で、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。 下手な文章ですが、最後まで読んでもらっておおきにです。
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振り返ってひとりごと
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過去の事を少し振り返ってみました
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続きです。 22時30分 嫁が分娩室に入った後、母と義母と僕の3人は、分娩室横の待合室へ・・・。 僕は、立会いも考えてたんですが、はやり神秘的なものとして考えたかったんで、 結局は立ち会わない事にしました。 待ってる間の時間は、ものすごく長く感じました。 殆ど、5分毎に時計を見てる僕。 そして、分娩室に入って30分後の23時ちょうど・・・。 かすかに泣き声が・・・。 僕:「今、聞こえたよな〜。」 母・義母:「聞こえたか?」 僕:「多分・・・。違うんかな〜。」 今度は確かに・・・。 三人:「産まれた!」 暫くして、 看:「まず、ご主人さんどうぞ」 看護師さんに、促され分娩室に入る僕。 入ってすぐ目に入ったのは、真っ赤な顔をして泣いてる赤ちゃん。 産まれてすぐ、先生が撮ってくれた写真です 嫁のそばに立ち、 僕:「ありがとう。ご苦労さん」 嫁:「うん・・・。」 2度の流産を経験し、ようやく僕達の前に産まれてきてくれた赤ちゃん。 そう考えると、自然と涙が・・・。 横を見ると嫁も・・・。同じ思いやったのかも知れないです。 僕:「どっちや?」 嫁:「女の子^^」 僕:「そうか^^元気な声や!」 暫くして、新しくばぁばになった2人が入ってきました。涙ぐんでる2人が・・・。 あれほど、「誰がばぁばや!」と言うてた2人が「おばあちゃんやで」と・・・^^ 2006年12月15日(金) 午後11時00分 体重:3904g 身長:50.3cm 胸囲:34.5cm 頭囲:34.0cm 産まれてくるまで、色々とありましたが、ようやく授かった子。 ようやく、神様が僕達を親として認めてくれた瞬間でした。 長々となりましたが、読んでいただいてありがとうございました。 次回からは、娘が産まれてから誕生日を迎えるまでの事を、 記事にしていきたいと思います。
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また、続きです。 母子手帳を貰ったくらいから、次なる試練が・・・。 「つわり」です。 ある日、天ぷらを揚げてる時から、「気分が悪いわ〜」と言ってましたが、 嫁は、てっきり油物を揚げてるからやと、思ってたらしく・・・。 嫁のつわりは、まったく食べれないのではなく、 逆に何かを食べてないといけないようで、常に、「チーズ」「バナナ」「CCレモン」を 冷蔵庫には常備しておりました。 多分、つわりを経験された方は、そうだと思うのですが、ご飯の炊ける匂いがダメで、 それ以外は、柔軟剤・畳の匂いも・・・。 当時、住んでた家の寝室は「和室」やったんですが、「畳の匂いがアカン」と リビングで寝る日々も・・・。 つわりの辛さはありましたが、安定期に入り、ホッとしたりもしてました。 検診に行く度に、大きくなる赤ちゃん。予定日は12月13日。 性別もはっきり分かるようになり、僕は産まれるまで聞きたくなかったんですが、 嫁はどうしても聞きたかったようで・・・。 で、聞いた結果「女の子」と・・・。 2回も流産してたんで、言葉はおかしいですが、正直どっちでもよく、 元気に産まれてくれればOKやったんです。 で、つわりも治まりかけてた12月10日には実家へ・・・。 予定日の13日。 まったく産まれてくる気配はなし。 翌14日も同じく。 15日の朝、4時頃、お義母さんから電話。「おしるしが来たから、今から来て」と。 車で15分くらいの距離ですが、急いで向かいました。 9時になり病院へ。 先:「子宮口が開きかけてるんで、このまま入院しよか。」 時間が経つにつれ、陣痛の痛みが増していくのを、間近で見てましたが、 男では耐えれないような痛み。まさに女性は強しです。 絶える事、13時間半後の22時30分。 先:「よくここまで頑張ったね。分娩室に行こか。」 いよいよ、我が子と対面です。 ごめんなさい。また続きます。
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前回の続きです。 今回は、胎児も出てしまってたので、手術することなく、家へ帰ってきました。 でも、暫く安静の日が続きました・・・。 先生に「流産です」と言われた時は、毅然としてましたが、さすがに家に帰ってくると、 寂しさが一気に溢れてきたのか、ポロポロと・・・。 「ごめんね・・・ごめんね・・・」と繰り返すばかり・・・。 元気に産んであげれなかった赤ちゃんに対して、申し訳ないかのように・・・。 嫁:「私は、赤ちゃん産んだらアカンねんやろか?」 僕:「そんな事ないやろ。多分、神様が俺らが親になるのは、 早すぎるって言うてはるんちゃうか?」 僕の精一杯の言葉でした。 僕も正直、「もう赤ちゃんは諦めなアカンかな?」と思ってたんです。 ある日、こんな事を僕は言ってました。 僕:「お前も、こう続くと辛いやろ? 赤ちゃんは諦めよか?」 嫁:「嫌や!今度は元気な赤ちゃんを絶対産む!」 僕より嫁は、ちゃんと前向きに考えてたんですね。 こう言われた時は、「諦める」という言葉を出した僕が情けなくて・・・。 それからは、「諦める」なんて考えず、「いつか神様が認めてくれるやろ」と・・・。 年は明け、2007年、桜の花がちらほら咲き始めた、春のある日。 嫁から3度目の妊娠を告げられました。 今回は、産婦人科の先生も、「今度は元気な赤ちゃんを産もな」と励ましていただき、 2度流産してるので、流れにくくする漢方薬もいただきました。 嫁も、なるべくゆっくり過ごし、少しでもおかしい事があれば、安静にする 生活を続けてました。 そして、お腹も少し目立ち始めた日、念願の「母子手帳」を手にする事ができました^^ その時、嫁の少しホッとした笑顔を、見たような気がしました。 何回も続いてごめんなさい。 続きは次の記事で・・・。
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前回の続きです 胎児の一部が、まだお腹の中に残ってると言う事で、簡単な手術をするとの事。 手術後は、すぐに自宅へ帰りましたが、僕も仕事があるので、 その間、一人に出来ないし、安静にもせなアカンので、嫁の実家へ連れて帰りました。 嫁は、かなりのショックで、 「もう、赤ちゃんいてないのに、なんでまだおっぱい張ってるの・・・」と 泣く日が数日続きましたが、10日程して、仕事を終えて帰ると、 嫁:「いつまでも、クヨクヨしてたらアカンよね^^」と笑顔。 嫁は仕事にも復活し、今までのような生活が戻りましたが、2人とも、気分的にまだまだ 流産をひきずっておりました。 が、二人共、子供が好きやし、年も年だけに、早く子供を・・・。 で、月日は流れ、11月のある日 嫁:「どうやら妊娠したみたい」 2度目の妊娠です。 でも、前回の事があるので、仕事はすぐに辞めました。 家でも、あまり無理せず、ゆっくり生活する事を心がけてました。 が、また突然その日はやってきました。 娘の誕生日になる、12月15日の夕方。 仕事をしてる僕の携帯が鳴り、嫁が・・・。 嫁:「また薄い血みたいなのが出てる」 僕:「またか?」 嫁:「今度はお腹がいたくないから、違うかも・・・」 僕:「一応、病院に行き〜」 嫁:「分かった」 僕は、仕事を早退し、病院に駆けつけました。 嫁:「安静にして、様子見ててって」 僕:「今度は大丈夫かな?」 翌日の16日になっても、薄い出血は治まらず・・・。 17日の夜 嫁:「なんかお腹が痛くなってきた・・・」 僕:「病院行こ!」 嫁:「先にトイレに行っておく」 暫くして・・・。 嫁:「今、ドロっとした血が出た・・・。でも、さっきよりお腹が・・・」 そのまま、痛みでうずくまり立ち上がること出来ず・・・。 即、救急車を要請し、病院へ・・・。 前回同様、先に嫁が診察室へ・・・。 5分後。 看:「ご主人さんも中へ・・・」 先:「今、エコーで確認したら、赤ちゃんの形が無くなってます。 残念ですが、流産です。トイレでドロっとしたのが出た時に、 一緒に流れてしまったのかも知れないね。」 今回の嫁は強かったです。涙いっぱい溜めてましたが、まっすぐ先生を見つめてました。 2度目の流産です。 今回はここで・・・。また、続きを記事にします。
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