土木屋社長の風刺ブログ

政治・行政・医療・スポーツの不条理を正す

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いつも一緒に風呂に入ってる一番下の小6の孫に「爺プレゼント愉しみに」と言われて、期待してたら、好きな日本酒大吟醸4合瓶2本のプレゼントだった。医者には「呑んでないだろうね」と念押しされてるお酒だが、ストレス解消を兼ねた今では生き甲斐の最大の楽しみの一つが夕食時の一杯なのである。
病前は仕事柄お客様である役人の接待が最大の仕事だったが、楽しい酒飲みには程遠い毎日だった。今病気(脳出血)してみて、仕事とは言え如何にバカな生活だったかが思い知らされている。私はもともと胃腸が弱く、胃には大敵の炭酸が多いビールは殆どやらない方だったので、もっぱら日本酒党だった。ところが糖分が多い分血糖値が高く、初期の糖尿病が病気を誘発したのだろう、暴飲暴食がたたり、しまいには10年前に病気(脳出血)で倒れ現在に至ってしまった。手術の出来ない奥深い小脳をやられてしまった。脳梗塞でなかったので身体的には麻痺は無いが、目に見えないバランス感覚を失ってしまった。症状は丁度お酒に酔った状態に近く、酩酊状態で目は二重に見え片目でないと焦点が合わず、毎日が二日酔い状況だ。二日酔いが一生取れないという事になり、これは大変苦しいと言うしかない。だからこういう状況で、お酒を呑もうとすると、もう既に6,7合呑んでる状況に近く、1合くらいで1升くらい呑んだ状況になり、酩酊状態になってしまう。また日本酒でもどういう訳か本醸造酒は脳に悪く悪酔いして頭がガンガンして翌日が苦しくなる。よって私は毎日大吟醸酒をぐい飲みで一杯しかやらないが、それでもそれが楽しみで暮らしているようなもんである。

昨日我が家では娘の7回忌法要だった。 時の経つのは本当に早いものである。 2012年平成24年1月13日(金)の事だった。
 
その日私は病院の定期検診の日だったので、ほぼ1日留守にしてた。もちろん妻も一緒だ。病院の診察とは長いもので1日掛かりである。帰宅したのほぼ夕方に近かったから、妻が夕食の準備が終わって、さあ食べようとして、いつもの通り、各部屋の子供たちに声をかけ、食べ始めたのだが、いつもおなかすいたと言いながら早めに食堂に来る筈の娘が来ないので、一番下の孫の保育園児が娘を食事の誘いに部屋まで行って声をかけたが、声が無かったので寝ているのだろうと思い、ソッとしてやろうと言う事で、我々は食べ始めたのだが、その後私は風呂に入り、再度娘の部屋に誘いに言った孫が言うには、声かけても、返事なく、ドアも開かなかったそうである。その後の顛末は、その時の様子を当時の拙ブログで改めて紹介したい。
 
 
2012012008:21   娘の死(その1)
 
 その日私は3日分のブログの記事を書き終え浴室に居た。久し振りの満足感で浴槽でリラックス。その時前の廊下や前室が何故か騒がしい。
 すると妻が血相を変え、「お父さん、とにかく落ち着いて」と騒ぎながら浴槽のドアを開け、可笑しな事を言いながらあわてふためき叫んで入って来た。
 「お母さんどうした?」と私は何かあったのかと言うように聞いた。
 「Mちゃん(私の娘32歳独身同居)死んでた」
 「何?どうして、直ぐ救急車を」と私は言った。
 妻は「駄目、冷たくなってた。それでS先生に連絡したので今直ぐ来る」と言って出て行った。この間僅か1〜2分位だったろうか。 これ13日の夜の事である。
 
 私は、目の前が真っ暗になり、風呂の中で号泣した。
 とにかく早く浴室を出なければと急いで体を拭き浴室を出、居間に行った。居間には息子の嫁さんと孫3人が何か不安そうに居た。そこで私は堪えきれず、床を叩きながらまたも号泣した。
 
 すると、病院のS先生が到着し、娘の死体を調べた。どう言う訳か事件性の有無の為に県警に(S先生が)連絡し、その県警の鑑識が来るの遅れてた。とにかくその日どう言う訳かこのての事が多くてんてこ舞いだったらしい。2時間も待ったろうか、来たの22時頃になっていた。こちらはただ待つしかなかった。すると0時頃ようやく結論が出、世帯主の私に報告したいとの事だった。もう真夜中の1時頃になっていた。
 
 結論的には、どうも死後経ち過ぎていて、しかもエアコンが掛かっていて、死因と死亡時刻が特定出来ないし、しかも、事件性も否定出来ないため、死体を解剖したいとの事。私は娘をそんな風にしたくなかったため断ろうとしたら、刑事が「済みません、これは断ると言うような事出来ないんです」。親族・関係者には断る権限が無いとの事を言われた。私はそんな理不尽なと食い下がったが駄目であった。つまり事件性が否定出来ない場合は、関係者には選択の権限が無いのだそうである。驚いたがしょうがないため、しぶしぶ承諾した。
 
 その後娘は大学の法医学教室に搬送されるため、我が家を出た。その後小何時間も立ったろうか。外は白々もう朝になっていた。電話のベルが鳴った。朝早いため特に響くのを感じた。県警の刑事だった。県警本部と相談した結果、事件性無しと結論付けたため、死体解剖せずに返せるとの連絡で、至急葬儀社を手配し、その後の行事を進めてほしいとの事だった。随分と勝手である。死体解剖は時間が掛かるので、2〜3日葬儀その他は止めててほしいと言われたばかりだったからである。
 
 私たち遺族はまたもやあわてふためいた。直ぐお寺に連絡をしたが14日は友引で、全て明日以降に繰り延べで15日は混んでいて、無理だと言われ、しょうがなく、平日の月曜日の16日の葬儀と相なった。
 
 その2に続く(後日)
 
 
2012012108:10   娘の死(その2)
 
 私は娘の死を認め、葬儀の手続きをしてその日程を決めはしたが、正直まだ気持ちの整理がつかず、納得出来ずに居た。妻との会話では話こそ出来ず泣いてばかりだった。しかし、現実娘は呼べども動かず返事せず。この結果は受け入れずにはと思い、やっとこさ腹を決め葬儀の日程表に目を通した。
 
 私は以前より、どう言う訳か父親と娘の関係で居た。つまりもう子供ではない一人前の一個の女性と見、プライベートにはあまり深入りしないで居た。結果的にはそれが良かったのか悪かったのか、今にして思えば私は彼女の何も理解してなかったのかも知れない。殆んどどう言う生活をし、何を悩み何を思っていたのか殆んど解かっていなかったのかも知れない。時には父親と娘の会話も殆んど無かったに等しい。時には心なしか寂しげな表情を見て、もしかしたら、友達も居ず、婚期を逸したアラサー世代とも思っていた事も事実である。
 
 そして、葬儀の日である、そんな気持ちを抱いていた私は葬儀当日の焼香参列者の数少しと見込み、香典返しを少ししか頼んでいなかった私は、それがとんでもない間違いだった事に気付くにはそんなに時間が掛からなかった。
 
 娘は高卒後、やりたい事があると、埼玉の短大に進学し、それを終え、も少し勉強したいと故郷の各種学校に2年間通った。だが卒業しても就職出来ず、某省の出先機関の臨時の職員に応募し、運よく合格し、昨年末まで在籍し、その後辞め、家でのんびり家事手伝いをしていたのであった。娘は私に似てスポーツは得意な方で、中学は陸上とバスケットボール、高校時代はソフトボールに在籍しそれなりに活躍した方である。
性格的には、私に似て、どちらかと言えば気難しく、企画好きな行動派だったと思う。
 
 葬儀当日3回も香典返しの数を追加し、葬儀に参列してくれた方々の数に正直驚き、今は自分の娘を誇りに思っている次第である。一人ぼっちのアラサー世代と思っていた自分が恥ずかしかった。こんなにも来てくれた皆さんを見て、娘は嫌われていなかった。それが今娘を亡くした父親の正直な気持ちである。悲しみと同時に、何て言うか清清しさを感じた事も事実である。
今私は娘の死に直面して、次の事を思い知った。
 
 「死して知る生時の価値」
 
 これを実感した娘の死であった。
 逝った者、残された者全てにである。
 
 そして、このブログに直接お悔やみを下さいました方々には本当にありがとうございました。この場を借りまして感謝を申し上げます。
 
※ 今まで通りの記事が書けるか心配ですが、頑張って見ます。
 
 
2012012808:14   娘の死、仏事を全て終えて
 
26日でもって娘の仏事滞りなく全て終えました。
 死して二7日、納骨を残し全て終える事が出来ました。
 お寺の住職と相談し、雪深きお墓、寒いお墓への納骨、もう少し一緒に居たい気持ちを汲んで頂き100ヶ日の4月21日に致す事としました。これで我々両親はもう少し娘と一緒に居る事が出来ます。
 長いようで短かったこの2週間、未だに現実に戻れないでおります。
 「どうして、何故」 それだけを自問自答しております。
 これからは、我が家の系譜は息子1人になってしまいました。がその子が男子3人おります。これが我が家の家長としての私の安心であり、誇りでもあります。末永く育て我が家を維持して行きたいと思っております。
 ブロ友の皆様には、お悔やみのお言葉やお励ましのお言葉を頂き本当に感謝を致しております。
 なるべく、早めに気持ちの整理を付け、このブログに復帰致したいと思っております。
 本当にこの度は、皆様に、ご心配とご迷惑をお掛け致しました。この場をお借りしお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 
 
2012020520:31
カテゴリ
娘の死 「日薬(ひぐすり)」に救われて
 
私たち夫婦は娘の死によって、毎日が憔悴しきった、何も出来ない日が続いている。
 先日妻の友人が訪ねて来られ、元気の無い私たちに「日薬(ひぐすり)」の良さを説いて行った。
 その話を総合すると、ある心療内科医の先生が教えてくれたそうな。
 最初私は真に受け、そんな良薬本当にあるの?と真顔で聞いた事が少し恥ずかしくもあった。何の事はないのである。要するに日にちが立つ事つまり時間の経過であった。なるほど日1日を過ごす事による、時間の経過と言う薬であった。
 娘を亡くしようやく三7日が過ぎた、確かに時の経過により、日1日と娘の事を想う気持ちが時間とともにいくらかではあるが変わって来ている事に気付いている。
 恐らくこのまま時間の経過とともに、その「日薬(ひぐすり)」によって、心の傷が癒されて行くのであろう。ある意味寂しいがそれによりまた人間として成長する事にもなるのである。娘の死を無駄にせずにそれを1つの契機と捉える事も娘は許してくれると思っている。
 
 いづれ私たちはその「日薬(ひぐすり)」によって救われていくのであろう。
 
 
と言う風に書いておりました。
正直、未だ娘への気持ちは癒えておりませんが、それこそ「日薬」のお蔭で何とかある程度その気持ちを断ち切れるところまで来ている事だけは確かです。 娘を亡くしたその気持ちだけは消し去る事出来ませんが、薄れて来ている事だけは事実です。苦しいけれども明日を見て頑張って行きたいと思っております。
2009(平成21)年の7月6日に私はこのブログを立ち上げた。
思えば正にあれから8年である。
脳出血で倒れたのが2007(平成19)年の1222日(土)だったから、病気と格闘した翌々年から始めた事になる。
私は小さい頃より文章を書くのが下手であり、学校での作文を書くに時間内で終われない位書けなかった。当然に小中の国語、高校の現代国語や古文漢文は欠点を割っていていつも赤点だった。仕事してても評価文や計画書等苦手で、ゴーストライターならぬ妻の作文で救われてた。それだけ苦手でも、理系教科になれば水を得た魚の如く人間が変わった事を覚えてる。倒れるまでは文系と言われる妻と息子に馬鹿にされてたものである。負けず嫌いの私である、脳卒中となれば誰も今までの私と思って相手にしてくれないだろう。だったら病前の私のように対等に見てもらうためにはどうすればと考えたのが、文章を書ける人間である。そこでここに××××(私の姓)あり!を印象付ける手段として選んだのがこのブログだったのである。自慢じゃないが開設以来1日も休んだ事は無い!それが自慢でもあり誇りでもある。どちらかと言えば、そんなに綺麗好きでもないし、潔癖症でもないが、完ぺき主義者であった。中途半端と「ズボラ」が大嫌いな性格でもある。
ブログを長く続けたお蔭で、少しばかりだが文章を書く時間がかからず、早く書けるようにもなった。400字詰め原稿用紙1枚に数分でまとめて書けるようにもなった。武者修行ではないが、積極的に懸賞文にも出すようになったし、ある懸賞文では採用された実績もある。ここ数年には地元のローカル紙の読者の欄に1か月に1度程度採用され、常連となりつつある。
今では妻と息子が文章が下手だと言わなくなった事が嬉しくもある。
3人の孫の一番下の小4の孫には爺3桁(100歳)まで頑張ってねと言われてるから、随分と時間もある。
そこで考えたのが、「土木屋社長の--------------------------」と題した本を自費出版する事であり、今着々と執筆中である。しばらくかかるが、その時になれば紹介したいと思ってる。
出版費用結構掛かるが、当然に本屋さんに並ぶところまでやるつもりである。
乞うご期待である。
その時には私の素性も全て露わに致す所存です。
今日の天気は私を祝福してるかのように雲一つない快晴である
思えば長いようで短い人生(笑い)だったように思える。
今孫の行事で小学校に行くと、校舎や教師を含めた環境がはすっかり変わってしまってはいるが、自らの小学生時代が今でもハッキリと蘇ってくる。その時のガキが今や古希となり、祖父母参観日等は正に同級会・同期会に様変わりする。不思議なもんである。
思えば私達等は団塊の奔りであり、お国にかなり貢献した世代でもある。我々の学生時代は学生運動が真っ盛りで、若いエネルギーをそれで解消したようなところもあるが、今の若者を見れば、国電に乗ってても国電のホームで待ってても、昼食時のレストランでも、どっち向いてもスマホでピッコピコやってる。何をやってるかとソッと見てみれば、何のことない老いも若きもゲームである。何か言おうとすれば「今どきの若いもんは」と言っちゃいそうで嫌われそうで本当に大変だ。正直に言えば政治に無関心で亡国への道まっしぐら!だ。心配である。
 今日古希の会が催される。
 中学の同期生としばらくぶりの再会である。
 私は会場とその周辺がバリアフリーの環境にないため欠席だ。
 でもどうしても会いたいが、実家が無くなって都会で生活してる同期の者が泊めてくれと、数人が我家に昨日からたむろしてる。お蔭でこのブログも記事更新出来ず今になってしまった。そして今日午後これから始まる古希の会の会場周辺まで、送って行き今帰って、この記事書いてアップロードしたところである。

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