ある老人のレミニッセンス 外国事情・美味礼賛

長い人生いろいろありました。 一老人の回顧と折にふれての感想です。

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文法の話

またまたオハイオさんのブログで面白い記事を拝見しました。 日本の英語教育の影響で、英語の作文が、関係代名詞や接続詞を多用して、長たらしい文章になるケースが多い、それぞれ独立した短文にしたほうが、活き活きしたリズムのある文章になるのではという趣旨の記事です。 私もこのご意見には大賛成です。
(オハイオさんの記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/ohio1982oh/56095397.html) 

記事本体も面白く読ませていただいたんですが、コメント欄でKABUさんとおっしゃる方とオハイオさんが定冠詞のtheについて興味のある意見交換をされていました。

一般に、theは複数の人間が参加している会話で、或いは文章であれば書き手と読み手の間で、初めて出てきた名詞にはつけないが、二度目に同じ名詞が出てくればtheをつける、またその名詞が初出であっても、会話の参加者にとって、或いは書き手と読み手にとって特定された既知のものであれば最初からtheをつけけるというのがまあいわば原則です。

オハイオさんたちが、話題にしていたのは、in the morningという、慣用されるフレーズのtheは文法的にどういう位置づけなのかと言うものでした。 KABUさんは語源的な検証をされて、此の慣用的な用法が出来たのだろうとされ、オハイオさんはこのthe morningは特定された朝ではなく「一日を 朝・昼(午後)・夜 と大雑把に分けた場合、「一日のうちでひとつしかない朝の時間帯」という意味の the だと思いました」と書かれています。

此のコメントのやり取りを読んで、英語の文法というのは英語を勉強したり、英語を使って仕事をする日本人にとって、どんな価値・効用、必要性があるのか少し書いてみたくなりました。

英語の定冠詞、不定冠詞は確かに厄介な存在で、英文を書いたり、或いは会話の際も、「要るのかな? 要らないのかな?」とよく悩みます。

in the morningのtheについて私なりの意見を言えば、この文句が普通会話のなかに出て来る場合は、多くの場合、後に特定する言葉がついってきますね。 例えば、


in the morning today (今日の午前中)
in the morning of December 13th (12月13日の朝)
in the morning on July 7th(7月7日の朝) 
(以上全部英辞郎に出ています)

大概特定するための言葉が付随しています。

オハイオさんは、I walk in the morning. という例文を挙げて、此の場合「毎朝」、という意味合いで使っているので「特定の朝」ではないのではとおっしゃっています。

私は此の場合も、話し手と聞き手の間では「in the morning everyday」意味で使っているという暗黙の了解があって、単にeverydayというmorningを特定する言葉が省かれているのではと思います。 つまりtheというのはいろいろ意味合いがあったり、文法的な意味づけがされたりしているが、やはりあくまでもthe がついている場合は、話し手・聞き手の間に暗黙であれ、何であれ既知という共通の立場がるんだろうと思います。

冠詞のa, an, theをつけるのかどうか、一々文法的に検討していては大変です。 冠詞の要・不要とは少し意味合いが違いますが、以前NYの孫が小学校低学年のころ、a , anをつけなかったり、the apple の様に後ろに母音が来ても、「ザ」と発音して「ジ」と言わないなんて事を母親が学校の先生に相談したときに、「ほうっておけばいい、そんなことすぐ直るから」といわれた事を記事に書きました。

全くその通りで、アメリカ人や英国人が「此の名詞が出てくるのはこれで二度目だからtheをつける」だの、「此の名詞は母音で始まるから、aではなくてanをつけよう」なんて考えていない事は明白でしょう。

マーク ピーターセンという名前をご存知のかたも多いのではと思いますが、確か明治大学教授で「日本人の英語」というユニークな本を書かれた方が、「初めに名詞を持ってきて、それに、後から冠詞をつけたすのでなく、 どんな冠詞がいま必要か、が先で、名詞はそれに付随するもの」言っているそうです、つまり「読み手、聞き手にとって、今自分が書こうとしている、あるいは話そうとしている言葉(単語)がどんな位置付けにあるかを、まず、冠詞の形で表出し、次に具体的な対象物(名詞)を置く」という事だそうです。 

そんなことを言われても私には良く理解できませんが、どうもアメリカ人の頭の中では自然に必要な冠詞が無意識に出てきてその後に名詞が来る、つまり私の孫がやっていることと同じで、こんなこと日本語がコア言語の日本人にはいくら言われても出来そうもありません。

ここで少し寄り道をして、日本語の場合の文法、日本語文法の事を少し考えて見ます。

今の人間の先祖、ホモ・サピエンス・サピエンスの出現は約16万年前。その頃全く文字なんかはあるわけがありませんが、意思疎通の手段としてなにか言語らしいものはあったでしょう。

今から五、六千年前に朝鮮語から別れ日本の北九州で話されていた言語が日本語のご先祖だそうですから、日本語の誕生だけ考えても随分昔の話です。

その頃はまだ文字はなかったでしょうし、ある種のルールはあったかもしれませんが、文法なんてものはあるわけもないでしょう。 その後中国から漢字が輸入され、さらにそれから漢字を利用して「カタカナ」が生まれ、さらに弘法大師が「ヒラガナ」を作ったそうですね。

日本人が文字を使うようになったのは人類発生の16万年前は勿論、日本語が言語として定着した3千年前にくらべてもずっと最近の事でしょう。 その頃不文律(unwritten rule)として言葉を使う上でのルールらしきものはあったと思いますが、成文化された今のような体系的な日本語文法があったとは思えません。

時代は違っても言語発達の経緯は英語でも似たようなものでしょう。いずれにしろ英語も日本語も、文法なるものが出来たのは長い人間の言語の歴史の中でごく最近の話だろうと思えます。

私自身、お恥ずかしい話ですが、日本語の文法は全く何にも知りません、完全にゼロです。 中学・高校でそれらしきこと、四段活用だとかなんだとか授業を受けたことは覚えていますが、内容は全く覚えていません。 反対に英文法は、まあ中学校の先生ぐらいは勤まるくらいには勉強しましたし、今でも折があればいろいろ英文法の本や記事を読んだり調べたりしています。

しかしながらですよ、日本語文法はすっかり忘れたというより元々勉強していないから知らない私ですが、日本語でなら何を書いても話しても、英語で何か書いたり話したりするのに比べればはるかに自信があります。 私の場合英語より日本語の文章や会話の方が文法的な間違いもなく、完成度も高いと思います。 

英語の本や文章を読んだ回数と、日本語の場合とは多分一万倍ぐらいの差があるでしょうから当たり前かもしれませんが。

要するに文法なるものは、何千年もの間、人間が意思疎通の手段として言語を使い、自然にルールらしきものが形成され、それがごく近年(言語数千年の歴史の中で)体系化された、いわば「後出しジャンケン」みたいなもの。 子供のときからどっぷり使っている母国語の場合、文法なんかまるっきり知らなくても名文を書くことや、名演説をすることは可能でしょう。 

逆に、母国語でない外国語・英語の場合、いくら文法を勉強しても、それは膨大な英語という言語のなかの一部のルールを勉強しているだけで、日本人がいくら英文法を勉強しても、英文法なんかほとんど知らないアメリカ人大学生・高校生あたりのほうが、英文を書いても、英語で話をしても多分日本の英語(文法)学者より上手いでしょうね。

有名な話があります。 明治の頃の話でしょう、日本の著名な英語学者がアメリカの大学で、英語で講演をしたそうです。 それを聞いたアメリカ人の学生が「内容は分からなかったけれど、日本語と言うのは随分英語に似ていると思った。」と言ったそうです。 真偽の程は知りません。

だから文法の勉強なんか無駄だなんて言っている訳では全くありません。 今の日本では大学受験に英文法は必須でしょうし、日本人が英語の勉強をする手段としては、英文法が大切なことは論をまちません。

しかし、これが実社会、ビジネスの社会で英語を使って仕事をするとなると、つまり実用英語の世界の話になると、一々文法的な可否を調べたり、文法にこだわってスピードが落ちたりでは、残念ながら実際的とは言えませんし、通用しないでしょう。

I go to school by bus. こんな簡単な文章でも、「schoolは私が毎日通っている学校だからtheがいるのかな」、とか、「私が乗るのは一台のバスで単数だから、a busなのかな」とか、「毎日同じ時間に乗る路線バスだからthe busにするのかな」、何て余計な事を考える事なんか、少し英語の勉強をした人ならまずしないでしょう。 

by bus, by air, by train, by car, by airmail、こんな言い方はそれこそ年中出てきますし、だれも何の疑いもなくそのまま使っていますね。 しかしこんな言葉でも、文法的に説明すると、「手段を述べる場合は、ひとまとまりの抽象概念として考えるもの。 theの要不要、busやtrainが可算、不可算、といった判断は必要とされていない。」なんて小難しいことになります。

こんな説明をもとにして、一々難しい考え方をしていたんではさっぱり先に進みそうもありません。 沢山読んで自然に知識として蓄えるのが結局近道のように思えます。 それと覚えたら使うことですね。

昔は文法的に誤りとされていた言葉使いでも、現在では正しいとされている表現がありますね。 いい例が「ら抜き言葉」です。 「見られる」が「見れる」になる様に、ラレルがレルに変わる表現です。 いまだにこの「ら抜き言葉」は日本語としては正しくない、とする人は大勢いますが、現状ではもうこの「ら抜き言葉」はすっかり容認されてしまっています。まさに文法の「後出しジャンケン」ですね。 つまり文法も「歌は世につれ、世は歌につれ」で時代と共に変わっていきますし、所詮は文法より現実に使われる話法が優先しているわけです。

英語学者になるとか、教職について人に英語を教えると言うような立場なら、英語そのものが職業ですから又違った話になると思いますが、あくまでも英語を道具にして自分の仕事をする場合なら文法もさることながら、沢山読んで、覚えて真似をするのが一番だと思います。

technical jargon(専門用語)とかlegal jargon(法律用語)なんてものがありますが、英語の世界も業種によってそこでしか使われない表現や熟語が沢山あります。 こんなのは文法もへったくれもありません、そのまま文句と使い方を覚えて、そのまま使うしか方法はありませんね。

閉じる コメント(10)

うさも今よりもちょっと若い頃、ちょっとばかり英語が話せる〜私はアメリカ人と同じ・・・とかアホな錯覚をして自己満に浸っていた時期があったのですが、そのエゴを破壊して謙虚な学習者に(?)引き戻してくれたのが冠詞です。自分では細心の注意を払っているつもりなんですけど、冠詞の使い方では今でもこけてばっかリいます。遊んでばかりいないで復習しま〜す。

2008/12/14(日) 午前 1:44 うさ

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うささん:

何万年、何千年の間、文法なんてものなしで人間が使ってきた言葉ですからね、文法という後から出来たルールだけで全部上手いことコントロールするなんてことはもともと不可能なんですよ。

結局「習うより慣れろ」、理屈で考えるより、沢山読んで、沢山聞いて、どんどん覚えてどんどん使うより方法は無さそうですね。 アメリカ人や英語ネイティブは子供のときからそうしているわけで、生まれて以来まわりが全部英語の世界、年中自然に聞いたり見たりしていますから、別段の努力もしないで自然にtheの使い方なんか身につくんでしょう。

早い話、アメリカ人に「ここではどうしてこの名詞にtheがつくの?」なんて聞いてもまともに答えられる人なんか殆どいないんじゃないでしょうか。日本の予備校の先生の方がよっぽど説明だけなら上手でしょう。 そんな説明を聞いてみても、実際には大学受験以外には殆ど役に立たないのが問題です。

2008/12/14(日) 午前 8:49 rei*ay*m*zaki19**

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Yamazakiさん、わたしの記事を紹介してくださってありがとうございます。さっそくトラックバックさせてくださいね。

<沢山読んで自然に知識として蓄えるのが結局近道のように思えます。> ほんと、これに尽きます!日本の英語教育にかけているものもこのことです。
とても宣伝めいていて申し訳ないのですが、わたしのもう何年もほったらかしのホームページにも、それについて書きました。こちらの2番です。http://lifewithenglish.hp.infoseek.co.jp/My_opinion.html
お時間があるときに読んでくださるとうれしいです。

ところで、最近この記事の有名な英語学者の講演の話と似たようなことを聞きました。高校の修学旅行で外国に行き、そこの英語教師が外国の生徒に英語でスピーチをしたところ、全くといっていいほど通じなかったそうです。英語教師にとってのホラーストーリーですね。

2008/12/15(月) 午後 11:17 [ ohio ]

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オハイオさん:

記事をトラックバックしていただいて有難うございます。

ホームページの記事早速拝見しました。 全く同じご意見で、英語で苦労した人達は多分皆さん同じ結論になるんじゃないでしょうか。

英語の先生のスピーチの話も、私が読んだ英語学者の英語講演の話も、同工異曲で、多少脚色誇張もあるんでしょうが、私自身何度も似たような経験をしています。 日本の過酷な受験戦争を経て、一流大学を卒業した人なら、簡単な英作文なんか苦もなく書けるわけでしょうが、タクシーの運転手との簡単な会話も、ホテルのフロントでの会話も、英作文はちゃんと頭の中で書けていても、何せ発音がカタカナ式ですから外国では全く通じないなんて話それこそ嫌になるほど見たり聞いたりしています。 昔は今よりもっとそれがひどかったんですよ。

2008/12/16(火) 午前 9:56 rei*ay*m*zaki19**

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in the morningのtheがある理由は,午前中というのは一日の中でも決まった時間帯だからなのだと思っています。morningを「朝」と捉えると,「何日の朝」というように限定されているかどうかが気になるのだろうと思いますが,一日の中で決まった時間帯と捉えれば,文句なく誰にでも既知の時間帯ということになりますね。

2008/12/16(火) 午後 5:35 [ - ]

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in the morning の the について、わたしも記事の中で述べたように、umabさんと同じ考えです。やはり、the の付いている morning が特定されていると考えたいです。

2008/12/17(水) 午前 11:01 [ ohio ]

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umabさん:

頂いたコメントにご返事しようと思って書きかけましたら、この話しもう少し敷衍したくなりました。 新しく記事を明日までに書きますので、それをご返事とさせてください。

2008/12/17(水) 午前 11:38 rei*ay*m*zaki19**

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オハイオさん:

上(↑)のumabさんへのご返事の様に、この話もう少し書いてみたくなりました、明日までに記事にしますのでそれでこのコメントへのご返事にさせてください。

2008/12/17(水) 午前 11:42 rei*ay*m*zaki19**

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ひらがなよりカタカナの方が先に出来たのですか。そうすると弘法大師のひらがなも余りびっくりするような発明ではありませんね。カタカナを作った人はそうすると随分、創造性がありますね。

2010/9/25(土) 午前 11:04 [ Seito ]

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大西星都さん:

始めまして、古い記事を読んでいただき、コメントまで有難うございます。

私のこの記事は、もともと英語の冠詞不定冠詞の話ですから、あまりカタカナやひらがなとは関係がありませんが、私自身の考えを言えば、カタカナを考え出した奈良時代の人も、その後でひらがなを発明した平安時代の人も、どちらもたいしたもんだと思いますよ。

平仮名が果たして弘法大師の発明かどうか、私自身が確かな知識として知っているわけじゃありませんが、諸説がそうなっていますから多分そうなんでしょう。 弘法大師が平仮名を発明したとすれば、やはりそれなりの必然性、必要があったんだと思います。

2010/9/25(土) 午後 8:40 rei*ay*m*zaki19**

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