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11年前小脳出血で倒れてからリハビリでそれなりに回復したら、最近両足の吊りで悩まされて酷い思いの連続だったが、いくらか良くなったと思ったら今度は両手の親指の吊りが始まった。その痛い事半端じゃない! 4、5日我慢したが耐え切れず病院の整形外科に行って見てもらったら「ばね指」との事。なんじゃそれと二度聞きした。指を曲げるときに使う腱の傍のところの炎症が起こって痛むのだそうだ。私の場合は両手の親指の付け根で、右手親指が特に痛く、左手足失調だから右手が使えないと手摺りを右手で掴む事が出来なくなり生活に支障を来す。医師が言うには、注射か手術になるそうなので、差し当たり右手使えないと困るので注射を選択した。看護師さんが言うにはこの注射はかなり痛いですよと言う。その注射とは親指の付け根の一番柔らかい所をエコーで見て腱を探しながら注射器でそこに副腎皮質ホルモン(ステロイド)を打つのである。注射器を刺しながら針を抜かずに探して打つのだからその痛いのってとても言葉で言い表せない。色んな注射打ったが腰痛での尾てい骨に打つブロック注射に匹敵した感じだった。都合これ二回やったら何とか完治した。この注射強いらしくブロック注射と同じく1か月に1回しか打てないそうである。打った後汗ビッショリだった事報告しておきたい。
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病気
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1週間前から右手の親指が突如つった感じになってからと言うもの、何をするにも痛くて、ついに病院の整形外科に行った。受診の結果初めて聞く病名でビックリした。「ばね指」と言うのだそうですが、手術より、注射を選んだが、その注射の痛い事半端じゃ無かった。この1回の注射で治る人や、2回目の注射をする人様々みたいです。1回目の注射して治る人や2回の注射で治る人夫々だそうです。注射の後は麻酔藥が入ってるみたいで、2時間ほど感覚は無かったです。困った事はその間のボタンが掛けれなかった事です。お恥ずかしかったです(笑い)
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先に拙ブログで上京時状況を紹介したが、身障者である我が身の加齢の影響に少しばかり驚いた。
人間誰しもそうだが、いつもの自分とは知らず、加齢とのギャップに少々驚いた。頭では自分の年齢は解っていたつもりだが、身体の衰えがこれほど進んでいたとは自分でも大変な驚きである。物事やその行動が頭ではいつものようにやってると思っていても、身体がそのいつもより数段進み過ぎてるのを気付かずにいたのである。
以前より何度も報告しているが、10余年前少脳出血で倒れて以来、バランス機能を失い、独歩が出来ず、妻の介助によっての歩きがもうすぐ10年になる。常日頃のストレッチ運動と歩行練習によって、曲りなりに歩けるほどに回復したお蔭で、今回のように上京出来たのであるが、人に言えない恥ずかしさも今回結構した。
何度も話してるが、独歩が無理で、妻の手引き介助でかろうじて、まっすぐ歩くのだが、それも15,000歩が限度であったが、今回それがいつの間にか12,000歩に減っていた。多分加齢によるものだろう事は解ったが、これほどまでとはと思うとショックでどうにもならなかった。宿のある品川駅と国立西洋美術館がある上野駅との距離での電車の乗り換えや駅のコンコースの移動歩きで、12,000歩/日は悠に超えていた。5月8日には乗り換えや所用で東京駅のコンコースの手摺り傍の階段で、とても我慢できず座っていたら、アラフォーらしきご婦人に「どうかされましたか? 救急車呼びましょうか」と声かけられた。妻がお手洗いに行ってる間疲れたため、階段で座って待ってた時の事であったが、たまたま両膝に手を組み、それに額をつけていたため、体の具合が悪く突っ伏していたように思われて、声をかけられたのだろう。丁重にお礼と無事を言ったのだが、アラフォーらしきそのご婦人、私が気遣って無理を言ってるもんと中々理解してもらえなかったのが今思えば恥ずかしい。健常者には解らないだろうが、私みたいな歩きが不得手な身障者には歩き10,000歩/日は鬼門である。それを超えると、脛が張ってふくらはぎが硬くなり、足がつったようになって、歩けなくなるのは当然だが、あの足のつりだけは痛いを通り越して、苦しく足の置き場がなくなるようになる。それを知った者にしか解らない苦しさである。その日の夜足のつりと痛みで寝れなかったが、知らずに疲れが寝かしてくれた。
常日頃のリハビリの過信が打ちの目された今回の上京であった。良い経験をしたと今思っている。
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11年前の今日 2007(平成19)年12月22日土曜日私は会社の休業日に一人で会社の自室で、プライベート年賀状の作成をして、終わった午後3:30頃突然倒れ救急車で病院に搬送され、何とか一命は取りとめたが、左半身に失調が残ってしまった。左奥の小脳出血だった。仕事柄(建設、不動産)年末の暴飲暴食がたたり、危うく三途の川を渡る所だった。以来存在感を維持すべく、必死にリハビリに勤しみ、このブログやローカル紙に投稿し採用されるまでになった。何とか独歩は無理だが妻の手引き介添えで、それなりの旅行はこなせるまでに復活した。早いものでもうひと昔が過ぎた。これも訪問してくれるブロガーの皆さんや、勇気づけてくれた友人のお蔭であるが、最大の理解者はやはり妻だった。感謝してもし切れない気持ちである。
思えば私はもしこの病気をしなかったら、もうとっくにこの世に居なかったのではと今思ってる。あのまま暴飲暴食を続けてたら、身体がボロボロになってて、家族を始め関係者の皆さんにかなりの迷惑をかけてたろうと思う。変な気持ちだが病気して怪我の功名か!(笑い)
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冬季間雪のため外歩行リハビリが出来なくなるため、いつもの病院に入院して、冬季リハビリに励みたいと思います。
その支度にとてつもなく時間がかかっています。
普通の入院の衣類や生活用具等の用意は簡単に出来ますが、入院中にやりたい事のためのハードやソフトはたまたそのための、データ(以前のデータも含めるとかなりになる=windowsXPとwindows10の二種類のためノートも二台である)等そろえる事が大変である。それと留守のためにレコーダの録画容量空けるための作業等含めると、入院に出かけるまで殺人的なスケジュールであります。妻には病院に何しに行くの?と冗談言われてます。(笑い)
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