世迷い言

泡沫の現(ウタカタノウツツ)

黄昏の詠人

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http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/98/c5/reika273do/folder/1007561/img_1007561_28874079_7?1265771563

歌う価値 此処にこそ見る 画に印し 煮える身其処に 心地が歌う

                                                  詠み人:Reika273
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七首:残る明日の香

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イメージ 1

我の巣在る この場に頻る 記憶解く 起きる岸には 残る明日の香


詠み人:siny_559     背景アレンジ:reika273

歌の詳細な解説は末尾の追記を御読み下さい・・・

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背景の画像について

この画像は「旧劇場版 THE END OF EVANGELION 」の・・・

終局後をイメージしました・・・

背景は Windows の壁紙「 Sunset 」を加工しましたが・・・

「日の出」と誤解していただけたら幸いです・・・


誰が何時何処で手当てしたのかも解らない包帯を解き棄てて・・・

何故か無理矢理与えられた望んでもいない新たな時間に立ち向かう・・・

逆光に映えるアスカの勇姿を配しました・・・


当書庫開設の記事 ⇒【 「黄昏の詠人」新設

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追記

この記事をもって書庫「黄昏の詠人」は一次完了とします・・・

詠み人の siny_559 さんのブログ「黄昏の彼方へ」には・・・

まだまだ他にも沢山の興味深い歌がテンコ盛りで・・・

現在も毎日精力的に新たな歌が追加投稿され続けており・・・

全てを私のブログで紹介するのは勿論不可能ですが・・・

数点だけ絞り込む事さえ私には断腸の想いでした・・・


私の貧困な想像力と創造力が幸いし・・・

画のイメージが作れそうな歌から順次紹介しましたが・・・

歌に対しての優劣は付けがたく・・・

優秀な歌だけを選出したわけではない事を付記しておきます・・・


siny_559 さんへは今後も御健闘をお祈りすると共に・・・

もし万が一・・・この自堕落な私に再起が必要な折には・・・

もう一度この企画への意欲を奮起の糧とさせて頂こうと・・・

僭越ながら勝手に考えております・・・

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2009年7月1日:追記

詠み人のブログ「黄昏の彼方へ」は現在は既に閉鎖されました・・・

ここから先の内容は閉鎖前に記事として載っていた・・・

「siny_559」さんの文をそのまま転載させていただきます・・・



かのすある このはにしきる
  きおくとく おきるきしには のこるあすのか

(我の巣在る この場に頻る 記憶解く 起きる岸には 残る明日の香)

解説

我(が)というのは「自分本位の考え。我意。わがまま。」
「自己の内部にあると考えられる不変な実体。」という意味で、
頻る(しきる)というのは「何度も繰り返し起こる。また、さかんに引き続いて起こる。」という意味で、
香(か)というのは「におい。かおり。」という意味。

意訳

生きている限り、この自我が途切れることはない。
夜眠ったり、何らかの要因で一時的に意識を失ったとしても、生きている限り、またこの自我は続いて行く。
そのようにして自分の思ったことや行ったことなどの体験が自分の記憶となり、次なる私を形作って行く。
しかしその自我が生み出す一切の記憶を解いてみると、今ここに居る此岸(=現実のこの世)が、
実は彼岸(=涅槃)であったことに驚愕する。
つまり明日という日が絶望の源ではなく、希望の源として捉えることが出来るようになる、ということである。
そしてそれは同時に、この途切れることの無い自我というものが、決して否定的なものではなく、
本来は肯定的に認められるべきことを、身を以て(もって)知ることが出来るということでもある、といった感じ。

少々突っ込んだ解説

また、この歌をエヴァの話とからめて見てみると「我の巣在る この場に頻る 記憶解く」というのは、
シンジから見たアスカであるように思う。
きっとシンジから見れば、アスカはとても我がままな奴に映っていたと思う。
それは劇場版の場面でも見て取れるように、全ての人のATフィールド(=心の壁)が解放されて行く中、
アスカだけは自分の我を貫き通しその現象を、シンジを拒絶し続けた。
そして最後、赤い海の岸辺で、シンジはアスカだけが(LCL化されずに)残っていることを知る。
きっとシンジはこの後、自分の今までの記憶を辿ることで、
「気持ち悪い」の言葉を含めたその一連の拒絶が、まごころから来ていたことに気付くのだろう。

なぜならシンジを含めた全ての人のATフィールド(=心の壁=自我=善悪の知識の木の実を食べた罪)が
解放されて行く中で、アスカだけはその罪を真正面から直視し、
その罪を背負ってでも自分自身であり続けようとしたからである。
それは言い換えるならば、シンジを含めた皆が、自分の願望を100%叶えてくれる、
自分を否応なしに100%受け止めてくれる原初の蛇(ハハ)、つまり0(=レイ=ウロボロス)を見ていた時、
アスカだけは自分に都合よく作り変えた自分の中のシンジ(=ウロボロス)ではなく、
等身大のシンジを、他者としてのシンジを見続けて居たからである。

また、最後に一つ付け加えるならば、この歌は回文形式となっているので
「我の巣在る」は「残る明日の香」ということでアスカのことを指しており、
「この場に頻る」は「起きる岸には」ということで、
再びATフィールドが発生した赤い海の岸辺の場を指しており、
それらが歌の中心の「記憶解く」で結ばれていることにも触れておきたい。

余談

この歌は、「心よ原始に戻れ」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

六首:死と眠るほど

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イメージ 1

点る胸 度し難き自我 紡ぐ喜懼 難しき他我 死と眠るほど


詠み人:siny_559     背景アレンジ:reika273

歌の詳細な解説は末尾の追記を御読み下さい・・・

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背景の画像について

この画像は「アスカ」でまとめてみました・・・

と言ってもベースの画像はネットからの拾い物で・・・

「懼」の部分を追加合成しました・・・


「アスカ」は初登場が8話目でありながら・・・

物語の中の重要な「鍵」としての主張を示し・・・

「対照的」とする評価が多いですが・・・それだけではなく・・・

「対極に在る相似性」を見せる為にこそ・・・

「アスカ」の登場が必要ではなかったのかと思います・・・


最後まで開眼しない主人公の「在り方」が独特な・・・

この「エヴァ」の話の中に在って・・・

他人との関わりが「愛情」や「同情」や「正義感」だけでなく・・・

「血縁」や「同郷」や「共感」さえ超越した深い場所で・・・

存在と共に発生し・・・世界を構成する礎となっている事を・・・

あらためて感じさせてくれていると思います・・・




また余計な事まで書いてしまいそうなので・・・

この辺で止めておきます・・・



当書庫開設の記事 ⇒【 「黄昏の詠人」新設

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2009年7月1日:追記

詠み人のブログ「黄昏の彼方へ」は現在は既に閉鎖されました・・・

ここから先の内容は閉鎖前に記事として載っていた・・・

「siny_559」さんの文をそのまま転載させていただきます・・・



とほるむね としかたきしか
  つむくきく むつかしきたか しとねむるほと

(点る胸 度し難き自我 紡ぐ喜懼 難しき他我 死と眠るほど)

解説

点る(とぼる)というのは「ろうそくや灯心に火がつく。あかりがつく。ともる。」という意味で、
度し難い(どしがたい)というのは
「〔済度(さいど)し難い、の意〕道理を説き聞かせてもわからせようがない。
救いがたい。どうしようもない。」という意味で、
自我というのは「自分。自己。意識や行為をつかさどる主体としての私。対象(非我)・他者(他我)
から区別されるが、他我もまた一個の自我である。
人格や作用の中枢として、認識の根拠・道徳的行為や良心の座となる。」という意味で、
喜懼(きく)というのは「よろこびとおそれ。一方で喜び、他方ではおそれること。」という意味で、
他我(たが)というのは「自我に対する他者の我。他人の意識。他我をいかにして認識するかは、
哲学上の難問とされる。」という意味。

意訳

このどうしようもない自分、どこまで行っても救い難き自分は、他者と向き合うその度ごとに、
喜びと恐怖という相反する感情、ヤマアラシのジレンマに直面する。
だから一人、死(=し=私)だけの世界へと入って行く。しかしその世界に入れば入るほど、
私の胸の中に限り無い生への欲動が、また点ってしまう、といった感じ。

余談

この歌も、「心よ原始に戻れ」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

伍首:溢る液かな

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イメージ 1

己が消える 不安心開き 至愚の無の 奇しき安心 溢る液かな


詠み人:siny_559     背景アレンジ:reika273

歌の詳細な解説は末尾の追記を御読み下さい・・・

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背景の画像について

この画像は私のイメージが上手くまとまらず・・・

予定以上に手間取ってしまいました・・・


手を加えるほど鮮度が落ちると言うか・・・

やり過ぎの悪癖を押さえきれず・・・

結局時間切れを向えてしまいました・・・


私の場合は時間が有れば良くなる保証は無いので・・・

妥協案が最善策だったりします・・・


画の内容をウマク説明できないので・・・

言い訳だけ書いてみましたが・・・

何となく察していただけたらアリガタイです・・・


当書庫開設の記事 ⇒【 「黄昏の詠人」新設

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2009年7月1日:追記

詠み人のブログ「黄昏の彼方へ」は現在は既に閉鎖されました・・・

ここから先の内容は閉鎖前に記事として載っていた・・・

「siny_559」さんの文をそのまま転載させていただきます・・・



なかきえる ふあんしんあき
  しくのむの くしきあんしん あふるえきかな

(己が消える 不安心開き 至愚の無の 奇しき安心 溢る液かな)

解説

己(な)というのは「一人称。わたくし。自分。自分自身。」
「二人称。対等もしくはそれ以下の相手に対して用いる。おまえ。なんじ。」という意味で、
不安心(ふあんしん)というのは「不安。」という意味で、
開くというのは「出入り口や容器の口などを閉ざしていた物が動いて、人や物の通り道ができる。ひらく。」
「ある状態の期間が終わって、別の状態に移る。」「(自分の目や口を)あける。ひらく。」という意味で、
至愚(しぐ)というのは「きわめて愚かである・こと(さま)。」という意味で、
奇しき(くしき)というのは「〔形容詞‘奇(く)し’の連体形から〕不思議な。神秘な。くすしき。」
という意味で、溢る(あふる)というのは「あふれる。」という意味。

意訳

不安に満ち満ちた心が開放され、私が、貴方が、消えて行く。全てが、無の状態へと還って行く。
しかし本当は、それが一番愚かしい状態なのでしょう。でも、このたとえ様の無い安心感が私の身体を、
私の心を、どうしようもなく溶かして行く、溶かして行く、溶かして行く・・・、といった感じ。

余談

この歌は、「Komm, susser Tod」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

四首:今に在るかな

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流る阿に 真命の友 幸せは 足元の地の 今に在るかな


詠み人:siny_559     背景アレンジ:reika273

歌の詳細な解説は末尾の追記を御読み下さい・・・

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背景の画像について

この画像は「シンジ」が逃げ出した後・・・

思わず足を止めて景色に見入ってい居るカットです・・・


「シンジ」に限らず誰の心の中にも・・・

懐かしさを感じてしまう「原風景」が有るのだと思います・・・

彼にとってこれがそうなのかは定かでは有りませんが・・・


出先でふと出会った景色に見惚れ・・・

ひとしきり満足した後に我に返り・・・

足元を振り返って自分の立ち位置を見直す・・・

私にはよくある経験です・・・


彼には逃げる先の目的地があったわけではなく・・・

行きたい場所も思いつかない状態の中で・・・

既に帰りたい場所だけはボンヤリと浮かんでいたのかもしれません・・・


巡る回文の持ち味を活かした一首だと思います・・・



回文の中央に「幸せ」の文字があったので・・・

紹介の順番を四番目に合わせてみました・・・


当書庫開設の記事 ⇒【 「黄昏の詠人」新設

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2009年7月1日:追記

詠み人のブログ「黄昏の彼方へ」は現在は既に閉鎖されました・・・

ここから先の内容は閉鎖前に記事として載っていた・・・

「siny_559」さんの文をそのまま転載させていただきます・・・



なかるあに まいのちのとも
  しあはせは あしもとのちの いまにあるかな

(流る阿に 真命の友 幸せは 足元の地の 今に在るかな)

解説

流る(ながる)というのは「ながれる。」という意味で、
阿(あ)というのは「梵語の第一字母の音訳」という意味。

少々突っ込んだ解説

さて、密教では阿字本不生(あじほんぷしょう)といって、阿字は宇宙の根源であり、
本来不生不滅すなわち永遠に存在するということ、という意味があるのだそうだ。
そしてその真理を体得する時、人は大日如来と一体化すると説く。

これを踏まえて意訳へ

常に変化し、流れて行くこの森羅万象の全ての事象の中に、永遠に変わらない阿というものがある。
その阿を命の友として自分の中へと招き入れることで、何気ない日常生活の中に、
常に変わらない幸せが存在していたことに気づく。そのようにして大宇宙としての自分自身(=大我)と、
小宇宙としての自分自身(=小我)とが一つになることによって、そこに私合わせ(しあわせ)が生まれるのだ。
すなわち阿(=森羅万象)と吾(=自分の意識)とが一つになることによって、
目の前のあらゆる事象は自分の意識の中で起こっていることなのだ、ということを体得すると共に、
そこに永遠の私逢わせ(しあわせ)の今を感じることが出来るようになるのだ、といった感じ。

余談

この歌も、you tubeにあった『ParFestival08 【MAD】 新世紀エヴァンゲリオン「アンタ バカァ?」 1』
という動画を見て、それをモチーフに書いた歌です。

参首:戦ひの対

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何時の日か 祟る地に咲く 血槍の理 八千種に散る 戦ひの対


詠み人:siny_559     背景アレンジ:reika273

歌の詳細な解説は末尾の追記を御読み下さい・・・

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背景の画像について

この画像は・・・見ての通りで・・・

旧劇場版のカットそのものですが・・・

「ロンギヌスの槍」は両端双尖の「X字型」から・・・

先端が繋がって閉じた「∞字型」へ到達した状態です・・・


それはまるで・・・

壁を突き抜けて展開を切り開いてきた「ロンギヌスの槍」が・・・

物語を永劫の無限へ閉じ込めようと誘っているように感じます・・・


現実の世界で「ロンギヌスの槍」が求められる理由は・・・

血痕によるイエスのDNA情報が残されているからですが・・・


物語やアニメやゲームの世界で登場する「ロンギヌスの槍」は・・・

不可能を打破する卓越した道具として描かれる場合が多く・・・


エヴァの中では同様の意味を持つばかりに留まらず・・・

展開を締める象徴的な役割を担っていたと思います・・・


現実の「ロンギヌスの槍」とは別物と捉えるのが当然で・・・

「死海文書」と同様に比喩的なゼーレによる命名だと考えますが・・・


「ロンギヌスの槍」について詳しく書き始めると・・・

本が一冊作れそうなので私の仕事ではありません・・・

画に登場したので軽く触れました・・・


当書庫開設の記事 ⇒【 「黄昏の詠人」新設

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2009年7月1日:追記

詠み人のブログ「黄昏の彼方へ」は現在は既に閉鎖されました・・・

ここから先の内容は閉鎖前に記事として載っていた・・・

「siny_559」さんの文をそのまま転載させていただきます・・・



いつのひか たたるちにさく
  ちやりのり やちくさにちる たたかひのつい

(何時の日か 祟る地に咲く 血槍の理 八千種に散る 戦ひの対)

解説

祟るというのは「神仏・怨霊・物の怪(け)などが災いをする。」
「ある行為が原因となって悪い結果をもたらす。」という意味で、
血槍(ちやり)というのは「血だらけになった槍。血に染まった槍。」という意味で、
八千種(やちくさ)というのは「たくさんの種類。」という意味で、
対というのは「二つそろって一組となるもの。そろい。ペア。」という意味。

少々突っ込んだ解説 & 意訳

何時の日か、私たち人類の始祖であるアダムとイヴ(=エバ)が犯した「原罪」は
「血槍の理」によって贖罪される。此処で言う「血槍」とは、当然ロンギヌスの槍のことであり、
新世紀エヴァンゲリオンでは、ATフィールド(=心の壁)を消滅させる役割を担っていた。

そもそも原罪というのは、神から食べてはならないと言われていた「善悪の知識の木」(=知恵の樹)の実を、
蛇にそそのかされたイヴ(=エバ)と、アダムが食べてしまったことを言う。
その説明が「八千種に散る 戦ひの対」というわけである。

つまり、善悪の知識の木の実を食べることによってヒトに「自我」が出来上がり、
それが「八千種に散る」ということ。エヴァ風に言うならば全てが一つであった状態から、
ATフィールドが発生してしまったことで自分と、それを取り巻くたくさんの他人とに分かれてしまった、
ということである。これにより「戦ひの対」が始まる。
この対というのは当然自分と他人のことであるが、大きな意味では自分の意識とこの宇宙そのもの、
とも言うことが出来るかと思う。つまり元々は、自分のこの意識と目の前の宇宙は一つであったのに、
自我が生まれることによってそれが分かれてしまった、ということである。

そしてそう成ってしまったがゆえ、私たちは日々巡り行く現実と対峙しなくてはならなくなった。
それは言い換えれば、日々巡り行く目の前の苦しい現実を通して、
本来の神なる自分を見つけ出して行かない限り、
再び神の世界には戻れなくなった、ということである。

逆から言うと、自分の意識とこの目の前に広がる宇宙とが一つになり、
目の前の宇宙そのものが自分の意識の姿かたちそのものなのだとワタシ自身が感じることが出来た時、
神の世界へと戻ることが出来た、ということである。

そのようにして、神に祟られてこの地に生まれ落ちたワタシは「血槍の理」によって、今再び、
永遠の命を得ることが出来る。それは即ち、知恵の樹(=善悪の知識の木)の実だけでなく、
生命の樹(=命の木)の実も手に入れることが出来るようになったということであり、
ワタシという神を100%理解出来た時でもある、ということである。

そしてそうなった時はじめて、自分の中のATフィールド(=心の壁)は消滅し、
神としてのワタシが自由自在に表現できる宇宙が完成するのだ、といった感じ。

余談

この歌も、you tubeにあった『ParFestival08 【MAD】 新世紀エヴァンゲリオン「アンタ バカァ?」 1』
という動画を見て、それに感動して書いた歌です。

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