新潟県北部の史跡巡り

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新五兵衛山遺跡/新潟市

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新潟市北区太田字城山に所在し、城山集落の北東側の砂堆上に位置する。

遺跡の立地する砂丘列は松影〜城山ラインと呼ばれ、

縄文後期晩期、弥生、古式土師器、奈良平安時代の土師器、須恵器、中世陶器などが

古くから採集されている。昭和20年代後半から、城山集落の標高14mの砂山が砂取で削られ、

付近から地元考古学者によって採集されている。この城山の北東に本遺跡があり、

現在は福島潟放水路事業によって開削された放水路になっている。

遺跡は、放水路開削事業に先立ち、平成6年当時の豊栄市教育委員会により、

事前調査が行われた。昭和63年にも橋梁工事で1次調査が行われている。

今回は2次調査の成果を紹介する。

遺構
砂丘部と水田部の調査が行われ、砂丘部は撹乱がすすみ、遺構の検出はなかった。

浅い溝が(幅3.5m、深さ40cmのもの)検出された。覆土中から近世陶器が1点出土した。

遺物
代表的な器種についてかいつまんで簡単に紹介する。

縄文時代の遺物

縄文時代後期の遺物は4点出土し、

三十稲葉式土器、帰属年代不明の深鉢口縁片、有茎石鏃(恐らく縄文後期、晩期のものか)、

凹石が出土した。

土器
古代の土器の出土総点数は3180片で、そのうち土師器が約85.4%、須恵器が約14.6%で1次の時同様、

ほぼ共通した割合である。

土師器は無台杯、甕、堝が出土し須恵器は無台杯、有台杯、杯蓋、壺、甕、横瓶

その他として灰釉陶器、土錘、紡錘車、羽口、鉄滓、古銭(寛永通宝)、泥メンコ、中世陶器がある。

土師器杯は回転糸切りのよる轆轤からの切り離しが中心である。

杯の身の部分は、緩く内湾するもの、「く」の字状に屈曲するもの、直線的なものに分類できる。

土師器甕形土器

完形品はない。甕の胴部は、外面の成形手法によって2つに大別できる。

刷毛目(条痕)調整されたもの、打圧成形による叩目痕を施したものがある。

口縁部の形態は、大きく形態から機銑故爐吠類できる。

砧燹$部で外反し、先端部が丸味を帯びているもの。

粁燹´砧爐犯羈咾靴董頸部からやや鋭角に立ち上がり、つまみ上げられた先端部を持つもの。

稽燹$部から先端部にかけて段が一段設けられている複合口縁。

故燹´砧狷瑛佑侶疎屬鮗┐垢、先端部が外側につまみ上げられているものがある。

胴部は、底からの立ち上がりが、明瞭でなく胴部が丸味を帯びるもの。

底部から垂直に立ちあがるものがある。


須恵器

器形は底部からの立ち上がりの形態から、緩やかに内湾するもの、緩やかに外弯するもの。

境が明瞭で直線的に開くもの、緩やかに内弯するものがある。

出土杯の中には、焼成が完全ではない、生焼けのものがある。

墨書土器があり、「十」、「北」あるいは「丸」と書かれたものがある。


有台杯
器形から2種類に大別される。浅い杯、碗に分類される。浅い有台杯には笹神窯で確認される

折縁杯がある。


灰釉陶器
完形品は無い。碗形、皿形が出土した。胎土は緻密で、焼成も硬質である。

灰白色あるいは灰褐色を呈する。輪花手法により口縁部が成形されたものがある。


土錘
表採資料を含め40点近く出土し、全て管状を呈する。7割以上が完形品である。

土師器質で、他の遺物との共伴関係から平安時代に属するものと思われる。

細形、太形の2種類がある。管状土錘に「三」状の刻み目を持つものがある。

「三」の意味など今後の検討課題である。

羽口
1次調査出土時のものよりひとまわり小型であるが、先端が黒色に変色し、

表面が剥落しており羽口と考えられるという。

古銭
「寛永通宝」で新寛永通宝と考えられている。

泥メンコ
江戸中期に流行した遊び道具。総数148点出土した。


新五兵衛山遺跡の製鉄操業

本遺跡から4基の製鉄関連の炉状遺構が検出された。

鉄滓の分析結果から製鉄原料は赤目砂鉄系の原料で、

出土した鉄滓の出土種別から、製錬、精錬、鍛錬滓の3種類が認められ

一貫操業が行われていた可能性が高い。製錬炉は丘陵の傾斜地、丘陵の平坦地に立地するのが

一般的である。遺跡が平坦地に製錬滓が出土した遺跡は、

本遺跡と中頚城郡吉川町高沢入遺跡、樋田遺跡、古町遺跡などがある。

本遺跡の鉄滓の総量は1199点で、総重量は47.2kgである。全体の80%が50g以下の鉄滓である。

本遺跡で製錬炉が存在していたとするには、鉄滓、炉壁、木炭の量が少ない。

炉を構築するための粘土を多量に搬入する必要がある。製錬に伴う多量の木炭は出土していない。

砂鉄製錬滓出土以外積極的に製錬炉とは言い難い。

高沢入遺跡で、砂鉄製錬滓(含鉄滓)の炉内残留滓に打痕を加え鉄分か所を割りとった形跡が

確認されている。古町B遺跡では、砂鉄製錬滓の炉内流動滓を人工的に破砕していた。

本遺跡の場合は、他所で1次製鉄の製錬が行われ、含鉄滓を割りとったものを移入し、

使用したのではないかと考えられている。砂丘地あるいは自然堤防などの平坦地で検出された

砂鉄製錬滓の評価は、製錬炉の所在、製錬滓の出土地が操業地であるか検証する必要がある。

本遺跡への砂鉄製錬滓の供給先は

真木山製鉄(http://blogs.yahoo.co.jp/rekisi1961/8138556.html)が想定できるという。

製錬滓の科学的組成に共通性が認められ、

高チタン(T顳2)の傾向を持つ塩基性砂鉄を原料にしている。

引用参考文献
1996「新五兵衛山遺跡 供徊栄市教育委員会

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