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旅「京都・船岡山」

平安時代から、清水寺から西大谷の辺りの地域までの山側は鳥辺野(とりべの)と呼ばれる、化野、蓮台野と並ぶ京都三大葬地でした。(今熊野もそれにあたります)また、死者を木に吊るし、その肉を鳥に喰らわせる鳥葬地でした。このことから鳥部野という地名がついています。
「鳥辺野、船岡(蓮台野)、さらぬ野山(化野)にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし」と徒然草で兼好法師が書いた通り、鳥部野から人を焼く煙がやむ事はありませんでした。
東山区南部、阿弥陀ケ峰北麓の五条坂から南麓の今熊野にいたる丘陵地、鳥辺山のふもと一帯を総称。平安期から墓地、葬送の地として知られる。現在は 東山区 清水寺の南西、大谷本廟東方の山腹にある墓地を指す。広さは、約4万平方メートルにもおよぶ。市バス 池田町 一帯。

船岡(蓮台野)から見る風景は何処か寂しいですね。平安時代もここで最後の別れをこの風景を見て忍んでいたのかと思いながら千本通りは、平安京の時代には平安京の中央を南北に縦断する大通り朱雀大路があったと伝えられているそうです。平安京の中心朱雀大路をその起源とする。この朱雀大路は船岡山が正面に来るように決められたとも言われる。一説には、船岡山西麓の葬送地への道に千本の卒塔婆を建て供養したのが通り名の由来とする。 ここ千本通りは今でもそのような雰囲気がただよいます。


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さて、京都は完璧な「盆地」ですから、周囲は山また山です。多分、いろいろな方向から市内を見下ろせるポイントがあるのでしょう。でも市内には、山は、あまりありません・・。船岡山は低い山(112m)ですが、 京都市 内が展望できます。北から見る南方向です。
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ズームにすると、京都タワーも、よく分ります。コンパクトカメラでも・・なかなかのものです。

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説明板によると、船岡山は、古い昔、京都の北の基点で、真南に大極殿や朱雀大路などが造られていたそうですし、枕草子にも、その名前が出てくるそうです。ちなみに応仁の乱の時、この山に西軍の陣地がおかれたことが、「西陣」の地名の由来になったそうです。
この日は、妙心寺から仁和寺、等持院と歩いてきて、ここまで来ました、写真の辺りですが、当然、よく分りませんね・・。

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金閣寺の上の方にある「左大文字」、ここを「目にして」・・何かオカシイなと思ったことがありました・・

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同じく、送り火のひとつの「舟形」でしょう、ズームです。

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この山には建勲神社があります。

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祭神は、何と「織田信長」だそうです、この名前を聞くと、何となく恐いのですけど・・

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誰も、おられず、静かな雰囲気を満喫しました。

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こちらから上がるのが、正面からの参拝口なのでしょう、裏の方から入ってしまったようでした・・。

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昔からの『懸案』が、一つ解決したような思いがしています・・

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はじめまして
素敵なブログですね〜☆
初めてまだ1か月なってないかも
よろしくね(^^)v
昨年11月に岩手より京都へ行きました
とっても楽しい思い出です(^^♪

2015/4/12(日) 午前 8:37 [ マサト ]

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> マサトさん
コメントありがとうございます。
京都を書くのは久しぶりです。
平安の昔、雅な暮らしは天上人と言われる上級貴族だけでその他はそうではありませんでした。極一部の貴族以外は風葬でしたし加茂川はしたい捨て場でした。都の外ともなれば野ざらしの遺体だ無数にあったようですね。

2015/4/12(日) 午前 9:29 [ 食べログ検証 ]


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