新潟県北部の史跡巡り

新潟県北部の史跡を紹介しています。

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おぼと石/五泉市

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永谷寺
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オボト石
過日紹介した雷山の雷城(http://blogs.yahoo.co.jp/rekisi1961/51134569.html)の
 
北東山麓にある曹洞宗雲栄山永谷寺(ようこくじ)は、本尊は阿弥陀如来で、
 
現群馬県月夜野の玉泉寺の末寺である。
 
開山は、永正元年(1504)同県北群馬郡子持村の孫寺双林寺の孫寺玉泉寺三世大潮浮舶の開山である。
 
これから紹介する「おぼと石」と呼ばれている歴代住職の無縫塔群が本堂裏手にある。
 
高さ30センチ前後の円礫は、早出川の東光院渕から得たとの伝承があり、
 
江戸時代の橘崑崙(たちばな こんろん)著(文化9年 1812)「北越奇談」や、
 
鈴木牧之(天保8年 1837)北越雪譜に記事が掲載されている。
 
参考
「北越奇談」大高興訳より
無縫塔
中蒲原郡河内谷、陽(永)谷寺門外の渓流数10尋(ひろ)(70m位)のふちを回って、
 
百歩ばかりの間は平になっていて、岩石がうず高く積っております。

 この寺の住僧が死ぬ3年前までは、必ず毎年ふちから墓印のついた石が一つずつ岸に上がります。
 
その石は、見た目には変わらないが、ここを往来する人々は言うともなく、
 
これこそ無縫塔に間違いないと異口同音に言います。その不思議さは、説明のしようがありません。
 
人々が無縫塔と呼ぶようになってからは、石を何度ふちに投げ込んでも、
 
石は一夜の内にまた元の場所に上がっているのです。
先年、住職の和尚が石を淵に投じて「我には大願があるので未だ死ぬ事はできぬ」と言って
 
その場から寺を去り、再び寺に帰らなかったので、和尚はいつまでも健康で病気もせず、
 
長寿を保ったのです。誠に不思議なことです。

私は此処を訪ねて、寺の墳墓を見ると、すでにその石は14、5個も並んでいました。
 
その他は全て普通の無縫塔でありました。
 
信州(長野県)四部(渋)の温泉寺には、この奇と全く同じ言い伝えがあります。
 
私はそこへは行ってはおりません。
 
知人に詳しく聞いたところでは、水底から無縫塔の形をした石が上がると言います。
 
しかし、甚だ疑わしいことです。
 
後でゆっくり考えてみましょう。
 
但し、この一奇は”怪”と言う他ありません。
 

現地説明板より
オボト石
雷城(http://blogs.yahoo.co.jp/rekisi1961/51134569.html)落城の際、
 
城主の一人娘菊姫が東光院渕に身を投じましたが、永谷寺の大潮浮船(舶)和尚の功徳によって成仏し、
 
渕の龍神と化したのに感謝し、歴代の住職が亡くなる7日前になると、
 
渕から墓石となる丸い石を届けるようになりました。村人達はこの石をオボト石と呼んでいます。
 
毎年般若会には見知らぬ女性が座っており、これは菊姫の化身がお参りに来ると伝えられています。

越後村松 桜藩塾

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こういうお話を拾い集めています。
ありがとうございました。

2010/10/18(月) 午前 5:24 [ pok**hino*324 ] 返信する

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コメントありがとうございます。
この川内谷の奥の水晶のお話も、北越奇談に掲載されてます。
昔の人の視点は、冷めたものではなく純粋に感じた事を表現されているので、面白いと思いました。

2010/10/18(月) 午後 9:11 ぽんぽこ 返信する

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桑ノ口館(http://blogs.yahoo.co.jp/rekisi1961/16707542.html)
には、実際に火の玉が出た話が新聞記事として取り上げられています。本当かな??と思うような興味深いお話です。

2010/10/18(月) 午後 9:17 ぽんぽこ 返信する

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