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中川雲屏

長浜城歴史博物館
特別陳列『湖北の画人・中川雲屏』の開催について
 
長浜城歴史博物館(館長 中井均)では、次のとおり、特別陳列『湖北の画人・中川雲屏(なかがわうんぺい)』を開催します。湖北出身の画人・中川雲屏の作品を展示公開しますので、市民の皆様にご周知、よろしくお願いします。 
会  期 : 平成22年11月9日(火)〜12月26日(日)
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はじめに
江戸時代中期から後期にかけて、長浜町は繁栄を続け、膨大な富の蓄積を背景に、町衆文化が花開きました。豪華絢爛に改造された曳山や、文化人の輩出や往来がその証左です。 
長浜城歴史博物館では、江戸時代中期に京都から長浜に移住し活躍した山縣岐鳳(やまがた ぎほう)の特別展を開催し、その作品と業績そして長浜町とその周辺に与えた影響を紹介しました。その後、弟子の八木奇峰(やぎ きほう)の展覧会を開催しました。
今回は京都に出て大成したもう一人の弟子・中川雲屏(なかがわ うんぺい)の生涯と作品を展示します。雲屏の湖北史に与えた影響を再確認いただければ幸いです。
 
<中川雲屏の生涯>
中川雲屏(18021863)は、享和2年(1802)、近江国浅井郡曾根村字東福寺(とうふくじ)(長浜市曾根町)に、兵左衛門(34代目)の次男として生まれた。幼名は亀吉で、後に雲平と称した。落款には「李雲屏(り うんぺい)」と記している。
幼少から絵が好きで、丹青の手ほどきを長浜南船町の山縣岐鳳から受けた。雲屏は、絵が上手で才能があったため、文政7年(1824)に京都へ出て、四条派の岡本豊彦に再入門するが、これは岐鳳の推薦であろう。雲屏は、豊彦の画塾「澄神社」にあって心血を注いで写生を学び、その奥義を極めたという。
文政10年(1827)、25歳の時に「雪景図」を描き、坂田郡今村(長浜市今町)の太田翠厳(おおた すいがん)に贈り、礼状が残っている。また、雲屏は高雅な性格で詩歌茶道から小笠原流の礼式に至るまで精通していた。
天保14年(1843)美濃多良(岐阜県大垣市上石津町)の藩主高木家に出入りし、諸礼式や書院等の飾付け、絵画を教授したという。翌年310日より約7年間、美濃・尾張を客遊し、山紫水明の風景を写生している。
文久元年(1861)には、和宮降嫁の嫁入道具として「天保九如図」「歳寒三友図」「玉棠富貴図」三幅対を描いた。大岡松堂・辻宗範・板倉槐堂・江馬天江・八木奇峰・大田翠厳等と親交を結んでいる。
文久3年(1863929日美濃多良の北高木屋敷(土佐ともいう)で死去。享年63歳。
展示資料一覧
1.絹本著色 玉棠富貴図      1幅    本館蔵
2.絹本著色 秋草鶉図              1幅        本館蔵(吉田茂氏寄贈)
3.紙本墨画淡彩  蛭子神図          1幅        本館蔵
4.紙本墨画淡彩  山水図            1幅        個人蔵
5.紙本墨画淡彩 京名所月次図屏風 6曲1双  本館蔵
6.紙本著色 山水図        6曲1双  本館蔵(原田良策氏寄贈)など
押している。

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