ある老人のレミニッセンス 外国事情・美味礼賛

長い人生いろいろありました。 一老人の回顧と折にふれての感想です。

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子母沢寛・味覚極楽

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子母沢寛・「味覚極楽」
 
『新しい取れたての蓮を焼き物のおろしでおろして、これを玉にして茹でる、一方では昆布のだしに薄い塩味をつけ、これに玉を入れて吸い物にし、冷たい麦飯を相手にこれを食べるうまさは肉類などを喜んでいる人にはわかるまい。(増上寺大僧正 道重信教氏談)』
 
こんな風に蓮を食べたことありますか。 蓮をおろして団子にするのはどこかで聞いたことがあるような気もしますが、この増上寺大僧正だった道重信教氏のやり方のような蓮料理全く口にしたことも眼にしたこともありません、料理としては随分簡単ですが、その分かえって「出し」などよほど丁寧に作る必要がありそうです。
 
『合鴨は醤油も砂糖もすべてほんのぽっちりにしてそれへ酒を落とし薄いつゆにして、そこへ鴨だけを入れてよく煮てから一晩ぐらいそのままにして冷たくなったところで食べると結構だ、熱い鍋は本当の味が出ないものである。(子爵小笠原長氏談)』
 
私もよく蕎麦屋で鴨なんの抜き(鴨南蛮の蕎麦抜き)で一杯やりますし、暮れになると合鴨と京都の水菜を送ってくださる友達がいて、合鴨の鍋は年に一回ですが家でもやります。 しかし、一晩置いて冷たくした鴨の吸い物とは意表を突かれました。
 
どちらの話も、昭和のごく始めのころの話で、子母沢 寛の「味覚極楽」という本に出てきます。
 
近頃読む本が随分限られてきました。 長編のミステリーなんか、折角読み出してもなかなか最後まで読みきれず、途中で止めてしまい、なんか不満足感だけが残るなんてことが多くなりました。 そんなことで昔から何度も読んだ随筆集なんかをいろいろ引っ張り出して読み返すなんて事をしています。
 
そんなんで最近読み直したものに、子母沢 寛の「味覚極楽」があります。
 
ところで、私のアーカイブは世間話、英語の話し・外国事情、食べる話・飲む話、好きな作家・随筆家の四つに分けてあります。 したがってごく当たり前にこの子母沢寛も好きな作家・随筆家の書庫に入れて話を始めましたが、実はこの子母沢 寛という作家の作品は、小説もいくつかは読んでいると思いますが、あまり記憶になくこの「味覚極楽」だけがそれこそ本がばらばらになるほど何回も読みました。 掲載の写真を見ればお分かりただけるでしょう。 そんな訳ですから、本来この話は食べる話・飲む話の範疇なのかもしれません。
 
子母澤 (しもざわ かん、189221 - 1968719)は北海道出身の小説家ですが、祖父は江戸御家人彰義隊に参加し、箱館戦争に敗れてそのまま北海道に定住したのだそうです。 したがって、北海道出身と言っても、その随筆にはかなり江戸っ子的な雰囲気が流れていて、江戸から続いた明治大正の様子が伺えて私には大変面白く、何度も何度も読み返すことになりました。
 
明治大学卒業後、読売新聞東京日日新聞で新聞記者をしていたとき、この「味覚極楽」を書きました。 始めは、東京日日新聞の「囲み物」・軽い読み物記事として1927年(昭和2年)8月から連載され、その内容は、当時の著名人、華族、政財界人、軍人、文化人などを中心にして毎回談話を聞き取り取材し、記事にまとめたものです。 談話の主題が「味覚」と言う事で、それら語り手の食に関する蘊蓄やら、更にはその談話を通じてなんとなく伝わってくる人生観、或いは彼らの活躍した明治維新前後から大正を通じ昭和初期までの市民生活や江戸の名残を濃く残した当時の東京の風俗習慣など、テープレコーダーなんてものなしで、語り手の話を見事に再現している手際は見事なものです。
 
なにせ語り手の中に昔の華族なんて階級も多く、そんな人達はほとんどが地方のもと大名だった家柄の人ですし、また当時の財界人も維新の文明開化を通じて成功した明治の気骨を持った人達ばかりで、これまた多く地方出身だったでしょう。
 
そんな人達ですから、江戸から東京への変遷を、食を通じて語っていても、変に江戸っ子ぶった通を振り回すのとは一味違った、食通話や回顧談が個性豊かに展開されます。
 
皆さんの中にも、岡本綺堂作の連作時代小説「半七捕り物帖」を読まれた方もおられるかと思いますが、丁度あの引退した岡っ引き半七老の語り口が江戸から明治の風俗を活写して、江戸から変わったばかりの当時の東京の雰囲気を窺わせ、捕物帳としての面白さ以上のものしていたのと似て、この「味覚極楽」もそんな食通話以上のものがたっぷり含まれています。 
 
その連載終了後まもなく光文社から単行本化され、戦時中は絶版となっていましたが、戦後、1955(昭和30年)から3年間、雑誌「あまカラ」に再連載されました。 そのときはもう子母沢寛は新聞記者ではなく時代小説家として名を成しており、かっての記事再連載にあたって、べつに取材当時の会見記を書き下ろし、初出時の記事と組み合わせて発表しました。
 
「あまカラ」への連載が終了した1957(昭和32年)には子母澤の会見記を加えた形で龍星閣から単行本化されました。 私が持っているのはその第四刷、昭和39年発行のもので、定価四百八十円でした。
 
話し手は皆さん、江戸から東京と変わっても、そこの住人ばかりですから、話の中に江戸の名物がやはり頻繁に出てきます。 つまり、天ぷら、鰻、鮨、蕎麦。 面白いのはその好みの傾向がやはり今とは大分違っています。 
 
天ぷらはどうしても胡麻油だけを使ったものの点数が高く、材料も今と違って、海老、ギンポウ、ハゼ、キス、穴子など江戸前の小魚が主流で今の様に、アワビ・松茸・初夏の子鮎だのなんだの変わったものはさっぱり登場しませんし、塩で食べるのも邪道とまではおっしゃいませんが、やはり天つゆにおろしが一番と言う意見が圧倒的です。
 
鮨も今のように大トロを有難がるような様子は全くありません、やはり頻繁に出てくる寿司の話は穴子・コハダに卵焼きと海苔巻き。 ほかに出てくる鮨は押し寿司か稲荷寿司。 一つ珍しい鮨の話が出てきます。
 
元鉄道大臣 小松健次郎談
日本橋通二丁目を入ったところに「香寿司」というのがある。飯の押し込んだ上に、奈良漬、沢庵、味噌漬などを、魚の代わりに綺麗に載せ、そのあいだあいだにしのだ巻などを彩りにした押し寿司で、なかなか乙なものである。 漬け物そのものが素敵にうまく出来ているので、私はよくこれを肴に酒を飲む、飯の代わりに熱い茶でつまむ。 上戸にも下戸にも結構である。
 
なんとも美味そうな洒落た食べ物ですね。 近頃では美味しい沢庵や奈良漬なんて絶えて久しくお目にかかれません。
 
鰻の方は、まだ養殖鰻なんかほとんどない、あっても全く場違い扱いされていた時代ですから、話は天然物の話ばかり。店にあがって一時間待つのが当たり前、客の顔を見てから鰻を割き、よく蒸して焼き上げるといった、お江戸の蒲焼の話ばかり、関西風の蒸さない蒲焼の話は、全く出てきません。
 
蕎麦に関してはこの時代のことですから、ほとんどが東京のうまい蕎麦屋の話で、今はなくなってしまった名店がいろいろでてきますが、そんな蕎麦の話の中に毛色の変わった話がありました。
 
陸軍中将 堀内文次郎氏談
お国自慢信州蕎麦。 あれには昔から食い方がある。 大根を下ろした<b>しぼり汁に味噌で味をつけ、ねぎのきざみを薬味とし、それへ蕎麦をちょっぴりとつけて食うのである。 ただし蕎麦はもちろん、大根、ねぎ、それぞれに申し条がある。 大根は練馬あたりで出るような軟派のものではいけない、あんなに白くぶくぶくに太ったのは水ばかりで駄目である。 −中略− 姥捨山(うばすてやま)の痩土に、困苦艱難して成長したもので、せいぜい五寸、鼠の尾位の太さになっているものに限る。 −中略− このしぼり汁がひどく辛い。 味は味噌でもいいが醤油でもいい…。
  
どうも読んでいてもあんまり美味しそうには思えませんが、子母沢さんもこの談話の会見記で、ご自分でも懇意な蕎麦屋のおやじにたのんで、この辛味大根の蕎麦を試したところとても駄目だったと書いています。 そのとき蕎麦屋のおやじが「ただ大根汁に味噌をすり込んで、それで食べて下さるお客さんがあったら、すぐに蕎麦屋は蔵が建ちます。」と言ったそうです。 要するにお国自慢に郷愁が加わり、辛味大根の蕎麦が至上のものになったんでしょう、子母沢さんも「適当に鰹節が入り、加減をして貰ったものの方がやっぱりいいです。」とも書いています。
 
勿論皆さん明治生まれ或いはそれよりもっと前の徳川慶喜の時代に生れた方も中にはおられるでしょう。 それでもかなりの数の外遊経験談も含まれていますし、また逆に高村光雲翁のようにそれこそ江戸の様子を懐かしそうに話されていたり、興趣は尽きません。
 
それと「あまカラ」に再連載された時、子母沢さんが新たに書き下ろした、会見時の様子や語り手の背景説明その他、後に思い出したことなどの会見記事が又語り手の話を補足したり、引き立てたりしてこの本を更に面白いものにしています。
 

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子母沢寛の時代もの代表作は『新撰組始末記』『父子鷹』でしょう。前者は新撰組の、後者は勝小吉と勝海舟父子の話と思います。
恥ずかしながら読んだことはなくて、映画とかTVドラマから知りましたが。食べ物に関することもこのように書いているのですね。
関連した件ですが、池波正太郎の梅安シリーズのDVDをみると、渡辺謙と橋爪功が湯豆腐を作ったり、その季節の魚を焼いたりして酒を飲む場面がよく出てきます。質素というか素朴なんですが、とても好きですね。
ただ酒ばかり飲む料亭の場面などが他の映画などにでてきますが、
本当かなあ?と思ってしまいます。

2010/3/17(水) 午後 8:33 [ hiroaki_noji ]

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hiroaki noji さん:

池波正太郎の湯豆腐は有名ですね。 酒飲みの夢の肴のような書き方をしています。 池波さんも新派の舞台に深く係わって、戯曲をいくつも書きましたが、子母沢さんも少し先輩ですが似たような雰囲気をもっていますね。 どちらも江戸を引きずった東京の食べる世界を活写した作家だと思います。

2010/3/18(木) 午後 8:02 rei*ay*m*zaki19**

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池波に、たしか真田の辛味大根そばがでてくる話があった、そば屋の主人が盗賊の頭だったような… ってことは鬼平か剣客か梅安だと思うけど(メジャーばかりですまない)、すごく美味そうに描かれていた。子母澤が下敷きだと思ったが、どうだろう。ちなみに子母澤は18の時に全集をやっつけている。演繹的だけど、16に読んだ司馬遼の影響(燃えよ剣)。

2017/9/6(水) 午後 8:39 [ ]


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