新潟県北部の史跡巡り

新潟県北部の史跡を紹介しています。

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通り下遺跡/新発田市

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赤丸が中曽根の位置
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遺跡付近
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採集遺物
 
日東道聖籠新発田ICの東側の平坦な水田地帯に本遺跡がある。
 
偶然採集されたものを観察する機会があった。
 
採集遺物は須恵器甕類、無台杯(白い砂粒を含む)、ロクロ土師器の甕類、鉄塊系遺物(磁石と反応し小鍛冶工程の遺物か)があった。
 
土師器長甕か鍋の口縁部でおおよそ年代の特定できそうな遺物があり、
 
採集遺物の中には9世紀中頃の遺物を包含しているようである。
 
鉄塊系遺物も採集されている事から、
 
鍛冶関連遺跡の存在が予想されるが本格的な調査が行われていない点や、
 
採集遺物が少量であることから現状では遺跡の性格については詳細不明である。

 遺跡周辺の往時の地形は、現代の開発によって改変削平されてしまい、
 
偲ぶ事はできないが、加治川の支流・新発田川が新発田市街地に入り、
 
新発田城の水堀などの防御施設や生活水に利用され、その後西流する。
 
中曽根は新発田川支流の自然堤防上に形成された集落で、
 
今でも帯状に集落が形成され、その延長線上に遺跡がある。
 
新発田藩士によって開かれた水田が多数あったという。(地名事典)
 
江戸時代の正保2年(1645)越後国絵図には新発田川が新発田城下を通過し、
 
中曽根を流れ舟入付近で塩津川と嶋見前潟を結ぶ河川と合流していた。
 
やがて阿賀野川と合流し日本海に注いでいた事が描かれている。
 
近世と古代では地理的環境は異なると思われるものの概ね本遺跡は、
 
その河川が形成した自然堤防上に立地していたものだろう。
 
河川沿いに集落が形成されたのであれば、河川も水運や生活の一部に取り込まれていたに違いない。
 
古代において、中曽根付近は沼垂郡に属していてた。
 
引用参考文献
1986「新潟県の地名」『日本歴史地名大系』15 平凡社
1980「新発田市史」上巻 新発田市

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